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第三章
四十六話 姉弟
しおりを挟む律樹さんを見送った後、俺も出かける用意をする。
昨日お風呂で倒れた時は熱が出るかななんて心配だったけれど、どうやら杞憂だったようだ。熱もなく、身体の怠さももうほとんどない。元気かどうかは自分でもよくわからないが、少なくとも発熱しなくてよかったと思った。
六花さんが迎えに来る時間まで、まだあと二時間程ある。まだまだ時間に余裕があるとは言え、あまりゆっくりともしていられない。車椅子や杖がなくとも全く問題のない足、しかしそれでもまだ他の人よりも歩くのが遅い俺は人よりも頑張って用意をしなければならないのだ。
律樹さんと一緒に用意した朝ごはんを急いで食べ、自分の部屋のクローゼットから選び出した服を手に、俺は洗面所へと向かった。
白色の半袖Tシャツに黒色の大きめのパーカー、そしてジーンズという服装で洗面台の前に立ち、鏡の中の自分を見ながら髪を整える。まあ整えると言ってもスタイリングなんて器用なことはできないので軽く寝癖を治すくらいなんだけど。
今着ている服は全て日曜日に律樹さんと一緒に選んで買ってもらったものだ。特にこの薄手の黒いパーカーは胸元に刺繍された猫が可愛くて一目惚れだった。本当は大きめのものを買うつもりはなかったのだが、ぴったりのサイズだけが売り切れていたため泣く泣く少し大きめのサイズで購入した。まあ案の定というか、やっぱり大きくて俺の手のほとんどが隠れてしまって見えるのは指先くらいである。
あらかたの用意が終わって台所でお茶を飲みながら一息ついていると、突然ピンポーンと家の中に呼び鈴の音が鳴り響いた。時計を見れば約束の時間よりも五分程早いが、恐らくは六花さんだろう。
ぱたぱたと小走りに玄関まで行って玄関扉に手をかけると、そこには胸元にサングラスを引っ掛けた六花さんが立っていた。
「こんにちは、弓月くん」
柔らかく微笑んだ六花さんにつられて頬が緩む。陽の光に反射してきらきらと輝く律樹さんと似た栗色の髪が綺麗だった。
六花さんは学校に行く前に寄りたいところがあるそうで、少し早い時間ではあるが家を出ることにした。
家の戸締りを六花さんと一緒に確認し、最後に自分の荷物を持って家を出る。玄関扉に鍵をかけ、無くさないようにすぐに黒色のボディーバッグの中に仕舞って、俺は駐車場まで小走りにかけていった。
駐車場に停まっていた黒色の普通車――多分コンパクトカーだと思う――を覗き込むと、運転席から六花さんが小さく手招きをしながら反対の手で助手席のシートを叩いていた。これは助手席に乗ってもいいということだろうか。
きょろきょろと周りを見回した後、助手席側の扉を開けて恐る恐るシートに腰を下ろす。扉を閉め、シートベルトを締めて六花さんの方を見ると、彼女の柔らかな琥珀色の瞳と視線があった。
やっぱり律樹さんと六花さんはよく似ていると思う。そりゃあ姉弟なのだから当たり前と言われればそうなんだけど、髪色や瞳の色、顔立ち以外にも纏う空気というか雰囲気もよく似ていた。だからなのかな、まだ会って二回目なのにこんなにも落ち着くのは。
「さて、行きましょうか」
その言葉にこくりと頷くと同時に、車が動き出した。
律樹さんの家から目的地の学校までは混んでいたとしても三十分から四十分程だ。六花さんの寄りたいところに寄ったとしても間に合うだろう。
天気は快晴、絶好の文化祭日和でよかったと思う。
「ねぇ、弓月くん」
「?」
不意に名前を呼ばれ、窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めていた視線を車内へと戻す。運転席に座る六花さんは真っ直ぐ前を向いたまま口を開いた。
「律樹は、優しい?」
信号が赤に変わったのか、車が減速をして止まる。六花さんの視線が俺の目を捉えた。
律樹さんが優しいかなんて、そんなの優しいに決まってる。あれだけ俺のことを思ってくれて、俺の意思や希望を聞いてくれて叶えてくれて、他にも俺が出来ないことを笑ったり貶したりしない、そんな人が優しくないはずがない。
そう思いながら首を縦に振ると、彼女はそっかぁ……と安堵するような声を上げ、笑みをこぼした。
六花さんの柔らかな視線が俺から離れていく。
やがて信号が青になり、ゆっくりと車が動き出した。
「私はあいつの姉だけど、本当はあいつのことをあんまり知らないの。そりゃあ昔はよく遊んだし、仲も良かったけど……でも、律樹がDomだってわかった時から何かが変わった気がする」
ダイナミクスの発現、第二性の判別と共に何かが変わる――それは俺にとっても身に覚えがありすぎる事だった。
たとえ血の繋がった親兄弟であっても、違う第二性を持っているというだけで俺たちのように差別や虐待につながる事だってある。俺はただ運が悪かっただけかもしれないが、多かれ少なかれ、周囲の対応や態度は第二性がわかった瞬間から変わってしまうものなのかもしれない。
「うちは三人姉弟で、一番上の姉と末っ子の律樹がDomで私と両親はノーマルなの。正直私は小さな頃から上の姉のことが少し苦手だった。それがDomだからなのかはわからないけれど、でも……律樹が姉と同じDomだってわかった時、少し怖くなっちゃったの」
自嘲気味に六花さんが笑う。
血の繋がった兄弟なのに可笑しいよねと笑う彼女の言葉に、胸がつきりと痛んだ。
六花さんは俺が律樹さんと暮らし始めた理由も、俺自身がSubだってことも多分知らない。だからこそ自分の姉弟をDomだからという理由で怖がる自分の方がおかしいのかもしれないと思っているのだろう。
少し前の俺だったら首がもげる程に頷いていたに違いない。でも今はDomでも優しい人がいることを知っているからこそ、俺は寂しげな表情で前を見据える六花さんをただただ見つめることしかできなかった。
「それまでの気が小さくて優しい律樹と何にも変わらなかったのに……私はDomだからって理由で律樹から少し距離を取ったのよ」
「……」
「でもね、弓月くんと一緒にいる律樹を見てそれが間違いだって気がついたわ。Domでも律樹は律樹、あの頃の優しい律樹がそこにいた。……だから弓月くん、律樹と一緒にいてくれてありがとうね」
六花さんの言葉に、胸がとくんと鼓動する。
律樹さんの実の姉である六花さんの言葉が嬉しい。俺がいることで律樹さんに不利益をもたらしているのではと心のどこかで思っていたから、いてくれてありがとうなんて言ってもらえるとは思っていなかった。
けれど同時に僅かな罪悪感が心に染みを落とす。
俺がSubだと知った時、果たして六花さんは今と同じように言ってくれるのだろうか。
どうしてかそんな卑屈な考えばかりが頭に浮かび、俺は慌てて頭を軽く振ってへらりと笑う。その時微かにちくりと胸が痛んだが、それに気付かないふりをしながら俺は膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
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