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第一章

十五話 欲と願い 前編

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「瀬名さんとプレイがしたい?」

 竹中先生が目をぱちくりと瞬かせながら驚いたように言った。

 あの後、体温計で熱を測ったところやはり発熱していることがわかり、俺たちは病院にやって来た。天気は大雨、時間帯も昼前ということもあってか比較的待ち時間も少なく、今こうして診察室の横にある処置室で抑制剤の点滴を受けている。
 
 先程の竹中先生の言葉は、俺がスマホに打ち込んだ内容を繰り返したものだ。
 先生の声にこくりと小さく頷くと、竹中先生は目を見開いた後すぐに表情を和らげた。

「そうですか……あの弓月くんが……」

 以前はDomによるケア自体あまり乗り気ではなかった俺が、自分からしたいと言うのだから驚いたことだろう。前回の受診の時は「律樹さんみたいな人が良い」とは伝えていたが、それは「もしケア目的のプレイをするのであれば彼のようなDomならまだ良いのに」という意味だった。
 けれど今の言葉はそれとは違う。さっき先生に見せた『りつきさんとプレイがしたい』という言葉には、ケア関係なく律樹さんとプレイしてみたいのだという明確な意思が含まれていた。

「瀬名さんから聞いたんですけど、一度軽いプレイをしたんでしたっけ?その時どんな感じがしました?」
『なんかふわふわしてました』
「ふわふわ……」

 少し抽象的過ぎただろうか。けれどそれ以外の表現が思いつかなくて、俺は竹中先生の呟きに曖昧に頷く。

「えーと、他には……その、気持ちというか、身体にどんな反応があったかとか。もし差し支えなければで良いので教えてもらえませんか?」
『なんだか幸せな気持ちでした。次の日起きたらとても体が軽かったです。体ってこんなにも軽かったんだってびっくりしました』
「なるほど……それはよかったですね」

 俺がスマホに入力した文字を見た先生は柔らかく微笑んだ。よかったね、そう言われてこくりと頷くが、でも…と俺は静かに目を伏せる。

『でもりつきさんはそうじゃなかったのかも』
「……どうしてそう思うんですか?」

 律樹さんとは違う、けれど俺を案じるような優しい声音に目頭が熱くなる。俺は唇をきゅっと引き結びながら手元のスマホに文字を入力していくが、ある程度入力したところで指が止まった。そして入力したばかりの文字を消し、その上からぽちぽちと躊躇いがちにもう一度言葉を入れていき、その画面を竹中先生におずおずと見せた。

『だって、とても辛そうなかおしてたから』

 初めてのプレイの後、俺たちはいつもと同じように彼のベッドで一緒に眠った。
 いつものように俺が眠るまで手を握ってくれたり、頭を撫でてくれた優しくて大きな手――けれど微睡の中、そっと開いた視界に飛び込んできたのは辛そうに歪んだ横顔だった。それはたった一瞬のことですぐにいつもの柔らかな表情に戻ったけれど、あれは多分見間違いじゃなかったと思う。

 竹中先生は少し考えるような仕草をした後、何か思いついたような顔をした。そして彼が何かを言おうと口を開いた時、コンコンと扉がノックされる。

「はーい、どうぞー」
「失礼します。竹中先生、少し良いですか?」
「ああ、うん。……すみません弓月くん、少し外しますね」

 俺がこくりと頷くと、先生はもう一度ごめんねと言って診察室の方に戻って行ってしまった。

 パタンと扉が閉まると同時に俺は一人になった。
 自分の腕に刺さった針から出ている点滴チューブを辿り、その先の抑制剤の入った点滴ボトルを見る。ボトル内の液量はあと三分の一程もなかった。ぽとんぽとんと滴下する液体を眺めながら、俺は先程の竹中先生との会話を思い返す。

 竹中先生の反応を考えるに、律樹さんが辛そうな表情をしていたのにはなにか理由があったのかもしれない。けれどちょっと卑屈に傾いた俺の頭がいくら考えたところで、ケアのためとはいえ俺とプレイを行うことが嫌だったとしか思えなかった。きっと律樹さんは優しいから俺を拒否しきれなかっただけなのだ。
 でも、なんとなく、そうじゃないかもなんて思う自分もいる。違ってくれたら嬉しいなんて希望も入っているかもしれないけれど、それでもどうしてかプレイをしている最中の俺を見つめる優しい眼差しが頭にちらつくんだ。

 白い天井に視線を移し、それから診察室に続く扉を見た。扉一枚を挟んだ向こう側で誰かが話している声が聞こえてくる。

 ふと、そういえば律樹さんは今何をしているんだろうと思った。順番待ちをしている間は待合室で一緒にいたけれど、彼は診察室には入らなかった。まあ今日は点滴がメインだからいてもいなくても大して変わらないのだろうけど、ほんの少し寂しい。

(りつきさんに会いたいなぁ……)

 早く会いたい。早く会って、それから――

 そう考えた時、頭の奥がつきりと痛んだ。思わず顔を顰めたがそれは一瞬で、瞬きを一つする頃にはもう消え去っていて俺は首を傾げる。

(え……なに今の……?)

 点滴の針が刺さっていない方の手で傷んだ気がする部分を触ってみるが、当然何かがあるわけではない。一体なんだったんだ…と困惑していると、扉の向こう側が静かになった。話が終わったのかなと扉の方に視線を向けると、ガラガラと音を立てながら扉が開いていく。現れたのは竹中先生だった。

「すみません、弓月くん。点滴は……あと少しですね。この点滴が終わったら診察室で少し話をしましょうか。……佐藤さん、弓月くんの点滴お願いしても良いかな?」
「あ、はい。わかりました」
「うん、お願いね。じゃあ僕は瀬名さんを呼んでくるので、もし何かあれば彼女に何でも言ってくださいね」

 そう言って再び出ていく竹中先生の背中を見送ったあと、俺はすっと点滴の上部を見た。寝転んだ状態ではまだあるように見えなくもないが、実際のところどうなんだろう。

「……あ、終わりましたね。では外していきますね」

 俺がぼんやりと眺めているうちにどうやら終わっていたらしい。佐藤さんと呼ばれた看護師さんはてきぱきと手際良く外していき、俺の腕から針が抜かれた。
 その後処置を幾らか行ったあと、俺は佐藤さんに手伝ってもらいながら身体を起こして立ち上がり、診察室へと向かった。

 診察室には既に竹中先生は勿論、律樹さんもいた。二人は向かい合って座りながら何かを話していたようで、俺が入るとすぐに会話がぴたりと止む。
 お邪魔してしまったかなと不安になる俺だったが、二人とも嫌な顔一つしていなくて、俺はそっと息を吐き出した。

 
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