クリスタルの封印

大林 朔也

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旅路 8

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 夕闇が迫る頃、一行は陸橋が現れる海岸へと向かった。

 ユリウスがソニオの国王に手紙を送っていたので、その日は騎士たちの姿は海岸にはなかった。内心では騎士ですら最果ての森を見渡せる恐ろしい海岸から離れられるのを喜んでいた。陰気な空気が漂う場所から嬉しそうに離れていったのだった。

 陸橋は既に現れていて、その美しさに勇者は息を呑んだ。聞いていたのとは違って、海面は穏やかで何の危険もないように思えた。橋は既に多くの者たちが歩いたような足跡が幾つもあった。

「僕は…危険な橋だと聞いていました。
 信じられません。これほど美しい橋は見たことがありません。まるで神の作った橋のようです。
 はじめて…ユリウス様を見た時の気持ちを思い出しました。
 ドラゴンは飛んでいくのですか?」
 弓の勇者は隣で陸橋を見ているドラゴンに聞いた。

「いや、飛んではいけぬ。
 最果ての森に行くのであれば、陸橋を歩いて行かねばならぬ。この海域には守主がすんでいる。守主が選んだ者しか、最果ての森に足を踏み入れることは許されない。
 その先にある力は、我の力を遥かに超える。
 お前たちも、注意して渡らねばならぬぞ」
 ドラゴンは勇者を見ながら言った。

 彼等は陸橋をゆっくりと歩き始めた。
 穏やかな水面が陸橋を渡ろうとする人間の気配を感じとると、そう遠くまで行かないうちに海が底無しの穴を開こうと小さな渦を巻き出した。

 月が雲に隠れた。
 海面が大きく揺れて、恐ろしい巨体が海の底から姿を現した。
 目の前に聳え立つ恐ろしい存在は、すぐに真っ赤な一つ目でジロリと勇者とドラゴンを睨みつけた。

 勇者は咄嗟に自らの武器を握り締めたが、戦場で恐ろしい敵と相対した時のような恐怖を感じて身をすくめた。

「ならぬ!武器を向けてはならぬぞ!不遜な言葉も吐いてはならぬ!陸橋の守主を攻撃してはならぬ!」
 と、ドラゴンは叫び声を上げた。

 勇者はドラゴンの言葉を聞くと、慌ててそれぞれの武器を下ろした。
 ユリウスは何も言わずに、その様子を後ろから見ていた。
 ドラゴンは巨体が音を発して赤黒い舌を出そうとすると、ユリウスの方を振り返った。

「ユリウス様!我等をお救いください!」
 ドラゴンは大きな声で、ユリウスの名を呼んだ。

 すると全てを喰らう大口を開けようとしていた巨体の動きが、ピタリと止まった。

「私にお任せ下さい」
 ユリウスは穏やかな微笑みを浮かべた。

 素早く詠唱すると、彼の右手の中に白く輝く光が現れた。
 月が雲に隠れた漆黒の夜空に向かって右手をかざすと、たちまち辺り一面を照らす光を放った。
 その光で、マントで隠されていた魔法使いの顔が照らされた。
 それはまるで真っ暗な闇の中でも、全てを導くことができる唯一の希望の光のようであった。
 光はだんだんと明るさを増し、まるで彼の手の中に、隠された月があるかのようだった。
 勇者は全ての光がユリウスから生み出されるという幻を見た。
 どうして3つの国の国王が、ユリウスという魔法使いにあれほど心酔しているのか、この時になって、ようやく分かったのだった。

 魔法使いが勇者に隠してきた、神々しい光。
 目も眩むような全てを圧倒する力。
 何者も彼の足元にすら及ばず、彼の前にひれ伏さねばならない。
 手の中の光は月そのものであり、その男の魔法使いは空すらも統べている。

 勇者は、彼の力を前にして言葉を失っていた。


 一方、巨体は海の底へと音も立てずに沈んでいった。
 ユリウスが自らの力を押さえ込む紫のマントによって力の全てを消していたとはいえ、自らを生み出した絶対的な存在に対して牙を向こうとしたことを恥じ入り、彼の力を恐れて海の中でガタガタと震えていた。巨体が震える動きで、海面に小波が立っていった。

 ユリウスが先頭を歩き、彼の光に導かれながら勇者とドラゴンは陸橋を渡り終えた。

「先程の恐ろしい姿をした怪物は何だったのでしょうか?」
 と、弓の勇者は言った。

「ドラゴンが言っていたように、この陸橋の守主なのでしよう」
 と、ユリウスは言った。

「ユリウス様のおかげで、僕たちの生命は助かったのですね…ありがとうございます」
 3人の勇者は深々と頭を下げた。

「いえ、私は何もしていません。
 光は闇に勝ち、真の光は希望を与えます。
 ただ、それだけです」
 と、ユリウスは穏やかに微笑んだ。



 *



 朝になると、最果ての森は日の光が燦々と降り注ぎ、鳥たちが彼等を歓迎するかのように歌い出した。
 緑豊かで美しい花々を勇者は珍しそうに眺めながら、ユリウスの後ろを歩き続けた。
 時折、魔物の鳴き声がしたが、今までと違い勇者の前に現れることはなかった。

 それに気づいた槍の勇者がこう言った。

「魔物の鳴き声が遠くから聞こえます。
 けれど襲ってこないのは、ユリウス様が今も手の平に出されている光のせいでしょうか?
 闇の生き物は、やはり光を恐れるのですね。
 近くにはいませんが、いつ聞いても恐ろしい鳴き声です。3つの国の大陸にいた時よりも数が多いです。
 恐ろしい魔物が最果ての森で生まれ、力をつけていたとは思いませんでした。
 陸橋の守主も恐ろしい音を発していました。あの時の守主の目は激しい憎悪に満ちていました。
 彼等の力の源は、憎悪なのかもしれません。
 憎しみと怒りの感情しか知らず、人を喰らうことだけを目的に生きているのかもしれませんね」

 ユリウスはそう言った槍の勇者の顔をチラリと見た。

「光のせいなのかは、私には分かりません。
 槍の勇者よ、私もお聞きします。
 神がつくられたこの世界には、人間と動物と魔法使いしかいませんでした。
 それなのに彼等は、どうやって生まれたのでしょうか?
 力の源が憎悪であるというのならば、憎しみと怒りの感情を誰が抱かせたのでしょうか?
 私には魔物が何らかの恐ろしい行為に抗おうと力を得て、終わりのない苦しみを訴えているように思います。
 耳を傾けていたら、彼等が言うとしていることが分かるかもしれません。
 人間を憎悪する理由が何なのかを教えてくれるでしょう」
 と、ユリウスは言った。

「いけません!ユリウス様!
 ユリウス様はお優しいので騙されてはなりませんよ!
 奴等は魔物ですよ、魔物。
 自分には奴等が考えていることは、とっくに分かっています。人間の世界を乗っ取るつもりなんですよ。
 そもそも魔物が人間の言葉を喋るなど…考えられません。何かを喋ったとしても魔王の力なのかもしれませんし、恐ろしい魔物が口から出まかせを言って油断させようとしているとしか思えません。
 耳を貸してはなりませんよ。
 一方的に人間に憎しみを抱いて、牙を剥きながら襲ってきているんですから。
 だからこそ、自分たちはこうやって討伐に出ているのです。罪もない国民を殺した報いを受けさせなければなりません」
 と、槍の勇者は言った。

 ユリウスは槍の勇者の顔を冷たい目で見ながら、緑豊かな森を見渡した。

「一方的に…ですか。
 それは間違っていると思いますよ。
 憎しみとは、ふと湧いてくる感情ではない。
 貴方だって、そうでしょう?
 隣で歩いているだけの誰かを不意に憎んだことがありますか?
 何か耐え難いことでもないと、相手を殺したいと思うほどの憎しみの感情を抱くはずがない。
 私には、全て理由があるようにしか思えないのです。
 私たちが許せないことをされて相手を憎むことがあるように、彼等も憎しみを抱くほどのことをされているのでしょう。
 そうすると…彼等も伝えたいことがあって力を得たのです。力がなければ、力を持った者と対等に話すことができませんから。
 私はそう思います。
 それすらも許されずに虐げられ続けなければならないというのであれば、どこにも救いがありません」
 と、ユリウスは言った。

「ユリウス様、一体どうされたのですか?
 まるで魔物の側に立っているかのような言葉です」
 槍の勇者は厳しい顔をしているユリウスを見ながら言った。

「私は誰の側にも立ってはいません。
 立つことが許されない。
 もし私が誰かの側に立つことができれば、私もこれほど苦悩することはありませんでした。
 私はただ生命の尊さを知っているだけです。
 私は常に神の意志に従うだけです」
 と、ユリウスは言った。

「ユリウス様は、たまに難しいことをおっしゃいます。
 自分は勇者として、魔物から世界を守るようにという王命を受けています。それを、批判されているように聞こえてなりません」

「守るですか…。 
 その言葉は何を意味しているのでしょうか。何の世界を守りたいのか…。
 私は貴方が国王の命令に従うだけの騎士ではなく、考えることができる勇者だと思っていました」
 ユリウスは小さな声で呟いたが、その声は揺れる木々の音でかき消されたのだった。


 空が灰色に澱み始めると、ユリウスは空を見上げながら手の平の光を大きくした。魔物の鳴き声は聞こえなくなり、鳥の鳴き声と木々の葉の音がするだけになった。

 見上げた空には、雲がどんどん走っていった。
 分厚い雲が太陽を隠した。
 冷たい風が吹くと、勇者たちは体を震わせた。


「どうかされましたか?ユリウス様」
 空を見上げているユリウスに弓の勇者は聞いた。

 ユリウスは物憂げな表情で、弓の勇者を見つめた。

「悲しい顔をされています。
 この森を歩くたびに、ユリウス様の瞳が陰りを帯びている気がしてなりません」
 と、弓の勇者は言った。

「いえ…そのようなことはありません。
 もし…そうであるとするのならば…私はそこに光があると思っていました。けれど見上げた空のように雲に覆われた光は、地上を照らすことはないのかもしれません。
 逃れられない運命です。
 全ては鎖に絡まれた運命だったのかもしれません。
 長き時間をかけ、別の道を見つけようとしても、辿り着く場所は既に決まっている。どれも上手くはいきません。
 1日1日が虚しく過ぎようとしている」
 と、ユリウスは言った。

「鎖?何の話ですか?」
 弓の勇者はそう言ったが、ユリウスはただ穏やかに微笑んだだけだった。

 それ以降、ユリウスは物思いに耽り、勇者と話をしなくなった。
 一行は黙々と歩き続けた。
 どこを目指すかも分からない道だったが、勇者は光をかざすユリウスを信じて何も疑うことはなかった。

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