クリスタルの封印

大林 朔也

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勇者と陸橋 2

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 アーロンは久しぶりに身にまとう鎧を、責任と胸に抱く大きな望みでいつもより重たく感じていた。マーニャは馬が走って揺れるたびに、いつもとは違う冷たい感触に体をビクッと震わせるのだった。

「怖いかい?大丈夫だよ、僕が守るから」
 と、アーロンは言った。

「その…いつも感じるアーロン様とは違って…冷たくて固いので…」

「鎧をつけているからね。
 これをつけるのは初めてだから、変な感じだよね。
 大丈夫?装飾が少しあるから、それが当たっているのかな。すまない。少し…止まろうか」
 アーロンはマーニャの沈んだ声色が気になって馬を止めた。

「いいえ…。大丈夫です。
 今まで…ありがとうございました。
 あの時から…守っていただいて、本当に嬉しかったです。一度も落馬せず、1人で走っていた時とは違って、怖い思いをすることもありませんでした。
 むしろ、幸せでした…こんなに優しくされたことはなかったです。本当に…今まで…ありがとうございました」
 と、マーニャは声を震わせた。
 まるで自らの生命の火が燃え尽きることを予期しているかのような言葉であり、手綱を握るアーロンの手には力が入っていった。

「すみ…ません…」
 と、マーニャは消え入りそうな声で言った。

「大丈夫だよ。何も心配することなんてない。
 突然、そんな事を言うなんて…一体どうしたんだい?」

「そう…でした。でも、今、言っておかないと…私はきっと…きっと…」
 マーニャはさらに不吉なことを言い出した。

「何も心配いらない。
 必ず、君を守る。そう約束した。
 この生命にかえても」

「すみ…ません。
 勇者様をお守りするのが、魔法使いである私の役目なのに…あの…精一杯頑張りますね。
 アーロン様に…これ以上、気を遣わせたくありません」

「いや…いいんだよ。
 君は、そんな事を考えなくていい。
 気を遣ってるんじゃない、僕が君を守りたいだけなんだ。
 辛い思いばかりをさせてきたね。
 長い間、ずっと怖かっただろう。
 それなのに、それすらも言えない…言うことが許されない場所で過ごさせてきた。
 もう、これで終わりにさせる。
 陸橋を渡り、最果ての森について、ダンジョンに潜れば何かが変わる気がしてならない。いや、この手で変えてみせる。
 もう一度、人間を信用して欲しいなんて、虫がよすぎるだろう。君たちに酷いことをし続け、それを知っていながら何も出来なかった僕がそんな事を言える資格はない。
 王の息子である僕を君たちは許せないだろう。
 それなのに、今までありがとう。
 僕を許して欲しいなんて言わない。
 騎士の隊長でありながら、今まで何も出来なかったんだから。君たちの嘆きと苦しみを知っていながら…隊長の身でありながら…」
 アーロンの手綱を握る手にはますます力が入り、自らへの怒りで激しく震えていった。

「けれど、人間の中にも素晴らしい者たちがいる。フィオンやエマのように。本当にすまなかった。
 これからは騎士として、最期まで君たちを守ろう」
 と、アーロンは力強い声で言った。

「ちがいます!王様とアーロン様は、全然別の方です。アーロン様は一度も私たちに酷いことをされませんでした。
 アーロン様…そんな顔はなさらないで下さい。
 どうか、笑って下さい」
 マーニャは後ろを見ると、悲しい顔をしているアーロンに微笑みかけた。

「アーロン様は、ちがいます」

「マーニャ…。君も、そう言ってくれるのか。
 ありがとう。
 約束を果たそう。
 必ず光を取り戻してみせる。救いという名の光を。
 必ず自由を取り戻す」
 アーロンは日の光に照らされながら、目の前の少女にそう約束した。明るい光に照らされた金色の髪は、少女の目に焼きつくほどにきらきらと輝いた。

 マーニャは驚いた顔をしながら下を向き、流れ落ちていく涙を見せないようにしながらも徐々に肩を震わせていった。

「マーニャ…」

「すみ…ません。あと少し…少しだけ…。
 アーロン様は…やっぱり…ユリウス様のようにお優しい方です。フィオン様は力強くて、エマ様は優しくて…」
 マーニャは顔を両手で覆うと、今までの辛い日々を思い涙を流したのだった。

 アーロンは、その言葉には何も答えることが出来なかった。
 マーニャを抱き寄せることもなく、ただ悲しい目をしながら目の前で泣く少女を見つめていた。
 抱き寄せてはならないこと、それが優しさではないことはアーロンには分かっていた。 



 それから陸橋へと続く静まり返った道を風のように走り続け、起伏の多い泥だらけの道を抜けると、ようやくその場所に辿り着いた。
 魔物という脅威に備える為に、黒い門と数10キロに渡る強固な長い壁が建設された場所だった。
 その場所は、黒い鎧をまとった屈強なソニオの騎士たちが厳重に警備していた。騎士たちは馬で走ってくる一行を見ると、さっと槍を突き出したが、銀色の鎧をまとった男の姿を確認すると慌てて槍を下ろした。

「俺から入ろう」
 フィオンは兜をとり低い声で言った。

「そうね。フィ…」
 エマはそう言いかけたが、フィオンの顔を見ると驚きのあまり手綱を離してしまいそうになった。

 轡を並べて進んでいた男は、エマの知らない顔をした男だった。
 自国の騎士を見たことで、フィオンに恐ろしい変化が起こったのをエマは感じたのだった。優しくて明るかった男は、もうどこにもいなかった。
 フィオンは奇妙な目つきをしていて、その目を見るほどにエマの背筋が凍りついていった。ただ…おそろしかった。血も凍りそうなほどの恐怖に襲われた。
 それはフィオンが兵士となってから、ある男から学び取り、この騎士団で生き残る為に自らに叩きこんだ狂気そのものだった。自国の騎士団の姿を見ると、それは彼自身ですらコントール出来ないほどに暴れ出すのだった。
 旅の始まりから押し殺してきた、ソニオ王国の騎士団の隊長としてのフィオンの姿だった。
 今、男がまとうのは残忍さ、ただそれだけだった。

(あぁ…フィオン…あなたは……こうやって生きてきたのね)
 エマはもう目の前の男が、自分の知っている男ではないと分かった。ソニオの騎士たちの前では、今までのように接してはいけないと思った。
 すると、オラリオンの騎士の忠告が響き渡った。確かに、この男は今までエマが見てきた騎士の中で、最も恐ろしい男であり化け物に違いなかったのだった。


 勇者一行が黒い門の前に辿り着く頃には、黒い鎧をまとった騎士たちは整列していた。

「ソニオ王国、槍の騎士フィオン、第5軍団騎士団隊長である。
 王命により勇者となりて、魔物共を全滅せしめる為に、この先の陸橋を通過する」
 フィオンが騎士を見下ろしながら、昂然とした態度で形式上の名乗りをあげた。
 馬上のフィオンは一段と大きく見え、隊長としての威厳に満ち、掲げた槍は残酷なまでに光り輝いた。



 黒い門が、勢いよく開けられた。

 一行は中に入ると、案内人の騎士の後についてそのまま馬で進んで行った。
 エマは門を開けた騎士の顔をチラリと見ると、フィオンを見るその目には明らかに恐れの色が浮かんでいた。
 先程のフィオンの部隊の隊員たちとは違う獰猛な顔をした騎士ですら、彼に恐れを抱いていたのだった。

 一行が騎士の前を通り過ぎる時には、どの騎士も自らの作業の手を止めて姿勢を正して敬礼をした。
 エマは門番の騎士と同様にどの騎士にもフィオンを見る目には恐れの色を見たが、アーロンを見る目には勇者ではなく敵国の隊長に対しての敵意が含まれているように思った。

 門の中は重苦しい空気が流れ、一歩進むごとにエマは憂鬱な気分に襲われていった。食料庫や武器庫の前を通る時には、その小屋の中にいる騎士たちの視線を感じると、薄気味悪さと大きな不安を抱くようになった。
 何度か、短剣に手を伸ばしそうになるほどだった。
 それはアーロンと自分に向けられている敵意ある視線によるものなのか、悪意に満ちた騎士たちに取り囲まれているせいなのかは分からなかった。

 最も立派な建物に案内されて中に入ると、案内人の騎士がフィオンだけに聞こえるような小さな声で何かを囁いた。
 フィオンは冷たい目で指図を出すと、騎士は急いで小屋を出て行った。
 騎士が出て行くと、フィオンは窓際に椅子を持っていって腰かけると、窓枠に片肘をついて外の景色を眺め出した。
 アーロンは兜をとると、ゆったりと椅子に腰掛けてくつろぎ始めた。
 エマと魔法使いはようやく息を吐いた。
 誰も何も喋らずに、時計の針が進む音だけがエマと魔法使いの耳には大きく響くのだった。

 空が赤く染まり出すと、フィオンは立ち上がり、何も言わずに外に出て行った。
 最果ての森の背後には、血のような赤い色が広がっている。
 得体の知れない森はさらに大きく勇者の前に立ちはだかろうとしていたが、彼もまた黒い門を通過してからずっと熱い血をたぎらせていたのだった。

「空は、いい色だな」
 いつの間にかアーロンが隣に立ち、そう呟いていた。

「まるで君の髪のようだ」
 と、アーロンは言った。

 しかしフィオンは横目で睨みつけただけで、今までのようには口を利かなかった。

 最果ての森からは穏やかな風が吹き、勇者のマントを翻した。
 アーロンは希望と恐れを抱いた目で最果ての森を見渡しながら、その先に抱く望みを口にした。

「この先の果てに望んだ結末があるのか、それとも悲しい結末なのかは、誰にも分からない。しかし君と共に勇者の称号を背負い、陸橋を渡れることを誇りに思う。
 数多の危険があろうとも、恐ろしい敵が待ち受けていようとも、僕は戦い続けよう。歩みを止めることなく」
 アーロンが澄んだ声でそう言うと、フィオンは炯々たる瞳でグレーの顔を見つめてから、その場を去って行った。

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