37 / 214
勇者とネックレス 2
しおりを挟むそれからエマはベッドに横になっていた。
薄灯りをつけたまま天井を見つめ、外の風の音を聞いていた。
眠る気持ちにはなれなかった。寝たとしても嫌な夢を見てしまうだろう。嫌な記憶から逃れようとするかのように、体を何度も掻きむしっていた。
一際風が大きく音を上げると、エマは起き上がった。
カーテンの隙間から、朧な月の光を見てから、全身を映し出す鏡を見た。
その目に映る騎士の体はしなやかな筋肉がついていて、背筋は真っ直ぐに伸びていた。何者にも怯えることのない勇気に満ちた瞳をしていた。
そして鏡の隅には、彼女と共に戦い続けてきた弓が見えた。
何一つとして変わらない。
いつもの姿が映っているように思えたが、右手首にはブレスレットとして巻いているネックレスがなかった。
白く光る美しい輝きだ。
恐ろしい戦場や日々の訓練において、弓の騎士の心を奮い立たせてきた光だった。
(アレがなければ、私は…あの頃に…戻ってしまうかもしれない。私の…たった一つの宝物…)
エマは取り返したいという思いに強烈に駆られた。
エマは部屋の薄暗い灯りを消すと、カーテンを大きく開けた。空には朧な月の光と、星が3つ煌めいているのが見えた。
その光を見ていると、ネックレスの重なり合ったハートの形を思い出した。
(きっと、なんとかなるわ。
あれだけは…手元になければならない。
何の為に騎士になったのか分からない!)
エマは光を見つめながら決心した。音を立てないように部屋の中を歩き弓を手にしようとした瞬間、誰かが部屋のドアをノックした。
時は、もう3時になろうとしている。
エマは弓から手を離すと、パッとドアの方を向き、短剣を握り締めた。
「エマ、まだ起きてるか?」
フィオンの低い声がすると、エマは息を吐きながら短剣から手を離した。
まだ何か言いにきたのかと思うと、腹が立って仕方がなかった。
彼女が返事をしないままドアを見つめていると、時計の針が進む音がして、時は3時となった。
「開けて欲しい。さっきは悪かった」
と、フィオンが言った。
エマはドアを見つめたまましばらく考え込んでいたが、ドアの前まで音を立てないように歩いて行った。
冷たいドアに触れると、何度か息を吐いた。
彼女は急に不安になったのだった。ドアの向こうには、大男が立っている。
大男が諦めて部屋へと戻って行くことを待っていたが、動く気配はなかった。
仲間といえども、こんな時間に男を部屋の中にいれてよいのか悩んでいたが、強い風が窓を揺らすと、その音につられるようにドアを開けていた。
エマが自らを訝しんでいるうちに、フィオンは薄暗い部屋の中へとスルッと入ってきた。
「ありがとう」
フィオンはドアを閉めながら言うと、エマを見つめた。
その眼差しを見ると、エマはフィオンに背を向けた。少しでも明るい場所を求めるかのように窓の方へと歩いて行った。
エマが窓の前に立つと、暗い部屋の中で、フィオンがゆっくりと近付いてきた。エマはまた少し後退りをし、胸の前で身構えた。
迫りくる大男と二人っきりになると、フィオンが「男」だと感じてしまい急に怖くなったのだった。
だが、フィオンはエマと少し距離をおいて立ち止まった。
「これだろ?」
フィオンはそう言うと、ポケットからあるモノを取り出した。
窓から射す朧な月明かりが急に明るくなり、男の手の平にあるものをキラキラと輝かせた。
それは、エマの大切なネックレスだった。
エマは驚きながらフィオンの顔を見た。フィオンは頷くと、ネックレスがさらにキラキラと輝いた。
「どう…して?
なんで…持ってるの…?」
エマはそう言うのがやっとだった。
「取り返してきた。
エマが勝手に出て行かないかアーロンに見張ってもらっている間に、俺がラスカの町まで行ってきた。
この国の事は、俺が1番よく分かっているし、ああいう場所には慣れている。1人で行った方が、動きやすい時もあるからな。
金を使って、多少手荒なコトをして、何人か殺す寸前にまでにしてやったけどな。自慢だけど、隊長になってから攻撃をくらったことは一度もないんだぜ。
長旅の疲れも溜まってたしな。憂さ晴らしにもなったさ。
その代わり、エマにはダンジョンで沢山活躍してもらうからな」
フィオンは笑ったが、あらためて見ると彼の服はひどく汚れていた。怪我は全くなかったが、服には土や泥と血もついていた。
「後ろ、向けよ」
と、フィオンは言った。
「なんで…そんな…変な事をしたら…殴るからね」
エマは声を震わせながら言った。何と言っていいのか分からずに、そんな風に言うしか出来なかった。
「せっかく見つけてきてやったのに、その態度はないだろう?」
と、フィオンはまた笑いながら言った。
「分かっ…たわよ…」
エマはそう言うと、くるっと後ろを向いた。
これ以上、フィオンの方を向いていたくはなかった。とても嬉しくて心から感謝をしていたが、どう表現したらよいのかエマには分からなかった。
フィオンはネックレスの引き輪に触れると、自らの手で小刻みに震えているエマの首に優しくネックレスをかけた。
月明かりに照らされた頸は艶めかしく、エマの凛とした美しさには綺麗なネックレスがとてもよく似合っていた。
男は満足そうな表情をしながらネックレスから手を離すと、彼女の首にかけられた月の光のような輝きをしばらく見つめていた。
エマは胸に光るネックレスの感触を指で確かめた。このネックレスを手にしてから数年が経つが、首につけたのは初めてだった。
「こっち、向いて」
と、フィオンは言った。
エマはしばらく躊躇った後に振り返ると、フィオンはネックレスをしているエマを見つめた。
ネックレスをつけたエマが優しい月明かりに照らされているのを見ると、フィオンは微笑みを浮かべながら頷いた。
それは、紳士的な微笑みだった。
「うん、取り返してきて良かった。
綺麗だ。やっぱり、その方が似合うよ。
大事な物は、その手から離すんじゃない。今度は見つけてやれないかもしれないから。
さっきは弓の勇者であるエマに失礼な事を言って、すまなかった。でも…」
フィオンは一瞬口籠り、その先の言葉を言おうかどうか迷っているようだった。
けれどネックレスをしているエマを見ると、はにかんだような笑顔を見せながら、優しい瞳でその先の言葉を口にした。
「弓を引くエマは美しいけれど、こうして堂々としているエマも綺麗だよ」
フィオンはそう言うと、彼女に背を向けて部屋から出て行こうとした。
(バカ…じゃないの。
この男…なんなのよ…)
エマは去っていくフィオンの後ろ姿を見ながら、体を震わせていた。
いつからなのかは分からないが、当初とは違う姿をフィオンに見るようになっていた。それは彼が魔法使いを見る優しい瞳からなのかもしれない。
けれど信用して裏切られた時のショックは計り知れない。
それならばいっそのこと信用しない方が、傷つかずにすむ。その方が、楽だから。
(もうあんな思いはしたくない。男は信用しないと決めたはずなのに…あんな風に微笑まれたら…。
アーロンもフィオンも、あの男とはちがう。あの男のようなことは決してしない。
どうして今さら…もう、やめてよ!)
エマは心の中でそう叫びながら、胸に輝くネックレスに触れていた。
「待って…」
エマは出ていこうとするフィオンの背中に向かって、小さな小さな声で呟いた。
「お願い」
エマがそう言うと、フィオンは立ち止まった。
「こっちを見ないで」
エマは溢れ出そうになる感情をフィオンに見られるのが嫌だった。フィオンは振り返りそうになったが、またドアの方に顔を向けると、エマに背中を向けたまま立っていた。
エマはおずおずとフィオンに近付いて行った。
フィオンの服の裾をそっと引っ張ると、フィオンの大きな背中をより近くに感じた。背筋が綺麗に伸びていて、広くて逞しい男の背中だった。
エマはその背中に堪らなく触れたくなった。
「背中ぐらい…かしなさいよ」
エマは溢れ出る感情を我慢出来なくなり、震える声で呟いた。
「あぁ。俺の背中ならいつだってかしてやる」
と、フィオンは言った。
エマはその言葉を聞くと、額をフィオンの背中につけた。
初めて男の背中に触れた。後ろから見ているよりも、逞しくて、あつくて、あたたかかった。
エマは騎士団の中で、女であることを捨て去り生きてきた。女と見なされれば、男達のイイヨウに扱われる危険もあり、ここまで生き残れなかった。男以上に、強くあらねばならなかった。
けれど、エマも時として忘れてしまった夢を見ることがある。逞しい男の背中に触れて、辛くて悲しい過去を忘れてしまいたいという夢を見ることがあるのだった。
それがよりにもよって敵国である槍の騎士の隊長の背中だったとは、彼女は思いもよらなかった。
(こんなことならいっそ…軽薄なだけの男なら良かったのに。
あってはいけない、あってはいけない…けれど…)
そのあたたかさに触れると、エマはかつての幸せな少女だった頃に戻ってしまっていた。
「ありがとう…」
エマは心からお礼を言った。
「気にするな。
ありがとうの言葉だけで、行ってきた価値がある」
と、フィオンは言った。
その言葉を聞くと、エマはたまらずに涙をこぼしていた。
エマはひとしきりフィオンの背中にもたれかかりながら泣いていたが、フィオンは泣き続けるエマを抱き寄せることは決してしなかった。
やがて彼の背中からエマが離れると、フィオンは振り返ることなく、そのまま部屋を出て行った。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
パワハラ女上司からのラッキースケベが止まらない
セカイ
ライト文芸
新入社員の『俺』草野新一は入社して半年以上の間、上司である椿原麗香からの執拗なパワハラに苦しめられていた。
しかしそんな屈辱的な時間の中で毎回発生するラッキースケベな展開が、パワハラによる苦しみを相殺させている。
高身長でスタイルのいい超美人。おまけにすごく巨乳。性格以外は最高に魅力的な美人上司が、パワハラ中に引き起こす無自覚ラッキースケベの数々。
パワハラはしんどくて嫌だけれど、ムフフが美味しすぎて堪らない。そんな彼の日常の中のとある日の物語。
※他サイト(小説家になろう・カクヨム・ノベルアッププラス)でも掲載。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
どん底韋駄天這い上がれ! ー立教大学軌跡の四年間ー
七部(ななべ)
ライト文芸
高校駅伝の古豪、大阪府清風高校の三年生、横浜 快斗(よこはま かいと)は最終七区で五位入賞。いい結果、古豪の完全復活と思ったが一位からの五人落ち。眼から涙が溢れ出る。
しばらく意識が無いような状態が続いたが、大学駅伝の推薦で選ばれたのは立教大学…!
これは快斗の東京、立教大学ライフを描いたスポーツ小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる