クリスタルの封印

大林 朔也

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勇者とネックレス 2

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 それからエマはベッドに横になっていた。
 薄灯りをつけたまま天井を見つめ、外の風の音を聞いていた。
 眠る気持ちにはなれなかった。寝たとしても嫌な夢を見てしまうだろう。嫌な記憶から逃れようとするかのように、体を何度も掻きむしっていた。

 一際風が大きく音を上げると、エマは起き上がった。
 カーテンの隙間から、朧な月の光を見てから、全身を映し出す鏡を見た。
 その目に映る騎士の体はしなやかな筋肉がついていて、背筋は真っ直ぐに伸びていた。何者にも怯えることのない勇気に満ちた瞳をしていた。
 そして鏡の隅には、彼女と共に戦い続けてきた弓が見えた。
 何一つとして変わらない。
 いつもの姿が映っているように思えたが、右手首にはブレスレットとして巻いているネックレスがなかった。

 白く光る美しい輝きだ。
 恐ろしい戦場や日々の訓練において、弓の騎士の心を奮い立たせてきた光だった。

(アレがなければ、私は…あの頃に…戻ってしまうかもしれない。私の…たった一つの宝物…)
 エマは取り返したいという思いに強烈に駆られた。

 エマは部屋の薄暗い灯りを消すと、カーテンを大きく開けた。空には朧な月の光と、星が3つ煌めいているのが見えた。
 その光を見ていると、ネックレスの重なり合ったハートの形を思い出した。

(きっと、なんとかなるわ。
 あれだけは…手元になければならない。
 何の為に騎士になったのか分からない!)
 エマは光を見つめながら決心した。音を立てないように部屋の中を歩き弓を手にしようとした瞬間、誰かが部屋のドアをノックした。
 時は、もう3時になろうとしている。
 エマは弓から手を離すと、パッとドアの方を向き、短剣を握り締めた。

「エマ、まだ起きてるか?」
 フィオンの低い声がすると、エマは息を吐きながら短剣から手を離した。

 まだ何か言いにきたのかと思うと、腹が立って仕方がなかった。 
 彼女が返事をしないままドアを見つめていると、時計の針が進む音がして、時は3時となった。

「開けて欲しい。さっきは悪かった」
 と、フィオンが言った。
 
 エマはドアを見つめたまましばらく考え込んでいたが、ドアの前まで音を立てないように歩いて行った。
 冷たいドアに触れると、何度か息を吐いた。
 彼女は急に不安になったのだった。ドアの向こうには、大男が立っている。
 大男が諦めて部屋へと戻って行くことを待っていたが、動く気配はなかった。
 仲間といえども、こんな時間に男を部屋の中にいれてよいのか悩んでいたが、強い風が窓を揺らすと、その音につられるようにドアを開けていた。
 エマが自らを訝しんでいるうちに、フィオンは薄暗い部屋の中へとスルッと入ってきた。

「ありがとう」
 フィオンはドアを閉めながら言うと、エマを見つめた。

 その眼差しを見ると、エマはフィオンに背を向けた。少しでも明るい場所を求めるかのように窓の方へと歩いて行った。
 エマが窓の前に立つと、暗い部屋の中で、フィオンがゆっくりと近付いてきた。エマはまた少し後退りをし、胸の前で身構えた。
 迫りくる大男と二人っきりになると、フィオンが「男」だと感じてしまい急に怖くなったのだった。

 だが、フィオンはエマと少し距離をおいて立ち止まった。

「これだろ?」
 フィオンはそう言うと、ポケットからあるモノを取り出した。

 窓から射す朧な月明かりが急に明るくなり、男の手の平にあるものをキラキラと輝かせた。
 それは、エマの大切なネックレスだった。
 
 エマは驚きながらフィオンの顔を見た。フィオンは頷くと、ネックレスがさらにキラキラと輝いた。

「どう…して?
 なんで…持ってるの…?」
 エマはそう言うのがやっとだった。

「取り返してきた。
 エマが勝手に出て行かないかアーロンに見張ってもらっている間に、俺がラスカの町まで行ってきた。
 この国の事は、俺が1番よく分かっているし、ああいう場所には慣れている。1人で行った方が、動きやすい時もあるからな。
 金を使って、多少手荒なコトをして、何人か殺す寸前にまでにしてやったけどな。自慢だけど、隊長になってから攻撃をくらったことは一度もないんだぜ。
 長旅の疲れも溜まってたしな。憂さ晴らしにもなったさ。
 その代わり、エマにはダンジョンで沢山活躍してもらうからな」
 フィオンは笑ったが、あらためて見ると彼の服はひどく汚れていた。怪我は全くなかったが、服には土や泥と血もついていた。

「後ろ、向けよ」
 と、フィオンは言った。

「なんで…そんな…変な事をしたら…殴るからね」
 エマは声を震わせながら言った。何と言っていいのか分からずに、そんな風に言うしか出来なかった。

「せっかく見つけてきてやったのに、その態度はないだろう?」
 と、フィオンはまた笑いながら言った。

「分かっ…たわよ…」
 エマはそう言うと、くるっと後ろを向いた。
 これ以上、フィオンの方を向いていたくはなかった。とても嬉しくて心から感謝をしていたが、どう表現したらよいのかエマには分からなかった。

 フィオンはネックレスの引き輪に触れると、自らの手で小刻みに震えているエマの首に優しくネックレスをかけた。
 月明かりに照らされた頸は艶めかしく、エマの凛とした美しさには綺麗なネックレスがとてもよく似合っていた。

 男は満足そうな表情をしながらネックレスから手を離すと、彼女の首にかけられた月の光のような輝きをしばらく見つめていた。

 エマは胸に光るネックレスの感触を指で確かめた。このネックレスを手にしてから数年が経つが、首につけたのは初めてだった。

「こっち、向いて」
 と、フィオンは言った。

 エマはしばらく躊躇った後に振り返ると、フィオンはネックレスをしているエマを見つめた。
 ネックレスをつけたエマが優しい月明かりに照らされているのを見ると、フィオンは微笑みを浮かべながら頷いた。
 それは、紳士的な微笑みだった。

「うん、取り返してきて良かった。
 綺麗だ。やっぱり、その方が似合うよ。
 大事な物は、その手から離すんじゃない。今度は見つけてやれないかもしれないから。
 さっきは弓の勇者であるエマに失礼な事を言って、すまなかった。でも…」
 フィオンは一瞬口籠り、その先の言葉を言おうかどうか迷っているようだった。
 けれどネックレスをしているエマを見ると、はにかんだような笑顔を見せながら、優しい瞳でその先の言葉を口にした。

「弓を引くエマは美しいけれど、こうして堂々としているエマも綺麗だよ」
 フィオンはそう言うと、彼女に背を向けて部屋から出て行こうとした。

(バカ…じゃないの。
 この男…なんなのよ…)
 エマは去っていくフィオンの後ろ姿を見ながら、体を震わせていた。

 いつからなのかは分からないが、当初とは違う姿をフィオンに見るようになっていた。それは彼が魔法使いを見る優しい瞳からなのかもしれない。
 けれど信用して裏切られた時のショックは計り知れない。
 それならばいっそのこと信用しない方が、傷つかずにすむ。その方が、楽だから。

(もうあんな思いはしたくない。男は信用しないと決めたはずなのに…あんな風に微笑まれたら…。
 アーロンもフィオンも、あの男とはちがう。あの男のようなことは決してしない。
 どうして今さら…もう、やめてよ!)
 エマは心の中でそう叫びながら、胸に輝くネックレスに触れていた。

「待って…」
 エマは出ていこうとするフィオンの背中に向かって、小さな小さな声で呟いた。

「お願い」
 エマがそう言うと、フィオンは立ち止まった。

「こっちを見ないで」
 エマは溢れ出そうになる感情をフィオンに見られるのが嫌だった。フィオンは振り返りそうになったが、またドアの方に顔を向けると、エマに背中を向けたまま立っていた。

 エマはおずおずとフィオンに近付いて行った。
 フィオンの服の裾をそっと引っ張ると、フィオンの大きな背中をより近くに感じた。背筋が綺麗に伸びていて、広くて逞しい男の背中だった。

 エマはその背中に堪らなく触れたくなった。

「背中ぐらい…かしなさいよ」
 エマは溢れ出る感情を我慢出来なくなり、震える声で呟いた。

「あぁ。俺の背中ならいつだってかしてやる」
 と、フィオンは言った。

 エマはその言葉を聞くと、額をフィオンの背中につけた。

 初めて男の背中に触れた。後ろから見ているよりも、逞しくて、あつくて、あたたかかった。

 エマは騎士団の中で、女であることを捨て去り生きてきた。女と見なされれば、男達のイイヨウに扱われる危険もあり、ここまで生き残れなかった。男以上に、強くあらねばならなかった。

 けれど、エマも時として忘れてしまった夢を見ることがある。逞しい男の背中に触れて、辛くて悲しい過去を忘れてしまいたいという夢を見ることがあるのだった。
 それがよりにもよって敵国である槍の騎士の隊長の背中だったとは、彼女は思いもよらなかった。

(こんなことならいっそ…軽薄なだけの男なら良かったのに。
 あってはいけない、あってはいけない…けれど…)
 そのあたたかさに触れると、エマはかつての幸せな少女だった頃に戻ってしまっていた。

「ありがとう…」
 エマは心からお礼を言った。
 
「気にするな。
 ありがとうの言葉だけで、行ってきた価値がある」
 と、フィオンは言った。

 その言葉を聞くと、エマはたまらずに涙をこぼしていた。

 エマはひとしきりフィオンの背中にもたれかかりながら泣いていたが、フィオンは泣き続けるエマを抱き寄せることは決してしなかった。

 やがて彼の背中からエマが離れると、フィオンは振り返ることなく、そのまま部屋を出て行った。


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