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勇者とラスカの町 2
しおりを挟むラスカの町が見えてくると、一行は馬から降りた。
フィオンは左手で馬の手綱を握り、右手にはしっかりと槍を握って先頭を歩いた。エマは自分たちを狙う者がいるかもしれないと目を光らせながら歩き、一番後ろのアーロンもまた厳しい目をしながら歩いていた。
ラスカの町の門番は地面に胡座をかきながら煙草を吸っていたが、一行の姿を見ると立ち上がった。
一番前を歩いている背の高い屈強な体つきをした男に一瞬怯んだが、フードを深く被っている小さな姿を見つけると、黄色い歯を見せながらニヤニヤし始めた。
「金貨、7枚でごぜぃやす」
声音はひどく卑しく、フィオンの背後にいる者たちを眺め回した。
「1人通るのに、金貨1枚と聞いた。
1枚多いだろう」
と、フィオンは冷たい声で言った。
「馬が3頭おりやすので、そいつら3頭で1枚でやす」
男はニヤニヤしながら手をしきりに擦り合わせた。
「6人と、お前の分の取り分だ。
とっておけ。さっさと通せ」
フィオンはジロリと睨みながら、男の汚い手に触れないように金貨を手の平においた。
「まいどありー」
男は金貨を愛おしそうに指で撫でながら言った。
ニヤニヤした顔で門を開くと、マントのフードで顔を隠している5人の顔を1人1人確認するように、ねっとりした目を向けていた。
鼻をスンスンと動かすと、その目は細くなりニヤニヤした顔が赤く興奮していった。
男は「ようこそ」と気味の悪い声で言いながら門を閉めた。
男はしばらく一行の後ろ姿を見ていたが、やがていやらしい笑みを浮かべると、門番の仕事を投げ出して、そそくさと暗い路地へと走って行ったのだった。
町の中はゴミで溢れ返り、糞尿の類も見受けられ、鼻が曲がりそうなほどの腐臭が漂っていた。
家の多くが壊れたまま修復をされることなく放置され、窓ガラスが割られ放題で、外壁の至るところに落書きがされていた。
怪しげな食べ物を売る店が数軒あり、地べたに座りながら賭け事をしている男たちは昼間にも関わらず酒を飲んでもう酔っ払っていた。
どの男たちも人相が悪く、前を通り過ぎていく一行を指差してゲラゲラと笑うのだった。
時に何かを投げつけたり、挑発するような言葉を叫んだが、フィオンは男たちには目もくれずに歩き続けた。
すると賭け事をしていた男の1人が、口笛を吹きながら近づいて来た。
「おっとぉ…まちなよぉ」
男はそう言うと、フィオンの前に立ち塞がった。
背が低く酒に酔った赤ら顔の男で、破けたズボンとベストを着ていた。腹には、でっぷりと脂肪を溜め込んでいた。
「どいてもらおうか」
フィオンは驚くことなく落ち着いた声で言った。
「そうもいかねぇな。
前を進みたいのなら、そこの2人はおいていけ」
赤ら顔の男は卑猥な目つきをエマとマーニャに向けながら言った。
「どういう意味だ?」
フィオンは深く被ったフードの中から鋭い目を光らせた。
赤ら顔の男は自分よりも大きくて屈強な男の迫力にたじろいだが、賭け事をしていた他の男たちも立ち上がったのを見ると地面に唾を吐き捨てた。
隠していたナイフを抜くと、フィオンに襲いかかったのだった。
「女の匂いがするからな!」
それが合図だったのか、他の男たちも一斉に走り寄ってきた。
赤いピアスをして髪を一つに束ねた男が、マーニャを連れ去ろうと手を伸ばすと、エマが短剣を抜いた。
ピアスの男は短剣にも怯むことはなかった。舐め回すような目で、フードを被っているエマの顔をジロジロと見た。
「なんだよ?おい?
お前が俺を慰めてくれるのか?」
と、酒臭い息を吐きかけながら言った。
その言葉に、エマは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐにキッと睨み返したのだった。
「いいねぇ。活きのいいのは大歓迎だ。嬲り甲斐があるってもんだ。
それに…お前も、よく見りゃ…綺麗な顔してるじゃないか。
2人とも、たっぷり可愛がってやるからよ」
ピアスの男は酒臭い息を吹きかけ、エマの右手首を乱暴に掴んだ。
「やめろ!」
フィオンは赤ら顔の男を蹴り、他の数名の男も殴り倒しながら大きな声を上げた。
と同時に、ピアスの男もまた大きな苦痛の声を上げていた。アーロンが男の手首を掴んで、易々と捻りあげたのだった。
「なんだてめぇ!放せ!殺されてぇのか!?」
ピアスの男が激昂すると、アーロンは男の首を片手で締め上げ始めた。
「友を侮辱する者は許さない。
先程の汚い言葉を謝罪して欲しい」
口調は柔らかだったが、アーロンの目は戦場で恐れられている最強の剣の騎士の目となっていた。
腕の力が強すぎてピアスの男が何も言葉を発せられないでいると、アーロンはさらに首を締め上げた。
口では謝罪して欲しいと言いながら、そうさせる気は全くなかった。締め上げる力は強くなるばかりで、そのまま絞め殺そうとしているかのようだった。
「し…ぬ…」
ピアスの赤い色のように、男の顔は真っ赤になっていった。
鼻汁を垂らし、口から唾液を出してもがき苦しみ出すと、アーロンは男を地面に投げつけた。
そのあまりの乱暴さに、魔法使いは驚いた目を向けた。
ピアスの男は絞められた首を抑えながら激しく咳き込んでいたが、痛みがおさまってくると、額に青筋を立てながらナイフを取り出した。
しかしアーロンは既に輝く剣を鞘から抜いていて、ピアスの男が動く前に剣を喉元に突き立てたのだった。
「ひっ…冗談だ。冗談だ」
ピアスの男は両手を上げ、ナイフが地面に音を立てて落ちた。
「お前のような男の冗談は、僕には通じない。
ナイフを抜いたということは、相応の覚悟が出来ているものとみなす」
アーロンは冷たい目で、ピアスの男を見下ろした。
「悪かった!悪かったよ!俺が悪かった。
お前の女には手を出さないよ」
ピアスの男がそう言うと、アーロンは剣を素早くひっくり返して柄頭で思いっきり男の腹を殴った。
マーニャは叫び声を上げ、顔を両手で覆ってエマに寄りかかった。
ピアスの男が苦悶の声を出すと、周りを取り囲んでいた男たちが一歩ずつ後退りを始めた。剣を抜いている男を見る目は、恐怖の色に染まっていた。
剣の輝き以上に、フードの奥から光る目は恐ろしい色をしていたのだった。
「おい、人の話を聞いていなかったのか?
友だと言っただろう。
お前のような愚劣な発想しかできない男が一番嫌いなんだ。本来なら、殺しているところだ。
他の者たちに「手を出すな」と言え。
さすれば命まではとらん」
アーロンは低い声でそう言うと、蹲っているピアスの男の目前に剣を突き出した。
剣幕は凄まじく、そのまま男の目に剣を突き刺そうとするかのようだった。
口髭を生やした男が仲間を助けようと近づいて来ると、アーロンは地面に転がっていたナイフを足で拾い上げて投げつけた。
ナイフは物凄い勢いで飛んでいき、口髭の男の頬を切ったのだった。口髭の男は悲鳴を上げた。
度肝を抜かれた他の男たちは、一目散に逃げ去って行った。
「おい、聞こえなかったのか?
ならば…こうしよう。
誰かから奪い取ったピアスをつけている右耳から削ぎ落とす。次は、左耳だ」
アーロンは冷ややかな声で言った。目前の剣を少しずつ動かし、ゆっくりと右頬を斬りながら右耳に滑らせていった。
ピアスの男の頬から血が流れたが、アーロンは眉一つ動かさなかった。
「お前らぁ、手を出すんじゃない…」
ピアスの男は震え上がりながら声を出した。
「声が小さいぞ。喉も斬られたいのか」
「手ぇ、出すんじゃねぇぞ!!」
ピアスの男は震え上がりながら今度は大声で叫んだ。なんとか逃げようとしたが、アーロンはそれすらも許さなかった。
一つに束ねた髪を斬り落とすと、喉元に剣を向けた。
アーロンは鋭い目で辺りを見渡したが、もう襲ってくる者はないと確信すると、怯えているピアスの男に氷のような目を向けた。
「どこに行く?まだ終わっていないぞ。
町を出るまで、お前には付き合ってもらう。
さぁ、行こう」
アーロンは低い声でそう言うと、黙ったまま自分を見つめているフィオンに目で合図をした。
まるで人が変わったようなアーロンに魔法使いとエマは驚きの目を向けていた。
アーロンはピアスの男の首を腕で締めると、そのまま男を引きずるように歩き始めた。
町を出て門が小さく見える場所まで来ると、アーロンはようやく腕の力を緩めた。
ピアスの男はヒィヒィと喚きながら、転がるように逃げ戻って行った。
冷たい風がアーロンのマントを翻すと、フィオンは口を開いた。
「次の町は、連中に襲われないように兵士に警護させている。
今夜は、そこの宿屋に泊まろう」
フィオンはそう言うと、不安の色を浮かべているリアムの肩をポンポンと叩いてから馬に跨った。
エマも大きく息を吐いてから、怖がっているルークに優しく声をかけた。
アーロンもまたマーニャに手を差し出したが、マーニャはビクッと体を震わせた。怯えた目でアーロンを見るばかりだった。
「怖い思いをさせて、すまなかった。
しかし、僕にも守りたいものがある。その為には、恐ろしい男にもなろう。
もう僕と馬に乗るのが不安なら、エマかフィオンと代わろう。無理をすることはない」
アーロンはそう言うと、マーニャにいつも向けている優しい微笑みを浮かべた。
マーニャはグレーの瞳にいつものアーロンを見ると、アーロンの大きな手を握った。
馬に乗り背中で感じる温もりは、いつもの優しいアーロンのものであった。
「フィオンさん…本当に…恐ろしい町でしたね」
リアムは呟くようにそう言ったが、フィオンは何も答えることはなかった。
ラスカの町は出たが、まだ安全とは言い切れないので、勇者は目を光らせながら手綱を握り続けた。
空はどんどん赤く染まっていき、空気が冷たくなってきた頃に、次の町の門が見えてきた。
町の門にはソニオの兵士が数名立っていたが、夕暮れ時に馬で走ってくる一行の姿を見ると警戒して槍を構えた。
「止まれ、馬から降りろ」
兵士はそう大声を出したが、フィオンの姿を見つけると急いで槍を下ろして慌てて整列をした。
その目には、恐れの色がありありと浮かんでいた。
屈強な兵士は急いで門を開けると、一番若い男の兵士が蒼白な顔をしながら宿屋に向かって走って行った。
夕暮れになった町は人気が少なく、早くから戸締りがされていた。
数人の町人とすれ違ったが、誰もが暗い顔をしていた。町人は女の騎士を物珍しそうな目で見たが、ヒソヒソと何かを言い合うと、そそくさと家へと入っていった。
一行は、町で一番の宿屋に案内された。
眺めの良い広い部屋が6室用意され、それぞれの部屋には食べきれないほどの豪華な食べ物と飲み物が用意されていた。
フィオンは夜になると、アーロンの部屋のドアを叩いた。
アーロンの声がして鍵を開ける音がすると、フィオンは静かに部屋の中に入って行った。
「大丈夫か?」
と、フィオンは言った。
「大丈夫?何がだ?」
アーロンは窓の方へと歩いて行き、月を眺めながら答えた。
「よく分からない男だと思っていたが、まるで人が変わったようだったから。その…何かあったのかと思ってな」
「心配してくれているのか?」
アーロンがそう言うと、フィオンは顔を背けた。アーロンはその様子を見ると、少し笑った。
「僕が、あの男にしたことか…。
女性をモノのようにしか見ていない男は、心底許せないんだ。
あのような愚劣な男は、断罪せねばならない。
あのまま見逃せば、また人数を集めて背後から僕たちを襲っただろう。奴等が束になったところで負ける気はしないが、僕はマーニャを守ると誓った。
だから、ああした。脅しをかければ、奴等の場合は十分だ。
僕の隊員でも、凌辱する者は厳しく処分する。任務でどのような功績をあげようが、どのような出自であろうと厳しくな。
有能であれば、由緒正しい家柄であれば、何をしても許されるという誤った考えを持たぬように」
と、アーロンは厳しい表情で言った。
その表情から出た言葉は、先日のようにフィオンの腹の内を探るものではなかった。
魔法使いの生命を軽んじるような発言をしたかと思えば、マーニャを守ると約束したとも言う。
マーニャが苦しんでいた日に見せた表情は、彼女に苛立っていたのかとフィオンは思っていたが、とてもそうは思えなくなった。もちろんマーニャに対して特別な感情を抱いているわけでもないだろう。
フィオンはますます分からなくなって黙り込んでいると、アーロンがまた口を開いた。
「本当のところは…あの男は殺してしまいたかったよ。
けれど、戦場以外では人を殺したくないと言った。1人殺せば、殺し合いになる。
君は残虐な男だと噂されているが、あの瞬間の瞳も嘘ではなかった。君がそう望んだから、僕も従った。ここは君の国だから。
フィオン…君は…優しいのだな」
と、アーロンは呟くように言った。
その瞳は、フィオン以外の者が見たら凍りつきそうなほどに恐ろしい色をしていた。
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