天狗の盃

大林 朔也

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鎌鼬 5

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 ー今を、生きるー
 その言葉は、僕には無理だったのだろう。
 死んでしまった方が楽だと思ったことは数えきれない。生きていることすら辛い日々を過ごしながら、僕は何度遠く輝く月を眺めたことだろう。

 何年も何年もかけて深く刻み込まれた呪いは強力で、ぽっかりと傷口が開くと、容易く体の中に入り込んできて力を奪っていく。
 あの頃のように穏やかに自分を照らしてくれる光をまた求めていると、鎌鼬の鋭く光る鎌が目に入った。何の力もない惨めな男が、紐で縛られていた。

(何の力もなく、何も出来ない失敗作なのかもしれない。
 共に戦うことを夢見ていた。紅天狗の力になって、紅天狗を守れるようになりたいと願ったこともあった。
 夢を語るには力が必要だが、僕にはその力がなかったのだ。
 夢は夢であって、現実になることはない。
 願っても願っても、願いは届かない。
 真の姿は、こうなのかもしれない。
 紅天狗がいなければ簡単に捕えられて紐で縛られる。
 本当に惨めで哀れだ。思い上がりも甚だしい。
 自分を見失った哀れな男の末路としては似合いだろう。
 さっさと僕が死んで、兄さんが選ばれし者となれば、事はもっと上手く運ぶだろう。翼は黒くなることなく白へとかえるだろう。あの男のように世界を滅茶苦茶にする前に、失敗作はそろそろ消えなければならない)

「弱っちいな、ヌシは。
 愚か者の方が、もう少し楽しめただろうな。自らに力があると思い込んでいたのだからな。
 まぁ…ヌシは、コレと同じ失敗作だからな。
 真実の光にはなり得ない。
 ワシには、それが、はっきりと視えている。
 弱いな…弱いな…」
 鎌鼬は呪いのように繰り返しながら立ち上がった。
 椅子のように扱っていた下半身が痙攣したように動いた。利用され、殺され、屍すらも残酷に扱われる。

「さぁ、頭のもとに連れて行くか。
 失敗作のお前でも、ワシの役に立つことができて、良かったな」
 鎌鼬はニンマリと笑うと、血溜まりを踏みつけた。

 僕の耳元で虫の飛ぶ音がして、上半身の方にまた顔を向けると、小さな虫がいくつもたかりだしていた。
 気持ちが悪くなって目を閉じると、脳裏には体を真っ二つに切り裂かれて放置された僕の死体に蛆虫がわいている姿が浮かんだ。
 今すぐに立ち上がらなければ、ソレは現実になるだろう。
 けれど動くことすら出来ずに、目を閉じたまま近づいてくる死の音を聞いていると、光の見えない暗闇の中で一人の男が語りかけてきた。

 それは、もう1人の僕だった。

(何をやってるの?昌景。
 鎌鼬の酷い言葉を信じているのか?
 君の一体何を知っている?
 何も知らない。苦しむ姿を見て喜んでいるだけだ。
 しかし、僕は君を知っている。
 君は戦える男だ。あの時の、君の拳を僕は覚えている。
 紅天狗と共に戦い抜くと約束したんだろう?泥だらけになっても戦うと決めたんだろう?
 君自身が、そう決めたんだろう?
 約束は守らなければならないよ。
 大丈夫、君は立ち上がれるさ。
 慣れない雪にまみれて体が冷たくなり、思考を奪われているだけだ。君が戦うのなら僕は君の力になれるだろう。このまま眠ってしまってはいけないよ。
 僕を救ってくれたあの日のように、今こそ目を覚ますんだ)
 もう1人の僕はそう言うと、転がっている僕のもとへと駆け寄ってきて温かな手を差し伸べてくれた。

(僕は君を信じているよ。あの日のように、戦う意志を持って動き出してくれると。
 一方的に投げつけられた言葉と戦うんだ。
 君は変わった。
 君は、他の誰でもない、刈谷昌景だ。
 君が、それを否定してどうするつもりだ?
 夢も願いも、君がその手で叶えなければ意味がない。
 それを叶える為の戦いだ。
 腰に差しているものを思い出せ。
 何度、泥だけになってもいい。全ての泥を払いのけるには時間が必要なんだから。君にまとわりつく泥は…とても残酷なのだから。
 それでも立ち上がれるのならば、泥はやがて君を恐れるようになるだろう。
 青い花の咲く場所で、紅天狗が君を待っている)
 もう1人の僕は明るく強い眼差しを向けながら手を握ると、勇気を呼び起こすような金属音を静寂の中で聞かせてくれた。



 その誓いの音は、諦めようとしていた感情を粉々に砕いてくれた。
 こんな瞳で見てくれる男を、僕はまた裏切ってしまうところだった。あの時、なんとしても守り抜かねばならないと決めたのに。
 凍りついていた僕の右手の指がピクリと動くと、背中はぐちゃぐちゃになった雪に沈んだままだったが、頭の先からじんわりと熱くなってきて冷たさを感じなくなった。
 繰り返し聞かされ、僕自身もそう思うように仕向けられた心ない言葉を燃やし尽くすような熱が体中に駆け巡っていった。心ない言葉は傷つける為に存在し、それ以上の意味はないのだから。
 熱は力となり、暗い中で辺りを照らす光となると、紅天狗と共に駆け抜ける自らの後ろ姿を見た。

(昌景は強い。自分を信じろ)
 その言葉の方が正しいと信じさせてくれる男の背中だった。まさにヒーローになろうとしている勇猛果敢な男の背中だ。

 僕は、ヒーローになったことは一度もない。
 学校でもアルバイト先でも目立つ存在ではなかった。その他大勢…それが似合いの言葉だろう。
 けれど、これは僕の物語だ。
 その血を授かった男の物語でもなく、刈谷昌信の物語でもなく、刈谷昌景の物語だ。ここで戦っているのは、刈谷昌景だ。

(天狗と共に妖怪に立ち向い、盃を取り返して、世界を救うヒーローになる為だ)
 あまりに壮大に思えた言葉だが、僕の物語の主人公は「僕」だったのだ。主人公が世界を救い、ヒーローとなる。物語としては、最高だ。
 それこそが、僕の好きな物語だ。
 弱い主人公が何かのキッカケで強くなり、つまづいて叩きのめされても、必ず以前よりも強くなってかえってくる。

 今、まさに僕はその叩きのめされている時だろう。

 ならば、僕は立ち上がらなければならない。
 立ち上がり、以前の僕よりも強くなり、僕を嘲笑い僕の人生を決めつけたアイツらの鼻を明かしてやらねばならない。
 下した評価が、クソだと思い知らせてやろう。
 そうなれば面白いほどの手のひら返しをしてくる。「屈辱」「失敗作」と罵った言葉が「誇り」に変わるのだから。
 その時、僕はアイツらを決して受け入れはしない。

 地面は雪と血でグシャグシャになり足元は悪いが、あの頃の僕とは違うことがあった。以前よりも鍛えられた経験が盾となり、身を守る為の短刀も手にしていた。

 光を見出した僕が右手を握り締めると、抗う力を凍らせていた体中にまとわりつく雪は恐れをなして溶けていった。
 腰に差している短刀は、主人を支えるかのように熱を発してくれた。
 僕の見えざる刃は、まだ折れてはいなかった。 
 
(僕は屈してはいけない。
 決して、屈してはならない)
 僕がカッと目を見開くと、獲物は意識を失ったとばかりに思っていた鎌鼬の動きが止まった。

 僕は雄叫びを上げながら、紐で縛られている両手に力を込めた。
 鋭い痛みが走るだけかもしれないが、このままでは鎌鼬の頭のもとに連れて行かれて殺されるだけだ。血で紐と両手はドロドロになっていて嫌な感触がしたが、運良く紐は切れたのだった。
 腹に力を入れて勢いよく起き上がると、驚いた顔をしている鎌鼬に向かって思いっきり頭突きをした。
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