天狗の盃

大林 朔也

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鎌鼬 2

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「よしよし、起きよったぞ」
 そう言いながら姿を現したのは、茶褐色の動物だった。
 両腕は残酷に光る異様な大きさの鎌で、細長い胴体に短い四肢をもち、鼻先がとがった顔には丸く小さな耳がついていた。
 可愛らしい顔のように思えたが、両の瞳は橙色だった。その瞳は攻撃的で悪意に満ちている。
 少し開いた口からは鋭い歯が見えていて、体からは独特の獣臭がしていた。
 鎌鼬は僕の顔をじっと見てから、鎌を乱暴に振り下ろした。耳のすぐ近くに突き刺すとズボッという音が脳にまで響いてきて、体がぶるっと震えた。歯がカチカチと鳴ると、鎌鼬はニンマリと笑った。
 
「よしよし、そのまま大人しくしてろ。
 暴れたりしたら、今すぐ喉を掻き切ってやるからな。
 いいな?」
 鎌鼬は低くくぐもった声を発した。

 大きな鎌がチラチラと目に入ると恐怖が広がっていき、声を発することも出来なくなり、体に降り積のる雪の冷たさを感じ始めた。
 鎌鼬は鼻を動かして僕の体のニオイを嗅ぎ始めたが、途中何度か首を傾げてブツブツと独り言を言った。

 上半身のニオイを鎌鼬が嗅ぎおえた頃、ゲラゲラと笑う別の声が聞こえてきた。鎌鼬は不機嫌そうに顔を上げると、キィキィという声を発した。橙色の瞳が見つめる先には、さっき見たのと同じような旋風が発生していた。
 その旋風は、僕達から数メートル離れた所で止まった。そこから姿を現したのは翡翠色の瞳をした鎌鼬だった。口の端から涎を垂らしながらチョコチョコと歩いてきた。

「よしよし、オイラにもよこせ。
 ここはオイラの縄張りだ」
 と、翡翠色の瞳をした鎌鼬は言った。

「縄張りすらも守れんヌシが何をいう!?
 ヌシが寝入っていた間にワシが見つけたのだから、ワシのものだ。やらんぞ」
 橙色の瞳をした鎌鼬がそう言うと、翡翠色の瞳をした鎌鼬はキィキィと鳴き声を上げた。

「寝入っていたんじゃない!寝たふりをしていただけだ!ヒョコヒョコ歩いている獲物を驚かしてやろうとな。
 ここはオイラの縄張りだ!
 さぁ、食わせろ!もう腹ペコだ!」
 翡翠色の瞳をした鎌鼬は鎌を振り回しながら怒りの言葉を次々と吐き続けたが、その鎌は橙色の瞳をした鎌鼬の鎌が異様に大きいせいか随分小さく見えた。

「黙れ!静かにしてろ!」
 橙色の瞳をした鎌鼬が睨みつけると、翡翠色の瞳をした鎌鼬はたじろいだ。しばらく黙ってニオイを嗅ぐ様子を見ていたが、口の端から涎が垂れ始めるとまた口を開いた。

「一体、何をやっている?
 オイラに食わせず食おうともせずに、ニオイばかり嗅ぎ続けてよ。
 なぜ、早いとこ殺さないんだ?」
 翡翠色の瞳をした鎌鼬がそう言うと、橙色の瞳をした鎌鼬は唸るような声を上げた。

「うるさい!この妖怪から変なニオイがしてるんだ」

「変なニオイだと?どんなニオイだ?」
 翡翠色の瞳をした鎌鼬は性悪な目で僕を見下ろした。

「はっきりとは分からんが、変なニオイだ。
 なんだか妙だから、今から問いただしてやろうと思っていたところよ」
 と、橙色の瞳をした鎌鼬は言った。

「ニオイを嗅いでいたところで分かるわけがねぇ。聞いたからって、本当の事を言うとはかぎらねぇ。
 腕でも切ってみろ。流れ出る血を舐めたら分かるってもんよ」

「馬鹿なことを言うな。
 頭の命令と関係のあるヤツならば、傷をつけてはならない」

「命令?どんな命令だ?
 オイラ、命令なんか聞いてねぇぞ」
 翡翠色の瞳をした鎌鼬がそう言うと、橙色の瞳をした鎌鼬は蔑むような目で翡翠色を見た。

「あぁ、そうか。翡翠は知らんのだったな。
 なら、教えてやろう。
 いるはずもない「モノ」がウロチョロしている。
 軸の歪みで飛ばされたのではなく「なんらかの目的」をもって来たのかもしれない。
 その「モノ」を見つけたら、傷をつけずに生きたまま連れて来いとの命令よ」
 と、橙色の瞳をした鎌鼬は言った。

「何の警戒心もなくヒョコヒョコ歩いてんだから、軸の歪みで飛ばされて来たんだろう。
 なんらかの目的があるのならば、もっと警戒してるはずだ。
 コイツは関係ない!勝手に鎌鼬の領域をうろついてやがるんだから、望み通り切り刻んで食ってやろうじゃないか!」
 翡翠色の瞳をした鎌鼬は興奮しながら言った。
 
「馬鹿なことを言うな。
 頭の命令は守らねばならない」
 橙色の瞳をした鎌鼬はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

 鎌鼬は大きな声で言い争いを始めたので、僕は音を出さないように気をつけながら紐を切ろうと力を込めた。
 だが動かすほどに食い込んでいき、手首に鋭い痛みが走った。
 僕は思わず声を上げたが、それをかき消すほどの興奮した叫び声が上がった。

「この妖怪は関係ない!
 どっかのメスの鎌鼬が異種交尾して生まれてきたんだ!
 軸の歪みで飛ばされてきたんだ!
 オイラ、腹ペコなんだ!
 もうオイラ我慢できないや!」
 翡翠色の瞳をした鎌鼬はそう言うやいなや、僕に向かって飛びかかってきた。鎌の先端が僕の右腕に触れると黒い血が吹き上がったが、すぐに出血は止まり、不思議なことに痛みはなかった。 

 だが、僕は大声を上げていた。橙色の瞳をした鎌鼬が、翡翠色の瞳をした鎌鼬を真っ二つに切り裂いたのだ。
 その瞬間は、ゆっくりと僕の目に焼きついた。
 ヌメヌメとした赤い血が雨のように降ってきて、口にするのも恐ろしい臓器が腹の上をナメクジのように動き回った。大きく見開かれた翡翠色の瞳には、恐怖に染まった僕の顔が映っていた。
 それでも、大きな鎌は止まらなかった。
 執拗なまでに体をさらに滅多切りにすると、口からも大量の血が流れてきて、僕の両手首に降ってきた。
 切り裂かれた体の上半身は僕の左側に落ち、下半身は僕の右下側に落ちた。切り落とされて空中でクルクルと回っていた妖しげな光を放つ両腕の鎌は、自らの上半身に突き刺さった。
 白い雪が、どんどん赤く染まっていく。
 生臭いニオイがたちこめていき、僕の精神を侵そうとしていた。
 未練があるかのように開いたままの翡翠色の瞳が僕を見、ポッカリと開いた口が小さく動いていたが、それもやがて止まったのだった。



 目の前が真っ暗になり意識を失いそうになったが、切られた右腕の痛みが今になって激しく襲ってきた。
 その感覚は、僕に現実を教えてくれた。
 意識を失ったら、次は僕が切り裂かれてしまう。僕は生きて帰らなければならない。僕は、こんなところで死ねない。
 紅天狗と共に、盃を取り戻さなければならないのだから。

「仲間を…殺したのか…」
 なんとか意識を保とうとして口から出たのは、その言葉だった。心に強く紅天狗を思ったからかもしれない。

「よしよし、うまくいったぞ」
 鎌鼬はニンマリと笑い、僕の腹の上の臓器を足で蹴り飛ばした。血溜まりの中にポトンと音を上げて落ちると、鎌鼬は声を上げて笑い出した。

「何がうまくいっただ…仲間を殺しておいて」

「仲間?仲間などどこにいる?
 コレか?コレのことか?
 こんな劣った者と、一緒にするな。
 コレはな、出来損ないだ。出来損ないの翡翠は頭が空っぽだから、頭の命令を知ることもない。ギャーギャー騒ぎ立てるだけで何の役にも立たんからな」
 鎌鼬は薄汚い笑みを浮かべると、動物の毛皮の敷物に座るかのような残酷さで、真っ二つに切り裂いた下半身の上に座り込んだ。
 命の上に平然と…否、自慢げに座る姿は本当に悍ましかった。
 
「何を言っている…仲間だ。
 やめろ…同じ鎌鼬だろ…」
 
「ヌシよ、ワシのおかげで命拾いしたんだろう?
 コレが死ななければ、ヌシが死んでいた。
 ちがうか?」
 鎌鼬は薄気味悪い瞳で僕を見た。

 その言葉に僕が黙り込むと、鎌鼬はニンマリと笑った。

「コレとワシを一緒にするなと言っただろうが。
 鎌鼬としての価値が違う。
 知らんようだから、とくと教えてやろう。
 鎌鼬は生まれた瞬間から、瞳の色で優劣が決まるのよ。暖色系の色でなければ鎌鼬ではない。
 見ろ。
 ワシの鎌は、コレとは比べ物にならんほどに大きくて鋭い。一振りで、真っ二つに出来るほどにな。
 ところが、どうだ?コレは。
 この、みっともない翡翠色の鎌は。この小さな鎌を見るだけでウンザリさせられる。失敗だ、失敗作だ。
 理想的な鎌鼬は暖色系の瞳をし、大きな鎌を持つ者だけだ。
 こんな失敗作が鎌鼬にいるなんて、屈辱的だ。
 こんな失敗作がワシの役に立って死んでいけたのだから、感謝してもらいたいぐらいだ」
 鎌鼬が大きく溜息をつくと、僕の頭がグルグルと回り始めた。

 血のニオイと死体に挟まれているが、それだけじゃない。
 心を抉るような言葉の数々は、僕をずるずると深い暗闇の中へと引き摺り込もうとしていた。


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