63 / 100
楓 8
しおりを挟む「主人様は雨に濡れていく赤い髪をかき上げると、ワタシの目線に合わせるようにしゃがみ込みました。
『いつまでも、こんな所にいるもんじゃない。
降り注ぐ雨が奴等によって穢された大地を清め、漂う空気を綺麗にし元通りにしているが、嘆きの涙はそうすぐには乾かん。
そろそろ出発するか。
あっ…そうだ…お前、えらくボロボロだな。
だが、よく頑張った。偉かったな。
その勇気を讃えて、何か特別な贈り物をしてやろう。
何がいい?』
主人様の言葉に、ワタシはただ驚くばかりでした。自由の身となれたのに、何かをいただけるなんて思ってもいませんでしたから。
『まぁ、急に言われても分からんわな。
俺の山に着くまでに考えておけ。
さぁ、出発だ』
主人様はそう仰ると、ワタシに微笑みかけてくれました。
主人様はワタシに合わせるようにゆっくりと飛んでくださり、紅葉が美しいこの山に着きました。
このお堂の前でワタシを皆んなに紹介してくださると、皆んなは快く受け入れてくれました。とても嬉しかったです。
皆んながワタシに優しく話しかけてくれると、主人様はお堂の中に入っていきました。
ひとしきり皆んなと遊んでからワタシは縁側にとまり、夕焼けが紅葉を照らすのを眺めていました。時は穏やかに流れていき、ワタシは幸せな気持ちになりました。
『綺麗な紅葉だろう。俺の自慢の紅葉だ。
本当に、美しい。
で、何がいい?決まったか?』
主人様はいつの間にか戻って来られていました。ワタシに水と食べ物を用意して下さり、主人様もご自身の食事を用意されていました。
白い器に注がれた透明な水を覗き込むと、すっかり痩せこけた艶のない黒い鴉が映っていました。
ワタシは悲しくなって目を逸らしましたが、もう一度恐る恐る覗き込みました。そこにはやはり疲れ果てた黒い鴉が映っていたのですが、ずっと見ていると舞い散る色鮮やかな紅葉も見えました。
赤と黄と橙色という美しい色を見ていると、ここまで辿り着く間に雨が止んでその後に架かった虹を思い出したのです。
そしてワタシに勇気をくれた…虹を渡る美しい黒い鴉の姿も思い出しました。
ワタシは器に映し出された自身の姿をしっかりと見つめました。
『ワタシを…大きくして欲しいです。
美しい空に、自らの誇りである黒を掲げたいのです』
ワタシは主人様にそうお願いしました。
ワタシはコソコソと隠れるように生きてきました。
いつの間にか言われるがままに自らの黒を恥じ、見つけられたくないと思い、体を小さく小さくしながら生きてきたのです。
どうしてワタシは、ワタシを愛することを止めてしまったのでしょうか。
どうしてワタシは、投げつけられた恐ろしい言葉を受け入れてしまったのでしょうか。
堂々とした姿で否定して、ワタシがワタシを守り、愛さねばならないというのに。諦めの道に進み、黒を恥じたワタシにはそれが出来なかった。
その日々を、後悔しています。
ワタシが望んだ日々ではなかったのですから。今までの分を取り戻すように、青い空に堂々と黒を掲げたいと思いました。
主人様はワタシをじっと見つめてから、頷かれました。
『分かった。
他には…なんか、あるか?
こう…欲はないんだな、お前は。
まぁ…人間とは違うか』
主人様はそう仰ると、良い香りのするお茶が注がれた美しい湯呑みを手に取りました。お茶を飲む主人様を見つめていると、助けてくださった主人様に御礼がしたい思いました。
ワタシに何か出来ることはないかと考えていると『人間の姿にして欲しいです』と口が勝手にパクパクと動いたのです。
『人間の姿!?なんでた?』
主人様はびっくりされたのか大きな声を出しました。
『助けていただいた御礼がしたいのです。
何か出来ないかと考えました。
ワタシに出来ること…主人様の食事を作ったり…という身の回りのお世話をしたいと思ったからです』
『俺の世話!?
やめてくれよ。俺は何でも出来るからさ。
礼ならば「ありがとう」の言葉だけで十分だ。何かしてくれることを期待して助けたんじゃない。俺が助けたいと思ったから、助けたんだ。
今までの分も幸せになってくれたら、それでいい。
もっと自分の為に、何か願えよ』
『それが、ワタシの願いです。きっと…出来るようになります』
『困ったな。本当にいいからさ』
『いいえ。それがワタシの願いなのです』
そういった押し問答が続きましたが、ワタシが一歩も引かないでいると主人様が小さく頷かれました。
『まぁ…言い出したのは俺だしな。
じゃあ、適当でいいからな。
お前が納得のいく範囲で、俺の身の回りの世話をするということで、人間の姿にするか。
なんだかな…』
主人様は苦笑いをされましたが、すぐに真剣な表情になりました。
『本当に、いいんだな?』
主人様の瞳には鋭いものがありましたが、ワタシは頷きました。
そう…ワタシが恐れている人間の姿でもあります。
その姿に、ワタシはなるのですから。
けれどそうすることで…ワタシも人間の目線に立ち、何かを学べるかもしれないとも思いました。こういう事をしたら人間ならどう思うのか、人間にならないと分からないからです。それに恐れのままで終わらせるよりも…もっと違う感情を抱けるようにもなるかもしれないとも思いました。
そうしてワタシは鴉の姿と人間の姿の両方をもつことになったのです。ワタシが人間の姿となった時、主人様は頭を抱えられましたけれど。
あれから時は経ちましたが、なかなか上手くはいかないものです。主人様は何でも出来ますので、かえって迷惑をかけているだけかもしれません。
それに…ふとした瞬間に何度も恐ろしい記憶が迫ってきて、ワタシの心は滅入ってしまい…決意は無となり、嫌な言葉ばかりを思い出してしまう。絶望の中を彷徨ってしまうのです。
結局のところ…ワタシは…カラスにも人間にもなれない…どちらにもなれないのかもしれません。
それに何か…大切な事を思い出せずにいる気がするのです。
けれど、ソレが何なのかも分からない。分からないことばかりです」
袴の人は空を仰ぎ見ながら、少し悲しそうに笑った。
「そうして山で暮らすことになったのです。
皆んな優しくて…本当に幸せでした。
けれど主人様の真っ白だった翼は、徐々に灰色を帯びていくようになりました。
また…突然…この日々が終わるのではないかと思うと、ワタシは怖くなりました。
ある日、主人様は大きな弓をもち、夕焼けの光に照らされながら黒羽の矢を放たれました。
『人間の男がやって来る。
俺が選んだ男だから大丈夫だ、安心しろ』
主人様はそう仰ると、ワタシを安心させるように優しく微笑んでくれました。
そんなある日、主人様が山を留守にされている時に『選ばれし者と思われる男が、列車に乗ってやって来た』と皆んなが騒ぎ始めました。
赤い鳥居を通過し入り口の高く伸びた草も道を開けると、皆んなは上空から男の真偽を確認する為にバタバタと飛び立っていきました。
『間違いない、選ばれし者の色だ』
皆んなは自らの目で見定めてから、先にいる者に伝えました。
そして主人様の妖術が施された棍棒を持つ天狗の像も、男に道を開けました。
その男は「選ばれし者」に間違いないのでしょう。様々な試練を通過されたのですから。
主人様の翼を白く変えてくださる、たった1人の方です。
主人様の大切な方です。
何としても無事に主人様のもとにお連れせねばなりません。
それでも…それでも…松の木にとまって見ていたワタシには…山を滅茶苦茶にしようとやって来た人間の男に見えたのです。
ワタシの耳には聞こえるはずのない山の悲鳴が聞こえました。
木々がそよぐ音と水の流れる音もしなくなり、泡を吹きながら横たわっていた動物達の死に顔、鳴り止まない銃声と恐ろしい人間の声が蘇ったのです。
あの時こうしていれば…あの時もっともっと…と思うと、こちらに向かってやって来る人間の男が死を運んでくるように見えたのです。
沢山の荷物を抱える昌景様が…あの時の人間の男に見えたのです。
その瞬間、目の前が真っ暗になりました。
この男が…真実に選ばれし者なのか分からない。
もしかしたら…凄まじい妖術をかけられた…偽物なのかもしれない…皆んなの目を欺こうとしているのかもしれない。
ならばワタシが…山を守らなければならないと思ったのです。
ワタシよりも生まれ出づる皆んなの力の方が遥かに優れているというのに、なんと愚かなのでしょう。
憎しみの感情は、目に見えるものを歪ませました。
真実とは違う、幻影を作り出したのです。
「選ばれし者」と「恐ろしい人間」という2つの間で、ワタシは揺れ動き、ついには憎しみに屈したのです。
本当に…お恥ずかしいです。
空から聞こえてきた主人様の声で、はっと我に返り愚かな幻影は消えていきました。
その瞬間、ワタシは自分が恐ろしくなりました。
ワタシも…何もしていない方に…同じ人間というだけで…恐ろしいことをしようとしたのです。黒い鴉だからといって、ソコにいただけのワタシ達に酷いことをした人間と…これでは同じではありませんか。
自らの愚かさを思い知りました。
選ばれし者を安全にお連れし、主人様が戻って来られるまで守らねばならないのに、ワタシ自身が傷つけようとしたのです。ワタシはワタシの立ち場すらも理解していない、本当に愚か者なのです。その場ですぐに謝罪しなければならないのに、ワタシはそれもしませんでした。我に返ってからも自分が恥ずかしくなって…嫌な態度をとり続けましたし。
ワタシは…ワタシは…本当に…すみません。
昌景様、ごめんなさい」
袴の人は僕の方に向きなおり、真っ直ぐに僕を見つめながら深々と頭を下げた。握られた小さな手には力が入り、全身から深い後悔と心からの懺悔が伝わってきた。包み隠さずに自らの苦しみを語ってくれた彼女に、僕も深く頭を下げた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
桜の華 ― *艶やかに舞う* ―
設樂理沙
ライト文芸
水野俊と滝谷桃は社内恋愛で結婚。順風満帆なふたりの結婚生活が
桃の学生時代の友人、淡井恵子の出現で脅かされることになる。
学生時代に恋人に手酷く振られるという経験をした恵子は、友だちの
幸せが妬ましく許せないのだった。恵子は分かっていなかった。
お天道様はちゃんと見てらっしゃる、ということを。人を不幸にして
自分だけが幸せになれるとでも? そう、そのような痛いことを
仕出かしていても、恵子は幸せになれると思っていたのだった。
異動でやってきた新井賢一に好意を持つ恵子……の気持ちは
はたして―――彼に届くのだろうか?
そしてそんな恵子の様子を密かに、見ている2つの目があった。
夫の俊の裏切りで激しく心を傷付けられた妻の桃が、
夫を許せる日は来るのだろうか?
―――――――――――――――――――――――
2024.6.1~2024.6.5
ぽわんとどんなstoryにしようか、イメージ(30000字くらい)。
執筆開始
2024.6.7~2024.10.5 78400字 番外編2つ
❦イラストは、AI生成画像自作
ホシは誰だか知っている、が
崎田毅駿
ライト文芸
京極はかつて大学で研究職を勤めていた。専門はいわゆる超能力。幸運な偶然により、北川という心を読める能力を持つ少年と知り合った京極は、研究と解明の躍進を期した。だがその矢先、北川少年ととても仲のいい少女が、鉄道を狙った有毒ガス散布テロに巻き込まれ、意識不明の長い眠りに就いてしまう。これにより研究はストップし、京極も職を辞する道を選んだ。
いくらかの年月を経て、またも偶然に再会した京極と北川。保険の調査員として職を得ていた京極は、ある案件で北川の力――超能力――を借りようと思い立つ。それは殺人の容疑を掛けられた友人を窮地から救うため、他の容疑者達の心を読むことで真犯人が誰なのかだけでも特定しようという狙いからだった。
異世界の冒険の果てに。~ハーレムなんて当たり前!果てに至るは天帝~
シロガネーダ
ファンタジー
日本?室町時代?のフィクションの国
そんな所に住む、久二郎は刀鍛冶の見習い兼剣士見習いだった。
鍛冶の師匠、剣の師匠と村の仲間達と貧しいながらも平和に楽しく生きていた。
だが裏切りと兎の出会いで久二郎の平和が崩れ落ちた…
運命なのか神の悪戯か?異世界への転移
異世界で知った刀とスキルと魔法と久二郎の実力と幸運
元の世界に戻れないと知り
異世界の冒険と仲間?嫁?恋人?の忠誠?愛情?友情ある?
のんびり楽しく過ごしたいと思っている久二郎なのに……
冒険が運命を………
そして異世界の冒険の果て
手直ししながら書いてます。
題名、あらすじ、内容が変わるかも
御容赦下さい。
趣味で書いてます。
適当に読んでくれたら嬉しいです。
刀、やっぱり日本人ならば刀。目下勉強中
ずっと君のこと ──妻の不倫
家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。
余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。
しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。
医師からの検査の結果が「性感染症」。
鷹也には全く身に覚えがなかった。
※1話は約1000文字と少なめです。
※111話、約10万文字で完結します。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
裏切りの扉 非公開にしていましたが再upしました。11/4
設樂理沙
ライト文芸
非の打ち所の無い素敵な夫を持つ、魅力的な女性(おんな)萌枝
が夫の不始末に遭遇した時、彼女を襲ったものは?
心のままに……潔く、クールに歩んでゆく彼女の心と身体は
どこに行き着くのだろう。
2018年頃書いた作品になります。
❦イラストはPIXTA様内、ILLUSTRATION STORE様 有償素材
2024.9.20~11.3……一度非公開 11/4公開
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる