天狗の盃

大林 朔也

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「お前、本気で言ってんのか!」
 紅天狗は空気が震えるほどの怒声を上げた。

 あまりの迫力に顔を上げると、僕の目に映るのは人ならざる天狗だけとなった。燃え盛るような紅い天狗が、怖い目で僕を睨みつけていた。


「だって…弱いと攻撃されてしまう…異界でも…痛感した。
 弱くて力がないと戦うことが出来ない。力がないと言い返しても…粉々にされてしまうだけだ。
 紅天狗だって…弱いと思われたら狙われるって言ってたし…」

「異界では、そうだ。
 視覚的な情報から自分よりも強いか弱いかを瞬時に判断して、自分よりも弱いと思われる者を攻撃する。
 それは、事実だ。
 ならば、同じか?」
 紅天狗は目をぎらっと光らせながら言った。
 
「え?おな…じ?」

「そうだ。同じ世界なのかと聞いている。
 異界とは尋常ではない異常なる力或いは考えをもつ者達が集まっている世界だ。女神が邪悪だと判断した連中が、ひしめきあっている。
 そこでは弱いと判断されれば、狙われる。
 狙う奴等が異常者だからだ。
 クソの集まりだからだ。
 薄汚いクソ共は「食い物」を欲しているから、見た目から判断した自分よりも弱い連中を狙うんだ。
 昌景が言うことが真実なら、人間の世界も異界の世界と「同じ」という事でいいんだな?
「力がないから弱いから声に出してはいけない」というのが人間の世界の「真」であると「選ばれし者」が「天狗」の前で認めるのなら、俺は刀を握れない。
 最終的に辿り着くのは、鬼の領域となるからだ。
 成れの果ての世界となる前に、滅ぼさなければならん。
 他者を虐げ、言葉と暴力で殺し犯し、食い物にする薄汚れた世界は必要ない。
 神々が願った「人間」の世界ではないからだ」
 紅天狗は険しい表情で言った。
 赤い髪の毛が熱を帯びたように立ち上がると、男はさらに大きくなったように見えた。

「ちがう。
 でも…現実は厳しくて大変なんだ。
 声に出しても消されてしまうから…言い返せないんだ…よけいに酷くなってしまうから…」
 僕は途切れ途切れに言った。
 我慢したところで状況は良くならず悪化するだけだと既に学んでいたが、その選択をした「あの頃の自分」を守りたかったのかもしれない。
 
「でもは、ナシだ。俺は何度でも言い続けるぞ。
 言い返せないと判断したのは、お前だ。
 確かに、力がなくては戦い続ける事は出来ない。
 それは、残酷な現実だ。
 しかし、全てを奪う権利まではない。
 何も疑問に思わずただ受け入れ諦めるだけなら、その者は歩みを止めてしまい従うしかない。残された道は「死」だけだ。
 だが現実を直視し、戦う為の必要な力をつける或いは考え動き出すことで、道は広がっていく。
 叩きのめされながら見違えるほどに強くなる者もいる。戦う準備を始めた者を鍛えてくれる者もいる。助けを求めた手を握る者もいる。新たな生きる道を切り開ける者もいる。
 道は、無限に広がっている。
 それは昌景自身が、よく分かっているはずだ」
 紅天狗が声を荒げると、兄の顔が脳裏に浮かんだ。
 
 僕には絶対的な味方がいた。
 兄と同じように戦う道を選び肩を並べる事を諦めなければ、いくらでも力を貸してくれただろう。鍛えてくれただろう。
 だが自ら学ぼうとしない者には道は開けない。意志のない者には続ける事が不可能だからだ。
 そうして僕は自分の歩む道を「たった一つ」だけにしたのだった。

「受け入れれば、運命となってしまう。
 だが抗い続ければ、新たな道が開ける」
 紅天狗は鋭い瞳で力を込めて言った。

 男も「何か」と戦っているのだろう。
 男の力ですら及ばない「何か」に…そう思わせる瞳だった。
 誰しも何かを背負っている。
 最強の男ですら、その力に見合った「何か」を背負わされている。
 苦しんでいるのは自分だけだと思っていた僕は下を向き、男の瞳ではなく地面を見つめた。
 すると黒々とした影が薄気味悪く動いた。
 黒い影が湯気を上げながら蠢き、肉と骨を簡単に噛み砕くほどの牙が生えた恐ろしい口が現れた。
「楽になりたいか?
 お前は、哀れを誘うほどに弱い。弱くて…ちっぽけで惨めだ」
 身の毛のよだつような冷たい声を上げながら手招きした。
 右腕がどんどん重たくなり、僕の体はひっぱられるように地面に近づいていった。

「下を向くな、昌景。
 見えるもんが、見えなくなる」
 大きな手が僕の頭に触れ、逞しさからは考えられないような優しさでグッと上を向かされた。
 僕が見たのは、同じ黒でも煌めく夜空だった。麗しい満月は僕を見下ろしている。紅天狗と同じ銀色の光だ。

「昌景は、変わった。
 昌景自身が、証明した。
 戦わない男を、俺は守ることが出来ない。
 戦う為の拳を握り、昌景の力で鞘から刀を抜いたのだ。
 その刀は、折れることはない。
 昌景は強い。自分を信じろ」
 と、紅天狗は囁きかけた。
 そよぐ風で心地良さそうに揺れる松の枝葉が目に入り、星の光でうめつくされた金色の川のせせらぎが聞こえてきた。

「輝かしいものを見、綺麗な音に耳を傾けろ。
 その方が、お前自身を美しくしてくれる。
 それにな、俺はそんな両親に昌景が好かれていなくて良かったと心から思っている」
 紅天狗はそう言うと、丸まっていた僕の背中を軽く叩いた。

「えっ…なんで…?」
 予期せぬ言葉に僕が驚いていると、紅天狗の方が怪訝な顔をした。

「お前、本当に、好かれたいのか?
 お前の両親…いや、もう両親とは呼ばん。
 ソイツらに好かれるようであれば、昌景も似たような心根の奴ということだ。同じクソみたいな心根になれば、お前を好きになってくれるぞ。
 奴等は似た者同士で領域を作る。
 そうなれば、俺はお前を選ばれし者とは認めないからな。
 そんな男と異界に行くなんて考えただけで反吐が出るから、今すぐ記憶を消して山から叩き出してやる。
 だから、いいんだよ、昌景。
 お前と、ソイツらとはな、違いすぎる。分かり合えることはないし、分かり合う必要もない」
 紅天狗は吐き捨てるように言った。


 紅天狗の言葉が胸を揺さぶったが、同時に身を切るような冷たい風が吹き付けてきた。
 途端に、四方八方から両親の声が聞こえてきた。
 僕は実家のリビングのソファーに座っていた。リビングには兄の表彰状とトロフィーが並んでいた。最高の男は輝かしい数々を手にしていたが、何もない男は何も手にする事が出来なかった。
「何もないのだから、愛されることもない」と風が耳元で唸りを上げると、僕の目の前は真っ暗になった。

  
「兄さんは…最高の男だけど…両親から愛されていた。
 僕は…何もないから…愛されなかった」
 僕は自分の言葉に驚いて口を抑えた。

(僕は…両親に愛されたかったのだろうか?
 その答えは、分からない。
 そして、生涯分かることはないだろう。
 そもそも愛とは何なんだろうか?)
 僕がそんな事を考え出すと、隣に座っている男は声を上げて笑った。


「愛?笑わせんな。
 歪んだ性癖すぎんだろ。
 ソイツらが、他人を愛せるはずなどない。ソイツらが愛せるのは、自分だけだ。
 お前もいつか…全てを捧げたくなるほどの女に出会うだろう。その時には、分かるはずだ。
 相手を利用しようとするのは愛じゃない。愛という言葉を使って騙し、都合のいい玩具としようとしているとしか思えん。
 兄貴に向けていたのはソレだ。兄貴は分かっていたから離れたんだ。そんなもの迷惑だ。それが分からないような男じゃない。兄貴はソレを分かっていたから、昌景に助言したんだ。
 だが、俺の場合は違う。
 天狗の力を利用しようとする者は許さん。
 媚を売る顔は醜悪だ。口では綺麗事を並べたてるが、その者の心は闇よりも深い。深すぎる闇には、救いが必要だ。
 だから俺は斬り殺す」
 紅天狗は冷たい声で言った。過去に何があったのかは分からないが、天狗の力を利用しようとした者は大勢いたのだろう。


 そして僕も…兄の力にすがるばかりだった。
 

「僕は…兄さんに守ってもらうばかりだった。
 僕も兄さんに迷惑をかけていたのかもしれない」
 と、僕は言った。
 兄はいつでも僕に優しかった。その優しさの陰に隠れてばかりいた弟を迷惑に思っていたのではないかと不安になった。

「昌景は、兄貴を都合のいい盾のように思ってたのか?」
 と、紅天狗は言った。

「ちがう!
 僕は兄さんが好きだ。憧れているし大切な家族だ。かけがえのない存在なんだ!ただ…その背中を見続けていたんだ」
 僕がそう言うと、紅天狗は優しい眼差しを向けた。
 
「だったら、兄貴にとっても昌景はかけがえのない存在だ。
 強い絆で結ばれていたんだろう。
 兄貴はな、昌景を守りたかったんだ。
 守りたいから強くなったんだ。
 守りたい者の為なら、いくらでも強くなれる。
 力がなければ、何も守れないからだ。
 綺麗事だけでは守れないということを知っていたんだ。
 昌景も、守りたい者が出来たら、分かるさ」
 と、紅天狗は言った。

 
「続けることが力だ」という兄の言葉が痛切に響き渡った。
 兄は何もせずに僕のヒーローになったわけじゃない。
 兄も「刈谷昌信」であり続ける為に、たゆまぬ努力をし続けたのだ。早朝に見た部屋の灯りは兄の努力によるものだったのだろう。自らの言葉に説得力を持たせるために一生懸命励んでいたのだと今になって分かったのだった。
 だが、いつからか兄が生まれながらに凄い男だと思い込み、その陰に隠されたものまで見ようとしなかった。
 何度も守ってくれた兄の背中を思い浮かべると、紅天狗が隣にいるというのに涙が頬を伝っていった。


「兄貴は昌景の幸せを願っているだろう。
 その手で守った者が幸せに生きていてくれれば、俺なら嬉しい。それだけで、十分だ。
 だから、な?
 ソイツらの言葉に囚われて、お前の歩む道をこれ以上苦しいものにさせるな。
 泥の道は歩きづらいだろう?
 明るい言葉で道を照らし、輝かしい道を歩け」
 紅天狗は夜空を見ながら、僕の肩をポンポンと叩いた。
 僕が涙したことに気付いているだろうが「泣くな」とは言わなかった。
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