天狗の盃

大林 朔也

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松の木の下で 5

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 そうだ…男の言葉を受け入れなければ…男は結界門から去ってしまうかもしれない。
 この手を握るしかない…のかもしれない。
 他には…誰も…救ってくれる者などいない。
 多くの人間を守る為ならば…紅天狗がいうところの一部の人間だけが犠牲になれば、善良な人間は死なずにすむ。
 善良な人間を守らなければならない。

 善良…善良…?

 そんな事を考えた僕は「善良」といえるのだろうか?
 そもそも「善良」とは一体何なのだろう?

 背中を丸めながら小さく縮こまると、満月の煌めきで腰の短刀の鞘が輝いた。
 それは戦い守る為の刀だ。
 男が刀を差しながら、鞘から抜きもせずに美しい飾りとして眠らせていいのだろうか…否、いいはずがない。

「でも……僕は…」
 僕が声を絞り出すと、紅天狗は僕の丸まった背中を軽く叩いた。

「でも、はナシだ。
 しかし、だ。そっからお前の意見を言え。
 俺は好き勝手に言ってるんだから、昌景も思うところがあるなら、ちゃんと言葉にしろ。
 さもなければ受け入れたものとみなすぞ」

「しかし僕は…そんな事は望ま…ない。
 百鬼夜行も…一部の人間が死んでいくことも…僕は望まない。
 僕達人間には…罪を犯した者達を裁く為の…法がある。
 それがあるから…待ってほしい。いつかは捕まり、悪事が白昼のもとに晒されて……裁かれるだろう。
 それに罪は償わなければならないけど殺していいなんて…誰も望みもしないし頼みもしないと思う。
 誰かを犠牲にして自分が助かるなんて…そんな恐ろしいことは…僕達は「人間」だから」
 僕は「人間」という言葉を消え入りそうな声で言った。

「人間…か。
 恐ろしいことが平気な面で出来るのが「人間」なんだと俺は思っていた。
 それに人間は、真実に、一部の者達を裁いているのか?」
 と、紅天狗は言った。


 僕は座敷童子の悲しそうな顔を思い出し、僕自身が関わってきた一部の人間の顔を思い出した。
 僕は、また黙り込んだ。裁いている側が、一部の人間の側であるなんて…よくある話だ。

「それに、いつまでだ?
 いつまで待ってやらねばならない?
 いつまで守ってやらねばならない?」
 紅天狗の瞳が烈火をともしたような怒りの色に変わった。

(永遠に…)
 そんな言葉を言えるはずもない。
 そうだ…ヒーローだって、永遠には側にはいてくれないことは僕自身が1番よく分かっている。
 いつまでも側で守ってくれるなんてロボットでなければ不可能だ。否、ロボットだって、いつかは壊れてしまう。
 永遠なんてものは、何処にも存在しない。

 何の言葉も出て来ずに唇を噛むと、紅天狗は諦めろとばかりに僕の肩を軽く叩いた。
 その音が、静寂の中で響き渡った。

「そういう事だ」
 紅天狗が冷たく言い放った。
 
 僕の視界に冷酷な瞳が飛び込んでくると、そう遠くない現実のように思えた。
 翼の色は、変わろうとしている。
 僕達人間が助かる為の糸口を見つけようとして震える口を開いた。

「山の神は「人間を助けよう」って女神に言ったはずだよ。 
 それなのに…どうして紅天狗は…山の神の言葉に背くようなことをするの?」 
 恐怖を押し退け、僕はなんとか声を絞り出した。
 それが、かつての昔話に出てきた人間と同じだと分かりながらも、僕は神という存在に縋りつきたくなった。

「そうだ。
 だから、人間を助けている。
 欲にまみれた救い難い人間を、その苦しみから解き放つという意味でな」
 紅天狗は残酷な笑みを浮かべながら言った。

 その恐ろしい笑みで、僕の心臓は凍りつきそうになった。

 そして、ある言葉にたどり着いた。

 邪神

 山の神様は、心優しい神ではない。
 この世界を見守っている神は、人間の為に涙を流してくれるような優しい神ではないのだ。慈悲深い清らかな両腕で優しく包み込んでくれる女神ではない。
 雪のように真っ白な使いを生み出すのではなく、猛々しい天狗を生み出すような神なのだ。丸太のように太くて血管が浮き出ている腕に力任せに抱かれたら、骨ごと粉々に砕かれるかもしれない。
 人間を助ける為なんかじゃない。
 人間に災いをもたらすのが、邪神の意味するところだ。
 僕達は、とんでもない存在の腕の中にいる。

 紅天狗は決して人間の側についている訳ではない。
 見ている御方を存分に愉しませているだけだ。
 それなのに紅天狗が結界門を守って然るべきだと思い始めていた。
 そもそも神は人間を特別視しているわけではない。
 どれほど祈っても願いは届かないし、神達は「人間が」どうするのかを冷たい瞳で見ているだけだ。
 少しの間だけ、優しい瞳にかわっただけで、今は見るも恐ろしい瞳が僕達を見下ろしている。

 途方にくれた僕は夜空を見上げた。
 すると紅に燃える光が一つ、夜空をよぎっていくのが見えた。夜空ですら焦がす強烈な光が目に入ると、僕は思わず身震いした。

「それにな、俺は「人間」からも頼まれている。
 自らの生の為なら、一部の妖怪を殺せとな。
 分かるか?昌景」

「え?」
 と、僕は言った。
 その言葉の意味が分からなかった。

「人間は月が昇ったとしても、そこかしこに明かりをつけて我が者顔で闊歩している。
 陽の光だけでなく、与えられていない月すらも手に入れた。
 月を、妖怪から奪ったのだ。
 神は、人間には月は与えていない。
 ならば奪った者達が…その者となる。
 荒廃と退廃が世界を覆い尽くし、人間という名の皮を被った略奪者…いや、化け物達は我が物顔で月が昇っても地上を闊歩している。
 醜悪な欲望に満ち溢れながら、弱い人間を食い物にして貪り奪い殺し尽くす。
 昔は…命により…そんな連中を、陰陽師達が退治していたんだったな。
 そうだったよな?昌景?」
 紅天狗が残酷な瞳で僕にそう問いかけた。

「俺は黒の陰陽師と同じ「扇」を与えられている。
 黒の陰陽師は「化け物」を退治しに行かねばならない。刀をもった強者を従え、恐怖の象徴としてな。
 その命を下したのは帝だったか…この国を統べる帝がな。崩御されても化け物退治が終わらぬ限り、勅命は続いている。
 黒の扇を持つ者は、一部の妖怪を殺さなければならない。
 陽の光である白の翼ではなく、月夜を示す黒の翼である間に俺は命ぜられた一部の妖怪を殺す」
 と、紅天狗は言った。

 僕の背中に嫌な汗が伝っていった。
 刀を持った強者とは、牙や爪に恐ろしい妖術を使う妖怪のことだ。
 僕達は化け物じゃない。
 妖怪ではない。
 妖怪のように恐ろしいことなんてしていない……真実に…していないのだろうか?
 僕達は食べる以上に動物を殺し、そして同じ人間を殺している。終わらない戦争や紛争、殺人や暴行、略奪や強姦、差別や虐め…人間の恐ろしさを数え上げたらきりがない。
 僕達は綺麗な存在なんかじゃない。
 むしろ醜悪だろう。
 まだ狂気を隠そうとしないだけ妖怪の方がキレイなのかもしれない。
 僕達人間は真面目な顔をしながら信じてくれる人を裏切る。妬みや嫉妬から被害者を装って事実を捏造し、他人を陥れることも平気でやってのける。そういう者達ほど狡猾で、見る者の目を曇らせる。
 それに被害者になったとしても落ち度や原因を探され、被害者が攻撃される。それはたぶん加害者の方が世の中に蔓延っているからだろう。
 僕達人間の醜悪さは、妖怪よりも見分けるのが難しい。
 猫又のような悪意のある瞳の色でなく綺麗に着飾りながら擦り寄ってくる。

 僕達は…たしかに「人間」という名の皮を被った「化け物」だ。

「でも…そんなの…滅茶苦茶だよ…」
 僕は消え入りそうな声で言った。

「そうだ。
 だが、その隙を作らせたのはお前達人間だ。
 力がないのであれば、従うしかない。
 敷かれた道を歩むしかない」
 紅天狗はそう言うと、僕を見つめた。

「もう道は出来ている。
 俺達は、その分岐点にいる。
 その道に辿るのは嫌か?」

 僕も、紅天狗を見つめた。
 まだ分岐点にいる。その道に、まだ歩んでいない。まだ、もう一つの道に歩むことが出来る。
 なんとしても炎の舞を舞うのを止めるしかない。

「僕が…止めてみせる。
 その道には…歩まない。
 僕が、紅天狗に炎の舞を舞わせない」
 僕がそう言うと、紅天狗は口元に笑みを浮かべた。銀色の瞳からは残酷な色が消えて、いつもの優しい眼差しに変わった。

「ならば力を見せろ。
 他の目を向けさせるほどのな。
 守る価値のある者であり、月を手に入れてもなお化け物ではなく神々が望んだ人間であるとな。
 権利を主張したければ義務を果たせ」
 紅天狗が僕の瞳を見ながら強い口調で言った。

「百鬼夜行を止める為なら、僕はなんでもするよ。
 僕は諦めない。戦い抜いてみせる」
 僕が松の木の下で力強く宣言すると、紅天狗はいつものように笑った。

「いいな、昌景。
 その言葉が聞きたかった。
 なら、なんとしても天狗の盃を取り返さねばならないな」
 
「そんな力が盃にあるの?」

「俺の炎を鎮められるのは、あの盃だけだ。
 選ばれし者が盃を取り出し、天狗が盃で酒を飲む。さすれば炎の舞を舞わなくてもすむ。
 そうして…ここ数百年間…俺は炎の舞を舞っていない。
 あの盃で酒を飲めば、いくつかを失うかわりに、白に戻るんだ。
 だからこそ、鬼は盃を盗んだ。
 だから…なんとしても取り返さなければならない。
 俺は…約束を守り続けねばならない」

「約束?」
 と、僕は言った。

 すると、空に輝いていた大きな星が一つ流れた。紅天狗は落ちていく星を眺めてから、僕を見つめた。

「この話はまた今度な。
 まだ許しが出ていない」
 紅天狗はそう言うと、静かに笑った。

 僕は扇に視線を移した。
 扇は月の光に照らされても輝く事もなく、闇に溶け込むような黒い色をしていた。
 紅天狗は僕の視線に気付くと、ゆっくりと口を開いた。

「これは最強の扇だ。
 世界を変えるのは1人の力では不可能だが、この扇は違う。
 なぜなら山の神様によって作られたのだから。
 この扇は身につけているだけで読心、飛行、妖術、分身、変身、風雨、雷、火炎を操ることが出来る。
 扇の力は凄まじく、俺以外は意のままに操ることが出来ない。
 だが超えた力の代償は大きい。
 超えた力は、全てを飲み込んでいく。
 この扇を握る度に、俺は本来の獰猛さへと化えっていく。
 だからこそ俺は刀を握り続けなければならない。
 想いを消さないように…」
 男は見たこともないような悲しい顔をしてから、項垂れた。

「紅天狗?」
 
「あ?あぁ…すまんな」
 紅天狗は赤い髪の毛をかきあげながら顔を上げた。白い息を吐くと、空に輝く美しい星を眺めた。

「星は綺麗だな」
 紅天狗は低い声で言った。
 男はゆっくりと空に向かって手を伸ばしたが、美しく輝く星は遠く、触れることすらできなかった。
 虚しく空を切ると、男はその手の中に掴めなかった星の幻でも見たのだろう。小さく溜息をついた。



 冷たい風が男の赤い髪の毛を静かに揺らし、白の羽織をはためかせると、僕は白い翼をした紅天狗の幻を見たのだった。

 
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