天狗の盃

大林 朔也

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読心 4

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 探している男の声が微かに聞こえてきたので、その方向に吸い寄せられるように歩いて行った。

 樹齢数千年以上の神木
 神木という名が相応しいような素晴らしい木が立っていた。

 僕がこの山で見てきた中で最大の幹幅を誇り、隆々と盛り上がる瘤を持ち、盤踞する根と深く刻まれた皺が素晴らしい巨大な杉のような木だった。
 僕が知っている杉と違うのは葉の色が漆黒であり、巨大な影のようでもあった。
 
 その神木の下で、紅天狗が腰の辺りまで着物を脱いで刀の稽古をしていた。
 この神木を守る天狗のように…男は華麗に刀で空を斬っていた。恐ろしい夜の闇が連れてきた澱んだ空気を斬り裂き、新鮮で清らかな空気だけを神木に届けているように感じた。
 男が握る刀は長くて鋭く、刀身は陽の光を浴びる度にキラキラと輝いた。刀の描く孤が空を切り裂き鋭い音が鳴ると、男が描く孤の残像が僕にも見えたかのような錯覚に陥った。

 日陰と日向…影と陽の間を颯爽と行き交う度に、灰色の翼が美しく煌めいた。明るい灰色が恐ろしい漆黒の翼となり、狭間で靡き揺れていた。
 筋肉が入り組んでいる逆三角形の背中は逞しくて、多くを背負える男の背中だった。目の前の男は背負ったものを何があっても守り抜くのだろう。

 僕は声をかけることもせずに、また見惚れていた。
 美しい紅葉に、袴の人、そして紅天狗…陽の光の下で見るものは美しさで溢れていた。

 

「よぉ、昌景。
 疲れて夕方まで寝てるんじゃないかと思ってたけど、早かったな。よくここが分かったな」
 刀の稽古が一区切りついたのか、紅天狗は振り返った。

 鍛え上げられた男の体は凄まじく、厚い胸板に汗がほとばしり、盛り上がった上腕二頭筋が美しかった。体の一部のように刀を振るう男の体はこうまで逞しいのかと、羨ましくなってしまった。
 過酷な訓練をものともしない特殊部隊の隊員のように強くて逞しく、自分の生命を危険に晒しながらも誰かの生命を守る肉体の強さと精神力を兼ね備えた屈強な男の体だった。
 思わず上半身をマジマジと見てしまうと、下腹部あたりがアザなのか刺青なのか分からないが肌色ではなく変色していた。
 妙に気になったがあまりジロジロ見ると、局部を見ていると思われても嫌なので僕はそっと目を逸らした。

「はい。
 袴を着た人に教えてもらいました」
 と、僕は答えた。

 紅天狗は首を傾げた。
 その太い首には紫色の宝石がついたネックレスを下げていた。宝石に詳しくない僕には何の石なのか全く分からなかったが、陽の光を浴びてキラキラと輝いた。
 雫のような汗を流しながら前髪をかき上げる姿に、僕にはない大人の男の色気というものを感じた。汗をかいてはいるのだが、昨日嗅いだようなニオイはしなくなり、爽やかな香りがするだけだった。

「あぁ…カラスのことか。
 それはさておき、よく眠れたか?」
 紅天狗は刀を鞘に納めながら言った。

「えぇ…はい。
 眠れ…ました」
 と、僕は言った。

 紅天狗は少し苦笑いをして着物を整えた。昨日のような乱れた着方はしなかった。

「かしこまんなよ。
 もっと普通に喋れ。
 そんなんだと疲れるぞ。
 カラスが飯を作ってくれるから、朝飯でも食いながら色々と話をするとするか。
 ついて来いよ」
 紅天狗は空を仰ぎ見ながら手を叩き、「カラス!飯だ、飯!」と叫んだ。

 すると、何処からともなく先程の袴の人が現れた。

「お呼びですか?主人様」
 袴の人は満面の笑みを浮かべていた。その声は鈴を鳴らしたかのような可愛らしい声だった。
 紅天狗の隣にいる僕を見ることもせずに、袴の人は紅天狗だけを見つめていた。

「おう!カラス!
 飯だ!
 俺と昌景の2人分な。軒下に飯を運んでくれ」
 と、紅天狗は言った。

「かしこまりました、主人様」
 袴の人はまた可愛らしい声で答え、僕を見ることなく紅天狗に微笑みかけて走り去って行った。その麗しい瞳に、僕を映したくないかのように。

「あの…さっきの人なんですけど…鴉なんですか?
 どう見ても人の姿をしてるんですけど…」

「かしこまんなって言ってんだろ。
 昨日デカいカラスが、お前をここまで案内しただろう?
 あのカラスだよ。
 俺の身の回りの世話をしてもらう為に人の姿にしたんだ。
 いろいろ、してもらってる」
 と、紅天狗は言った。

 最後の言葉に一瞬あらぬ想像をしてしまうと、紅天狗は僕の肩に触れた。

「そういうコトは、シナイから。
 だから俺は人間も男を呼んでるんだよ」
 と、紅天狗は笑った。

 僕は大人の男の余裕を感じて、恥ずかしくなった。

「綺麗な人…ですね」
 僕はそう言ったが、紅天狗はその言葉には何も答えなかった。


「飯な、少し時間がかかるから遠回りしよう。
 カラスは、料理は苦手なんだよ。
 散歩がてら…そうだな…庭園でも歩くか」
 紅天狗はそう言うと、僕が歩いてきたのとは別の方向に向かって歩き出した。

「いつも、ここで稽古をしてるんですか?」
 前を歩く紅天狗の大きな背中を見ながら僕はたずねた。

「もちろんだ。
 刀を握るのだから、訓練はかかさない」
 と、紅天狗は言った。

 紅天狗が歩くと、鴉の鳴き声と紅葉のそよぐ音が響き渡った。

 庭園には、美しい青い花が一面に咲いていた。
 花に詳しくない僕には名前が分からなかったが、まるで澄み渡る青い空を散歩しているかのように感じた。

「花が好きなんですね」
 と、僕は独り言のように言った。

 前を歩く紅天狗は何も答えなかった。


「いろんな所に花が咲いてるんですね。
 ここに来るまでにも綺麗なコスモスの花を見ました。赤や白やピンクの色で溢れていて、僕の心が明るくなったんです。
 まるで…コスモスの散歩道を歩いているようでした。
 この花は、なんですか?」
 と、僕は言った。

 紅天狗は突然立ち止まり、妙な顔をしながら僕を振り返った。

「なんだよ?それ…。
 コスモスの…散歩道って…」
 紅天狗は小さく呟いた。
 そして何度か髪の毛をクシャクシャとしてから、腰の短刀のようなモノに触れた。

「もっと楽に喋れよ。 
 今からそんなんだと疲れるぞ。
 言い直したら、花の名を答えてやるよ」
 と、紅天狗は言った。


 だが、しばらく間をおいてから、男は首を横に振った。


「いや、当ててみろよ。
 この花の名を」
 と、男は言った。
 

 僕は少し躊躇いながら、紅天狗を見た。
 すると、男は優しく笑った。
 一面に咲く青い花の中で、男は僕を見て笑ったのだった。


 僕達の間に吹く風が心地よく、僕の心と体を青い花の香りで包み込んだ。
 それでも…僕には…分からなかった。
 男の求める答えは、僕には出てこなかった。

 
「僕は花には詳しくないから、分からない」
 と、僕は言った。

 すると、男は青い花を見渡した。
 その瞳は、遠い遠い青を見ていた。

 ゆっくりと紅天狗は口を開き、「桔梗」と、素っ気なく答えた。
 
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