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ふたごの町
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おなじころ、おなじような土地で、おなじようにふたつの町ができた。
狩猟を行っていた集団が定住したことがはじまりで、農耕が発達し人口が増えた。自然豊かな場所で、山があり川がある。暑くなると涼しい風が吹き、寒くなるとおだやかな日差しが降りそそいだ。
どちらの町も勤勉でおおらかな人が住み、何世代にもわたって住人たちは幸せに暮らした。
あるとき、ひとりの学者が気がついた。距離的にさほど離れていない、しかし近すぎるわけでもないふたつの町がそっくりであると。
地形、面積、人口、文化、産業、すべておなじだった。調べてみると町の成立過程もおなじ、町史を読むと一字一句おなじだった。
学者ははじめ、誤っておなじ町の町史を読んだのだと思った。歴代の町長の名前までおなじだったのだ。
現地調査に乗り出すと、我が目を疑った。町のつくり、家々の並び、建物の色もおなじ。宿の亭主はおなじ顔でおなじ言葉を口にした。
「ようこそ<チ町>へ。ここはいい町でしょ?」
どちらの町も<チ町>といった。学者は区別をつけるため<チ町A><チ町B>と名付けたが、実質無意味だった。どちらもなったくおなじ、違いはひとつもないからだ。
片一方のデータをとればもう一方もおなじ。このデータは<チ町A>、このデータは<チ町B>と振り分ける必要はなかった。
最初に気づき単独で調べに入ったこの学者の功績は大きいが、こんにちその行動は軽率であったというのが定説である。
まず不用意にふたつの町に接触し、酷似してることを告げてしまった。そしてその過程において、学者自身も飲みこまれてしまったのだ。
学者に異変があらわれたのは一ヶ月もたたないうちだった。ふたつの町を往復しはじめてから、彼はしだいに、自分がいまどちらの町にいるのかわからなくなってきた。
おなじ町でおなじ住人がおなじことを言う。前に行われたことが次の町でまた起こる。彼はふたつの町の一致に気づいていたから、あえてそれぞれの町で別の行動をとることはしなかった。
おなじことをし、おなじ言葉を発し、おなじものを食べ、おなじように寝る。この町でも、次の町でも。ここはどちらの町なのだろう、いま起こっているのははじめて起こったことなのか、それとも二回目なのか。
どちらが先でどちらが後か。いま自分が発した言葉は自分の意思なのか、それとも前に言ったことをもう一度言っているだけなのか。自分の意思とはなにか、自分とはいったい……
廃人のような姿で研究室にもどってきた学者を見て、人々は彼の研究とふたつの町のことを知った。
そうして大規模かつ慎重な調査がはじまった。
原則としてふたつの町への接触は禁止された。たとえわずかでも、外部から変化を与えることは予期せぬ事態を招きかねない。
奇妙な一致を保っているふたつの町に、いつか違いが生まれるにしても、調査の結果であってはならないのだ。むしろなにが原因で違いが生まれるのか、それこそが研究対象であった。
それにしても不思議だった。住民はおなじ名前を持ち、おなじ者と結婚し、おなじ時間におなじ顔を持つ子どもを産み、おなじ名前をつけた。空にはおなじとき、おなじ場所におなじ鳥が飛び、おなじように一日が終わっていく。
学者たちの結論もつねにおなじだった。すなわち、まったくおなじ人間がおなじ条件をあたえられたとき、行動もまたおなじになるだろうと。ふたつの町はあまりの一致率のために因果関係のつらなりもおなじ。原因がおなじなら結果もおなじになるだろうと。
そうなると決定論者の出番で、すなわち世界はすべて決定されているのだ、ふたつの町のみならず、我々もまた因果関係のつらなりにより、過去、現在、未来、あらゆる行動は決まってしまっている、そこから抜け出すことは不可能なのだと自由意思を否定したが、それよりもこのふたつの町に起こったある異変の方に人々の関心は集まり、結局顧みられることなかった。
そのころ起こった異変について、学者は楽観的だった。ふたつの町がおたがいの存在を意識はじめるようになったのだ。
発端はもちろん最初の学者だ。彼はふたつの町が似ていることを告げて調査を行った。元来おおらかな住民たちであるから、自分たちと似た町があることに動揺した様子なかった。
むしろときがたつと「ふたごの町」として都市提携をむすび、おたがいの町のちょうど真ん中の場所で町長どうしが握手を交わした。
この握手を研究者たちは緊張感を持って見守った。自分とまったくおなじ顔、おなじ名前の人間が出会うとどんなことが起こるのか。
結果はあっけなかった。定型どおりの儀式が行われ、調印が済み、笑顔のままふたりの町長は帰路につき、同時におなじコメントを残した。
「これにより、ふたつの町がさらに発展することを期待します」
こんにち、この握手がふたつの町の悲劇的な崩壊を招いた原因だとは考えられていない。だが都市提携はやるべきではなかったという意見は多い。
そのころ、ふたつの町は豊かな営みをおこない、平和な暮らしがつづいていた。だが都市提携にあたってのささいな問題については解決されないままだった。
それは、おたがいをどう呼ぶかということだった。<チ町>と<チ町>の提携というのもおかしい。なにか区別をつけるべきなのか。
そこで最初の学者に話がもどる。彼を崩壊の根本的な原因にあげる者は多い。彼は現地調査のさい、ふたつの町を区別するために<チ町A>と<チ町B>と記した。有史以来まったくおなじだったふたつの町に、違いが生まれた瞬間だった。
<チ町A>の側は自分たちは<A>でいいという。しかし<B>にされてしまった側はいい思いはしない。むしろ自分たちの方を<A>にして、相手を<B>にしろという。
ほんのわずかな火種だった。<A>はもう一方を<B>と呼び、<B>の方も<A>のことを<B>と呼んだ。
どちらも相手を<チ町B>と呼び合う事態に発展したが、研究者はこの一致もまた「ふたごの町」らしいとほほえんだ。
だが笑っている場合ではなかった。まったくおなじ町であるから、自分たちが怒りを覚えているということは、相手の側もそうなのだと、必然的に理解できるのだ。
怒りが憎しみになった。最初に武器を用意したのはどちらの町か、研究者のなかでは議論にもならない。すなわち同時なのだ。
片一方が武器を増やすと、相手もおなじだけの武器を手にしている。際限のない武力の拡大だった。
無用な衝突を避けるため武力を減らせばいいという意見も出た。こちらが減らせばあちらも減らすのだ。だが、そういう平和派は我が町には多くない。ということは向こうの町でも好戦派が大勢を占めているということだ。このままでは我が町は<弱いチ町>となりあちらは<強いチ町>となってしまう。
ふたごの町の人々は、どちらが先に攻撃を仕掛けるのか、仕掛けられるのか、不安に陥った。先に攻撃された方が滅ぶ。ふたつあった<チ町>はその日、ひとつになってしまう。それが自分たちの町であってはならない。
悲劇というほかなった。
スイッチを押したのは、やはり同時だった。おなじ威力を持つおなじ数のミサイルが、おなじ空へ飛んだ。
こうして、おなじころ、おなじような土地でおなじようにできたふたつの町は、おなじとき、おなじように消滅した。
ふたつの町は、まったくおなじだった。
狩猟を行っていた集団が定住したことがはじまりで、農耕が発達し人口が増えた。自然豊かな場所で、山があり川がある。暑くなると涼しい風が吹き、寒くなるとおだやかな日差しが降りそそいだ。
どちらの町も勤勉でおおらかな人が住み、何世代にもわたって住人たちは幸せに暮らした。
あるとき、ひとりの学者が気がついた。距離的にさほど離れていない、しかし近すぎるわけでもないふたつの町がそっくりであると。
地形、面積、人口、文化、産業、すべておなじだった。調べてみると町の成立過程もおなじ、町史を読むと一字一句おなじだった。
学者ははじめ、誤っておなじ町の町史を読んだのだと思った。歴代の町長の名前までおなじだったのだ。
現地調査に乗り出すと、我が目を疑った。町のつくり、家々の並び、建物の色もおなじ。宿の亭主はおなじ顔でおなじ言葉を口にした。
「ようこそ<チ町>へ。ここはいい町でしょ?」
どちらの町も<チ町>といった。学者は区別をつけるため<チ町A><チ町B>と名付けたが、実質無意味だった。どちらもなったくおなじ、違いはひとつもないからだ。
片一方のデータをとればもう一方もおなじ。このデータは<チ町A>、このデータは<チ町B>と振り分ける必要はなかった。
最初に気づき単独で調べに入ったこの学者の功績は大きいが、こんにちその行動は軽率であったというのが定説である。
まず不用意にふたつの町に接触し、酷似してることを告げてしまった。そしてその過程において、学者自身も飲みこまれてしまったのだ。
学者に異変があらわれたのは一ヶ月もたたないうちだった。ふたつの町を往復しはじめてから、彼はしだいに、自分がいまどちらの町にいるのかわからなくなってきた。
おなじ町でおなじ住人がおなじことを言う。前に行われたことが次の町でまた起こる。彼はふたつの町の一致に気づいていたから、あえてそれぞれの町で別の行動をとることはしなかった。
おなじことをし、おなじ言葉を発し、おなじものを食べ、おなじように寝る。この町でも、次の町でも。ここはどちらの町なのだろう、いま起こっているのははじめて起こったことなのか、それとも二回目なのか。
どちらが先でどちらが後か。いま自分が発した言葉は自分の意思なのか、それとも前に言ったことをもう一度言っているだけなのか。自分の意思とはなにか、自分とはいったい……
廃人のような姿で研究室にもどってきた学者を見て、人々は彼の研究とふたつの町のことを知った。
そうして大規模かつ慎重な調査がはじまった。
原則としてふたつの町への接触は禁止された。たとえわずかでも、外部から変化を与えることは予期せぬ事態を招きかねない。
奇妙な一致を保っているふたつの町に、いつか違いが生まれるにしても、調査の結果であってはならないのだ。むしろなにが原因で違いが生まれるのか、それこそが研究対象であった。
それにしても不思議だった。住民はおなじ名前を持ち、おなじ者と結婚し、おなじ時間におなじ顔を持つ子どもを産み、おなじ名前をつけた。空にはおなじとき、おなじ場所におなじ鳥が飛び、おなじように一日が終わっていく。
学者たちの結論もつねにおなじだった。すなわち、まったくおなじ人間がおなじ条件をあたえられたとき、行動もまたおなじになるだろうと。ふたつの町はあまりの一致率のために因果関係のつらなりもおなじ。原因がおなじなら結果もおなじになるだろうと。
そうなると決定論者の出番で、すなわち世界はすべて決定されているのだ、ふたつの町のみならず、我々もまた因果関係のつらなりにより、過去、現在、未来、あらゆる行動は決まってしまっている、そこから抜け出すことは不可能なのだと自由意思を否定したが、それよりもこのふたつの町に起こったある異変の方に人々の関心は集まり、結局顧みられることなかった。
そのころ起こった異変について、学者は楽観的だった。ふたつの町がおたがいの存在を意識はじめるようになったのだ。
発端はもちろん最初の学者だ。彼はふたつの町が似ていることを告げて調査を行った。元来おおらかな住民たちであるから、自分たちと似た町があることに動揺した様子なかった。
むしろときがたつと「ふたごの町」として都市提携をむすび、おたがいの町のちょうど真ん中の場所で町長どうしが握手を交わした。
この握手を研究者たちは緊張感を持って見守った。自分とまったくおなじ顔、おなじ名前の人間が出会うとどんなことが起こるのか。
結果はあっけなかった。定型どおりの儀式が行われ、調印が済み、笑顔のままふたりの町長は帰路につき、同時におなじコメントを残した。
「これにより、ふたつの町がさらに発展することを期待します」
こんにち、この握手がふたつの町の悲劇的な崩壊を招いた原因だとは考えられていない。だが都市提携はやるべきではなかったという意見は多い。
そのころ、ふたつの町は豊かな営みをおこない、平和な暮らしがつづいていた。だが都市提携にあたってのささいな問題については解決されないままだった。
それは、おたがいをどう呼ぶかということだった。<チ町>と<チ町>の提携というのもおかしい。なにか区別をつけるべきなのか。
そこで最初の学者に話がもどる。彼を崩壊の根本的な原因にあげる者は多い。彼は現地調査のさい、ふたつの町を区別するために<チ町A>と<チ町B>と記した。有史以来まったくおなじだったふたつの町に、違いが生まれた瞬間だった。
<チ町A>の側は自分たちは<A>でいいという。しかし<B>にされてしまった側はいい思いはしない。むしろ自分たちの方を<A>にして、相手を<B>にしろという。
ほんのわずかな火種だった。<A>はもう一方を<B>と呼び、<B>の方も<A>のことを<B>と呼んだ。
どちらも相手を<チ町B>と呼び合う事態に発展したが、研究者はこの一致もまた「ふたごの町」らしいとほほえんだ。
だが笑っている場合ではなかった。まったくおなじ町であるから、自分たちが怒りを覚えているということは、相手の側もそうなのだと、必然的に理解できるのだ。
怒りが憎しみになった。最初に武器を用意したのはどちらの町か、研究者のなかでは議論にもならない。すなわち同時なのだ。
片一方が武器を増やすと、相手もおなじだけの武器を手にしている。際限のない武力の拡大だった。
無用な衝突を避けるため武力を減らせばいいという意見も出た。こちらが減らせばあちらも減らすのだ。だが、そういう平和派は我が町には多くない。ということは向こうの町でも好戦派が大勢を占めているということだ。このままでは我が町は<弱いチ町>となりあちらは<強いチ町>となってしまう。
ふたごの町の人々は、どちらが先に攻撃を仕掛けるのか、仕掛けられるのか、不安に陥った。先に攻撃された方が滅ぶ。ふたつあった<チ町>はその日、ひとつになってしまう。それが自分たちの町であってはならない。
悲劇というほかなった。
スイッチを押したのは、やはり同時だった。おなじ威力を持つおなじ数のミサイルが、おなじ空へ飛んだ。
こうして、おなじころ、おなじような土地でおなじようにできたふたつの町は、おなじとき、おなじように消滅した。
ふたつの町は、まったくおなじだった。
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