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第21話 あたらしい契約
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糸谷美南のお見舞いだと言うと、
「会えるかわかりませんよ」
受付の女性が冷たく言う。
僕は息を切らしながら、
「それでもかまいません!」
4階にあがると、ナースステーションで、若い看護婦さんが待ちかまえている。
「意識がないから話せませんよ」
「いいんです!」
看護婦さんはハッとした顔をする。
「あなた、友達なの?」
僕は一瞬考えて、
「いいえ」
友達じゃなく、しかばね先生の言葉が本当なら、彼女は未来の奥さんなんだ。
「じゃあどんな……」
「なにしてんの」
太い声がして、奥から年配の看護婦さんがノシノシやって来る。
「あ、婦長、糸谷さんのお見舞いで……」
「ダメ。帰ってもらって」
直接僕に言わず、若い看護婦さんに言う。
「でも!」
僕の声なんか聞かず、婦長と呼ばれたイノシシみたいな女は、ナースステーションの奥へいなくなる。
僕と、若い看護婦さんだけが残される。
「お願いします、会いたいんです」
若い看護婦さんが、ナースステーションをふり返る。
だれも、見ていない。看護婦さんは僕の方に顔を近づけて、
「501号室。はやく行ってあげて」
「ありがとうござます!」
僕は廊下を急ぐ。
501号室。ここだ。
そっとドアを開け、中に入る。
白一色、時が止まったみたいに静かだ。
ふたり部屋の、手前のベッドは空。その奥に、ベッドがもうひとつ。カーテンで仕切られて、ここからじゃ見えない。
ゆっくり、近づいていく。
仕切りのカーテンの、前を通る。
見えた。
小さな頭が、まくらの上に乗って、目を閉じたまま動かない。黒い髪、無垢な顔……あの子だ。図書室で会った、あの子が寝てる。
胸が痛い。心が切り裂かれる。「北条かな」と「糸谷美南」は同一人物だったんだ。
目の前で、僕の未来の奥さんが、失われようとしている。素人の僕が見てもわかる。小さい体から、生気が失われて、毎秒毎秒、死に近づいてる。
「ごめん……」
声が震える。僕が書けないばかりに、僕がしかばね先生に小説を教わったばかりに、あなたをこんな目にあわせて……。
心の底から自分を憎んだ。書けない自分を。
ベッドの端に手を置くと、白いフトンの感触があって、僕は思った。
救いたい。
絶対、なにがあっても、僕はあなたを助けます。
*
「先生! どうしてくれるんですか!」
サッカ部にもどると、いちばん奥のイスにおさまって、しかばね先生はまだそこにいる。
「どうもしないよ。言ったじゃないか、契約だよ」
「じゃあじゃあ!」
「炒め物みたいな声出さないでよ」
「じゃあ新しい契約を結びましょう!」
「ん? なに?」
「小説を書きあげます、そしたら彼女を救ってください」
「きみそれ、因果はつながってる? 小説を書くから彼女を救えって、おかしくない?」
「独自の因果です! 先生が教えてくれた!」
「独自の因果であっても、物語内では、その因果はずーっとスジとして通っていないといけないんだよ。突然出てきた不可解な因果のことではないんだよ」
「因果なんてもうどうでもいいんです!」
「いやいや、よくはないよ」
「いいんです! 先生、僕は彼女が元気になればいいんです。べ、別に奥さんにならくても……僕はただ、彼女に元気になってもらいたいんです……本当に……そのために……」
あふれ出しそうになる感情を、グッと目の奥でこらえる。
「先生、僕は小説を書きます。だから」
「それじゃあきみ、いいことづくめだよね。小説もできて、未来の奥さんもいて」
「でも僕にはいま! なにもないんです!」
夜のサッカ部に、悲鳴のような声が響く。
「欠落しか、ないんです……。だから小説を書いて、欠落を、回復したいんです……」
声はしだいに小さくなっていき、暗闇に吸いこまれて消えた。
「わかったよ」
先生の声が聞こえた。
「先生!」
顔をあげると、先生の顔はおだやかだ。
「しかたないなあ、小説を書けたら、糸谷美南を救ってあげるよ」
「本当ですか!」
「ウソだよ」
「ウソですか!」
「いやいや」先生が笑う。「それもウソ。大丈夫、ちゃんと救ってあげるよ」
「もう! ビックリさせないでくださいよ!」
「フフフ……でも大丈夫なのかな? あと1日だよね」
「そうなんですよ~」
たった1日で小説を書くなんて、できるわけない。せっかく喜んだのに、天国から地獄とはこのことだよ。
「しかたない、教えてあげるかな」
「いい方法あるんですか!」
「うん。絶対に書ける方法がひとつだけある。そのかわり、契約はまだつづいてるからね。きみはまた、ひとつ失う。それでもいい?」
漆黒の黒髪をかきあげ、先生が僕を見る。どこまでも妖しく、どこまでもやさしい笑顔。
「わかりました」
覚悟を決める。小説を書くためなら、彼女を……糸谷美南を救うためなら、僕はなにを失ってもいい。
「小説の材料は、ここにあるよ」
先生が、僕を見て言う。
「どこですか?」
「ほら、僕の目の前に」
先生の目が、白く輝く。その先には、
「僕ですか?」
「そう。きみは自分のことを小説にするんだ」
「そんな……」
「いまから小説を考えても間に合わない。でも自分が経験したことなら、話はもう決まってる。あとは書くだけだ」
「でも、自分のことを書いて、面白いんでしょうか?」
「面白い。ハッキリ言ってきみはすごい経験をしてるんだ。地獄の亡者のために小説を書くことになって、しかも書かないと殺される」
「たしかにそうですね。なによりいま、死んだ先生に小説を教わってますしね」
「そう、死んだかっこいい先生に教わってるんだよ」
「『かっこいい』をつけ足さないでください」
「さあ、この体験を小説にするんだ。締切に間に合わせるためには、これしかない」
自分のことを書く。そんなこと想像もしなかった。だけど言われてみれば、たしかにここ数週間は激動だった。
「わかりました。書きます」
「がんばるんだよ。ヘル出版のペンと原稿用紙もあるし、きっと書けるよ」
「ん? どういうことですか?」
フフフ……。先生は不敵に笑う。
「教えてもいいけど、もうひとつ失うよ」
「いいです! もうけっこうです!」
そうだ、僕は大事なものをひとつ失ったんだ。それがなんなのか、わからないけど。
「物語を途中で終わらせてはいけない」
先生が言う。
「小説は、書きはじめたら必ず完結させないと。ひとつ書き終わるごとに、能力はグンとのびる、それがきみたち作家なんだ」
「わかりました、必ず書きあげてみせます!」
気持ちが燃えあがる。
サッカ部をあとにして学校を出る。
外は暗く、僕は夜のなかに飛びこんだ。
「会えるかわかりませんよ」
受付の女性が冷たく言う。
僕は息を切らしながら、
「それでもかまいません!」
4階にあがると、ナースステーションで、若い看護婦さんが待ちかまえている。
「意識がないから話せませんよ」
「いいんです!」
看護婦さんはハッとした顔をする。
「あなた、友達なの?」
僕は一瞬考えて、
「いいえ」
友達じゃなく、しかばね先生の言葉が本当なら、彼女は未来の奥さんなんだ。
「じゃあどんな……」
「なにしてんの」
太い声がして、奥から年配の看護婦さんがノシノシやって来る。
「あ、婦長、糸谷さんのお見舞いで……」
「ダメ。帰ってもらって」
直接僕に言わず、若い看護婦さんに言う。
「でも!」
僕の声なんか聞かず、婦長と呼ばれたイノシシみたいな女は、ナースステーションの奥へいなくなる。
僕と、若い看護婦さんだけが残される。
「お願いします、会いたいんです」
若い看護婦さんが、ナースステーションをふり返る。
だれも、見ていない。看護婦さんは僕の方に顔を近づけて、
「501号室。はやく行ってあげて」
「ありがとうござます!」
僕は廊下を急ぐ。
501号室。ここだ。
そっとドアを開け、中に入る。
白一色、時が止まったみたいに静かだ。
ふたり部屋の、手前のベッドは空。その奥に、ベッドがもうひとつ。カーテンで仕切られて、ここからじゃ見えない。
ゆっくり、近づいていく。
仕切りのカーテンの、前を通る。
見えた。
小さな頭が、まくらの上に乗って、目を閉じたまま動かない。黒い髪、無垢な顔……あの子だ。図書室で会った、あの子が寝てる。
胸が痛い。心が切り裂かれる。「北条かな」と「糸谷美南」は同一人物だったんだ。
目の前で、僕の未来の奥さんが、失われようとしている。素人の僕が見てもわかる。小さい体から、生気が失われて、毎秒毎秒、死に近づいてる。
「ごめん……」
声が震える。僕が書けないばかりに、僕がしかばね先生に小説を教わったばかりに、あなたをこんな目にあわせて……。
心の底から自分を憎んだ。書けない自分を。
ベッドの端に手を置くと、白いフトンの感触があって、僕は思った。
救いたい。
絶対、なにがあっても、僕はあなたを助けます。
*
「先生! どうしてくれるんですか!」
サッカ部にもどると、いちばん奥のイスにおさまって、しかばね先生はまだそこにいる。
「どうもしないよ。言ったじゃないか、契約だよ」
「じゃあじゃあ!」
「炒め物みたいな声出さないでよ」
「じゃあ新しい契約を結びましょう!」
「ん? なに?」
「小説を書きあげます、そしたら彼女を救ってください」
「きみそれ、因果はつながってる? 小説を書くから彼女を救えって、おかしくない?」
「独自の因果です! 先生が教えてくれた!」
「独自の因果であっても、物語内では、その因果はずーっとスジとして通っていないといけないんだよ。突然出てきた不可解な因果のことではないんだよ」
「因果なんてもうどうでもいいんです!」
「いやいや、よくはないよ」
「いいんです! 先生、僕は彼女が元気になればいいんです。べ、別に奥さんにならくても……僕はただ、彼女に元気になってもらいたいんです……本当に……そのために……」
あふれ出しそうになる感情を、グッと目の奥でこらえる。
「先生、僕は小説を書きます。だから」
「それじゃあきみ、いいことづくめだよね。小説もできて、未来の奥さんもいて」
「でも僕にはいま! なにもないんです!」
夜のサッカ部に、悲鳴のような声が響く。
「欠落しか、ないんです……。だから小説を書いて、欠落を、回復したいんです……」
声はしだいに小さくなっていき、暗闇に吸いこまれて消えた。
「わかったよ」
先生の声が聞こえた。
「先生!」
顔をあげると、先生の顔はおだやかだ。
「しかたないなあ、小説を書けたら、糸谷美南を救ってあげるよ」
「本当ですか!」
「ウソだよ」
「ウソですか!」
「いやいや」先生が笑う。「それもウソ。大丈夫、ちゃんと救ってあげるよ」
「もう! ビックリさせないでくださいよ!」
「フフフ……でも大丈夫なのかな? あと1日だよね」
「そうなんですよ~」
たった1日で小説を書くなんて、できるわけない。せっかく喜んだのに、天国から地獄とはこのことだよ。
「しかたない、教えてあげるかな」
「いい方法あるんですか!」
「うん。絶対に書ける方法がひとつだけある。そのかわり、契約はまだつづいてるからね。きみはまた、ひとつ失う。それでもいい?」
漆黒の黒髪をかきあげ、先生が僕を見る。どこまでも妖しく、どこまでもやさしい笑顔。
「わかりました」
覚悟を決める。小説を書くためなら、彼女を……糸谷美南を救うためなら、僕はなにを失ってもいい。
「小説の材料は、ここにあるよ」
先生が、僕を見て言う。
「どこですか?」
「ほら、僕の目の前に」
先生の目が、白く輝く。その先には、
「僕ですか?」
「そう。きみは自分のことを小説にするんだ」
「そんな……」
「いまから小説を考えても間に合わない。でも自分が経験したことなら、話はもう決まってる。あとは書くだけだ」
「でも、自分のことを書いて、面白いんでしょうか?」
「面白い。ハッキリ言ってきみはすごい経験をしてるんだ。地獄の亡者のために小説を書くことになって、しかも書かないと殺される」
「たしかにそうですね。なによりいま、死んだ先生に小説を教わってますしね」
「そう、死んだかっこいい先生に教わってるんだよ」
「『かっこいい』をつけ足さないでください」
「さあ、この体験を小説にするんだ。締切に間に合わせるためには、これしかない」
自分のことを書く。そんなこと想像もしなかった。だけど言われてみれば、たしかにここ数週間は激動だった。
「わかりました。書きます」
「がんばるんだよ。ヘル出版のペンと原稿用紙もあるし、きっと書けるよ」
「ん? どういうことですか?」
フフフ……。先生は不敵に笑う。
「教えてもいいけど、もうひとつ失うよ」
「いいです! もうけっこうです!」
そうだ、僕は大事なものをひとつ失ったんだ。それがなんなのか、わからないけど。
「物語を途中で終わらせてはいけない」
先生が言う。
「小説は、書きはじめたら必ず完結させないと。ひとつ書き終わるごとに、能力はグンとのびる、それがきみたち作家なんだ」
「わかりました、必ず書きあげてみせます!」
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