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【3rd】BECOME HAPPY!

久遠の呼び声

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(1)
 声が。

 ──……ニ……………………──……──レル……──

 誰かの声が聞こえ、ミラノの意識はうすぼんやりと半覚醒をする。
 自分の体を感じられないそこは、真っ暗闇の世界。
 目を開いているのか閉じているのかさえわからず、上げる手の感覚も無い。
 だが、この闇には覚えがある。
 リヴァイアサン襲来に呼び起こされる前、見ていた夢。その世界とよく似ている。
 ネフィリムは、召喚霊であれ召喚獣であれ、召喚が解かれている時は、“霊界”に居ると言っていた。
 召喚霊のリャナンシーは“霊界”を真っ暗だと言っていたと。
 だとしたら、ここが“霊界”という場所なのだろうか。
 “霊界”であったとしても、なかったとしても──“霊界”というものが何なのかわかりもしないので、どうしようも無い。夢ならば、さっさと覚めてくれたらいい。
 この後目を覚ました時、どれほど時間が経っているのだろうか。
 以前この状態にあった後、リヴァイアサンを前に目を覚ました時は、2日経っていた。
 目を覚まして、そこはパールフェリカの部屋なのだろうか。
 何事も無かったかのように、自分の世界の、アパートだろうか。
 わからない事ばかり。それは、不安の種でしかない。
 わかっていれば、ある程度ストレスは軽減できるものの、生きているのか死んでいるのかなどというレベルにまで話が及んでは、胃の辺りにチクチクと差し込むものがある。
 召喚獣や召喚霊に詳しいというネフィリムに聞いて、あの結論だ。
 覚悟というものを胸に刻もうとするものの、そうやってチクチクと痛みで抵抗をする。これが、生きようとする本能の現われなのだろうと感じる。諦めるなと。
 だが、どこに活路を見出せばいい。
 この世界へ来たばかりの頃の記憶を、ミラノは繋ぎ合わせる。
 実体を持つものとしての魂の導きとやらによって、ミラノは実体を与えられているらしい。だからこそ、死ぬようなダメージを受けても、再召喚によってもう一度実体を与えられれば、姿を現す事が出来るという。
 自分が召喚獣か召喚霊かであるならば、いわゆる“霊”とか“魂”という存在になっているのだろう。ならば、元の体へ戻る事を考えれば良いのだろうか。それが即ち、元の世界へかえるという事に、なるのだろうか。
 そうだとしても、一体どうやって──どうやったら、かえれるの?

 ──……オイテ……イカナイデ……──

 ゆっくりと、瞼を持ち上げた。
 やや霞がかった視界の先には、薄桃色の垂れ布。少し動かせば、窓が見える。空は夕日に染まるつつある。椅子、テーブル、楽器。テーブルの上に裁縫箱は、ダイアモンドのネックレス。そして膝の上に“うさぎのみーちゃん”。自分の衣服は、パールフェリカに着せられたもので、アクセサリがジャラジャラとぶら下がっている。
 パールフェリカの部屋。
 いつから意識を失っていたのか、いまいちわからない。
 エルトニティを見送って、再び“みーちゃん”のピコピコクッションを外して縫おうとしていた。その辺りから、記憶が無い。
 溜め息を我慢して、ふと胸元を見た。
 ネックレスのペンダント部分。クーニッドの水晶とやらが、うっすらと光っていて、じわじわ輝きが失われていくところだった。
 完全に光が消えるまでじっと見つめて、そっと指先で触れる。冷たい。
 次第に、意識がはっきりしてくる。
 ぼそぼそとした話し声が耳に入り始める。
「──では、すぐに」
「頼む。急いでくれ。レザードが戻るまでは私がここに居る」
「はい」
「……パールの姿が無いようだが。ミラノは──」
「ソファでお休みになっています」
「……寝ているのか?」
「ええ」
「召喚獣や召喚霊が眠るなど、聞いたことも無いが……」
 眠る、すなわち“霊界”への帰還になる。
「ああ、それから……エルトアニティの置き土産は?」
「あちらに──では、行って参ります」
「頼む」
 扉が開き、鎧の音と共に足音1つ、離れていく。すぐに、静かな足音が近づいてきた。ソファを回り込んで、ネフィリムが現れた。ミラノはそちらを向いていたので、目が合った。
「……おはよう。良い夢は見れたかな?」
 一瞬驚いた表情を見せたネフィリムだが、すぐに微笑んだ。
「──おはようございます。もう、夕方のようですが……」
 ネフィリムを見上げるミラノの動きがふと、止まる。
「何かな?」
「少し、疲れていますね。お忙しいのですか?」
「……わかるのかい?」
「何度かお会いしていますし、その程度の違い位……」
 そう言うミラノに、ネフィリムは苦笑する。
「私はあまり気付かれた事がないのだけどね。ミラノはきっと鋭い……観察力がある、という事なのかな」
 ソファの右端に座るミラノとは反対側の端に、ネフィリムはどさりと腰を下ろした。
「それは……言われた事がありますね。社交辞令程度で受けとった記憶があります」
「あれ、じゃあ今もそういう風に受け取っている?」
「そうですね」
 淡々と言うミラノに、ネフィリムは顎を下げて微笑う。
「シュナの事もあるが、やはり私は──」
「勘弁してください」
 ネフィリムの言葉の上へ、ミラノは重ねるように言った。声は混ざり、何を言ったのか有耶無耶に消える。
「…………」
「…………」
 しばしの沈黙の後、ネフィリムは座りなおすと、両肘を両膝に置き、手を組んだ。
「……シュナには申し訳ないがやはり私は──」
「そうですか、申し訳ないですか。ではさっさとその邪念は捨ててください」
 さすがに無視しきれず、ネフィリムの表情が歪む。苦笑を浮かべている。
「邪念て…………」
「他に何と呼べば良いですか?」
「えー……………………あー……いい、邪念で」
 ネフィリムは肘掛に左肘を置くと、その手に顎を乗せて姿勢を崩した。視線をじわじわとオレンジ色に染まる窓へ向けた。
 その横顔に、ミラノの静かな声がかかる。
「そもそも」
 声にネフィリムは目をミラノへ戻した。
 ミラノは膝の上に“うさぎのみーちゃん”を座らせ、緩く抱いている。乱れた方向にある耳を見て、ゆっくりと正しい位置に戻す。
「その手の事は、現状、考えたくないと思っている所なのです。私が最後まで聞かない事にあなたも疲れるでしょうが、私もそれなりに、疲れます」
「…………どういう意味かな?」
「パールに召喚される前日、私は付き合っていた男と別れました」
 ミラノは顔をネフィリムに向ける。
「これで理解していただけますか?」
「ほう」
 ネフィリムは肘置きから身を起こした。
「…………なぜそこで笑うのでしょうか。大体わかりますが」
 にやにやと、ネフィリムは問う。
「ふったの?」
「逆です」
「君が?」
「ええ」
「………………なんだか想像つかないな」
「ともかく、邪念はさっさと捨て去ってくださいね。お互いの為にそれが一番良いと思います」
「ミラノは結構キツイ事を言うなぁ」
「早めの方が、傷は浅いでしょう?」
「…………こればっかりは難しいな」
 ネフィリムは曖昧に笑う。それを黙殺して、ミラノは“みーちゃん”を逆さまにすると足裏の修復にかかった。
「それならば──」
 言ってネフィリムはテーブルに手を伸ばす。エルトアニティの置いていったネックレスをつまみ上げた。
「エルトアニティ王子に心動かされる事も無い?」
 それはポーカーフェイス。
「──ありませんね。あの人は……策略家きどり、といった印象です、私にとって」
 無表情だったネフィリムは一気に吹いた。眉をひそめて笑っている。
「ミラノの目にはそう映るのか、そうか」
「……アザゼルさんを召喚している所を、エルトアニティ王子に見られたのですが、その話は?」
 ミラノの言う“アザゼルさん”とは“七大天使”の長、孔雀王アザゼルの事だ。
「聞いている」
 おさめようとしつつ、まだ声をだして笑いながらネフィリムは返事をした。
「あの人の目的はアザゼルさん。今日はイスラフィルさんも呼びましたから、それも、ですか」
 ふうとネフィリムは笑みを消して、頷く。
「アザゼルとイスラフィル、私も見た。ミラノが召喚した所を見ていたら、あの王子は動くだろうとは思っていた。……ミラノは、これを受け取ったんだね?」
「そうですね。返したいのですが」
「……意味も無いから、やめておく方がいい」
「ですが、高価なものですよね。私は受け取るつもりも無かったのですが」
「エルトアニティにとっては大したものではないさ。ただの、次会う為の“口実”にすぎない。ミラノが返したいから会って欲しいと言って来るのを待っているか、その内こう言ってくるだろう。──返して欲しい、あるいは借して欲しいからどこそこに持ってきてくれないか、とね」
「…………」
「私はそれでミラノを連れ去られるのはご免だね。エルトアニティはミラノが召喚獣だと気付いていないから、その時点でパールに召喚を解かせ、こちらで再召喚すれば問題無いでも無いが。そうするとミラノが召喚されたものだとバレてしまう」
 ネフィリムの言葉にミラノは納得する。
 自分がスケープゴートになる分には良いが、その結果パールフェリカが召喚主だとバレる。パールフェリカが主だと念を押しすぎた。13歳になったばかりのパールフェリカに、狙いを定められる。
「パールを直接狙われるよりはずっとマシな話ではありますが……面倒臭いですね」
「ああ、本当に面倒だ。だからミラノ、これ以上は召喚術は使わないで欲しい」
「……何か、来るのですか?」
「一歩先を言うかい?」
 ミラノの問いにネフィリムは笑った。
「この部屋の窓からは見えないが、王都上空に巨大な魔法陣が現れた──リヴァイアサンの時と同じものだ」
「では、“神”の──」
 ネフィリムが頷き、ミラノは窓の向こうの紅く染まりつつある景色を見た。
「以前と同じ事が出来ると思いますが」
「それでも使わないで欲しい。私の方で、なんとでもする」
 ──“神”の召喚獣だけではない、プロフェイブからも、護る。



(2)
 結局、ミラノが首から下げているネックレスの事など、完全に忘れている。
 パールフェリカは、空中庭園の真ん中でぼんやりと座っていた。
 空が赤く染まるのを遮るように、魔法陣は王都と空の間を白色に輝きながら、広がっていく。
 王都全体を覆う巨大な魔法陣は、ゆるゆるとゆるゆると回転している。
 いつものパールフェリカなら、見つけた途端走り出してだれかれかまわず呼びかけ、空を指差し騒いだかもしれない。
 ──リヴァイアサンの時のようにミラノがなんかして、私がグッタリして、それで終わるわよ。
 庭園中央にある噴水の淵に腰を下ろして、パールフェリカは腕を伸ばし、指先で水を弾いた。
 噴水の外観は白い石材で出来ていて、細かく幻獣などの彫刻が施されている。
 円形で3段の水受けの池部分、噴水口は全部で5段あって、それぞれ違う角度で水を噴出している。天辺の噴水口が一番たくさんの水を高く、広く噴き出している。それは、夕日を受けてオレンジに染まり、飛沫は光の欠片のように美しく、パールフェリカの視界を彩る。
 少し離れたところ、と言っても10歩以内ではあるが、エステリオが控えている。
 森の中の、巨城エストルク。その3階にある空中庭園。数多くの植物、花が、ところ狭しと植えられ、育てられている。新緑の清々しい、また色とりどりで大きく小さく咲き誇る花達の、甘く優しい香り。
 広さはパールフェリカの部屋の10倍程で、城の庭園と言うには狭いが、建物の中に作られた人工的なものとしては広い方だ。
 ずっと続くドドドという噴出音と、ばしゃばしゃと落ちる水音に耳を傾け、パールフェリカは口を尖らせている。
 波紋が寄せては返す縁で、指の付け根までを水に浸して、ゆらゆらとした感触に任せる。水面には、表情の無い、だらけた姿が波紋の形に歪んで映っていた。口を、引き結んだ。
 ──シュナにいさまも、ネフィにいさまも、本当にすごいわ……。
 シュナヴィッツがいつも怪我まみれになりながらも前線を駆けるている事は、よく知っている。サルア・ウェティスでいつも戦いに明け暮れていた事も聞いている。
 ネフィリムが朝から晩まで、父王の補佐だけに留まらず、政のあらゆる事に絡んで国の為に走り回っている事も──母をあまり知らないシュナヴィッツとパールフェリカ2人をとても気にかけてくれている事も、知っている。
 兄ら2人とも、あれやこれやと忙しいのに、自分を鍛錬する事も忘れない。自分の方が疲れてるのに、ちゃんとみんなを労う。
 みんな、その姿勢を見ているから、決して2人を悪く言ったりしない。心底から、敬意をもって頭を垂れる。
 パールフェリカとて、わかっている。
 ──ミラノも、召喚するものだとか分けて考えても、すごいの。
 本当は右も左もわからないはずだ、ここはミラノにとって異世界なのだから。なのに、常に毅然として、落ち着いている。“飛槍”の連中に捕まった時だって、おろおろしたりする事も無く、普段静かなのに、動くと定めると迷い無く堅実に行動する。
 召喚術の事を分けて考えても、すごい。“人”の形をしていても、“ぬいぐるみ”の形をしていても、ミラノは何も変わらなかった。
 ならば、自分にだってあっていいはずだ、いや、あるべきだ。
 誰にも聞こえないごく微かな声で、呟く。
「お姫様という以外で……私って……?」
 優れた兄達を、今たくさんの人達が認めようとするミラノを、ただひがむよりも先に──。
 水に浸していない方の指先で、もてあそぶように唇に触れた。
「私だけの………………私である……何か──」
 しばらくぼんやりと水面を眺めるばかりのパールフェリカ。
 ゆっくりと、エステリオが近付く。
「姫様、そろそろ戻りましょう」
 言ってエステリオは空の魔法陣を見上げる。
 脳裏には、兄アルフォリスの言葉。近い内に“事”があると、姫を護れ、と。もちろんそれが役目だし、そうでなくとも護ると決めている。だが、兄の言う“事”とやらは、“神の召喚獣”襲来らしい。先日のリヴァイアサンの破壊力を思えば、自分は姫を抱えて力いっぱい逃げるしかない。時を、見極めておかなければ。
 ガミカが、モンスター達の大陸“モルラシア”に海を挟んで面しているとはいえ、こう連日襲撃があるのはおかしい。
 それも“神”の召喚獣が立て続けに……。
 サルア・ウェティスの次は、王都を直接だ。
 パールフェリカの誕生日、初召喚の儀式によってミラノを召喚した日。
 ──ガミカの歴史でも本当に稀だった、ワイバーンの襲撃に端を発し、“神の召喚獣”リヴァイアサン顕現、さらに今日、再び王都にまでモンスター達が攻めてきた。そして今、空には巨大な“神”の召喚魔法陣。エステリオは唇を噛んだ。
 ──何かが、引き寄せている……?


 パールフェリカが部屋に戻ると、入ってすぐのところにネフィリムの護衛騎士であるレザードが控えている事に気付いた。まだミラノの護衛を解かれていないようだ。
 部屋の中央には、兜だけ外して、隙間のほとんど無いフルアーマーに身を包んだシュナヴィッツが居た。
 ソファの近くで、シュナヴィッツから1歩の距離にはミラノが立っている。2人は話をしていたようだ。
「あれ? シュナにいさま、どうしたの?」
「……いや……」
 シュナヴィッツは身を動かさず、ミラノを見て目を細めたが、振り切るように扉の方を向いた。
 がしゃがしゃと鎧を鳴らし、扉の前に立つパールフェリカの傍へとやって来る。ごつごつした手甲をしていて、分厚いグローブに包まれた手で、パールフェリカの頭をそっと優しく撫でると、部屋を出て行った。
「?」
 何の言葉も無かった。パールフェリカはミラノに駆け寄った。
「ね、ミラノ。シュナにいさまどうしたの?」
「……どうしたのかしらね」
 ミラノは視線を落とした後、ソファの右端に戻って腰を下ろした。“うさぎのみーちゃん”のピコピコクッション外しも、あと数針で終わるようだ。
 その裁縫道具の横にあるダイアモンドのネックレスに、パールフェリカは気付いた。
「あれ? これどうしたの?」
「……もらったの」
「あ、エルトアニティ王子様?」
 ととっと駆けてミラノの横に座り、パールフェリカはネックレスを持ち上げてまじまじと見る。
「エルトアニティ王子様ってあれよ、この大陸でも1,2を争う大国の、第一位王位継承者なのよ? ミラノったらすごいわね! モテモテ!?」
 いつものようにあっけらかんとした声で、言えているはずだ。笑顔でパールフェリカはミラノを見上げた。
「………………」
「…………ミラノ?」
 疲れた顔でミラノは一度、瞬いた。ミラノを覗き込み、パールフェリカも真顔になる。
「どうしたの?」
 ミラノは中指を眉間にそっと当てて目を閉じた。
「…………」
「?」
「パール」
「何?」
 身を乗り出すパールフェリカを、額から手を離したミラノが見下ろす。
「──もうすぐ“みーちゃん”の足も直るから、そろそろ“人”にしっぱなしという修行をやめない?」
「なんで? 私はめきめき強くなっていってると実感してるのに!」
 正直なところ、普段と大して違わない。ミラノの希望を断って、ちょっと意地悪を言ってみたのだ。
「………………」
 いつもと変わらない感情の薄い表情に違いはないのだが、どこか違う。想像以上に、ミラノは辛そうに見えた。何かあったのだろうか。
「でも…………もし……」
 そういう顔は、見ていたくない。パールフェリカは、まず自分から笑顔を向ける。
「ミラノがその方がいいって言うなら、修行、我慢するわよ?」
 そう言うと、ミラノはこちらを向いて笑みを作った。
 パールフェリカには、その曖昧な──さまざまな感情の入り混じった──微笑の意味が、わからなかった。
「──ちょっと、いいかしら?」
「?」
 返事をする前に、ふわりと、言葉に言い表しがたい、空気のように柔らかく、温かな香りがそっと身を包んだ。ミラノが、両手を伸ばしてパールフェリカをぎゅっと抱きしめたのだ。
「え…………………………? ……あ…………あれれ? ミ、ミラノ? …………どうしたの??」
 慌てて問うパールフェリカだが、答えは無い。こめかみ辺りにミラノの顎が当たっている。おろした艶やかな黒髪がさらりと目の前に流れて来た。ミラノの鼓動は、胸からは少し離れているせいか、聞こえない。
「…………」
「んー……よしよしー」
 パールフェリカは、ミラノの腕の下から右手を回してその後頭を、左手は背中を、ナデナデしてあげたのだった。



(3)
 パールフェリカの部屋を出て、廊下をしばらく進んで角を曲がった。衛兵から見えない場所で、シュナヴィッツは静かに壁にもたれかかった。左手は兜を持っているので、右手で額を押さえた。
 ──本当はその真横に居て、護りたい。
 刻々と、時が過ぎれば過ぎる程、その傍に居たいという気持ちが膨れ上がる。離れたくない。
 ──……誰にも…………。
 シュナヴィッツはそれを押さえ込み、額から手を下ろした。
 何よりもまず国を護る。父王を、兄を護る。
 自分の役割はまずそこにあったはずだ。
 一人で居たら、いらぬ考えが広がる。
 シュナヴィッツは足早に歩き、しばらくして広い廊下に出る。
「シュナヴィッツ殿下!」
 声に振り返れば、別の角から兜だけ手にして、フルアーマーの男がガチャガチャ音をさせながら駆け寄って来る。シュナヴィッツは彼が隣に来るまで待ち、並ぶと2人で歩き始めた。
「スティラード、早かったな」
 シュナヴィッツはホッとして、男を見た。
 薄い青紫の鎧に身を包むこの男の名をスティラードという。シュナヴィッツの2人の護衛騎士の内の1人だ。
 護衛騎士らの中では最年長の28歳、実戦経験も豊富だ。ネフィリムがサルア・ウェティスを任されていた頃の護衛騎士として、共に詰めていた。その後、シュナヴィッツがウェティスでの常勤に代わる。スティラードは王都へ戻らず、ネフィリムの命でシュナヴィッツの護衛騎士に異動した。
 騎士の中で最上位にあたる親衛騎士の精鋭にあって、その最年長であるスティラードは、全ての騎士達の一番人気。ガミカで最も憧れを抱かれている騎士である。そういった事情から、サルア・ウェティスで彼の意見は重要視されている。
 一番人気の騎士とはいうが、召喚獣が優れていた事による庶民からの成り上がり。貴族様との交流を嫌がって前線を好むスティラードは、事務仕事が得意では無い。がさつと言えば言葉は悪いが、おおらかで爽快な男だ。日に焼けた肌に短く刈り込んだ金髪、淡い翠の瞳をしている。
「ブレゼノは?」
 シュナヴィッツの問いにスティラードはタハハと笑った。
「もうネフィリム殿下の使いっ走りしてますよ。シュナ殿下の護衛でも容赦無し、あの方は相変わらず人使いが荒い!」
 言葉には、親しみが込められている。
「俺は一度シュナ殿下に顔を見せて来いっ言われて来てます。それかーら……アルフは、国王陛下とネフィ殿下の間を行ったり来たりしてるようですし、リディクディは殿下の傍で控えていますね。エステリオはパール姫から離れないでしょうし。あれ? レザードはどこに居るんだ……?」
 最後は独り言のように呟いた。
「レザードはミラノの護衛についている」
「ミラ……ああ、あの不思議ネーちゃんですか」
「不思議?」
「リヴァイアサン、還したでしょう?」
 ミラノの事らしい。シュナヴィッツにとっては既に不思議と呼べる存在ではなくなっていたので、ピンと来なかった。スティラードはリヴァイアサン襲来の際もサルア・ウェティスに居て、便乗したモンスターに抗する軍を指揮していた。
「ああ──それは、内密という事になっているから」
「大丈夫です、他言はしませんよ。それはそうと、今回もそうなるんですか? 殿下」
「今回は──ならない」
「えっ。マジですか。今回も“神”の召喚なんでしょう? 戦うんですか?」
「仕方ないな」
「なんでまた……」
「エルトアニティが来ている」
「げ……また首つっこんできてんですかぁ。大国かざして鬱陶しい限りですねぇ」
 堅っ苦しすぎないスティラードのあけすけな物言いに、シュナヴィッツは笑った。
「気持ちはわかるが、言うな」
「まぁいざとなったら、不思議ネーちゃんに頼るんでしょ?」
「どうだろうな。兄上はなんとかするつもりでいるみたいだが。荒野のサルア・ウェティスとは事情が違う。ここは王都だ。民は既に避難を進めている……。返還が可能ならば、それが一番被害は無いと思うのだが」
 それが成功するかどうかは、不思議ネーちゃんことミラノにさえわからないだろう。いつも“やれば出来た”と言う位、本人が不確かに危ない橋を渡っているという感じだ。ふと、記憶の中のミラノの、笑みやら涙やら、いくつもの表情が蘇ってきて、シュナヴィッツはあわててこめかみを2度トントンと打って追い出した。
「ネフィリム殿下が采配できなくとも、可能性のある手段であれば、国王陛下が下命されますかね。しかし、サルア・ウェティスを飛び越えて、いったいどうやって大量にモンスターが流入してるんでしょうかね。モルラシアから王都へのルートは、サルア・ウェティスを通るのが最短なんですが。昼間、来たんでしょう? 確かに今ウェティスが受けている被害──復旧状況では、完全に食い止める事は出来ないんですが……」
 モルラシアはモンスター達の住む大陸の名称だ。人間の住む大陸は、アーティアという。
「昼間の襲撃のモンスターはすべて、召喚獣だった」
 倒したモンスター達の遺体が消滅し、そこらに転がらなかった事から推定をしていたが、“七大天使”アザゼルから聞いた話をミラノがネフィリムに報告して事実となった。
「へ? モンスターが召喚獣を召喚? それは無いでしょう? 召喚術は人間に与えられた技であって──」
「もう1点。あの数を召喚するのなら、少なくとも2000人は人間が居たはずだが、どこにも居なかった。ついでに言うならば、あれだけの大きさの召喚獣を召喚できる人間を2000人以上抱えている国は、無い。大国プロフェイブでもせいぜい100人ってところだろう」
「……どういう意味です?」
「つまり、兄上が言うには、“神”が関与しているのではないか、という事だ」
 シュナヴィッツの言葉に、スティラードは一瞬声を詰まらせる。
「それは……また……。昼間のモンスターは不思議ネーちゃんが追っ払ったんですよね?」
「……ああ」
「また来ない、とは言い切れないんですよね、原因わかってませんし」
「そうだな」
「あの巨大な魔法陣から、また“神”の召喚獣が出てくるんでしょう? ……何考えてんだ……?」
 また独り言のように言って、スティラードはがしがしと短い髪をかいた。
「ちぃっとネフィリム殿下の所へ行って来ます。シュナヴィッツ殿下はこの後どうされます?」
「僕は飛翔系召喚獣を率いるのに空に居る。もちろんティアマトだ、すぐに見つけられるだろう?」
「ええ。では急ぎ合流します。それまで無茶しないで下さいね!」
 スティラードはそう言って元来た廊下を引き返した。


 夕日がじわじわと地平線へかかる頃、木々の間で膝を折って休むペリュトンに、もたれるようにして目を瞑り座っていたレイムラースが、上半身を起こした。
 アザゼルらに召喚したものを全て砕かれ、強制解除されてしまった後、回復の為そのまま森へ下りて休んでいた。首を前に倒していたので、頬にかかる黒髪を何度か撫でて整え、立ち上がる。ペリュトンも鼻を持ち上げ、体全身を揺らし、立ち上がる。
 レイムラースは木々の間からガミカ王都上空を睨む。
 朱色に染まる雲は糸のように細く、遠く見える。
 その手前、じわりじわりと回転していた魔法陣が、一瞬止まったように見えた。目を細めて見た時、勢いをつけてぎゅるっと激しく回り始める。その文様は既に確認出来なくなったが、“神”の召喚陣に間違いない。
 回転とともに魔法陣はさらに巨大化していく。
 白く光るその魔法陣は、夕日の色さえ弾き飛ばしていく。
 ごんごんと、大気が揺るぎ始めた。
「きたか……」
 レイムラースは、付き従おうとするペリュトンにさらりと手をかざし、呪文を唱えて青紫の魔法陣を生み出すと、還してしまう。
 再び空の魔法陣を見上げる。
「“人間”を守護する“七大天使”アザゼル。私は忘れたわけじゃないさ。“神”がおかしいのだ。“人間”にばかり──。“モンスター”をも創造しておきながら……!」
 独り言。それは、他の誰でもない、自分に聞かせる為のもの。レイムラースの白目が次第に濁り始める。
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 伸びた影から、6枚の蝙蝠のような大きな翼が、粘着質の液体から浮かび上がるように、生えてくる。
 ──“人”の形は、より人間を知る為、人の中へ潜り込むため使用していたが、もういい。アザゼルを、“七大天使”を召喚できるものがいるのならば、これ以上人間を知る必要もない。
 梟に似た目元と頭、口元は蛇のそれ。狼の腕と胴体が這い出し、翼がバサリと一度羽ばたく。大きな鱗の太い蛇の尾がずるりと影から一気に飛び出した。黒い6枚の翼がばさりばさりと空気を叩き、その重い体を地上へ全て持ち上げ、あらわにする。
 大きさはアザゼルらと変わらないが、その姿は人を畏怖させるに十分の迫力を持って、どす黒い水蒸気のような熱気を辺りに放っている。
 “モンスター”の被害を最小とする為、“人間”の飛槍とかいう連中を飼ってはみたが、もういい。まだるい事はする必要がない。
 アルティノルドも先日そう判断したから“リヴァイアサン”を召喚して“神”を召還させようと挑発したのだ。そうに違いない。
 それまでレイムラースと呼ばれていた“人間”の姿のすぐ上に、異形ながら、背に6枚の翼を持つものが顕現する。
 堕天使レイムラースである。
 醜悪な姿で、声は濁り、人にとって聞き取り難いものになっている。
「どこにいる。“七大天使”を召喚するもの。アルティノルドの召喚獣を退け、その力を示せ……」
 ばっと広げた6枚の黒い翼で一気に空へと上昇した。
 憑依していた“人間”を山中に捨て、異形の天使レイムラースは巨城エストルクを睨む。
「その力あるならば……“神”を召還する事も可能だろう!?」


 ごんごんと腹に打ち据えてくる低い音が、大地すらも揺らしながら王都を包む。
 その低い音に混じって、声らしきものが聞こえ始める。

 ──……ダレニモ……──

 それまでの晴れた夕日を覆うように、どす黒い雲がどこからともなく現れて空を埋める。湿った温い空気が緩い風となって吹いている。
 低い低い旋回音と共に、上空にある魔法陣。
 ──その底面。
 地上の人々に見せつけるかのように、黒い影が蠢き始める。
 いくつもの声が反響を繰り返して、ぶれながら重なる。
 次第に声は、あわさる。

 ──……ダレニモ……ワタサナイ……──
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