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【1st】 Dream of seeing @ center of restart

召喚?ヤマシタミラノ

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(1)
 アルフォリスと呼ばれた護衛の男は飛び立ってから30分も経たない内に慌てた様子で戻った。
 エステリオが“うさぎのぬいぐるみ”を抱えてこの城に入った時のように、ヒポグリフが屋上に足を付き、勢いを殺しきれず駆けている途中でアルフォリスは飛び降りる。ととっとたたらを踏んで、片手をぐるりと回してバランスを取った。
 聖火を護る男らは10名程度居るのだが、彼らから距離を置いて、アルフォリスはネフィリムに報告をした。ネフィリムは耳を疑ったようだ。やや声を上擦らせる。
「飛翔系で、500?」
 その時、ミラノはまだ屋上でネフィリムと居た。居たというよりも、無くならないようにと荷物のように抱えられたままだった。無くならないようにと言うのはミラノにとっては心外極まりないが、この城で迷子になる自信ならあった。
 何とはなしの“召喚獣”について話を聞き、彼らが“異界”だという日本との接点を探していた。ネフィリムは“召喚獣”や“召喚霊”に大変興味があるらしい、好きなものを語るという事を厭う人はあまり居ないので、ミラノが期待する以上に色々と話してくれた。
 ネフィリムは聖火の管理だと言って、主賓客を招いた昼食会を辞退していた。フェニックスから“くさい”という報告が無ければ行くつもりはあったらしい。フェニックスからの報告というものが、あの見つめあっていた間に行われたのだとして、一体どうやって伝えあったのか、ミラノには不思議でならない。
 国内外からの賓客への昼食会には、パールフェリカ、ラナマルカ王、先ほど空中演舞を披露したティアマトの召喚主シュナヴィッツが列席しているという。
 アルフォリスが戻ったのは、ネフィリムが聖火警備の男らと昼食を取っていたところだった。
 ネフィリムは、つまり王子である。彼を見る限りこの国の“王子”というものはミラノのイメージするガッチガチの身分や完璧に固めつくされた形式というものにあまり縛られている感じは無く、ざっくばらんとした印象がある。これがネフィリムの人徳なのか、今この作業場だからなのかはわからないが、大企業の社長と平社員というイメージではなく、現場で一緒に汗水垂らす小企業の社長と従業員といった、冗談も交えるような砕けた印象で、仲間のように打ち解けた雰囲気があるのだ。用意していたのであろうバスケットからサンドイッチのような調理パンを出して一緒に食べて、笑っていた。
 広場や町並みはこの大きな祭りを謳歌し、出店やら観覧にとごった返した人々の声で溢れ、賑わっている。
 背後で聖火を護る役割の男達が、街に溢れるものとは異なる声音でざわつく。
 少し、漏れ聞こえてしまったか。
 聖火という点で話をするならば、王都警備網をそれらが抜けてきて聖火をもし消しでもしたならば、パールフェリカは不吉の子、モンスターを、災厄を呼ぶ子というレッテルを貼られる。国中をまことしやかにこの噂が駆け巡れば、民らはパールフェリカを厭い、さらにこの国を行き来する商人らが来なくなる、遠からず、モンスターに滅ぼされる国だと。
 聖火は、絶対に護らなくてはならない。今はネフィリムが居るのでフェニックスが倒されない限り消えないという思いがあるため、悲壮感は無いが、彼が居なかった時代、フェニックスが居なかった時代は聖火に関して、人々は神経質すぎるほど心を傾けたものだ。
「わかった。アルフは急ぎこの旨、陛下に奏上してくれ。それからシュナにブレゼノを北の要所サルア・ウェティスへ戻すように伝えくれ、500もの飛翔系が抜けたとなると陥落か……いや、シュナはスティラードをウェティスに残して来ただろうから何とかもって……壊滅は免れているはずだ。……ティアマトとマンティコアが抜ける今日を狙われたか──。シュナの護衛はお前が引き継いでおいてくれ」
「………………」
 ミラノは聞かなかった事にした。色々な意味で、聞くべきでないと囁く心の声がある。
 名詞があまりにも多すぎるから、スルーである。
 わかったのはシュナヴィッツの愛称と彼の召喚獣位だ。そこまではまだいい。
 あまりにも不吉そうな単語がある。“壊滅”だなんて、何の話だ。
「ネフィリム殿下は?」
「私はしばらくここから動けないだろう、何も無いなら城内にさえ居れば聖火も問題は無いのだが……もし防衛ラインを突破されでもしたら直接“炎帝”を動かさなければ……」
「いえ、王都内で、聖火維持の為、この場所から大きく動かせないフェニックスでは無理があります。逆に敵を呼び寄せてしまう可能性も……。ネフィリム殿下はレザードにアンジェ姫をエスコート……護衛をさせておいででしょう? 私まで離れては殿下ご自身の護衛が──」
「……………………」
 名前がまた増えたようだ。一人一人、もしも紹介されるような事があれば、記憶に刻む事にしよう、ミラノはそう決めた。
「私はしばらくいい、不要だ。王都の防衛網は確かに厳重だが……今日は賓客も多い、そちらの方が重要だ。敵の種類は見極められたか?」
 ネフィリムは話を逸らした。
「……ワイバーンがメインのようで、8割はそれです。いいですか、ネフィリム殿下はここを動かないでくださいね?」
「わかった、出来るだけそうする」
 アルフォリスが下がると、ネフィリムはうさぎを小脇に挟んだまま、右手を顎に当てて思案顔をしている。ミラノはそれをしばらく眺めた後、発言する。
「そろそろよろしいですか? 先ほどから力が加わっているらしく、綿がぺたんこになってしまいそうなのです」
「え……ああ」
 そう言ってネフィリムは厳しかった表情を解いて、腕を緩め、“うさぎのぬいぐるみ”を胸の前へ廻し、片腕で抱き上げる形で持ち直した。
「黙っているから、君が居た事を忘れていたよ」
 ネフィリムは困ったような笑みを浮かべた。
「………………」
「そういえば、ミラノは何も食べないのかい?」
「ええ、お腹は空いていません」
 昼の時間なら過ぎている。普段なら空腹でそろそろ頭痛でもしそうなものなのにとミラノは不思議に感じていた。同時に“うさぎのぬいぐるみ”は何を食べたものかと考えてみたが、答えは出なかった。
 それから聖火を護る男らも、ネフィリムも何も言葉を発さなかった。城下街は相変わらず祭りの喧騒に満ちているのに、華々しい聖火の下は気味が悪い程静かだ。
「……!」
 ぼんやりと眺めていた空に一匹の獣が舞った。
 どのような獣かよくは見えなかったが、その背には、薄紫の衣装と鎧で固めてある人がいる。あの色は、シュナヴィッツの後ろに居た護衛の男ではないか。確か、ブレゼノとか言ったか。先ほどアルフォリスとかいう男にネフィリムが“シュナにブレゼノをどこかに戻すよう伝えよ”と命令していた。──動き始めたようだ。
 それを皮切りにして、城内に剣呑とした空気が満ちてきたように感じられた。
 しばらくして、城の裏手から続々とドラゴンやらヒポグリフやらペガサスやら、ミラノがまだ名前を確認していないような飛翔する“召喚獣”が飛び立つ。それらには鎧を纏い、手には人の身長の倍はありそうな槍を抱えた兵士が乗っている。軍隊が、飛び立っていく。


 それから、1時間余り、重苦しい空気の中にミラノは居た。
「……敵が500、8割はワイバーン。これは酷い状況ですか?」
 式典の際ミラノをぶら下げた柵の傍で一人、ネフィリムは城下町を見下ろしている。一人と言っても小脇に“うさぎのぬいぐるみ”が挟まれている。
 ワイバーンという名前自体は、ミラノも聞いた事がある。日本に居た頃、ゲームやら小説やらでお目見えしたファンタジー系モンスターの名前と一致する。
「大概、酷いね……。飛翔系はね、軍でも30から50居たらとてもいい方だ。これで言っている意味が伝わるかい?」
 敵は500飛んでくるという。
「こちらの防衛ラインに、飛翔系はどれ位いるのですか?」
 そうミラノが問うとネフィリムは“うさぎのぬいぐるみ”を下ろして立たせた。彼は空いた腕を組んだ。この“うさぎのぬいぐるみ”は一人で動き回れたのだという事を思い出したのだ。
「北の要所、シュナが居た所だが、60配置していた。内8騎は今日王都に来ていた。シュナのティアマトと6騎のドラゴン。あとシュナの護衛ブレゼノのマンティコア。敵の通ってくるルートに配置してある砦の飛翔系召喚獣の騎兵は50だ。王都から先ほど100は発ったようだが。あとは東に20、西に50、南に30居る。王都にはあと50残っているだろうが……」
「合計で360」
 ミラノが小さな声で言った。具体的に、どれ程酷いかわかった。国中からかき集めたって数は負けている。
「飛翔系召喚獣は、少ないんだ……」
 数が負けているのに無策でぶつけても意味はない。先ほど発ったという100とやらは、対策を持って行ったのだろうか。
 海外旅行気分などというものは、早々に霧散させられた。まさかこんな状況がやってこようとは。
「敵が500、8割はワイバーン……これは今までに──」
「かつてない規模だね。私達が浮かれてでも居ると思っているのかな。我がガミカ国周辺の飛翔系モンスターの総攻撃……といった所だ。散発なら問題無いが、まとまって来られると目も当てられないな」


 ──北の空の一部が、黒く染まった。
 快晴の空の異変に、城下町にも剣呑とした空気が駆け巡り、殺気だちはじめる。既に、城下町には正規兵が送り込まれ、とっくに祭りは中断されている。
「数は400……ワイバーン以外は倒しましたって所か。どれだけ生き残ったかな、うちの軍は」
 ネフィリムはいつの間にどこから持ってきたのか、双眼鏡で北の空を覗いて言った。双眼鏡はミラノのイメージする量産型の黒いものではなく、紺色がベースでややゴテゴテした、金の装飾がある。
 この屋上より北東に背の高い塔がある。その頂上付近の兵士らしき男達がばたばたと走り回っている様子がミラノの目にも止まった。彼らが王まで伝令するのだろう。
 何気ない雰囲気でネフィリムはそのがっしりとした作りで重量のある双眼鏡をミラノに渡した。ネフィリムの持つ手の印象から重さを適当に想像して受け取ったが考えていたより重く、受け取った手が一度がくんと下がった。それをよたよたと“うさぎのぬいぐるみ”は持ち上げ、黒く染まる空を見た。
「ここまで来るのですか」
 ミラノの声は疑問ではなかった。
「被害を出さないようにするのであれば、退ける事は難しいだろう」
「被害を出しても良い場合は、どうするのです?」
「私の“炎帝”で焼いてしまうのかな。だが山まで燃えたら手が付けきれない。どれほどの人が生き残れるのやら。王都でそんなマネは出来ない。結局、被害の少なそうな方を選ぶしかない」
 双眼鏡の向こう──。
 ばさりばさりと、大きな翼が揺らいでいる。体はグレーから黒のグラデーションで、斑点のような染みがある爬虫類。先ほど空中演舞で見たドラゴンとは異なり、光を照り返す事はなくどこかぬめってさえいそうだ。ドラゴンは4本脚だが、ワイバーンは2本の少し長い脚が垂れ下がっている。膝から下は細く見えるが、太ももは異様に太く筋肉で固められている。その脚の爪は大きく鋭い。ドラゴンなら腕のある箇所に大きな翼が生えている。腕と翼が一体化でもしたような印象がある。尻尾は細く長い、棘が生えているようにギザギザだ。顔は細長く、開いた口には細かい歯がびっしり生えていて、黄色く長い。涎が長く垂れていて、飛び散らせながら空を舞う。
 ハエかゴキブリでも見つけてしまったかのように、双眼鏡の視野を飛び回る敵というモンスターをミラノは不機嫌に、しかし“うさぎのぬいぐるみ”の表情は変わる事なく、見回したのだった。


(2)
 ころころしたうさぎの手で双眼鏡をネフィリムに返した。双眼鏡ではワイバーンのサイズまではわからなかったが、姿かたちについては把握した。
 あんなものと、この世界の人々は戦っていたのだなと、ミラノは静かに思った。
 もしワイバーンの“嫌な所”が自分の居た“異界”と同じならば、あのギザギザの長い尾には猛毒がある事だろう。とはいえ、“うさぎのぬいぐるみ”でしかない自分にはどうしようも無い、見守るだけだ。


 それから30分余り。黒く空を覆うものが、モンスターであり、ワイバーンであると肉眼でもわかりはじめる。
 刻々と時が過ぎる度、戦々恐々と待ち構えるしかない。
 ネフィリムはフェニックスのそばに移動している。
 ミラノは、“うさぎのぬいぐるみ”の身長では柵の上に頭が出せないので、隙間から空を眺めていた。どたばたと忙しくなっていて、皆それぞれ自分の事で手一杯。うさぎが柵にかじりついている事を気にする者はいなかった。
 趣味が読書であるミラノにとってある意味ありがちな、“異世界トリップ”をこの歳になって経験してしまって、しかもこの事態。
 緑の木々の上をばさりばさりと飛ぶあの小汚いモンスター達の姿が、はっきりと確認できるようになってきた。
「──やれやれ、ね」
 恐怖というものは、ある。
 それでも、それを身の内に置いてその上で周囲を見渡す。非現実的な事態だがそういう時こそ現実的に、地に足付けて物事を考えなくてはならないと、ミラノは思う。思っていて実行出来るか否かは別だが──別だとしても、ここで“イヤー”だの“キャー”だの“帰るー! お家に帰してー!”などと泣き叫ぶのはミラノの美学らしきものに反する。
 ミラノを召喚したパールフェリカは還す事が出来なかった──“返還術が成功しなかった”──と、言っていた。駄々をこねるのは馬鹿馬鹿しく、無駄で鬱陶しい。自分であまりに許しがたい。
 結論として、自分は何も出来ない。せいぜい邪魔にならぬよう、時が来たら“ぬいぐるみのフリ”でもしておこうと考えていた。
 そして、先ほどまで式典を見守っていた人々で埋め尽くされていた広場に揃いの鎧を纏った者達がマントを閃かせ、ざくざくと行進をするように現れ始めている。一体あれだけの人数がどこに居たのか。多すぎて数えられない。
 6割が歩兵。その6割の内半数、それぞれの傍らに大小様々の大きさ、色とりどりの獣が付き従っている。残りの半数の頭上辺りには人よりは小さい鳥のようなものから獅子に翼の生えたものなどが居る。
 4割は馬のようなものに騎乗している。これらの獣もきっと、召喚獣なのだろう。
 飛ぶことの出来ない歩兵・騎兵隊は多いようだ。彼らはぞろぞろと移動し、街中へと散って行く。
 一際輝く存在が、広場の中央に舞い上がる。
 さながら旗印ででもあるかのように。
 白く光を反射して、まるで自ら発光しているかのような、竜──ティアマトだ。
 大きさは先ほど空中演舞で見た時より一回り以上大きくなっている。ミラノの感覚で言うならば、空中演舞の時はゴテゴテした大型バイク、今は2tトラックの大きさだ──そう表現してしまうと身も蓋も無いのだが。背には、大きさを支えるだけの翼が生えていて左右に広がる。
 敵が500来ていると報告してくれたアルフォリスが戻るまでに、ネフィリムに召喚獣に関する話をミラノは少しだけ聞いた。その話によると召喚獣は、召喚士の能力次第で大きさを自在に操れるのだそうだ。飛ぶもので、人よりも大きく出来、その背に乗れたなら飛翔系召喚獣に分類する事が出来るようになるとか。
 白銀に見えるそのドラゴン、ティアマトは空中演舞の時と違い、横っ腹にランスが2本、弓と矢、投げ槍ジャベリンが取り付けてある。そして、騎乗するシュナヴィッツの装備も先ほどよりかさが増している。背には大きな盾が背負われている。右手で刀を抜き放ち、配置が済んだ兵達に向けて何か叫んでいる。シュナヴィッツの後方となる巨城エストルクの屋上、10階部分にミラノは居るので、それがよくは聞き取れない。勇ましく、雄雄しく声をあげ、呼応して方々から咆哮が響く。
 ティアマトの周囲にはドラゴンやヒポグリフ、ペガサスなどが集う。全部で50程の飛翔部隊、とでも言うべきか。相手が飛翔するものなので、これが主力だろう。
 ふとその中に青いペガサスが見えた──紺色の鎧だ。あれは、パールフェリカの護衛だと言っていた、リディクディだろうか。かろうじて見えていた目元も、今はゴーグルでわからない。ミラノがこの世界に降り立ったばかりの時、初対面の折り、名を聞いて少し挙動不審になっていた彼の姿を、思い出した。よくよく考えればそれは“さっき”と言っても支障の無い、ほんの数時間前の話だ。
 彼もワイバーンに立ち向かうのか。赤のヒポグリフの姿は無い。ではエステリオは、今パールフェリカのそばに居るのだろうか。
 親しいわけではないが、見知った人がやいば携え、戦うのだという──その感覚が、ミラノにはまだわからなかった。


 そして、王都の端までティアマトが飛翔部隊を先導する。かかった時間は100秒以下。
 ──かなり近い──。
 森の木々の上、ワイバーンとの激突が始まった。
 “うさぎのぬいぐるみ”はとととっとネフィリムのそばへ行き、再び双眼鏡を借りて元の場所に戻ると、再び柵にしがみ付いて双眼鏡を構えた。
 二つのレンズから見る。
 ワイバーンの大きさは、ティアマトらとの比較でようやっとわかった。体のベースが大型バスの大きさで、それに巨大な翼が2枚ばさりばさりと広がる、1匹1匹が大きい。──これが400匹?
 ミラノはネフィリムを振り返る。彼はフェニックスに両手を掲げ目を閉じてじっとしている。何をしているかはわからない。
 再び闘いの火蓋が切って落とされた前線を見る。
 ──“大概、酷い”? “目も当てられない”?
 ネフィリムの言っていた通りすぎて、ミラノは急に落ち着かなくなった。
 それでも、ワイバーンの攻撃そのものは、一撃一撃の間隔が大きく、一方で飛翔部隊は細かい動きでのろいワイバーンを翻弄しつつ、矢を放っている。
 こちらの主砲というべきは、ドラゴンのブレスのようだ。その口から巨大な炎が放たれる。が、ワイバーンも同じく炎を吐くようで、相殺している節がある。
「あ──」
 炎の光を照り返し、オレンジに輝くのはティアマトだ、鏡のように周りの色を吸い込んでは、光を発する。
 一度体を大きく仰け反らせ、その口から吐き出すのは、白い霞のようなブレス。
 そのまま首を巡らせ、4、5匹のワイバーンに吹きかけた。霞をもろに食らったワイバーンの翼がコキコキと青白く固まる。ティアマトは吹雪を吐き出したようだ。
 動きの止まったワイバーンに飛翔部隊のヒポグリフやらが集り、長いランスを突き立てトドメをさしている。
 誰もがそれらをぼうっと見ているわけではない。
 他のワイバーンが炎を吐き出す。対してティアマトが吐き出したのは、それを上回る爆炎で、ワイバーンの炎を押しのけ、また4,5匹に誘爆する。その爆発でワイバーンのぬめった表皮が飛び散り、翼の張りが失われて落下していく。木々の下には歩兵隊が既に走っているだろう。
 炎が木々に移ったものは、ティアマトがその口から吹雪を吐き出して消し止めていた。部分的に見れば善戦しているように見える。だが。
 数が違いすぎる。
 ──50のガミカ飛翔系召喚獣の部隊は囲まれ、じわじわと400のワイバーンに、王都側へ押しやられていた。


 30分、固唾を飲んで見守っていたが、城内からは悲鳴が聞こえ始めていた。ここまで攻め込まれたという事は、今まで無いのだろう。既に、城下町上空、広場上空での戦闘に持ち込まれ始めていた。


 フェニックスのそばに居たネフィリムが隣にやって来た。ミラノはもう双眼鏡を横に置いて肉眼で戦いを見ている。
「近づいて来ませんね」
 ワイバーンらはこの屋上からだけは離れている。
「……まず、こちらの騎兵を薙ぎ払うつもりなのだろうね。飛翔系でない、地上で戦える召喚獣なら沢山居る。まずこちらの空の軍を薙ぎ倒し、空を制してから、地上部隊が手出し出来ない射程外から一気に潰しにくるつもりなのだろう。ここに近づいて来ないのは──」
 そう言ってネフィリムは目を細める。
「私の“炎帝”が居るから。簡単には手を出せないのだろうよ。こちらが本気にさえなればあの程度……ねぇ?」
 そして見る者を凍えあがらせるような冷たい笑みをこぼしたのだった。
 きっとわざとだ。
 変な言い方ともなるが、その冷たい笑みで和ませようとでもしたように思われた。だが、その“本気”とは先ほど言っていた“炎帝で焼く”という周りを省みない方法。敵は警戒してくれているようだが、彼はきっとしない。しないから、そういう事を平気で言うのだろう。ミラノは少しずつ、ネフィリムの性格が見え始めた気がした。
 怒号や鬨の声、そしてワイバーンの低く大きな唸り声が響き渡る。ワイバーンの声がする度、あちこちから火炎がまき上がる。ティアマトはそれの消火にも飛び回っているので、敵の数がなかなか減らなくなっている。地上からもワイバーンに歩兵隊が抵抗するが、いいようにやられて炎を撒かれ、けが人が増えているだけのようだ。
「今、あなたの“炎帝”はどうにもできないのですか?」
「聖火は維持しなくてはならない。“炎帝”はこの大きさを変えられない。文字通り、火力が大きすぎて、手が出せないんだ」
 表情が無い、冷たい顔でネフィリムは言った。感情をきっと、殺している。ミラノはそう感じた。


 それは、本当に、ふと。
 ──呼ばれるように。
 柵の間から3階、式典の時にパールフェリカの座っていた辺りを見下ろした。
 ミラノは柵をがっちり掴んで顔を下へ向けた。顔の両脇からたるーんと耳が垂れた。
「ミラノ? ……パール!?」
 ネフィリムの声。ミラノの行動に気付いて下を見たのだ。3階のバルコニーにパールフェリカが飛び出して来ていた。フェニックスを警戒しているとはいえ、その高度辺りにはワイバーンが飛び交っているというのに。
 ミラノは見た。パールフェリカはこちらを見上げ必死の形相で叫んでいる──タスケテ!
 両手をこちらに掲げ、その蒼い瞳からはぽろぽろと涙が飛び散る。
 ──みんなを助けて!!
 目があった瞬間。
 ミラノは白く輝く魔法陣に照らされ、瞬時に“うさぎのぬいぐるみ”から“人”の姿に変じていた。
 ヤマシタミラノが、召喚されたのだ。
「え……」
 人型になったミラノはスーツ姿でネフィリムを振り返った。
 ネフィリムからは言葉が出ない。彼は顎を引いて、息を詰めたようにこちらを見返しているだけだ。ついとミラノは目線を逸らした。
「いえ、パール。私を“人”にしてくれても……」
 ミラノは静かに思った事を──独り言を、つい、言葉にして言った。
 “人”にしてくれたって、ミラノに出来るのは事務仕事で、得意はタイピングだ。タイピングはインターネットゲーム中のチャットで覚えた。
 そうインターネットゲームでの戦闘は展開が速い。その隙間に味方に意思疎通する為、敵を挑発する為の既定文マクロをマッハで入力をしている内に身に着けた。右手の人差し指と中指で打ち込む“m9”(※1)は一瞬でエンターまで押せる自分がちょっと問題ありだとは思う。言葉を打ち、チャットモードと操作モードを高速で切り替え、WASDキーをメインとした移動キーを左手で、右手は、視点切り替えと様々な攻撃アクション武器、アイテムを割り当てあられたキーを、チャットモードの時とは全角半角を切り替えつつ次々と打ち込む。いや、そんな事しか出来ないんだ。現実では、ただの指の動きだけがキモ早い人なのだ。ミラノの家のパソコンのキーボードに印字されたWとAキーはほとんど見えないほど掠れ、SとDキーは完全に真っ白なのだ。
 ミラノは空を見上げた。辺りを見渡しす。
 空中演舞の際見たティアマト、ドラゴン、それ以外のものも多数飛び交い、悲鳴と絶叫と鋼のぶつかる音、火炎の吐き出される音があちこちから響いてくる。
「この状況下、こんな私に出来る事なんて、何もないのですが」
 召喚主の願いを、一体どうやって叶えろと。心臓だけがばくばくと鳴り、体が揺れているようだった。冷静になれと、何度も自分に命じた。
 やれやれと、思いながら、必死でどうにかしなければと考える一方で、ミラノの脳はあっさりと現実を捨てつつある──現代社会の生活で、一生懸命ではあるが、手の抜き方を心得てしまった行動パターンが、ストレスからの回避運動を取り始めてしまったのだ。
 小説やゲームの世界へ逃げ込むのも、得意と言えば得意であり、趣味だ。
 そう、例えばだ、この屋上へ来るまでに建築建材があった。あれをここに“召喚”なんて出来たら面白くないだろうか。しかもそれを遠隔操作だ──考えて、ミラノはもう一度やれやれと思った。いくらここの世界観がファンタジーの定番で埋め尽くされていた所で、そんな事が出来るはずない。そもそもこの世界の人々の“召喚術”とやらも、ただぶつぶつと呟いているだけで、何のこっちゃさっぱりわからないのだ。頭の中ではそんなどうでもいい事を考えながら、立ち方はそつ無く、スーツを際立たせるモデル立ちをしている。
 細い両足を組んだ状態で立っている。両腕は胸の下で組むような形だったが、右手を胸の下から引き抜いて、顎の下に置いた。甲に顎を乗せている形だ。
 もし、自分が“召喚術”を使えたなら。
 そう、この屋上へ来る際に見かけた建築資材置き場にあった、先の尖った丸太でも呼び出すだろう。そうそう、大きな鋼の板もあった、あれは炎を避けるのに使えそうだ。
 などと考えている後ろで、ネフィリムの声がした。
「ミ……ミラノ……君は……」
 姿勢をそのままに後ろを振り返ってぎょっとした。
 自分の周囲に、城下町に対して垂直の黒い魔法陣が、いくつも浮かび上がっていたのだ。ざっと数えても20や30はある。何枚ものマンホールみたいなものが、立ち上がり宙に浮いている、そんな感じだ。ふと上を見上げた、20、30ではなかった。その3倍の黒い魔法陣が頭上あちらこちらに浮かび上がっている。
 ネフィリムにじっと見つめられていた。問われたところで答えようが無い。
 多数の魔法陣が一斉にぎゅるっと回転した。その中から、まるでSF映画かアニメの宇宙戦艦のワープアウトかの如く、先の尖った丸太やら、鋼の板が現れる。半分現実逃避している脳内では某ロボットシミュレーションRPGゲームなんかの熱い曲が流れ出して、ミラノはそれを慌てて振り払う。
 ミラノはネフィリムから目を逸らして、周囲を見回す。
 ──何だこれ。
 でも、もしさっきの妄想の産物ならば……ミラノは自分の頭の左右すぐににょっきりと現れていた先の尖った丸太2本それぞれに目線を配った。
 ──いけ……。
 気弱な心の声。
 だが、その声と裏腹に、丸太はぎゅおっと風を唸らせ前方に飛び出した、ミサイル発射のように。髪とスカートが乱れる。ミラノは驚きつつ、眉間にぐいっと皺を寄せた。
 ──これじゃ味方にぶつかる……!
 考えた通り、思った通りに操作できるか。
 2本の丸太の今後の軌跡を同時に空に思い描く。すると、その通りに、いわゆる慣性の法則だとかを無視した動きをする。曲がるのにそのままの速度でガクンと。
 ──何だこれ。
 ふと、悲鳴が聞こえた。ミラノは慌てて柵から身を乗り出す。ぐったりとしたパールフェリカをその腕に抱えたエステリオがヒポグリフに乗って刃を抜き、バルコニーの正面で羽を広げる1匹のワイバーンと対峙している。
 ミラノは状況に戸惑いながらも、自分の周囲に“召喚”された丸太10本をパールフェリカらの方へ飛ばしてみた。そして、パールフェリカらにいざ襲い掛からんとしていたワイバーンは、突然現れた初めて見る現象に驚いたのか、後ろへ羽ばたき逃げ出す。ミラノは落下していた丸太を途中でがくんと捻じ曲げ、動かし、そのワイバーンをひたすら追い掛け回してみた。基礎移動の練習だ。
「──ほう……」
 ミラノは小さく呟いていた。まるで、新しいゲームの操作感覚を確認している時のように。
 柵から手を離し、再び姿勢を正した。
 3本の丸太で1匹のワイバーンを追い掛け回し、その移動先に鋼の板を先回りさせ、足を止めさせ──グシャリ。
 それを、冷静な目で見つめた。
 丸太を、緑色の体液らしきものが伝い、地上へボタボタとこぼれていった。
 3本の丸太の内、2本が尖った先端でワイバーンの翼を一枚ずつ貫き、1本がその下っ腹から後頭部までを突き破った。力を失ったワイバーンは、重力のまま、落下する。丸太はそのままなので、その翼は破れ、腹から上は裂かれ、千切れながら。
「……そう──」
 相槌を打つようにミラノは呟いた。顎に置いていた右手で自分の頬を二度緩く撫ぜ、一度息を吐き、また顎に戻した。
「そうなるのね」
 ──敵が、人の形をしていなくて良かった……。
 そういう溜息だった。
 ミラノは伊達眼鏡を外して、スーツの上着、胸ポケットに挟んだ。大空に対して、眼鏡のフレームが邪魔だったのだ。
 そして、左右、頭上にあった丸太を全てモンスターの溢れる大空へと、ミラノは意識を投じて、放つ。


※1:“m9”=顔文字「m9(^Д^)プギャー」の略。意味:嘲笑




(3)
 同時にいくつものアクションとリザルト──。
 敵の配置を読み解いて、移動を予測、タイミングを図り、罠を仕掛け、とどめをセッティングする。
 大空という巨大なディスプレイに対して、ミラノの黒の瞳がせわしなく動き回る。
 奥行きに対する計算がずれて敵を逃がしてしまう事がまだあったが、慣れればいいとミラノは軽く考えている。
 次第に、味方であるドラゴンやペガサスらの動きも見えてきはじめた。
 彼らの攻撃方法はドラゴンのブレスやその手に持っている長いランス。あるいは弓やクロスボウ。騎兵は揺れる背に居て、重力の支配下にある。彼らは、体を固定できている時、主に行動する。それらを目で追い、丸太による援護や弾幕、鋼の板によるワイバーンの炎のブレスからの防護にもまわる。ついにはミラノは鉄の釘も召喚して、つぶてという攻撃手段として飛ばし、ワイバーンの行く手にばら撒いていた。シューティングゲームも好きなミラノとしては爽快に避けるのは好みでも、自分で弾幕を作り出すのは正直、早々に面倒になってきていた。それに、自分の手持ちの駒──丸太や鋼の板、敵に対して釘は小さすぎる。攻撃に適していないと悟る。
 丸太の先端が緩くなったものをミラノは捨て──人の居ない地面に落として──再び自身の周囲に資材置き場から“召喚”する。その度、真っ黒の魔法陣がしゅるしゅると浮かび上がる。残っていた釘も下に人が居ないか確認してから落として放置する。効率が悪いので使うのをやめた。
 その頃から味方の援護に徹し、召喚騎兵のランスなどで敵モンスターを落とさせていく。時々、味方騎兵がうまく動いてくれなくて、せっかく敵を押しとどめたのに追い討ちで攻撃を加えてくれなくて何度か逃がしてしまった。それでもミラノは特に苛立つという事も無く、次々とアシストしてトドメを挿すタイミングを用意していった。数打ちゃその内落としてくれるという手数仕事として、また自分の役割さえこなして後は次の人に丸投げするという、ミラノが今まで経験してきた派遣仕事的に、処理していったのだった。何か余計な事──攻撃的な事をしているだとか、命を奪っているだとか、そういった感傷──は当然ながら欠片も無い。
 相変わらず胸を押し出して、その下に左手を這わせ、その甲は右肘に置いて垂直に伸ばし、右手の甲に顎を乗せている。首の向きをその手でもコントロールしながら、大空への注視点を次々と変更し、アシストマーク、ターゲットマークを切り替えていく。
 ふと、あの光るドラゴン──ティアマト──が、目立つせいかワイバーンに囲まれているのに気付いた。
 ティアマトに騎乗するのはシュナヴィッツだ。パールフェリカの大事な兄。周囲の5匹ものワイバーンが、一斉に口を大きく開いた。
 ──ブレス。
 ミラノは大空、比較的ティアマトの近くにあった鋼の板を一斉にそちらへ疾らせた。
 板でティアマトの周囲を囲う寸前、ティアマトの翼がシュナヴィッツを護るように開かれたのが見えた──高度が下がる。
 ワイバーンのブレスは全て鋼の板の上で踊って消えた。驚いたらしいワイバーンがティアマトから距離を取る。ミラノの操る十数本の丸太がそれを逃すわけもない。丸太は大人が両手で抱えられる程の太さ、建物2階分の長さがあり、1本1本の重量は相当なものになるが、ワイバーンに向け雨のように時間差を付けて3次元的に高速で降り注ぐ。角度を付けてワイバーンは逃げていくが、映像の視界演出効果として有名な“板野サーカス(※1)”の如く、ミラノは丸太を次々流し込み、やがてその背に追いつかせ、数本の丸太でどすどすと貫く。
 ほぼ同時進行でミラノはすぐに鋼の板を別のドラゴンや人々の居る方へ動かし、ワイバーンのブレスに備えていく。
 ふと、ティアマトが、こちらを向いた。
 その揺らめくような金色の瞳と、こんなにも遠く離れているというのに、目があった気がした。ティアマトが、礼でも言っているのだろうか、それなら少し嬉しい。味方をちゃんと庇えて、感謝してもらえるというのは気分がいい。ティアマトの周囲に、その美しい姿の横に置くには忍びないが、尖った丸太を何本か配置した。そして向かい合う数匹のワイバーンと対峙する。ティアマトは目立つので常に援護体勢を用意しておく事にしたのだ。
 ──鋼の板は、街の人々に襲いかかってブレスを吐き出そうとするワイバーンに向けて放ちながら──ワイバーンの強力な爪のある脚を避け、ティアマトが飛び、風を生み出す、それらの動きをミラノはしっかりと目で追いかける。ワイバーンの体がぐらりと揺れる所へ丸太を打ち出して隙を作り出すと、ティアマトの上からシュナヴィッツが体を逸らしてジャベリン(投げ槍)を勢いよく投げ、そのワイバーンの額をかち割った。そこへティアマトの炎のブレスが吹きかけられワイバーンはもがく事も無く落下していく。


「ミラノ」
 横から声がかかった。
 一瞬、いくつかの丸太と板の動きが止まってしまう。
「今は、ちょっと……」
 ミラノはそれだけ言って後はシャットアウトした。何か言っているようだが、聞き取らない。脳に入ってきては邪魔だ。


 敵の数が300まで減った頃。
 ミラノは淡々とした眼差しで大空の多くの点へ視線を投げている。
「──それでもキリがないわね」
「だから、私がさっきからそう言っているじゃないか」
 いつ魔法陣がそこに出るかわからない為か、少し距離を開けて、ネフィリムが息を吐き出すように言った。
「………………」
 存在に今気付いたと言わんばかりにミラノはネフィリムを見て、一瞬言葉を詰まらせた。大空の丸太や鋼の板などは、指定位置まで移動したものから順に動きが止まっていく。
「……ごめんなさい。話は何も聞いていなかったわ」
 あっさりすぎるほどあっさりした口調でミラノは言って、すぐに空へ目を移した。再び動き始めるミラノの操る丸太。
「私を無視していたと言うんだね……」
 ネフィリムは眉間に皺を寄せ、いささか怒りを滲ませつつも、にやりと苦笑している。
「一体何をしているか、などは後で詳しく聞くとして。見えるかい? あそこ、赤と黒の“鎧を着ている”ワイバーンがいる」
「…………」
 ネフィリムは指をさしはしないが、その特徴のあるワイバーンならすぐに見つけられた。何度かチラチラと今までも見えていた気がする。すぐに隠れるのでミラノは無視していたのだ。しかし、探してよく見れば、なんだあの派手さは。青空と緑の木々の天辺との間、敵の群れの中央にその特徴があった。他の敵は皆むき出し、いうなれば裸だ、見分けがとてもしやすい。
「モンスターにも知恵のあるヤツは居て、それが組織だって“暴れたいだけ”のモンスターをうまく率いたりする。あの赤と黒の“鎧を着ている”モンスターは度々戦線で見られる、大体あれが、指揮官だ」
 本当に知恵があるのかと疑いたくなる、モンスターはそれほど統制されていない、ただこの場所を襲い暴れている、程度。それであんな目立つ格好だなんて、どれほどの意味があるのやら。
「──わかったわ。あいつを狙ってルートを作ります。動きを止めるので、焼き崩せたり、できますか? より効果的に、派手に倒したいわ……」
 焼き崩す、いい加減な表現を使ったが、あんなに沢山居るワイバーンが炎のブレスを吐くのだ、世に1匹というフェニックスならもっと凄い事も出来るだろう、そういう考えでミラノは言った。
 敵指揮官をネフィリム王子の召喚獣フェニックスが倒すというのも、また良いだろう。被害にあっている民の目にもはっきりとわかる程、敵を討ち滅ぼす。復旧時に良い発破がけとなろう。ミラノは自分にとってはどうでもいい、そんな事まで考えていた。
「……動きが止まるなら。火線は、その丸太3本分だ」
 ネフィリムのその言葉に、ミラノは周囲に今までの倍以上の黒い魔法陣をどろどろと浮かび上がらせる。日本のホラーで言う、人魂が浮かび上がるような、闇色の霞が立ち上り、魔法陣に形が作られる。あちらを見通す事の出来ない濃い闇の魔法陣。特に、どうこうというやり方がわかってやっているのではない、ただ頭の中で「来い、来い、来い、もっと来い」そう念じているにすぎない。
 ──ルートを作る。
 インターネットゲームと違って、前線に居る召喚騎兵へ細かく作戦を、指示を伝えられない。そうである以上、ネフィリムが言ったフェニックスの攻撃、その攻撃の軌跡、火線が走るラインに味方を近づけないようなんとか誘導しなくてはならない。
 ネフィリムも今までタイミングを読んではいたはずだ。その火線を飛ばせず“鎧を着ている”モンスターに攻撃が出来なかったのなら、あちらもその知恵とやらでラインに入らないように動いているのだろう。こちらの味方を必ずフェニックスとのライン上に置くように、動いているのだろう。
 消耗戦になればこちらが不利なのは、この短時間での判断だが、間違いない。敵ワイバーンの動きは、どれ程時間がたっても、スタミナが尽きる様子が無い。それに引き換え、召喚獣を操っている騎兵の力は、動きは次第に“ぬるく”なってきているように感じられる。召喚獣、兵の両方が同時に力を失っている。召喚士である兵が両方の力の源なら、そういうものなのだろう。


 そして、全ての、500以上の丸太を頭上に“召喚”し、ミラノは一斉に空へ放つ。風圧で髪留めがどこかへ飛んでしまい、黒髪がばさりと散らばったが、ミラノは首を少し傾けただけだった。
 敵300の合間を縫って、ミラノの丸太が縦横に走りぬけ、味方を誘導し、ワイバーンを退ける。そして、目的の空隙を作るように丸太の集中砲火が空を駆け巡る。虚を突き、“鎧を着た”敵将らしき飛翔ワイバーンへ、空に穴が開いたように道が作られた。
 その瞬間、フェニックスの咆哮──!
 ミラノの横、前の方にまでオレンジに燃え上がるその首が伸ばされ、嘴が大きく開かれた。
 くおぉぉっと高い音が空に衝き抜け、熱光線が敵将に真っ直ぐ伸び──数秒もない──消し炭……塵へと変えた。それはゆらゆらと風に散り、流れる。
 熱光線は天上高く伸びていき、収束し、消えた。
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