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8−3:神薙の手紙(POV:ヴィル)

第143話:デートの誘い

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 父からの「デート命令」が出て、数日後のことだった。
 俺は執務室で、三百回ほどため息をついていた。

 最大の難関だと思っていた父から、許可どころか命令が出たことで、色々なタガが外れてしまい、俺は馬鹿になっていた。

 「ひどい恋煩いだ」と、クリスが言った。
 「変な茶を持ってくるなと言っただろう」と、俺は答えた。

 「いいから早くデートに誘え」と、クリスが言うと、アレンが口を突っ込んだ。

「早く身分を明かして下さい。もう面倒で仕方がない。あとで絶対大変なことになります」

 「茶から花みたいな匂いがする」と、俺は三百一回目のため息をついた。

「ヴィル、なぜ普通にデートに誘えない」
「神薙に時間がなさすぎる……」
「披露目の会が近いのだから当然だろう。今、王国で最も忙しい人物だ」
「もう少しゆっくり会える日はないのか、アレン」

 俺は頭を抱えていた。
 まず、俺は神薙に詫びなければならない。
 身分を隠したこと、実はかなり近い立場にあること、アレンから情報が筒抜けだったこと等々。
 さらに北の庭園に行かなくてはならない。これは任務だから必須だ。
 しかし、何よりも俺は、普通にデートがしたい。彼女に聞きたいことが山ほどあるのだ。

「俺は、神薙とゆっくり話す時間が欲しいだけだ」
「モタモタしていると陛下経由で身分がバレるぞ?」
「よし、では、まずはあのジジイを黙らせよう」
「本当に頼むから、そういう不敬はよせ」

 両手でくしゃくしゃと髪を掴んだ。
 俺が唸っていると、アレンがクリスに小声で言った。

 「実は今度、陛下がエムブラ宮殿の晩餐に来ることになって。だから余計に神経質でおかしくなっているのです」

 「お渡りだとぉぉぉ!」と、クリスは目をひん剥いた。

「諦めたのではなかったのか!」
「その件だが、虫除けのビル・フォルセティを一緒に招待させたから大丈夫だ」
「宰相を呼び捨てで虫除け呼ばわりするんじゃねえ! しかし、よくやった!」
「もっと褒めてくれ。俺とアレンは物凄く頑張ったのだ」

 ただデートをしたいだけの俺に、次々と難題が降りかかっていた。
 まず、神薙が忙しすぎて俺の思うようなデートが出来そうにない。アレンに協力してもらったが、どうやっても短い時間しか一緒にいられないのだ。俺は何かを諦めなければならなかった。

 さらに、叔父の神薙熱がぶり返した。まったく目の離せないジジイである。
 週に一度、昼食を一緒に過ごすことで満足しているのかと思いきや晩餐のために神薙の宮殿を訪ねたいと言い出した。
 酔わせて閨になだれ込む気ではないかと慌てたアレンが相談に駈け込んできた。
 苦肉の策で、宰相も一緒に招待させることにした。
 可憐な神薙は宰相とも親しくしており、「三人でのお夕食なんて久し振りで嬉しい」とニコニコしていたようだが、こちらは可憐な神薙をジジイのお夕食にしたくなくて大忙しだ。
 その日ばかりは、宮殿内の護衛を倍の人数にする予定だ。物々しさにビビるだろうが、俺の知ったことではない。
 しかし、それでも完全に不安が拭えたわけではなかった。

「ビル・フォルセティに虫除け効果がなかったらどうしよう……」
「落ち着け。書記が体を張って止めるから平気だろう。なあ、書記?」
「当然でしょう? クビが怖くてこの人の部下なんてやっていられないし、ましてや彼女の側仕えなんて務まりませんからね」

 アレンが鼻で笑った。
 さすが、俺に面と向かって金髪クソ野郎と言える度胸の持ち主だ。そんな奴はこの王国に二人といない。

「リボンがたくさん付いたドレスを、あのクソジジイに脱がされたりしたら、俺は耐えられない……」
「書記を信じろ。死んでもそんなことはさせないだろう。なあ、書記?」
「当たり前でしょう。ジジイに脱がされるぐらいなら俺が先に脱がします」
「書記……それは違うぞ?」
「ものの例えですよ。もう面倒くさいな、早く手紙を書いてくださいよ」

 急かすアレンをよそに、俺はまだ机で頭を抱えていた。

「虫除けのはずのビル・フォルセティが、虫になって取り付いたら……」
「ならないから大丈夫だ」
「俺のリアが、ジジイふたりの餌食になったりしたら!」
「頭抱えて泣くほどなら早くデートに誘え! なにが『俺のリア』だ! まだお前のじゃねえ!」
「泣いてなどいない!」
「泣いているだろうが!」

 俺とクリスのやり取りを聞いたアレンは、大きなため息をついて「頭がおかしい」と呟いた。

「もうクリス先輩が代筆でいいですよ。代わりに書いちゃってください。あとは俺が適当にやっておきますから」
「書記、お前の肝は一体どうなっているのだ……豪胆にもほどがあるぞ」
「昔からヴィル先輩がこうなると使い物にならないのですよ。周りでなんとかしたほうが早い」

 「確かに、ここまでの『駄目ヴィル』を見るのは久々だ」と、クリスは言った。

 分かっている。
 何となく、そんな気はしていた。
 神薙と出会って以来、俺はずっと頭がおかしいと思う。
 一生懸命、冷静に客観的に神薙を見れば見るほど、頭がおかしくなっていった気がする。

「俺はデートに着けていくタイすら決められない奴に成り下がったのだ……」

 いつもの店に行って、タイを選ぼうとした。
 しかし、神薙がどれを好きかが分からないので決められない。神薙のせいで買い物ができないのだ。

「リア様に一緒に選んでもらえばいいだろう。それで素直に謝れ」
「クリス……」
「なんだ?」
「そうする……」
「だから泣くな」
「泣いてなどいない」

「ほらぁ、もう早く書いてくださいよ!」
「わかった、書く! ちゃんと書く!」

 アレンに急かされながら、神薙をデートに誘う手紙を書いた。
 俺は卑怯だ。
 少しでも断りにくくしたくて、仕事で使うタイを一緒に選んでもらえないか、などと格好の悪いことを書いている。
 いつからこんな小心者になったのだろう。

 「書けたら、便箋に香水を吹きかけろ」と、クリスが言った。

「なぜだ?」
「リア様の花の香りと一緒だ。逢いたくなるかもしれない」
「俺の香水なんて憶えているだろうか……」
「騎士とは、わずかな可能性でもあれば、それに懸けるものだろう」
「当然だ」
「じゃあ、シュッてしろ。もう少し紙から離せ。そうそう」
「よし」

 俺はクリスに言われるがまま、便箋に香水を吹きつけた。
 仕事用と私生活用の二つがあるが、神薙と会ったときにつけていたものにした。

 俺の倍くらいため息をつくアレンの後ろ姿を見送ると、黙々と仕事をして、夕方からクリスと食事に出かけた。
 外だったので、神薙の話ができなかった。

 帰り道、花売りが「花を買わないか」と声を掛けてきた。
 「悪いが、彼女が花なのだ」と言ってやった。
 クリスが「しかも極上の花だ」と付け加えたので、顔を見合わせて笑った。

 ぽかんとする花売りを置き去りにして、馬鹿な男二人で歌を歌いながら帰った。

 「ひどい恋煩いだ」と、俺は言った。
 「しかし、人生が希望で満ちた」と、クリスが言った。

 俺は上着のポケットに手を突っ込んだ。
 手に触れた神薙の手紙から、温かい癒しの力が漏れていた。
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