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第十四章 少年

第310話:ポケットの中

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 スタコラ走って少年のところへ向かう。
 歩きやすいようにヒールの低い編み上げブーツを履いていて良かった。

 パン屋の店主は怒鳴っただけでは気が済まないようで手を振り上げている。
 まさか殴るつもりなのだろうか。
 たかがパン一個で小さな子どもを殴るなんて病んでいるとしか思えない。それに、王都の条例で未成年者への暴力は理由を問わず禁止されている。

 食らったら痛そうだ
 でも、ここはもう腹をくくって代わりにぶたれるしかない? いや、アレンさんに教わった護身術が使えるかな?
 ちょっと間に合わないかもですが……。
 ええい、気合いだぁ~。

 舌を噛まないよう歯を食いしばり、少年と店主の間に滑り込む。
 すると、そのわたしの前にさらに誰かが滑り込んできて振り下ろされた店主の腕を掴み、動きを止めてくれた。

「あ、アレンさんっ」
「まったく! あなたという人は……っ!」

 はぅ……叱られました(泣)

「未成年者への暴力は理由を問わず違法だぞ」

 アレンさんがそう言うと、店主は不愉快そうな顔で舌打ちをした。

 追ってヴィルさんが血相を変えて飛んできたので、店主のことはヴィルさんに任せ、わたしは少年に声を掛けた。

「少しそこに座りましょう?」
「へ? あ……うん」

 少年はポカンとしたまま頷いた。
 優しく手を取り、噴水の縁に座らせる。

 ジャンジャカジャンのギター弾きが演奏を止めてこちらを見ていたので、軽く口角をあげて会釈をした。
 少しだけ静かにしていてくださいね。話が終わったら好きなだけジャンジャカして構いませんから。
 分かってくれたのか、ギター弾きも微かに微笑んだ。

 少年に視線をやると、不思議な色の瞳に目を奪われた。
 深い青と紫が混ざったような色。なのに、なぜか碧色の気配もする。わたしはその複雑な色の名前を知らなかった。
 年齢は十歳前後だろうか。茶色がかった長い黒髪を後ろで一つに束ねている。
 元は白かったであろう汚れた服に、サイズの合っていない大きな黒のズボンをベルトでギュッと締めて履いていた。サンダルは親指の辺りの裏底が剥がれてパカパカしており、彼は足の親指を怪我していた。もしかしたら壊れたばかりで、その時に負傷したのかも知れない。

 怪我が痛々しかったので治癒魔法を使おうかと思ったけれども、よく考えてみたら魔法を使える女性は神薙だけ。ここで使えば人混みの中で大規模な『身バレ』をやらかすことになる。
 命に関わることではないため、あとでコソッと治療することにした。

「あのね? もし、嫌でなければ、そっちの手を見せてもらえる?」
「あ、うん……」

 少年は少しかすれた声で返事をすると、ゆっくりとポケットから手を出した。
 強く握りしめた拳にそっと手をあて、固く閉じた指を少しずつ開くよう促す。
 チャリッと金属のこすれる音がした。

 彼の手には硬貨がしっかりと握り込まれていた。
 五十グート硬貨が六枚で合計三シグ。
 あの大きなパンだけでなく、小さなパンも一緒に買える金額だ。
 よほど強く握っていたのだろう。手の平に爪の跡がついている。

 その様子を見ていた店主が、小さく「あっ」と声を上げた。


 ジャンジャカジャンのギター弾きは、静かな曲を演奏し始めた。
 主張しすぎない穏やかなBGMだったので、少年と話をする分には問題なかった。

 「あんな剣幕で怒鳴られたら『買いに来た』なんて言えなくなっちゃうよね」と言うと、少年は口を真一文字にむすんで肩をすくめた。

「もう大丈夫」

 頬に触れると、わずかに表情が緩んで瞳が揺れた。

「このお兄さんと一緒に少し待っていてくれる?」

 彼は「うん」と頷いた。
 かわいい素直な子だ。
 アレンさんに少年を任せて立ち上がった。

 振り返ると、店主がジロジロと品定めをするようにこちらを見ていた。
 マトモな人なら自分の間違いを恥じて詫びる場面だろうけれど、この店主はそういうタイプではなさそうだ。
 彼は視線を逸らしながら「はっ、お貴族様かよ」と吐き捨てるように言った。それもわざとこちらに聞こえるように。

 どこを見て貴族だと思われたのかしら。
 今日はキッチリと庶民に見えるよう変装してきたのに。帰ったら侍女長と反省会をしなくては……。

 「お貴族様」という呼び方は、日本人が政治家を「お偉い大センセー」と呼ぶようなもので、「気に食わないやつ」という意味がドッサリ含まれている。
 高くつくとも知らず、このパン屋はお忍びの神薙にケンカを売っていた。貴族に面と向かって「お貴族様」発言は、あまりに命知らずというものだ。

 さて、どうしましょうか。
 せっかくなのでお貴族様っぽく話してあげましょうか。

 まだまだ勉強中の身ではあるものの、これでも「貴族の淑女教育」なるレッスンを受けているので、お貴族様っぽく振る舞うことは可能だ。

「大変なことになってしまいましたわねぇ。あちらの小さなお客様にお詫びをなさるなら、どうぞ?」

 わたしが謝罪を促すと、店主は「はあ?」と答えた。

 はあ? じゃないのよ……お詫びをしなさいって言っているの。
 まったくもうっ。

 こちらが心の声を押し殺してニコニコしていると、彼はフンと鼻を鳴らした。

「どう見ても盗人じゃねぇか。あんな汚ねぇ恰好のガキ。紛らわしい!」

 ……この人、悪魔に良心を売る契約でもしたのかしら。
 ここのパンはそこまで悪魔的な美味しさではないのにねぇ(そのくせ高いのよ)
 良心を売ったわりに人気が出ないのでは本末転倒だ。
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