昨今の聖女は魔法なんか使わないと言うけれど

睦月はむ

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第十章 死の病 >3 白い女(POV:アレン)

第213話:白い女

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 ──今思うに、平凡な人生だった。

 運は尽き、希望は去った。
 俺はじきに死ぬだろう。

 『白い女』が看病にやって来た。
 目がろくに開かないため、顔も姿もよく見えていない。女の名も知らない。
 わずかな視界の中に、上から下まで白ずくめの奇妙な人物が映っていた。

 相手は俺が何者かを知っており、馴れ馴れしく名で呼んだ。初対面から失敬な奴だ。
 おそらくは平民なのだろう。平民は家名を持たないため、名で呼び合うのが普通だ。俺のことも平民出身の騎士団員だと思っているのかも知れない。
 まあいい。せめて自分の名ぐらい名乗ったらどうなのかと言ってやりたいが、腹を立てて文句を言う気力もなかった。
 俺は腹の中でその女を『白い女』と呼ぶことにした。
 哀れな女だ。死にゆく病人の世話をさせられているのだから。
 おそらくは身寄りのない者か、貧しい暮らしをしている者に違いない。

 ヘルグリン病──
 命の綱とも言える治癒師の治療が受けられないが故に、死の病と呼ばれている。
 見捨てられても仕方のない病だ。
 俺は死への旅路を歩き始めていた。
 高熱で頭が朦朧とする。信じられないほどの汗をかき、やたらと喉が渇く。全身がバラバラになるような痛みに支配されている。

 こうして人が来てくれるだけでも有り難いことだ。
 白い女はどこかの病院で下働きでもしていたのだろう。随分と手慣れている。
 非力な女だてらに上手く俺の身体を起こし、背中を押さえながら枕を積み上げると、俺を寄りかからせた。
 両脇にクッションを置き、フラついて左右に倒れないよう支えてもくれた。

 白い女は不思議な味の水を持ってきた。甘くもあり塩味も感じる奇妙な味だ。
 俺が拒絶反応を示すと、白い女は言った。「体から失われたものを補給するための飲み物です」と。
 砂糖と塩、それから果実を数種類入れてあるのだと説明された。ただの水よりも人の体液に成分が近く、体に浸透する速度が速いと言う。
 ふと「神薙がダンスの練習時に飲んでいたアレか?」と思った。まとめて作って氷室に入れていたから、それが残っていたのかも知れない。
 正体が分かれば口にするのは怖くなかったし、不思議な味にも慣れていった。

 白い女は俺の前に小さなテーブルを置いた。
 嫌な予感がした。
 そろりと手を伸ばして一番近い角に触れ、指先の感触で白い女の失態を悟った。
 ああ、やってしまったな、白い女……。
 ベッドの上で食事がしやすい高さに作られたそのテーブルは、神薙のためにあつらえた備品だ。神薙の部屋の調度品に合うように作られたため、フチと角に金で百合の装飾が施されている。
 白い女はそれを持ってきてしまった。俺の部屋に入れた時点で菌まみれだろう。もう二度と神薙には使わせられない。
 開き直って有り難く使わせてもらうことにした。

 白い女は持ってきた食事を少しずつ俺の口に運んで食べさせてくれた。
 前日の晩から空腹を感じなくなっていた。しかし、不思議と体が食べ物を求めていることだけは分かる。何か食べると体が拒絶するかのように嘔吐した。
 俺の体調を気遣ってか、白い女は柔らかいパン粥を持ってきていた。そして、ゆっくりと時間をかけて食べさせてくれた。

「味、分かりますか?」と白い女が聞いてきたので、俺は頷いた。
 粥とは言え、美味だった。イチゴのジュースも新鮮で美味だ。
 美味なのは有り難いことだが、どうせ三十分もしないうちに嘔吐するだろうと思い、また洗面所へ這っていく覚悟だけはしていた。
 ところが、白い女が来るようになって以来、それをしなくて済んだ。
 俺はこんな些細なことで喜んでいた。

 ──いつの間にか眠っていた。
 白い女がいつ去っていったのかも覚えていなかった。



 次に目が覚めると、激しい頭痛が始まった。かつて経験したことのないひどい頭痛だ。
 ろくに開かなかった目が、痛みでさらに開かなくなった。鼓動に合わせてドクンドクンと強烈な痛みが襲ってくる。
 ヘルグリン病に激しい頭痛の症状なんてあっただろうか。
 本棚のところまで行ければ講習を受けたときの資料があるのだが、今の俺にその余裕はなかった。
 分からないことだらけで死んでいかなくてはならない。恐ろしい病だ。

 それとも、単に頭痛で苦しんでいる夢でも見ているのだろうか。目が開かないせいで余計に分からない。
 身体の感覚がひどく狂っていた。眠っているのか起きているのか、それすらも俺には良く分からなかった。
 背中がベッドについている感覚もなく、かと言って宙に浮いているようでもない。そもそも俺の肉体が現実世界に存在しているのかもあやふやだった。

 体の境界線がぼやけている。
 俺の周りの境目という境目が崩壊しかけている。
 意識を失うたびに、俺の世界は壊れていった。
 命が尽きるまで神薙と共に歩むつもりだった世界が、俺を外へ外へ追い出そうとしている。



 暗闇に向かって彼女の名を呼んだ。
 神薙は俺の唯一の希望だ。

「リア……」
「ここにいますよ」

「頭が痛い……」
「痛み止めの薬湯を飲みましょうね」

「リア……」
「痛くて辛いですね。すぐそばにいますよ」

 ひどい味の薬湯を飲んでわずかに頭痛が和らぐと、白い影がぼんやりと見えた。
 白い女が俺の腕をさすった。
 触れられると肌がピリピリ痛んだが、同時に優しい温かさがじんわりと伝わってきた。まるで神薙を連れて歩くときのようだった。

「触れると痛みますか?」
「気持ち、が、いい……続……」
「無理に喋らなくて大丈夫ですよ。しばらくこうしていますね」

 白い女は声を掛けながら、ゆっくりと俺の腕をさすった。
 全身の痛みと倦怠感、それから頭痛が徐々に和らいでいった。



 しばらく経って俺が落ち着くと、白い女は「困ったことがあったら時間を問わず押してくださいね」と言って、何かを俺に握らせた。
 神薙が見合いに行くときに渡した通報用の魔道具だった。特注で作らせたもので、世界に一つしかない。神薙に渡したままになっていたはずだが、それがどういうわけかここにある。

 白い女を雇ったのは父だとばかり思っていたが、もしや、団長なのだろうか……。
 いずれにせよ、これも菌まみれだ。なぜここにあるのか聞きたかったが、それを枕元にぽとりと落としたところで再び俺の時間は止まってしまった。

 白い女がいつ去ったのかも分からないまま、また意識を失った。
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