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10-2 POV:リア
第203話:死の病②
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「ヘルグリン病の疑いがある患者は、医師による診察と治癒師による治療、そのどちらも受けられません。たまにしか出ない病人のために貴重な人材を失うわけにはいかないというのが、医師会と治癒師協会のご立派な言い分です」
眉間に深い溝を刻みながらマークさんが言った。
大切な人の命が危ない。
こんな危機的状況でも異世界の謎ルールはわたしを悩ませる。
「何もしてもらえないなんて、あんまりですっ」
「使いの者が薬師のところへ行き、症状を和らげる可能性がある薬をもらってくる。それぐらいしかしてやれることがないのです」
「それなら症状を確認して、シンドリ先生にお願いしましょう」
しかし、はたと思った。
診察も治療もできない?
それならば、一体誰がアレンさんを「死の病」だと診断したのだろう?
「あのぅ、どうして彼がヘルグリン病だと分かったのですか?」
「アレン自身が鑑定魔法で自分の病を調べました」と、フィデルさんが答えた。
「鑑定魔法……ですか」
「実は、医師が診察に使うのも鑑定魔法です。私も同じ魔法を使えますが、私と医師の間にある差は、医療知識の量です」
鑑定魔法は何度も目にしたことがある。
箱を開けなくても中身がある程度分かったし、食べ物の安全確認にも使われていた。
人に対して使うと体調などが分かるらしい。
鑑定魔法には『術者が知っていることだけが分かる』という特徴があるそうだ。
ヘルグリン病についての知識がない人が鑑定をしても「体調不良」とか「熱が三十九度ある」とか、その程度のことしか分からない。
アレンさんはヘルグリン病についての知識があったので自分で診断ができたようだ。
彼は自らヘルグリン病だと宣言し、自分を隔離している。
「感染経路は?」と、わたしは尋ねた。
すると、ミストさんが手を挙げて「人の唾液か体液だと聞いたことがあります」と答えた。
「どのような症状が出る病気なのでしょうか?」
「高熱と胃腸の症状、それとひどい倦怠感だと。人によっては咳が出ると聞いたこともありますが、先程会話をした際に咳はしていませんでした」
「本人と話したのですか?」
「はい、扉越しに」
「なんて言っていました?」
「……そのままお伝えしても?」
「はい、大丈夫です」
「リア様が避難を渋ったら、俺の代わりに力づくでも連れ出してリア様を支えろと言われました」
彼女の目が一層赤くなって潤んだ。
フィデルさんの目も赤い。
「アレンさんらしいというか……」と俯いた。彼らの顔を見ていると、わたしも泣きそうだった。
致死率の高い伝染病、発熱、そして嘔吐と聞くと、真っ先にペストが思い浮かんだ。
ただ、ペストはネズミから始まってノミが媒介することでヒトの生活圏に入ってくる伝染病だったはず。
でも、げっ歯類を食べる習慣はないし、わたしの生活圏内ではドブネズミの類は見たことがなかった。強いて言うならリスが怪しいけれども、そもそも国が防疫に気を配っている印象がある。
それに、ここは異世界だし同じ伝染病が発生するとは限らない。ヘルグリン病なんて病名も聞いたこともなかった。
普通の医療や医学の発展は期待薄だ。
伝染病だ・逃げよう!という発想が出る時点で遅れているのは間違いない。
なにせ治癒魔法が効かないわたしが受けている医療は、薬草をすり潰した粉や汁などの生薬だけだった。錠剤の薬はいまだお目にかかったことがない。
「体に斑点とかでき物は出ますか?」
「そういう話は聞いたことがありません」
「体の一部が黒く変色することは?」
「それも聞かないですね」
「やっぱりペストではなさそうですねぇ。菌かウィルスかは分かりますか?」
「ウィルスという言葉は存じませんが、おそらく菌かと」
「なるほどぉ」
菌だのウィルスだのの組成も違うのかも知れない。
体の組織や作りも違うと言っていたし……。
その病に関する本はないかと尋ねたところ、フィデルさんが「避難が前提なので意味がないと叩かれた本がある」と教えてくれた。ミストさんもその本の存在を知っていた。
「ミストさん、まずはその本を手に入れて頂けますか? 大急ぎでお願いします」
「かしこまりました。すぐに手配します」
執事長や料理長など各所のリーダーとそれぞれの補佐役に集まってもらい、皆でアレンさんの病状が分かる人の話を聞くことにした。
日頃、用があるときは自分が足を運んでいたので、わたしがそんな風に彼らを呼びつけたのは初めてだったかも知れない。
騎士団で世話係をしている人が、おずおずとアレンさんの病状を話し始めた。
高熱とひどい倦怠感、それから腹痛を訴えていて、部屋に運んだ朝食を食べた後に嘔吐したと言う。
直接の対話はせず、アレンさんがドアのところまで出てきて、会話は扉を閉めたままやり取りをした。
アレンさん自身が「扉に触れるな」「馬も離れた馬房に移せ」と指示をした。
食事もドアの前に置かせ、自分で取って閉めたらしい。
治療の目途も立たない高熱の病人が、いつまでもそんなことをできるわけがない。起き上がるのだって辛いだろう。
「水分はとれていますか?」
「昨晩、水差しにお水を。それから今朝、食事と一緒に紅茶をお持ちしました」
「え、紅茶?」
「はいっ」
嫌な予感がした。
ただただもう嫌な予感しかしない。
「あの……朝食は何を?」
「ミルクポリッジと生野菜、腸詰めとバターで炒った卵などです。毎朝同じものを召し上がるので、いつもどおりのものを厨房にお願いして運びました」
「本人がそれを食べたいと言ったのですか?」
「あ、ええとー、『何か食べられそうなものを頼んでほしい』と言われたので……」
人から気づかいと優しさを奪うくらいなら、治癒魔法なんてこの世からなくなってしまえばいいのにとすら思う。
わたしが絶句していると、料理長が憤慨して吠えた。
「朝食前にヘルグリン病だと分かっていたのに、相談をせず自己判断で朝食を注文したのですか?」
「あ、あの、はい……いつもと同じがいいだろうと……」
「厨房の者が栄養学を学んでいるのは、体調に合わせた食事を提供するためです。まず、こういうときに紅茶は水分のうちに入らない。利尿作用があるから飲んでも出ていってしまうし胃にも悪い。それから食事も大問題です。高熱と腹痛を訴えている病人の体に悪いものばかりだ。いつもと体調が違うのに、いつもと同じ食事で良いわけがないでしょう!」
料理長の腕をさすってなだめた。
治癒魔法で大半の病が治るのが当たり前という環境で生きている人々は、具合の悪い人の看病がまるでできないのだ。
眉間に深い溝を刻みながらマークさんが言った。
大切な人の命が危ない。
こんな危機的状況でも異世界の謎ルールはわたしを悩ませる。
「何もしてもらえないなんて、あんまりですっ」
「使いの者が薬師のところへ行き、症状を和らげる可能性がある薬をもらってくる。それぐらいしかしてやれることがないのです」
「それなら症状を確認して、シンドリ先生にお願いしましょう」
しかし、はたと思った。
診察も治療もできない?
それならば、一体誰がアレンさんを「死の病」だと診断したのだろう?
「あのぅ、どうして彼がヘルグリン病だと分かったのですか?」
「アレン自身が鑑定魔法で自分の病を調べました」と、フィデルさんが答えた。
「鑑定魔法……ですか」
「実は、医師が診察に使うのも鑑定魔法です。私も同じ魔法を使えますが、私と医師の間にある差は、医療知識の量です」
鑑定魔法は何度も目にしたことがある。
箱を開けなくても中身がある程度分かったし、食べ物の安全確認にも使われていた。
人に対して使うと体調などが分かるらしい。
鑑定魔法には『術者が知っていることだけが分かる』という特徴があるそうだ。
ヘルグリン病についての知識がない人が鑑定をしても「体調不良」とか「熱が三十九度ある」とか、その程度のことしか分からない。
アレンさんはヘルグリン病についての知識があったので自分で診断ができたようだ。
彼は自らヘルグリン病だと宣言し、自分を隔離している。
「感染経路は?」と、わたしは尋ねた。
すると、ミストさんが手を挙げて「人の唾液か体液だと聞いたことがあります」と答えた。
「どのような症状が出る病気なのでしょうか?」
「高熱と胃腸の症状、それとひどい倦怠感だと。人によっては咳が出ると聞いたこともありますが、先程会話をした際に咳はしていませんでした」
「本人と話したのですか?」
「はい、扉越しに」
「なんて言っていました?」
「……そのままお伝えしても?」
「はい、大丈夫です」
「リア様が避難を渋ったら、俺の代わりに力づくでも連れ出してリア様を支えろと言われました」
彼女の目が一層赤くなって潤んだ。
フィデルさんの目も赤い。
「アレンさんらしいというか……」と俯いた。彼らの顔を見ていると、わたしも泣きそうだった。
致死率の高い伝染病、発熱、そして嘔吐と聞くと、真っ先にペストが思い浮かんだ。
ただ、ペストはネズミから始まってノミが媒介することでヒトの生活圏に入ってくる伝染病だったはず。
でも、げっ歯類を食べる習慣はないし、わたしの生活圏内ではドブネズミの類は見たことがなかった。強いて言うならリスが怪しいけれども、そもそも国が防疫に気を配っている印象がある。
それに、ここは異世界だし同じ伝染病が発生するとは限らない。ヘルグリン病なんて病名も聞いたこともなかった。
普通の医療や医学の発展は期待薄だ。
伝染病だ・逃げよう!という発想が出る時点で遅れているのは間違いない。
なにせ治癒魔法が効かないわたしが受けている医療は、薬草をすり潰した粉や汁などの生薬だけだった。錠剤の薬はいまだお目にかかったことがない。
「体に斑点とかでき物は出ますか?」
「そういう話は聞いたことがありません」
「体の一部が黒く変色することは?」
「それも聞かないですね」
「やっぱりペストではなさそうですねぇ。菌かウィルスかは分かりますか?」
「ウィルスという言葉は存じませんが、おそらく菌かと」
「なるほどぉ」
菌だのウィルスだのの組成も違うのかも知れない。
体の組織や作りも違うと言っていたし……。
その病に関する本はないかと尋ねたところ、フィデルさんが「避難が前提なので意味がないと叩かれた本がある」と教えてくれた。ミストさんもその本の存在を知っていた。
「ミストさん、まずはその本を手に入れて頂けますか? 大急ぎでお願いします」
「かしこまりました。すぐに手配します」
執事長や料理長など各所のリーダーとそれぞれの補佐役に集まってもらい、皆でアレンさんの病状が分かる人の話を聞くことにした。
日頃、用があるときは自分が足を運んでいたので、わたしがそんな風に彼らを呼びつけたのは初めてだったかも知れない。
騎士団で世話係をしている人が、おずおずとアレンさんの病状を話し始めた。
高熱とひどい倦怠感、それから腹痛を訴えていて、部屋に運んだ朝食を食べた後に嘔吐したと言う。
直接の対話はせず、アレンさんがドアのところまで出てきて、会話は扉を閉めたままやり取りをした。
アレンさん自身が「扉に触れるな」「馬も離れた馬房に移せ」と指示をした。
食事もドアの前に置かせ、自分で取って閉めたらしい。
治療の目途も立たない高熱の病人が、いつまでもそんなことをできるわけがない。起き上がるのだって辛いだろう。
「水分はとれていますか?」
「昨晩、水差しにお水を。それから今朝、食事と一緒に紅茶をお持ちしました」
「え、紅茶?」
「はいっ」
嫌な予感がした。
ただただもう嫌な予感しかしない。
「あの……朝食は何を?」
「ミルクポリッジと生野菜、腸詰めとバターで炒った卵などです。毎朝同じものを召し上がるので、いつもどおりのものを厨房にお願いして運びました」
「本人がそれを食べたいと言ったのですか?」
「あ、ええとー、『何か食べられそうなものを頼んでほしい』と言われたので……」
人から気づかいと優しさを奪うくらいなら、治癒魔法なんてこの世からなくなってしまえばいいのにとすら思う。
わたしが絶句していると、料理長が憤慨して吠えた。
「朝食前にヘルグリン病だと分かっていたのに、相談をせず自己判断で朝食を注文したのですか?」
「あ、あの、はい……いつもと同じがいいだろうと……」
「厨房の者が栄養学を学んでいるのは、体調に合わせた食事を提供するためです。まず、こういうときに紅茶は水分のうちに入らない。利尿作用があるから飲んでも出ていってしまうし胃にも悪い。それから食事も大問題です。高熱と腹痛を訴えている病人の体に悪いものばかりだ。いつもと体調が違うのに、いつもと同じ食事で良いわけがないでしょう!」
料理長の腕をさすってなだめた。
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