昨今の聖女は魔法なんか使わないと言うけれど

睦月はむ

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第八章 ヴィルヘルム >9 悪夢(POV:ヴィル)

第172話:ポルト・デリング

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◇◆◇

 ランドルフ領ポルト・デリング市──
 王都から最も近い国際貿易港を要する港湾都市だ。

 このところ風が強く、輸出入の船が接岸に苦労しているらしい。そして、謎の体調不良を訴える人が急増しているという。
 叔父から実際に訪れて見てくるようにと言われ、リアを連れて出向いた。

 婚約者でもない男が、親の領地に女性を連れていくなど有り得ないことだ。
 しかし、巷では「婚約確実」と噂され、外堀だけががっちりと埋まってしまっている。俺にとっては有り難いかぎりだが、肝心の本人同士が何の進展もない。
 叔父は俺達がうまくいっていると思っているので、リアを連れていけと言った。旅好きなリアも行きたいと言う。彼女の護衛と従者を引き連れて、まるで新婚旅行のような御一行様だ。
 これでフラレたら俺はもうこの国にいられないかも知れない……。

 王都から出たことのないリアは喜んでいた。
 時々、地図を片手に馬車の窓から顔を出しては山の名前や方角を尋ねてきた。
 アレン側の窓からも頻繁に顔を出しているらしく、反対側からも楽しげな話し声が聞こえていた。

 乗り物好きのアレンが「王国内にこれ以上の馬車はない」と断言するほどの特別仕様車とは言え、馬車旅に不慣れなリアを乗せている。旅の行程は通常よりもゆっくりだ。
 途中、二か所の宿場町で宿を取った。

 立ち寄った宿で、アレンが目を輝かせて彼女の手元を覗き込んでいた。
 異世界の超難解な文字で日記を書いているのだ。
 「なんだその字は」と言いかけたが飲み込んだ。彼女の母国語は俺の想定の遥か斜め上をいくものだった。
 アレンが言うには、一文字で意味をなす字が何万と存在し、かつ一文字で母音と子音の合わさった音節文字が二種類で合計百字あるそうだ。それだけでも頭がおかしくなりそうなのに、さらに元は外国語だという子音と母音が分かれた音素文字が二十六字あり、それも日常的に使われているという。加えて数字を表す文字が二種類あるというから常軌を逸している。
 リアが簡単にこの世界の言語を読み書きしている秘密が分かったような気がした。
 オルランディア語は音素文字がたったの二十八文字だ。数字を入れても四十文字に満たない。何百字、何千字と覚えることを考えたら余裕だろう。

 ポルト・デリングに着くと、叔父から聞いていた話とは真逆の穏やかな海が俺達を出迎えた。
 俺は一体ここに何をしに来たのだろうかと呟きながら、皆と別れ、一人で市長と会った(寂しい)

 市内の数か所に妙な護符が届いた時期と、天候が荒れ始めた時期、それから病院に行列ができ始めた時期がほぼ一致していると市長は言う。
 他にも色々と妙な情報は入っているらしいのだが、いずれも原因は不明。
 時期が一致していると言うものの護符との因果関係も分かっていないようだった。

 市長の元に届いた護符を見せてもらったが、これまでに見たことのない形状かつ文様の護符だった。
 確かに見た目は護符だ。

 「しかし、起きている事象と因果関係があるとするならば、これは護符というより実質は『呪符』ではないか?」と、俺は言った。

 「やはり若もそう思われますか? ついつい見た目から『護符』と呼んでしまうのですがねぇ」と、市長は言った。

 通常、護符というのは、晴天祈願や病気平癒など、よろしくない物事を好転させ、良いものを維持する目的で作られる。
 しかし、ここで起きているのはその逆だ。つまり護符のふりをして呪っているのだ。

 市長によれば、「昨日の夕方頃から突如風が鎮まって病院も以前の状態に戻った」とのことだった。
 大体の時間が分かった時点で、俺はピンと来た。
 ちょうどその時間は俺達がランドルフ領に入った頃合いだ。
 ポルト・デリング市は飛び地なので、オルランディアを一旦出国し、友好国であるルアラン王国の端のほうに入国する。そのまま街道を突っ走って再び国境を越えるとポルト・デリングだ。
 越境の手続きをした際、時計を見たから覚えている。

「若が来るのに合わせて急に鎮まってしまいました」
「なるほどな。いや、実は……」
「はい?」
「実は今回、神薙が視察のためにお忍びで同行している」
「なるほど。だから急に!」

 市長は右の拳で左手の平をポンと叩いた。

「彼女が港に辿り着いたのはつい先程だが、昨日の夕方には市内に入って小さな宿に宿泊した」
「有り難いことです。港はどうにかこうにかやっていましたが、病院はもうギリギリでした」

 リアの祈りの恩恵と思しき現象は、今や大陸の各所で確認されている。
 王都から距離の近いポルト・デリングは、彼女の恩恵が持続的に届く範囲内にあるはずだ。
 妙な紙切れが本当に呪符だとするならば、港の機能を麻痺させる目的で送られてきた可能性もあるだろう。
 しかし、それを彼女の力が阻んでいた。ちょっと風が強い、ちょっと病院が混んでいる、その程度に抑えていた。
 たまたま彼女が現地を訪れ、彼女の恩恵がこの地を濃く覆った。

「彼女は食事のときに祈るのだが……」
「ほほう」
「旅先だということもあるのだろうが、宿場町での休憩のたびに間食をしていた。そのたびに祈るものだから、通常よりも回数が多かったのだ」
「なんと素晴らしい」
「今頃、ベストラの宿のレストランでも祈っていると思う。牡蠣を楽しみにしていたから」

 元気にパクパクと名物を食べる彼女の恩恵が、呪符の力を圧倒的に上回った。俺と市長が出した仮説はそんな感じだ。

「もし、先代のような神薙だったなら、港は崩壊していたかも知れないな」
「やめてください若。そんなことになったら、私は首をくくらねばなりません」
「俺も、金ないから騎士なんかやめろと言われそうだな」
「はああ、恐ろしいっ」

 俺達は身震いをした。
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