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悪魔の独り言1(ヴィルフリート視点)
しおりを挟む悪魔の子
それが私の名前だった。
父は、四公の一家エイシェンフォルトの遠縁とは名ばかりの、すでに血の繋がりなどまったくないような末席に位置する子爵。
母は男爵家の庶子で、その後男爵家の養女になった。二人は学園で知り合い、付き合っていた。が、すでにその時、子爵には婚約者がいた。
二人は婚約者を騙し、裏で付き合いを続け、生まれたのがこの私だ。
私と母の存在を知ったかつての婚約者で、その時には子爵夫人となっていた女性は絶望し、夫婦の部屋で首を括った。彼女は何も悪くないのに。
実際、彼女は身分こそ高くなかったけれど、まれにみる淑女という評判だったらしい。性格も優しく、穏やかな人だったと聞く。
しかし、そんな人格者でも自殺では葬儀はできない。
その為司祭は来ず、土に還る事も許されず、火葬という形だった。にもかかわらず、彼女の弔問客は後を絶たなかった。形だけではなく、本当の涙を流す友人たちは数多く、惜しむ人の数はさらにそれを上回った。本当に素晴らしい人だったのだろう。
それらの人々は、彼女を死に追いやった私の両親を許さず、彼らの悪行を言い立て、それは瞬く間に社交界全体に広がった。
それまで普通の優しい両親だと思っていた。郊外の一軒家に暮らし、穏やかな日々を送るごく普通の家庭だと。
それは彼女の死によって、否定される。
突然、人に好奇と嫌悪の眼差しを向けられ、私は怯えた。
彼らは私を指さしこう言う。
「悪魔が産んだ悪魔の子」
そして、それが私の名となった。
勿論、両親がそれ以降社交の場に出る事はなく、親戚からも縁を切られ、家業も傾いた。
元々領地も持っていないような貴族で、先代が興した商会が主な収入源だったのだが、噂が噂を呼び貴族だけでなく平民までも取引を嫌がったからだ。
経済的に追い詰められた両親は険悪な関係となり、やがて母は私を置いて家を出た。しかし、実家である男爵家からはすでに縁を切られていたので、街に出て娼婦となり、やがて病に長く苦しめられた後死んだと聞く。
父はすべてが自業自得というのを認められず酒に溺れ、私に暴力をふるう毎日だったが、ある日子爵夫人と同じ方法で世を去った。
後から入ってきたのは、父の弟という人だった。
『事故』で亡くなった父の代わりに子爵を継いだ彼には、妻と男の子がいた。
父と違い彼らから暴力を受けたことはない。代わりに無視をされた。
そこにいても、いないように扱われる毎日。幸い、彼の妻は表向きだけ夫の意向に従っているだけの人だったので、無視はしていたものの、裏で使用人に命じてくれご飯はくれていた。
因みに彼女が配慮してくれた理由は、私の顔だったそうだ。
私の顔は、実は父にも母にも似ていない。間違いなく二人の子供なのだが、二人の顔を少しずつ福笑いのように並べた結果、全く違う顔になってしまったという感のある顔だ。
綺麗と言われる事もあるが、綺麗な故に悪魔の子らしいと評されることの方が多い。
だが、彼女はその顔が気に入ったらしく、気を使ってくれたというわけだ。
そんなある日。
何が原因だったのか、きっかけだったのか、未だにわからない。わからないが、その日私は父の弟に殺されそうになった。激しく蹴られ、殴られた後、彼はナイフを取り出し私に襲い掛かってきた。
その後の事は覚えていない。気が付いた時、私は知らない場所にいた。
質素な寝具。ほとんどない家具。看護してくれていたらしい女性の服装から察するに、教会だったのだろう。
そこで私は、自分が恐怖から魔力暴走を引き起こしたらしいということを知る。
そして同時に、子爵家を出された事も知った。
今日からここで暮らす。そう言われても、何も思わなかった。すでに何に対しても感情が動かなくなっていたのだ。
教会…というか教会付きの孤児院でも、悪魔の子という私の名前は変わらなかった。誰もが私をそう言い、蔑んだ。大人も、子供も。ただ、面と向かって何かをしてくるものはいない。私の力を恐れていたからだ。
衝突があれば、まだ良かったかもしれない。良きにつけ悪きにつけ、そこから何か変わるきっかけがあるから。私はそれすらなく、ただひたすら皆から距離を取られ続けた。
そんな生活が、数か月続いたある日の事。
私に面会を求める人が来た。
面会室に向かうと、一組の夫婦の姿。
男性は黒い髪に金色の目。一目でエイシェンフォルトの系譜とわかる外見をしている。痩身でかなり背が高い。顔立ちは整ってはいるが、わかりやすい美形というより、冷たさがきわだっていた。
一方女性の方はというと。
一瞬言葉を失うほど美しい人だった。眩い金の髪を結いあげ、淑女らしく襟の詰まったドレスを着ている。人形というか、教会にある女神の像よりも美しい。金色の長い睫毛に縁どられた濃く青い瞳。すっとした鼻筋にふっくらとした赤い唇。
二人が上流社会の人間というのはすぐわかった。いでたちだけでなく、立ち居ふるまいが違うからだ。
彼らは何かを確かめるように私を見、最初に女性が頷き、その様子を見届けて男性が頷いた。
そして、その日から私はヴィルフリート・エアハルト・フォン・エイシェンフォルトとなった。
エイシェンフォルト夫妻の間には子供ができなかった。故に養子を探していたという。
条件としては、わかりやすいエイシェンフォルトの特徴を持っている事。そしてできれば魔力の高い子供、という事で私が選ばれたという。
新しい父上が言うには、最初、父上は養子を摂るなら母上の係累でも構わないと言ったそうだ。しかし、同じ四公出身の母上の係累ではよろしくない。あくまでエイシェンフォルトの係累から選ぶべき、と母上本人から諭されたらしい。
その部分を母上に譲る代わりに、父上が出したのが「魔力の強い子供」という条件だった。
母上の出身は魔導の一族ヴァイスヴァルト。エイシェンフォルトの血を持ち、魔力の強い子ならば、より自分の子として愛せると思ったという。…つまり、父上は母上にべた惚れなのだ。恐らく自分の実子だったとしても、自分そっくりだったなら愛せたかどうかわからない、と言い切ってしまうくらいには。
そうして二人の子供となったのだが、当初から二人と上手くやっていけていたわけではない。
二人も、邸の人々も優しかった。だが、どうしても魂に刻まれた『悪魔の子』という名は、常に私を苛んだ。
邸の中、私は誰とも口を聞かず、以前と同じくいてもいないかのようにふるまった。
寝ても覚めても死んでいった人たちの視線を感じる。お前は何故こちらに来ないと責められているようで。恐怖から飛び起きた事もしばしばあった。
それまでの経緯は二人も知っていたから、暫く様子を見ていた二人だったが、一向に慣れない私を案じ、客人を招く事になった。
その日、いつもは私の好きなように、好きな場所にいさせてくれていた母上に、サロンに呼び出された。
行くと、庭に続く窓を開け放った室内には、母上一人。
「お呼びですか?」
と尋ねると、母上はにっこりと笑って、私の手にいくつかの飴の包みを握らせた。
「お客様がいらっしゃっているの。お子様をお連れだから、あなたからその子に渡して下さる?」
母上は私の手を取り、そのまま庭へと出て行く。
久しぶりに外に出た私は、そこで季節の移ろいに気づいた。
私がこの邸に来たのは秋の終わりの頃だった。閉じこもっている間に冬は去り、今は春の盛り。
広い庭のあちこちで花が咲き乱れ、虫は忙しそうにそれらの間を飛び交い、鳥たちが高くさえずる。
連れて行かれたのは新緑の色に囲まれた、白いガゼボ。そこに誰かがいた。
少し近づけば親子だとわかる。母と子なのだろう。ガゼボに備え付けられたベンチに腰を下ろした母の膝に、小さな子供が乗っている。聞こえてくる二人の笑い声。ずいぶん仲がよさそうだ。
子爵夫人が亡くなる前、私も母と優しい時間をすごした。そんな事をふと思い出し、感傷に引きずられそうになった時、隣にいた母上が口を開いた。
「エーディット」
母上の声に、ガゼボにいた二人がこちらを振り返る。
女性の口元が柔らかく微笑んだ瞬間の衝撃を、私は覚えている。というか、あれは忘れられないだろう。
自分の僅かな感傷なんて、あっという間に消え、頭の中が真っ白になるくらいの衝撃だけがのこる。
コルセットがない代わりに胸の辺りで切り替わり、そのまま下へと落ちる白いドレス。そのドレスに包まれた細くしなやかな体。腰まで伸びた豪奢な金の巻き毛は、春の日差しのように柔らかな輝きを放つ。
周囲の新緑を映したかのような緑の目。透き通るような白い肌。薔薇色の頬と同じ色をした艶やかな唇。
顔立ちは母上に似ている。けれど見た目に反し、快活で豪胆で血の気の多い母上とは印象が違う。同じ光でも、春と夏が違うように。
「女神…さま?」
そう、まさに女神そのものだった。冬の厳しい寒さを退け、柔らかく明るい春の日差しを纏い、花々を統べる……。
「春の女神……」
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