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偽りの日常、偽りの幸福

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 「リディア様?お食事をお持ちいたしましたが…」

 ノックの音に続いて聞こえてきた声はアンのもので、多分、扉の向こうで私たちの会話が途切れるのを待ってくれていたのだろう。

「ああ、ありがとう。入ってくれる?」
「失礼します」
 すぐに結論をだせなかった私は、彼の体から離れると入室を許可し、アンを招き入れる。彼も返答ができない私の状況を察してか、素直に離れアンが入室するのを待った。

「お帰りなさいませ、アーサー様」
「ああ…アン。久しぶりだ。元気だったかい?」
「はい。お陰様で」

 前後の様子から、今の私たちの状況を大体理解しつつもアンはいつもと変わらない様子で入室し、手早く二人分の食事を整えてくれる。

「いきなり二人分をお願いして、シェフが驚いていなかった?」

 できるだけ、軽やかに。普段と変わらない日常的な会話を。頭の中でそれを繰り返しながらアンに尋ねると、主人の意を汲んだアンも軽く笑いながら片目を瞑った。

「リディア様が二人分食べるのかと喜んでいましたよ。リディア様は食が細くていらっしゃるからって」
「まあ、食いしん坊って思われたのね」
「ええ。お客様がいらしてると聞いて、少しがっかりしていました。けれど、こうなったら何が何でもリディア様を大食漢にするのだと、メニューを張り切って変更しようとしていました」
「頼もしいわね。でも、私としてはメニューを考えてくれるなら、メインよりデザートかしら?そうだわ!この後、庭に散歩に出ようと思うのだけれど、その際ガゼボでお茶がしたいの。急な事で悪いけど、何か甘いものを用意できるかどうか聞いてもらえる?できれば、カラメルたっぷりのプリンとか」

 甘いものは彼も好きだった。それに、お茶の時間なんて戦場ではなかっただろうから、それだけでも日常に戻れたという感になるだろう。プリンならば彼の胃にも負担にはならないだろうし。

 そう伝えると、食事を出し、お茶も入れ終わったアンはにこやかに頷き、「ではシェフに伝えてきます」と部屋を出て行った。

「じゃあ食べましょうか」

 彼女を見送り、再び二人きりになった部屋で、出来るだけ明るい声を出してアーサーを食事に誘う。彼はあまり食欲がなさそうだったが、それでもテーブルに着き…少しして遠慮がちに私を見た。

「その…悪いけど、もう少し近づいてもいいかな」

 私たちの座っているのは食堂の大きなテーブルではなく、部屋付きの小さな丸いコーヒーテーブル。それも立ち上がる時に、互いの頭が当たってしまうほどのものだ。それでも誰かに触れていないというのは、彼を不安にするのだろう。

 快く承諾すると彼は椅子を少しずらし、膝と膝が触れ合う位置まで来た。それからゆっくりと食事を始める。

 ランチの時間だが、朝食のようにスクランブルエッグにソーセージ。たっぷりの豆とグリルされた野菜。スープとパンにお茶。騎士の彼にしたら大した量でもないと思うそれにも彼は時々手を止め、その度に声をかけ食べさせる。

「もう少し食べて。この後庭に散歩に出るのよ?そんな小食では倒れてしまうわ」
「さすがに倒れないよ」
「あら?わからないわよ?タウンハウスと違ってこっちは広いのよ。倒れた貴方を私に運ばせるつもり?ほら、口を開けて」

「そんなつもりはないけど。リディア、今俺の口に入れたのって君の人参だよね」
「気のせいよ」
「相変わらず人参が嫌いなんだな」

「もう子供じゃないのだから、人参だって食べられるわ」
「だったら、口開けて?」
「…それはアーサーの人参なのだから、アーサーが召し上がって」

 膝が触れ合う距離で、互いに軽口を言いながら食事を進めると、次第に彼の口調も戻り、笑顔も浮かべるようになる。

 その後、本日は領主の仕事を休んで、二人で散歩に行く。手を繋ぎ、のんびりと。
 
 花は大分少なくなっている季節だったけれど、常緑樹は相変わらず緑の腕を伸ばし、あるかなきかの風に枝を揺らす。

 小さな小川に魚の影を探し、鳥たちの声をききながら、幼い頃過ごした時間を語り、笑いあう。

 そうして午後のお茶の時間になると、ガゼボへと向かう。そこには、お願いした通り、料理人たちが急いで作ってくれたお菓子と飲み物が用意されていた。

 ゆったりとした午後の時間。アーサーの口元には笑みが浮かび、昼寝と称して私の膝を枕にした時は、本当に幸せそうな寝顔を見せていた。

 ただ油断して手を離したりすると、目に見えて動揺が走る。

「いつの間にこんなに甘えっ子になったのかしら?」

 昼寝の後は、肩を並べて再び散歩の続き。その途中で様子を伺いつつ揶揄うと、彼は恥ずかしそうに目元を染めながら、私の髪を掬い取り、その毛先に接吻けた。

「君に触れている間だけ、夢じゃないって思うんだ。俺はここにいるんだって。あんな戦場じゃなくて…」

 そう…と言いながら、私は自然に浮かんできた涙を隠すために彼を抱きしめた。

「じゃあ、全身で感じて頂戴。貴方は平和なこの領にいて、私に抱きしめられているのよ?どう?苦しいでしょう?」

 ぐいぐい両手で力一杯抱きしめると、彼は笑い声をあげ、仕返しとばかりに私を抱き上げてその場でぐるぐると回った。

「ああ。最高の気分だ」

 彼の笑顔が悲しかった。こんな些細な事でこんなに幸せそうに笑う彼が。




 父に手紙を書いたものの、王都までは馬で数日。当然返事が返るのも数日。その間、アーサーは生理的な事情以外ずっと私の側に居た。目を離せば、全てが消えてしまうとでも思っているように。

 日中は私の仕事に付き合い、夜は一緒に眠る。起きている間も事あるごとに接触を求め、ほとんど離れない。

 それは、三日目に訪れた孤児院で、遠慮のない子供たちに「引っ付き虫」というあだ名を付けられたほど。なのに英雄の彼は、その不名誉なあだ名を気に入ったらしい。

 わざと私にくっつき、子供たちに大声で罵られつつ、彼は笑っていた。本当に楽しそうに。




 そうして、一週間が過ぎる頃、王都からの返事がやってきた。

 なんと手紙などではなく、父本人が直接のりこむという形で。

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