7 / 14
訪問者は突然に
しおりを挟むその日、いつものようにアンに寝支度を整えてもらい、いつものように、おやすみなさいを言ってベッドに入った。
寝る前に月を見ていて、一か所だけカーテンを閉め忘れたのは覚えている。
でも、寝所は三階にあるし、窓を開けているわけではないから、誰かに侵入されることも覗かれる事もないだろうと考えていた。
なのに。
今ベッドの上で馬乗りに乗られ、片手で口を塞がれている……。
これは一体どういう状況なのか。驚きの方が多くて、恐怖心があまりない。ただただ目を丸くして見ていると、体の上にいた人が顔を近づけてくる。強盗ではなく夜這いか?と身を固くしたその時。
「……リディア」
「!」
懐かしい声。暗がりの中だから顔は定かではないけれど。忘れもしなかった…離れていた時もいつも繰り返し思い出していた声。
「……アーサー?」
口を塞ぐ手が少し緩んだ隙に小さく呼びかければ、あからさまに彼が肩から力を抜く。私がいきなり叫んだりしなかったからだろう。
彼は私の口元から手を外し、私に覆いかぶさると、そのまま抱きしめる。
驚いて何も考えられず、ただ幼い頃からの習性でその背に手を回すと、微かに震えている。
耳元に感じる湿っぽく熱い息。
これは…多分……。
「?泣いているの?」
尋ねると、より震えが大きくなり、抱きしめる腕の力も強くなる。いや、抱きしめるというより、これは縋りつくと言った感じだ。溺れた人が助けに来た人にしがみ付く、そんな感じ。一体どうしたのか。
「何か…悲しい事があったの?」
「………」
彼は答えずに顔を少しだけ上げ、涙に濡れた目で私を見つめる。
その目に既視感を覚えた私は、彼の背に回していた手を一度離し、それから改めて、自分の方から彼を抱きしめた。そうして彼の頭を撫ぜ、小さな子供をあやすように彼の背中を軽く叩く。
かつてしていたように。
「大丈夫よ。大丈夫」
騎士になりたいと言う割に、幼い頃から少し繊細な所があった彼は、時折こうして情緒不安になる事がある。大抵の場合は、実力不足で悩んでいる時や、逆に力を誤って相手に深い怪我を負わせてしまった時。
そんな時、私は庭の片隅で泣く彼を探し、彼を抱きしめて落ち着くまで慰めた。
流石にお互い成長するにしたがって、そんな事は少なくなっていたけれど。
何かあったのだろうか?
「ご家族に何かあったの?」
英雄としての地位が確立した今、彼が不安になる事といったら、家族のことだろう。そう思って尋ねた私に彼は首を横に振る。
「……違う…」
掠れた声。
「そう…。じゃあ仕事で何かあったの?」
以前と立場が大きく変わったから、不安だったのだろうか。
私の質問に彼の声が大きくなった。
「…違う!そうじゃない。…家族なんて……いない…」
「?」
どういう意味だろうか?いくら彼の噂が耳に入らないとはいっても、さすがに彼の両親や妻子に何かあれば、兄や父から連絡が入ると思う。貴族同士の『家』とはそういうものだ。
でも彼のこの憔悴の仕方は……。と考え、私はある事を思い出した。
戦場に行った人は、心に大きな負荷がかかる。
それは、所属していた軍人婦人会でよく聞いた話だった。
平気そうに見える人でも、夜中に叫び声を上げて飛び起きたり、以前とは別人のような性格になったりするとか。酷いと、日常生活も送れなかったりする人もいるらしい。戦場での傷は目に見えるものだけではないのだ。
英雄とはそれだけ人を殺めたということ。繊細な彼にとって、それはどれほど心の負荷になったのか。
それを想像し、私はそっとため息を吐いた。
家族には心配かけたくなかったのかもしれない。でも彼の為人や事情の全く知らない人に、内側の傷を見せる事はできない。だからここまで来たのだろうか?王都からかなり離れたこんな場所に。
そんなに追い詰められているのね…。
彼の心情を思うと、こちらが泣きそうになる。死と隣り合わせで、自分が死なない為に他者を切る。死骸が山と成す戦場で、自分が選んだ道とはいえ、彼の望んだ未来はあんな形ではなかったと思う。
腕は立っても心が追い付いていない。そんな彼がどんな思いで毎日を生き延びていたのか。どれだけ苦しかっただろう?どれだけ不安だったのだろう?英雄と崇められる事は、大量殺人者だと言われているのと同じ。
そんな事も私は考えずにいた。帰って来た日常の中で、他の人はそうと思わず言っている言葉が、そのまま刃となって彼の心を傷つけたかもしれないのに。
首筋に埋めるようにしていた彼の顔を、両手で支えて上げさせ、私はその額と頬にキスをする。
「大丈夫。もう、大丈夫だから」
昔、そうだったように、安心させるように微笑む。彼は一度息を飲み、それから私の唇に自分の唇を押し付けた。
自分の中の不安を、私に押し付けるように。それを拒むことなく受け入れる。
接吻けが深くなっても、彼の手が胸に及んでも、彼の行動を否定しない。
その先に進んでも。彼のしたいように、拒むことなく、彼の熱を受いれた。
性行為というより治療行為。
ただただ彼の不安を受け止め、浄化させる。愛という情でなく、肉欲と言う衝動でもなく、ただ相手を癒すだけの行為。彼を彼に戻す為の一時的なもの。
夜の静寂に何度も「大丈夫」と繰り返し、求められるままに体を重ねる。初めての行為はさすがに体に負担がかかったけれど、明け方隣で眠る彼の顔を見ると、不満よりも安堵の方が大きかった。
3,600
お気に入りに追加
6,989
あなたにおすすめの小説
私は王妃になりません! ~王子に婚約解消された公爵令嬢、街外れの魔道具店に就職する~
瑠美るみ子
恋愛
サリクスは王妃になるため幼少期から虐待紛いな教育をされ、過剰な躾に心を殺された少女だった。
だが彼女が十八歳になったとき、婚約者である第一王子から婚約解消を言い渡されてしまう。サリクスの代わりに妹のヘレナが結婚すると告げられた上、両親から「これからは自由に生きて欲しい」と勝手なことを言われる始末。
今までの人生はなんだったのかとサリクスは思わず自殺してしまうが、精霊達が精霊王に頼んだせいで生き返ってしまう。
好きに死ぬこともできないなんてと嘆くサリクスに、流石の精霊王も酷なことをしたと反省し、「弟子であるユーカリの様子を見にいってほしい」と彼女に仕事を与えた。
王国で有数の魔法使いであるユーカリの下で働いているうちに、サリクスは殺してきた己の心を取り戻していく。
一方で、サリクスが突然いなくなった公爵家では、両親が悲しみに暮れ、何としてでも見つけ出すとサリクスを探し始め……
*小説家になろう様にても掲載しています。*タイトル少し変えました
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
愛しているからこそ、彼の望み通り婚約解消をしようと思います【完結済み】
皇 翼
恋愛
「俺は、お前の様な馬鹿な女と結婚などするつもりなどない。だからお前と婚約するのは、表面上だけだ。俺が22になり、王位を継承するその時にお前とは婚約を解消させてもらう。分かったな?」
お見合いの場。二人きりになった瞬間開口一番に言われた言葉がこれだった。
初対面の人間にこんな発言をする人間だ。好きになるわけない……そう思っていたのに、恋とはままならない。共に過ごして、彼の色んな表情を見ている内にいつの間にか私は彼を好きになってしまっていた――。
好き……いや、愛しているからこそ、彼を縛りたくない。だからこのまま潔く消えることで、婚約解消したいと思います。
******
・感想欄は完結してから開きます。
【完結済み】婚約破棄致しましょう
木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。
運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。
殿下、婚約破棄致しましょう。
第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。
応援して下さった皆様ありがとうございます。
本作の感想欄を開けました。
お返事等は書ける時間が取れそうにありませんが、感想頂けたら嬉しいです。
賞を頂いた記念に、何かお礼の小話でもアップできたらいいなと思っています。
リクエストありましたらそちらも書いて頂けたら、先着三名様まで受け付けますのでご希望ありましたら是非書いて頂けたら嬉しいです。
いらないと言ったのはあなたの方なのに
水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。
セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。
エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。
ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。
しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。
◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬
◇いいね、エールありがとうございます!
【完結】モブなのに最強?
らんか
恋愛
「ミーシャ・ラバンティ辺境伯令嬢! お前との婚約は破棄とする! お前のようなオトコ女とは結婚出来ない!」
婚約者のダラオがか弱そうな令嬢を左腕で抱き寄せ、「リセラ、怯えなくていい。私が君を守るからね」と慈しむように見つめたあと、ミーシャを睨みながら学園の大勢の生徒が休憩している広い中央テラスの中で叫んだ。
政略結婚として学園卒業と同時に結婚する予定であった婚約者の暴挙に思わず「はぁ‥」と令嬢らしからぬ返事をしてしまったが、同時に〈あ、これオープニングだ〉と頭にその言葉が浮かんだ。そして流れるように前世の自分は日本という国で、30代の会社勤め、ワーカーホリックで過労死した事を思い出した。そしてここは、私を心配した妹に気分転換に勧められて始めた唯一の乙女ゲームの世界であり、自分はオープニングにだけ登場するモブ令嬢であったとなぜか理解した。
(急に思い出したのに、こんな落ち着いてる自分にびっくりだわ。しかもこの状況でも、あんまりショックじゃない。私、この人の事をあまり好きじゃなかったのね。まぁ、いっか。前世でも結婚願望なかったし。領地に戻ったらお父様に泣きついて、領地の隅にでも住まわせてもらおう。魔物討伐に人手がいるから、手伝いながらひっそりと暮らしていけるよね)
もともと辺境伯領にて家族と共に魔物討伐に明け暮れてたミーシャ。男勝りでか弱さとは無縁だ。前世の記憶が戻った今、ダラオの宣言はありがたい。前世ではなかった魔法を使い、好きに生きてみたいミーシャに、乙女ゲームの登場人物たちがなぜかその後も絡んでくるようになり‥。
(私、オープニングで婚約破棄されるだけのモブなのに!)
初めての投稿です。
よろしくお願いします。
婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた
cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。
お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。
婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。
過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。
ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。
婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。
明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。
「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。
そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。
茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。
幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。
「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?!
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
今さら、私に構わないでください
ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。
彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。
愛し合う二人の前では私は悪役。
幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。
しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……?
タイトル変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる