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訪問者は突然に

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 その日、いつものようにアンに寝支度を整えてもらい、いつものように、おやすみなさいを言ってベッドに入った。

 寝る前に月を見ていて、一か所だけカーテンを閉め忘れたのは覚えている。

 でも、寝所は三階にあるし、窓を開けているわけではないから、誰かに侵入されることも覗かれる事もないだろうと考えていた。

 なのに。

 今ベッドの上で馬乗りに乗られ、片手で口を塞がれている……。

 これは一体どういう状況なのか。驚きの方が多くて、恐怖心があまりない。ただただ目を丸くして見ていると、体の上にいた人が顔を近づけてくる。強盗ではなく夜這いか?と身を固くしたその時。

「……リディア」
「!」

 懐かしい声。暗がりの中だから顔は定かではないけれど。忘れもしなかった…離れていた時もいつも繰り返し思い出していた声。

「……アーサー?」

 口を塞ぐ手が少し緩んだ隙に小さく呼びかければ、あからさまに彼が肩から力を抜く。私がいきなり叫んだりしなかったからだろう。

 彼は私の口元から手を外し、私に覆いかぶさると、そのまま抱きしめる。

 驚いて何も考えられず、ただ幼い頃からの習性でその背に手を回すと、微かに震えている。

 耳元に感じる湿っぽく熱い息。

 これは…多分……。

「?泣いているの?」

 尋ねると、より震えが大きくなり、抱きしめる腕の力も強くなる。いや、抱きしめるというより、これは縋りつくと言った感じだ。溺れた人が助けに来た人にしがみ付く、そんな感じ。一体どうしたのか。

「何か…悲しい事があったの?」
「………」

 彼は答えずに顔を少しだけ上げ、涙に濡れた目で私を見つめる。

 その目に既視感を覚えた私は、彼の背に回していた手を一度離し、それから改めて、自分の方から彼を抱きしめた。そうして彼の頭を撫ぜ、小さな子供をあやすように彼の背中を軽く叩く。

 かつてしていたように。

「大丈夫よ。大丈夫」

 騎士になりたいと言う割に、幼い頃から少し繊細な所があった彼は、時折こうして情緒不安になる事がある。大抵の場合は、実力不足で悩んでいる時や、逆に力を誤って相手に深い怪我を負わせてしまった時。

 そんな時、私は庭の片隅で泣く彼を探し、彼を抱きしめて落ち着くまで慰めた。

 流石にお互い成長するにしたがって、そんな事は少なくなっていたけれど。

 何かあったのだろうか?

「ご家族に何かあったの?」

 英雄としての地位が確立した今、彼が不安になる事といったら、家族のことだろう。そう思って尋ねた私に彼は首を横に振る。

「……違う…」

 掠れた声。

「そう…。じゃあ仕事で何かあったの?」

 以前と立場が大きく変わったから、不安だったのだろうか。

 私の質問に彼の声が大きくなった。

「…違う!そうじゃない。…家族なんて……いない…」
「?」

 どういう意味だろうか?いくら彼の噂が耳に入らないとはいっても、さすがに彼の両親や妻子に何かあれば、兄や父から連絡が入ると思う。貴族同士の『家』とはそういうものだ。

 でも彼のこの憔悴の仕方は……。と考え、私はある事を思い出した。

 戦場に行った人は、心に大きな負荷がかかる。

 それは、所属していた軍人婦人会でよく聞いた話だった。

 平気そうに見える人でも、夜中に叫び声を上げて飛び起きたり、以前とは別人のような性格になったりするとか。酷いと、日常生活も送れなかったりする人もいるらしい。戦場での傷は目に見えるものだけではないのだ。

 英雄とはそれだけ人を殺めたということ。繊細な彼にとって、それはどれほど心の負荷になったのか。

 それを想像し、私はそっとため息を吐いた。

 家族には心配かけたくなかったのかもしれない。でも彼の為人や事情の全く知らない人に、内側の傷を見せる事はできない。だからここまで来たのだろうか?王都からかなり離れたこんな場所に。

 そんなに追い詰められているのね…。

 彼の心情を思うと、こちらが泣きそうになる。死と隣り合わせで、自分が死なない為に他者を切る。死骸が山と成す戦場で、自分が選んだ道とはいえ、彼の望んだ未来はあんな形ではなかったと思う。

 腕は立っても心が追い付いていない。そんな彼がどんな思いで毎日を生き延びていたのか。どれだけ苦しかっただろう?どれだけ不安だったのだろう?英雄と崇められる事は、大量殺人者だと言われているのと同じ。

 そんな事も私は考えずにいた。帰って来た日常の中で、他の人はそうと思わず言っている言葉が、そのまま刃となって彼の心を傷つけたかもしれないのに。

 首筋に埋めるようにしていた彼の顔を、両手で支えて上げさせ、私はその額と頬にキスをする。

「大丈夫。もう、大丈夫だから」

 昔、そうだったように、安心させるように微笑む。彼は一度息を飲み、それから私の唇に自分の唇を押し付けた。
自分の中の不安を、私に押し付けるように。それを拒むことなく受け入れる。

 接吻けが深くなっても、彼の手が胸に及んでも、彼の行動を否定しない。

 その先に進んでも。彼のしたいように、拒むことなく、彼の熱を受いれた。

 性行為というより治療行為。

 ただただ彼の不安を受け止め、浄化させる。愛という情でなく、肉欲と言う衝動でもなく、ただ相手を癒すだけの行為。彼を彼に戻す為の一時的なもの。

 夜の静寂に何度も「大丈夫」と繰り返し、求められるままに体を重ねる。初めての行為はさすがに体に負担がかかったけれど、明け方隣で眠る彼の顔を見ると、不満よりも安堵の方が大きかった。


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