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幼馴染を奪われてしまった

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ようやくレンが家に帰ってきてくれたのに、手を繋いで家の中に入れようとした瞬間、バチンッ! と弾けるような音と感覚がしてレンの手を離してしまった。

「あれっ?」

静電気のような音だったが、手全体の痺れるような痛みは静電気どころではない。レンも同じ痛みを感じたのかポカンとした顔で自分の手を見つめている。

「レン、手大丈夫か?」

玄関扉をくぐれないようなので外に出てレンの元へ戻る。レンは無言で手を突き出してきた、さっきまで握っていた手だ。

「あ……鱗剥がれてる! 痛いのか? これ。血は出てないな。霊体って血はあんまり出ないんだっけ」

俺を助けるために怪異を喰って異形化が進んだレンの手足は蛇の鱗に覆われているのだが、その鱗が一部剥がれていた。

「なんで家に入れないんだろ……」

レンは俺をすり抜けて開け放たれたままの玄関に入ろうとするが、見えない壁にぶつかって入れないようだ。

「なんかパントマイムしてるみたいだな」

静電気のような音と強い衝撃は俺がレンの手を掴んで無理に引っ張り入れようとした際にのみ発生するらしい。

「壁の触感? ってどんな感じなんだ? ガラス? 薄そう? 分厚い?」

『ゴム製の、ガラス』

「一言で矛盾しないでくれよ。俺が知ってる材質じゃないってことだな」

しかしそんな見えない壁が発生している理由が分からない。

「うーん……? とりあえずさ、レン、今まで何してたか教えてくれよ。どうして急に居なくなったんだ? 俺を助けてくれた後、セックスして……なんで一人でどっか行っちゃったんだよ。あの後一人で帰るの大変だったし、ずっと寂しかったんだぞ」

『お腹、空いたから』

耳まで裂けた大きな口、蛇のように長く先端が割れた舌、歯が全て犬歯になってしまったような鋭い牙、それらにまだ慣れていないのか、霊体のレンの話し方はたどたどしくて可愛らしい。

「なんか幽霊食べてたけど……」

『もち、美味しそうに見えた』

「え」

自由自在に動くようになったらしい、ショートヘアの肉体とは違う長過ぎる茶髪が俺に絡み付く。鋭く伸びた爪が俺の頬をくすぐるように撫でる。

『柔らかくて、温かい』

「ま、まぁ……人間だからな」

『可愛い』

「ありがとう……?」

しゅうしゅうと蛇のような声……? を漏らし、舌をチロチロと出し入れし、時折牙をチラつかせる。
髪に捕らえられたままそんな仕草をされては、これから捕食しますと言われているようで、少し怖い。でも「可愛い」と言われた照れが勝って頬が熱くなる。

『柔らかくて、温かくて、可愛いもの……つついて、噛み付いて、飲み込みたくなる』

「う、うーん……?」

寝ているハムスターをつつき回したくなるのと同じ感情だろうか? その程度の衝動しか俺には経験がない。

『食べたい』

長い舌が俺の頬を舐める。

『でも食べたら居なくなるから、もち居なくなったら嫌だから、他のそんなに美味しくないので腹膨らませてきた』

「回転寿司行く前にカップ麺食べる的なアレだな……!?」

『そう……?』

異形化が進んで蛇らしさが増したせいかレンは表情変化が希薄になった。無表情のまま首を傾げるレンは可愛らしくて、今にも捕食されそうな状況なのに笑顔になってしまう。

「もうお腹いっぱいか?」

『うん……もち食べたいけど、入らない』

「そっか。レンが居なくなってた理由は分かった、やっぱり俺のためだったんだな。ありがとう……もしかして嫌われたのかなとか考えて不安だったんだ、疑ってごめんな、頑張ってくれてたんだな、ありがとう。今はただ、帰ってきてくれて嬉しいよ」

『怖くないのか……?』

「食べないために頑張ってくれたんだろ?」

食欲を向けられているのは怖いけれど、レンへの信頼と愛情がその恐怖心を覆い隠す。

「お腹いっぱいなんだろ? じゃあ大丈夫だよ」

『猛獣、飼ってる……海外の富豪』

「あははっ、結構喋れるようになってきたな」

レンが帰ってこなかった理由は分かったし、ぼんやりした表情と不気味な雰囲気もレンの内面には影響を与えていないということも分かった。

「とにかく、本当に……おかえりなさい、レン」

『うん……ただいま、もち。家……入れねぇけど』

「それマジでどうしような」

レンは見えない壁に爪を突き立て、ギギギ……と不快な音を鳴らした後、ふよふよと浮かんで家の全面をじっくりと観察した。家の周りを回るレンを庭を走って追いかけた俺はレンの足や髪しか見ていられなかった。

『もち、これ』

「何だ?」

俺と目線の高さが合う位置まで降りてきたレンが指したのは、玄関扉の上に貼られた御札らしきものだ。漢字が書いてあるようだが、読めない。

『こっちも』

裏口の扉の上、窓の上、換気口の横、全部で四枚、東西南北の壁に貼られていた。

「貼ってる位置高いなぁー……」

『この札、嫌……すっごい嫌な感じする』

「えぇ……?」

『唐辛子の汁、かけられたみたいな……火、近付けられてるみたいな。ヒリヒリして、ジリジリして……全身ちょっとずつ痛い』

「マジか。ちょっと離れとけよ」

レンは塀をすり抜けて塀の向こうから顔の上半分だけを覗かせ、じとっとした目で俺を見つめた。可愛らしい。

『アレのせいで家に入れないんだと思う。全部剥がして燃やしてくれ』

「分かった。もうしばらくの辛抱だからな、レン」

と請け負ったのはいいものの、どれも高い位置に貼られていて手が届かない。脚立なんてあっただろうかとしばらく考えて、俺は家の中へ戻った。

「センパイ、ちょっといいですか?」

「……何だ?」

「レンが戻ってきたんです」

「……本当か? そうか、よかったな。具合はどうだ?」

「あ、えっと……身体には戻ってきてないんです」

首を傾げるセンパイに俺はレンが家の中に入れず困っていることをかいつまんで話し、レンを家から閉め出している原因らしい御札を剥がすのを手伝って欲しいと頼んだ。

「…………アレか?」

「はい、センパイなら届きませんか? 届かなかったら俺を肩車して欲しいんですけど」

「……剥がしていいものなのか? 兄ちゃんの上司が結界を張ったと言っていただろう、それじゃないのか?」

「さぁ、結界張ったって話しか聞いてないんで分かりません」

センパイは訝しげに御札を見つめている。

「レンが閉め出されるようなのがいい御札な訳なくないですか?」

「…………本当に如月なのか? ノゾム、お前確か……兄ちゃんの声を真似た霊に誘い出されて襲われたんだよな?」

「アレは声だけだったから……レンはレンですよ。レン! ちょっとこっち来てくれよ、センパイが信用してくれないんだ!」

俺の声を遮るようにカラスがガァガァと鳴き喚く。その声にも羽ばたきにも理由があるようには見えない。

「……っ!?」

塀をすり抜けてレンが現れた。

「ごめんな、札に近寄ると痛いんだよな。センパイ、ほら、レンですよ」

塀に身体の後ろ半分を埋めたまま近寄ってこないレンの元へ行こうとするとセンパイに左腕を掴まれた。

「…………アレが、如月だと? 正気かお前……あんなに分かりやすく怪物じゃないか」

「なっ……なんてこと言うんですか! 強くなったら霊体は形が人間からちょっと離れちゃうんですよ、センパイには異形化の説明してませんでしたね。それはごめんなさい、でもレンなんですよ、そんなこと言わないでください、レンは繊細なんですよ! 謝ってください」

俺の腕を掴むセンパイの力は強い。レンをレンに化けている怪異と勘違いをして警戒しているのだろう、だからって強く握り過ぎだ。

「痛い……」

センパイに文句を言うでもなく、ただの独り言として呟いた瞬間、レンが髪の毛を逆立ててセンパイに詰め寄った。

『もちを離せ!』

「レン、大丈夫、俺大丈夫だから……!」

レンは俺の右腕を掴み、引っ張る。センパイが対抗して引っ張り返し、俺の両肩が軋む。

「……っ、離せ、怪物!」

『お前が離せ! 返せ!』

「ちょっ……ふ、二人とも落ち着いて! やめて、痛いって!」

痛いと大声を上げると二人とも反射的に俺の腕を離し、俺はその場にへたり込んだ。すぐにセンパイが俺の胴に腕を回して家の中に飛び込み、家の中に入れないレンは見えない壁を叩き、引っ掻き、家の中の俺達には聞こえない声を上げた。
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