不可思議短編集

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龍の贄

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青く澄み渡る空、柔らかい入道雲。
暑さを際立たせる蝉達の鳴き声に、慌ただしい大人達。
私は今日、死にます。
村を守る龍神様への供物として捧げられるのです。
怖くなんてない、悲しくなんてない、村のためだから。
もう何百年もずっと繰り返してきた事だから。


切り立った岩山の頂上の祭壇には、上等な酒に村で採れた作物が並べられている。
少女は祭壇の前に立ち、周囲の大人を虚ろな目で眺めていた。
生贄の少女にはある薬草の煙を嗅がせてある、そうすれば役目を放棄することはない。
思考能力が落ち、体の動きや感覚も鈍る。
一時的なものではあるが、龍が来るまでは効くように計算されている。
龍が来てしまえば少女はもう逃げられないのだから、鋭い牙で貫かれる痛みを麻痺させるためではないのだから。

白木で作られた豪奢な祭壇には龍に捧げる供物が並べられた。
その中心に座った少女以外に人影はない、村人達は供物を置いてそそくさと帰ってしまった。
誰も龍になど会いたくないのだ。

薬草の効果はまだ続いており、少女は逃げようとはしない。
もっとも、薬草など使わなくともこの少女は逃げようとはしなかっただろう。
村のためにと自ら贄を買って出たのだから。

少女は両親の顔を知らない、孤児である。
内向的な少女は村の民と親しく付き合うことが出来なかった、一人きりで生きていた。
孤独な少女は自らの生きる意味を見い出せず、死ぬ理由を探していた。

生きていたくはないけれど、自ら命を絶つ勇気はない。

そんな少女にとって龍神様への生贄という名誉の死は願ってもない好機だったのだ。
薬草によって曖昧になった狭い世界で、少女は願いを叶える龍を心待ちにしていた。

青い空は闇色に変わり、怪しく輝く月が出た。
少女と村人にとっては希望の──部外者にとっては俗悪な魔物。
龍が祭壇の前に降り立った。
重さを感じさせずに四本の足を地に触れさして、月明かりに輝く鱗を見せびらかすように首を振った。

乱雑に酒樽の蓋を破り、下品にも首を突っ込んだ。
上等な酒が無節操に龍の喉を通り、俗っぽい音を立てた。
酒の出来に満足した龍は、綺麗に並べられた作物を食い散らかす。
半分以上も喰い残し、龍は前菜を終えた。
そう、主菜は少女だ。

まだ薬草が効いているのか、それともかねてよりの願いが故か、少女は真っ直ぐに龍を見つめ返した。
龍の縦長の瞳孔が少女を捉え、膨らむ。
酒臭い息を吐き、龍は鈍重な動きで口を開く。
美しく白く鋭い牙が眼前に迫ろうとも少女は身動ぎもしない。

龍はそのまま少女を喰う──かと思われた。
見ていた者はいないが、もしいたとしたら声を上げて驚いただろう。
あの意地汚い龍が大好物を喰わなかった、と。
龍は少女の着物を咥え、長い首を回して少女を己の背に乗せた。
龍は満腹で後で喰うために少女を連れ帰った、見ていた者がいたのなら村人にはそう伝えただろう。

隣の岩山の中腹に掘られた龍の巣は、月の明かりも届かずに薄暗く冷たい。
薬草の効果が切れたらしい少女は現状をゆっくりと認識し始める。
そして少女の考えはまとまった、自分は朝食だ。
だがその考えは外れていた。
龍は朝になっても昼になっても少女に触れもせず、ただ遠巻きに眺めていた。
しびれを切らした少女は龍に話しかける、龍に人の言葉が通じるかどうかなど考えもせずに。

「私を食べないのですか? いつ食べてくれるのですか?」

その言葉を聞き龍は僅かに目を見開いた、だが恐怖で後ずさった少女を見て目を閉じた。

「龍神様、私は貴方の好みには合いませんか?」

夕食にもならないかもしれないと何の根拠もない不安に駆られ、少女は恐れながらも捲し立てる。

「私は、貴方に喰われるためにこの歳まで育ったのです。貴方が私を食べないのであれば、私の生きた意味は本当に無くなってしまいます。そんなのは……嫌、です。私を食べてください」

膝を折り、頭を下げた。
普通の環境で育った平凡な人間であれば、逆の言葉で頭を下げるだろう。
龍も命乞いなら何度も聞いた、だが自らを食せなどとは聞いたことがない。
悠久の時を生きた龍は久しぶりに新鮮な気持ちを取り戻した。

寝転がっていた龍はその重い腰を上げ、鈍重な動きで少女に歩み寄った。
いや、歩むと言うよりは這いずったと言った方が正しいだろうか。
少女は頭を上げ、祈るように瞼を閉じる。
その祈りは、安らかな死。

だが少女の願いは裏切られる。
龍は固く口を閉じたまま少女に頬擦りをした。
少女の体に頭を擦りつけ、愛でるように顔を舐める。

「……え?  あ、あの、龍神様」

予想外の展開に頭が追いつかず、少女は龍に身を委ねた。
低く唸る龍の瞳には、少女が今までに向けられたことのない感情が秘められていた。
経験のない視線の意味が分からず、ただただ困惑する。
そして自分はまだ死なないと悟り、絶望と一欠片の安堵を抱いた。



数日が過ぎた龍の巣、少女はまだそこに居た。
何も無かった巣の中は果物や野菜で埋め尽くされている。
龍は昼間、どこからともなく──いや、周囲の村から人間の食物を持ってきた。
少女はそれを食べて生きている、本意かどうかは別として。
龍は決して少女を巣から出さなかったが、少女を傷つけることはなかった。

「龍神様は、私を食べてくださらないのですね」

幾度となく発した言葉。
その返事はない。

「貴方は、私をどうしたいのですか?」

少女がそう続けると龍は決まって擦り寄った。
その行為の意味が分からない少女は、暇つぶしにと輝く鱗を数えた。

龍が食物を持ってくるのも、体を擦り寄せるのも、どちらも求愛行動だ。
龍は死にたがりの少女に生まれて初めての恋をしていた。
龍が人間に惚れるのはそう珍しい話ではない、その逆もまた然り。
いつの日か少女が求愛に答え、己を愛してくれると信じていた。
残虐で獰猛で身勝手な龍は、この世の何よりも純粋だったのだ。
龍神などと呼ばれているだけの、ただの子供だった。

夜は更け、少女は龍が奪い取った布団で眠っていた。
柔らかい絹に触れたこともない少女の寝顔はこれ以上なく幸せそうだ。
龍は鱗に反射した月の明かりを頼りに少女の寝顔を眺めていた。
そしてぼんやりと妄想するのだ。

「龍神様、貴方の思いに答えましょう。たった今から私は貴方の妻です」

恥ずかしさのあまり首を振り、頭を冷やそうと巣から出た。
あの少女はいつ振り向いてくれるだろうか、もっといい物を持ってくれば、もっと擦り寄れば、そんな考えばかりが浮かんで頭は冷えない。
入口から少女を見た、儚い美しさは庇護欲を煽る。
そして加虐性も。
龍の本能が疼く、手っ取り早い方法が思いつく。
眠っているところを、いや眠っていなくとも抵抗は出来ない。
無理矢理に襲ってしまえばいいのでは、少女を手に入れる最低な手段を見つけてしまった。
今近づけばきっと実行してしまう、龍は巣の外で眠りについた。


目を覚ました少女は驚愕した。
辺りに漂う血の匂い、巣の外から流れてきたらしい赤い液体。
健康的な雰囲気の太陽の光を反射し、てらてらと不気味に光る臓物。
怯えながら足を踏み出す、入口からそっと顔だけを覗かせた。

「龍神様……? いらっしゃらないのですか?」

あの龍はいない。
足元に散らばった肉片を素足で踏み、微かに音の聞こえる岩山の頂上へと向かった。
そこに龍はいた、剣を持った男と共に。
男の振るう剣は龍の硬い鱗を裂き、毒々しい赤を撒き散らした。

わけも分からず叫ぶ少女に、男は龍を忘れて駆け寄った。
この男は近辺の村の民に依頼された魔物狩りの者だ、贄を要求する邪龍を討伐するためにここまで来た。
仲間は皆龍に喰われた、だがそれでも引くわけにはいかない。

「大丈夫、落ち着いて!  すぐにあの邪龍を倒して君を村に帰してあげるから!」

男はそう言って少女を抱き締めた。
それが龍の逆鱗に触れた。

少女が次に目を開けた時、そこに人はいなかった。
あるのは血溜まりと何かを咀嚼する龍だけ。

「龍神様…?」

戦いの最中に相手に背を向けるなど愚の骨頂。
その上相手の愛する者に触れたとなれば、もう助かる道はない。

「何を、食べているのですか」

少女は龍の巣に連れて来られてからずっと、龍は人を食べないのではないかと考えていた。
異形を恐れた人間が勝手に生贄を捧げているのではないかと、今までの生贄も自分のように手厚く保護されたのではないかと。

龍はおもむろに上を向く。
喉を何かが通り、勝利の雄叫びをあげた。
龍は鈍重な動きで少女に近寄る、今の勇ましい姿を見たのなら、少女の心はもう自分のものだろうと。
だが、龍の期待は裏切られる。

「いや、来ないで!」

あまりの言葉に龍の体が止まる。
思考も止めた、目を見開いて少女の次の言葉を待った。

「このっ……化物」

龍が少女の言葉を理解するのには時間がかかった。
ようやく理解した頃には怒りで我を失っていた。
大きく口を開き、少女へ牙を振り下ろす。

叫ぶことも出来ず少女はその場にへたり込む、龍の顎の間で震えている。
ずるりと首をあげた龍は、悲しみに満ちた瞳で少女を見つめた。
龍には愛した少女を喰い殺す程に理性のない獣ではなかったし、またそれに耐えられる心を持っていない。

死にたがりの少女はもういない。
龍の恋した少女はもういない。
ここにいるのは凡百な人間と同じ、死と龍を恐れる孤独な少女だ。

そう、孤独な少女だ。
龍にも見捨てられ、自ら命を絶つ勇気もなく、呆然と山の天辺にいるだけの。

龍は遠くの山に飛んでいった。
人などもう見たくもない、喰いたくない。
あの少女が手に入らなかったのだから、もう何もいらない。


孤独な二つの生き物は、互いに温め合うことが出来なかった。
ただただ互いに傷つい合い、孤独を深めた。
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