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第四十二章 悪趣味に遅れた顕在計画

襲撃作戦

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王城の庭に移動した僕はベルゼブブが勝手に建てた小屋の地下に移した檻の中に居るルシフェルから魔力を吸い取っていた。アスガルドの自然から魔力を吸えるとは思えないから、今のうちに限界まで溜めておく必要があった。

『……ふぅっ、人界で使ってる器じゃこの量が限界ですね』

ベルゼブブにも移していたが、彼女の器に限界が来たので自分の器だけに溜めていく。すぐに限界がやって来て、満腹時の腹を抱えている時のような苦しさと幸福感を得た。

『お待たせ。どうやって移動するの?』

兄が自分用のローブを羽織って転移してきた。その手にはベルゼブブ用の魔力潤沢な干し肉もある。

『兄君の空間転移じゃないんですか?』

『界移動は流石に無理だよ。君のじゃなかったの?』

『……魔物使い様? 考えてなかったと大ボケかましませんよね』

無数の眼が集まった赤く真ん丸な瞳を細く歪めて僕の顔を覗き込む。

『う、うん、さっきまで焦ってたんだけど、ハスターが……』

『そういえばあの人どこに──』

『お~また~……せっ!』

ぐにゅるっ、と背中に弾力のあるぬめった触手の塊が押し付けられる。

『ビヤーキー、とりあえず六匹連れてきたよ~』

『……なんですかこの訳の分からない生物は……蟻? モグラ?』

『腐乱死体にも見える……』

ハスターが引き連れてきたのは二、三メートル程度の魔物のような生き物。短い触角を生やし、皮膚や瞳は人間に、口や耳は爬虫類に似た、全体的なシルエットは蟻や蜂に見える生き物──手足の爪が鋭くてちょっと怖い。

『可愛いなぁ。よろしくね、ビヤーキー?』

『界の移動出来るよね~? やれば出来るよ、ね~? 僕が友達に求められてるんだから、やってね~』

移動法を考えておらず、兄とベルゼブブを着替えに見送ってから焦っていた僕はハスターから「眷属に界移動が多分出来る奴が居る」と聞いてすぐに頼った。ぶっつけ本番だとか恐ろしい呟きが聞こえた気がするが、気にしないでいよう。

『こんな得体の知れないモン使いたくないです』

『言葉分かるからあんまり酷いこと言うと宇宙の片隅で振り落とされるよ~』

『触角でご挨拶しましょうか、短いですね貴方のは……』

ベルゼブブが露骨に機嫌取りに入るとは珍しいなんてものではない。人界や魔界以外となると途端に弱気になるようだ。とりあえず目に焼き付けておいて、後々のからかいネタにしよう。

『……これそのまま乗って大丈夫なの? 界移動出来るって……なんか変な飛び方しない? 乗ってて平気?』

『さぁ……? 僕滅多に使わないし、人間の体使って乗らないし』

『…………防護魔法強化しておくよ。君信用出来ないし』

『酷い! 僕ほど善良な神様は珍しいんだよ!?』

善良だとしても触手をびちびちさせるような神には縋りたくないな。本人に言えば更に触手を振り回しそうな不敬な思考を頭の中から投げ捨ててビヤーキーに跨り、右手を天高く突き挙げる。

『目的地はアスガルド! 目標はロキの救出並びにナイのアスガルド追放!』

『……あっ「おー」とか言った方がよかったです?』

『…………おー』

『おー! で、何~? これどういう文化~?』

酒呑あたりならノリノリで右手と声を上げてくれるのにな。やはり彼こそ僕の右腕だ。

『……しゅっぱーつ』

『あっ、ほら蝿がちゃんと「おー」って言わないから拗ねた!』

『兄君だって「何言ってんだこいつ……」みたいな顔してたじゃないですか!』

『僕言ったよ? ね、友達だもんね』

ビヤーキーの翅が広がり、尻にあたる部分の膨らみが仄かに光と熱を放つ。首を絞めないよう気を付けつつしがみつくと移動に伴う重力が僕を襲った。特に下腹のあたりに負荷がかかっている。ローブの結界が展開しているところから推測するに、何か生身の人間には通れない空間を移動しているようだ。

『何か体熱痛いんですけど!?』

『……強化しておいてよかった、やっぱり信用出来ないね』

人選を間違えたかもしれないと一抹の不安を胸に、着地の衝撃に備えた。しかし着地は想像以上に柔らかなもので、備えるべきだったのは到着後の環境だった。

『寒っ……! 何、こっち冬なの?』

ビヤーキーから降りてすぐに肺を凍らせるような冷たい空気に襲われる。即座にローブが反応し、ローブ内部を適温に保つ。安堵しつつビヤーキーは平気だろうかと振り向けば、背後で爆発が起こった。

『なっ、何!? 何、何、何! にいさま、何が……にいさま?』

周囲を見回しても兄どころかベルゼブブもハスターも居ない。呆然としているとビヤーキーに襟首を咥えられ、投げられ、背に乗せられた。僕は連続で起こる爆発音から遠ざかるようビヤーキーに伝えることしか出来なかった。

『……分かってるっつーのカリスマだけ野郎が、何のために乗せたと思ってんだよ』

空耳だろうか。いや、そうに決まっている。ハスターはビヤーキーが喋るなんて言っていなかった。喋れるのだとしても爆発を避けつつ安全と思われる岩陰を探し、僕と共に身を潜めた彼……彼女? にそんな愚痴を呟く余裕はなかったはずだ。

『にいさま……どこ言ったんだろ。どうしよ……』

『仲間が居ねぇと何にも出来ねぇのかよホント顔だけだな』

『…………ロキ、どこに居るんだろ』

『いや声も良いな。でも頭カラッポだな。残念な野郎だ、野郎ってのも残念だ。この髪質なら女の方がモテた』

ちょっと嬉しい悪口を言ってくるのはやはりビヤーキーだろうか、近くに人影は見えない。

『はぁっ、父性擽る魅力ダダ漏れボーイに教えてやんよ。界移動は俺含めあの場のビヤーキー全員初挑戦で、微妙に座標がズレたんだな。予備の二匹と緑のガキのとこのが心配だな』

やっぱりビヤーキーが話してた。

『……喋れるんだ、君』

『俺ちょっと賢いからな』

『あ、喋れるのはちょっと珍しいんだ……』

『お前ら的に言うと古文書読めるノリだな』

分かりにくいような分かりやすいような……まぁ、このビヤーキーの賢さや希少性などどうでもいい。

『他の子達の居場所分かったり?』

『しねぇ。お前は?』

『しないなぁ……にいさまは出来るはずだし、勝手に合流すると思うけど』

この口調と性格のモノを撫でていたと思うと何故か数分前が嫌な思い出になってくるな。彼……彼にしておこうか、彼にとっても嫌な思い出だろう。

『で、よ、合流優先? 目的達成優先?』

『…………目的達成優先。さっきの爆発に……この寒さと風、多分何か起こってる。ロキの事件に関して神々の戦いでも起きてるのかもしれない。これ以上遅れる訳にはいかないよ』

『中身がねぇことをそれっぽく言うのが上手いなボーイ、惚れちまうぜ』

中身……無かったか? 今の。まぁ、いい。乗せる体勢になってくれているし、素直に跨るとしよう。どっちの方に行くかとのビヤーキーの質問は狼の遠吠えに遮られた。アルとは比べ物にならない、雲を割くような声量だった。未だに鼓膜が震えている。

『……今の狼の声、聞こえたよね。あの狼のところに行って』

『女々しい見た目に反して肝が座ってやがるなボーイ、デカい男だって背中に伝わってくるぜ』

アルの背とはまた違う空中散歩に心臓が跳ね上がる。山の向こうに狼の巨体が見えて、人差し指を立ててビヤーキーの顔の横に突き出す。

『アレだ! フェンリル……前に見た時よりずっと大きくなってる! ロキ、一緒に居るといいけど……』

『狼……! 我等がハスター様が嫌う獣! 何をする気だ?』

『ハスター狼嫌いなの?』

『奴らは柵を乗り越え暗闇に震える羊を攫う、ハスター様が嫌うには道理があるぜ。ミオトニック・ゴート・ボーイ』

そういえば彼は羊好きだったな。狼過激派の僕とは実は気が合わないのかもしれない。いや、僕も狼の血肉になれるんだから喜んで羊を差し出せとまでは言わないし、何なら狼に食われる羊に嫉妬するけれど。

『フェンリルは多分視界に入ると食べようとしてくるから、足元か上にロキが居ないか見よう』

『そいつぁ無理だなボーイ、狼の視界は──』

山の影に隠れつつ尻尾の方から真上に回り込んだにも関わらず、フェンリルは素早く振り返って姿勢を低く落とした。飛びかかる気だ。

『──ほぼ三百六十度だ!』

『あの目の付き方で!?』

尻尾にも頭があるアルならともかく──なんて話をしている暇はない。

『防護結界が展開するから最悪の想定はいらないけど何度も噛まれたら破れる! ローブの貯金が全部崩れる前に離脱して!』

『任せなボーイ! スケープゴートにゃさせねぇぜ!』

急旋回で下腹にかかる重力に耐えつつ首を回し、視界を覆う巨大な口に死の恐怖を覚える。しかしフェンリルの牙はビヤーキーごと僕を包み込んだ防護結界によって防がれた。結界が軋む音に不安を覚えつつ見たフェンリルの口内には唾液まみれのロキが転がっていた。
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