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第四十一章 叩き折った旗を挙式の礎に

貫くものは

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獣人の真実についての話が終わってしばらく、扉が開き、隙間から鳥を模した仮面が覗く。零が帰ってきたようだ、相変わらず不気味な仮面だな。

『……すいません、ちょっと外します』

零は右手だけを室内に入れ、手招きをした。自力で動けないツヅラや机の影に隠れて見えにくいだろうアルを呼ぶわけがない。呼ばれたのは多分僕だ。

『神父様、何ですか?』

後ろ手に扉を閉じ、そのままもたれる。仮面に隠された零の表情は読めない。

「……被害者の女の子、助かったらしいよ。この国、結構医療発達してるんだね」

助かったのか。ミーアが……死ななかったのか。どう思えばいいのかは分からないが、口ではとりあえず良かったと言っておこう。

「…………現場で、ね。こんなもの拾ったんだぁ」

零は周囲を気にしながら懐からスカーフを取り出した。クラールのものだ。ミーアに外されて、そのままにしてあった物だ。

「……獣人の人達はみんな家の物だと思って触らなかったけどぉ、零はこの模様に見覚えがあってねぇ、こっそり持って帰ってきたんだぁ」

なら、零以外はあの家にクラールのスカーフがあったことを知らないのか。ミーアを刺したのが僕だと知っているのはミーアと零だけなのか……いや、零はまだ勘付いたとは限らない。焦るな。

「クラールちゃんの、だよねぇ。スカーフないーって言ってたの聞いたよぉ」

『…………何が言いたいんですか?』

「クラールちゃんはあの家に攫われてたんじゃないかなぁって。魔物使い君があの……透明の子に連れてこさせたから大丈夫だったけどぉ、クラールちゃんがあのままだったらぁ、あの女の子みたいになってたんじゃないかなぁって」

零はミーアとクラールは二人とも被害者だと思っているのか。共にあの家に攫われて、ミーアが先に刺されたと。

「……あの家は女の子の家だからぁ……犯人は、まぁ、肉親……家に出入りできる仲だとしてぇ、クラールちゃんがあの家に居た理由が分からないんだよねぇ」

やはり犯人は外から侵入した何者かだと思っているようだ。当然か、僕はずっと零の目の前に居たのだから、僕が犯人だなんて言い出したら零の正気か読心などの特殊能力の有無を疑わなければならない──読心などの特殊能力? ツヅラはテレパスだ、僕の心を読んでいたのでは、僕が犯人だと分かっていたのではないだろうか。

「クラールちゃんは森林公園で遊んでたんだよね? 森林公園と獣人特区は隣合ってるけど高い板で隔てられてるからぁ……ぐるっと見てきたけど穴とかはなかったしぃ……あの高さを誰にも見つからず越えるっていうのは人間には難しいしぃ、獣人の仕業だと思うんだよぉ。クラールちゃん攫って、女の子の家に押し入って、刺して……ってしたと零は思うなぁ」

零は僕のことは全く疑っていない。

「それでぇ、クラールちゃん……狙われるかもしれないしぃ、今日は早く帰った方がいいかもよぉ? 犯人捕まってからまたおいで?」

『…………分かりました。じゃあ、今日のところは』

「ねぇ魔物使い君」

早く帰れと言っておいてどうして別れの挨拶を途切れさせるんだ。

「何か……あったのかなぁ。そんな顔してるよ。辛いことがあったなら言ってごらん。零は神父だからぁ、カウンセリング得意なんだよぉ」

僕の様子がおかしい? ダメだ、しっかり演技しないと怪しまれる。いつも通り振る舞え、何もなかった顔をしろ。

『大丈夫です。それじゃ……』

アルとクラールにもう帰ろうと伝えるため、扉に手をかける。しかし、その手は零に掴まれた。

「…………一人で抱え込んじゃダメだよ、ちゃんと話して。誰にも言わないから」

『………………娘が』

「娘が……?」

『下の、娘……死んだんです』

何もないと言って誤魔化せる相手ではない。ここは不審な振る舞いの理由をすり替えて話そう。

『死ぬって分かってて、覆せなくて、せめて良い思い出をってずっと遊んでて……最期、僕に、大好きって、ありがとうって、言って、手の中で、死んで』

「…………そう」

『……僕なんかの娘に生まれなきゃ、もっと生きられたんじゃないかって、もっと幸せだったんじゃないかって、考えれば考えるほど、死にたくなって』

ぽんぽんと頭を撫でられて、誤魔化しのはずなのに涙が溢れた。

『僕が、居なきゃ、アルも……クラールも、他のみんな、幸せなはずで……僕が、僕が居るからみんな不幸になって』

死なずに済んだ者が大勢居る。滅びずに済んだ国がある。仲間達も僕と出会わなければよりよい人生を送ることが出来ただろう。

「……魔物使い君」

『神父様……神父様に氷漬けにしてもらったら、僕、きっと、二度と目覚めない……』

零の手が頬を撫でる。慰められるのだと思って、自己嫌悪と期待が膨らむ。しかし、零の手は僕の予想を外れて僕の首に下がってきた。もう片方の手で仮面を外し、地に落とし、仮面を外した手も僕の首に添える。

『…………神父様?』

優しく微笑んで、冷たく濁った瞳で僕を見つめて、僕の首に添えた手に力を入れた。

『……っ!? しんっ……ぷ……さまっ…………何、するっ……』

首を絞める手を剥がそうと手首を掴むも、力が入らない。四肢の末端から凍り始めている。一体どうして──何かに操られている? ミーアを刺したのが僕だと分かっていた? 正義の国に引き渡すつもり? それとも、僕が氷漬けにして欲しいなんて匂わせたから?

『や、め……僕、まだっ……』

クラールを見送らなければ、旧支配者の復活を止めなければ、魔物と人の共存の未来を作らなければ……僕はまだ死ねない。
そう言いたいのに、開いた口に冷気が入り込んで体内から凍っていく。透過──そうだ、透過して零の手から逃れればいいんだ。

『……とっ、ぅ……かっ!』

息苦しさと寒さはあったけれど痛みはそれほどだったから透過に集中出来た。零の手をすり抜け、体をすり抜け、地面に転がって実体化した。零は何も言わずに仮面を拾い、再び顔を隠す。

「…………死にたくないんだねぇ」

『……え?』

「氷漬けにされたくなんてないんだよねぇ?」

『…………ぁ、いや……』

地面に座り込んだ僕の前に零が膝をつく。ぽんぽんと頭を撫でて、頬を撫でて、それだけで手は離れた。

「……自傷行為で創られるのは君だけの傷じゃないんだぁ。それを見た人、君に近しい人、君のことを大切に思ってる人、みんな傷付くんだよぉ。心の傷も案外見えるものなんだよぉ」

首を絞めたのは、凍らせようとしたのは、演技? 僕を試したのか? いや、本当に凍っていって──でも、絞められていたのは気道で、苦しいだけで意識は遠のかなかった。

「…………どうして死にたくないのか、言ってごらん?」

『クラールを……最期まで見てあげないと…………旧支配者の復活、止めないと……』

「義務じゃなくて、君が苦しんででもしたいことを教えて欲しいなぁ」

苦しんででもしたいことなんてない。苦しみたくないから死にたいんだ。大切な人を苦しませたくないからそんな環境を整えるために苦しんでいるんだ。

「……生きるのが苦痛なんだよね? 息をするのも、心臓が動いているのも、嫌なんだよねぇ? 分かるよぉ、とっても辛い……楽しいことがあっても、生きる理由があっても、生きていくのは何よりの苦痛だ」

『そ、んな……ことは』

ないとは言えない。

「…………そんな苦しいことをしてでも、君がこの世界にしがみつく理由はなぁに?」

さっき言った通りだ。やらなければいけないことが沢山ある。
そう伝えたかったのに、言うべきだったのに、僕の瞼の裏に浮かんだのはアルの姿で、口から出たのもアルの名前だった。

『アル……』

機嫌良く僕に擦り寄るアル。僕に撫でられて嬉しそうにするアル。僕が渡した肉を美味しそうに頬張るアル。僕の隣で安心して眠るアル。
取り留めのない日常が脳裏に浮かんでは消えていく。

『アルに……笑って、安心して、生きていて欲しい』

僕でなければアルはきっともっと幸せなのに。
アルの幸せを願うならばアルから僕の記憶を消して死ぬべきなのに。

『その隣に……居させて欲しい。アルが、幸せになる理由が、僕であって欲しい。僕が……笑わせて、安心させて、幸せにしたい……』

「……君が死にたがってたら、君が自分を傷付けていたら、それは叶わないよねぇ?」

『ぁ、つ……かましい…………僕なんかが、アルの……』

「…………魔物使い君。そろそろ責任を持ちなさい。君が何を言おうと、君がどう思おうと、厚かましかろうと……君は夫で、父親になったんだろう? 自らの意思で彼女と添い遂げると決めたんだ」

なってしまったから仕方ないと? 腹を括れと言いたいのか?

「落ち着いたら式を挙げなさい。そして誓いなさい。常に相手を尊重し、愛することを」

『……やってますよ……ちゃんと、尊重して、愛してる……』

「なら、どうして彼女の最愛の人を虐げ続けているのかなぁ」

『…………僕のことですか?』

零は黙って頷く。それはアルにも言われたことだ。
──私の愛する人を大嫌いだなんて言わないで──
そんなの、無理だ。

『……………………気を付けます』

「うん、君のそれは癖みたいなものだからねぇ、ゆっくり治していくといいよぉ。まず、アルちゃんの前ではしないように、段々段々表に出さないように、それが出来てきたらきっと、あまり考えることもなくなるんじゃないかなぁ」

急に声の調子が緩く明るく戻った。相変わらず食えない人だ。

『……頑張ります』

「うん、うん、人を愛せる君が心の底から幸せになれないなんてことはないからねぇ」

幸せになっていいのだろうか。罪深い僕が。

『………………ありがとうございました。それじゃ、今日はこれで……失礼します』

扉を開け、最愛の妻子を抱き締める。人よりも高い体温に包まれるこの時のため、生きている。
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