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第三十六章 怠惰の悪魔と鬼喰らいの神虫

事態はケーキ作り中に進行する

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品物が入った袋を渡され、その重量に少し驚く。

「卵は割れやすいのでお気を付けください、牛乳の容器も岩や木にぶつけると割れてしまう恐れがありますから、持ち運びは丁寧に。では、お代を」

ヤドリは袋の持ち方や注意点を説明し、両の手のひらを胸の前で上に向けて揃え、微笑む。

「これでいいか?」

ツァールロスは肩甲骨辺りから生えた黒光りする翅を広げ、その下の半透明の翅も広げ、翅の下に隠して縄で腰に括りつけていた物をヤドリに見せる。

「こっ……これはっ、ヤドル! これ!」

「ぁー……アシダカの脚ですね。丈夫で長くて色も大人しい、最高級品質……しかも節から取れてて使いやすい」

鈍い茶色の大きな蜘蛛の脚──ウェナトリアが昨日アルメーの少女達にちぎられた分だろうか。

『…………お代になるの?』

「もちろん! お釣りが要りますよ……こんないいもの」

同じ島に住む別種族の身体の一部で物々交換が可能だなんて、何だか薄ら寒い話だ。

『……何に使うんですか?』

「私達は建材です。他の種族は狩猟用の道具にする場合が多いそうですよ」

「建物建てる予定ないですし、交換用に取っといた方が良くないですか?」

「それは長が決める話ですよ、ヤドル。私達はこの間繭を破ったばかりですし、意見としても弱いかと。私は賛成ですけどね」

彼らは姉弟間でも敬語を使うようだ。ベルゼブブも怒らない限りは敬語だし蝿の口癖なのかもしれない……なんてトンデモ説を心の中だけで唱えてみる。

「しかしお姉さん、一体どこでこんな物を?」

「あー、この間シュピネ族の集落の近く行った時に見つけたんだよ。何かあって自切したか、木に引っ掛けたかしたんだろ」

嘘の組み立ての速さとその出来の良さ、尊敬に値する。しかし、脚は木に引っ掛けた程度で取れるものなのか? 亜種人類、謎が多い。

「えっ、シュピネ族の集落に行ったんですか!? よくそんな……恐ろしいことを」

人喰い種族だったとか、それはもうおとぎ話に近いとか聞いたけれど、未だに恐れる人も居るものなのか。国王がそのシュピネ族なのに。

「……別にそこまで危険じゃないぞ」

「そうですね! キュッヒェンシュナーベ族は地上最速、シュピネ族なんてけちょんけちょんですよね!」

「私は、そんな……速くないって」

「あ、そうそう、走るところ見せてください!」

「……まぁ、いいけど」

ツァールロスは謙遜し、気乗りしないと言いながらも満更でもなさそうに頬を緩ませている。変わったな……なんて笑みを零していると、ヤドルが袋に卵を一つ追加した。

「姉が迷惑おかけしまして」

『い、いえ……ちゃんと代金分だけ……』

「この脚はアシダカ連中って理由だけでなく、本当に品質が高い。それだけの価値はありますよ」

国王のものだと言えば価値は上がるのだろうか。これ以上増えても持ち運びに困るし、黙っていよう。


ツァールロスの身体能力披露が終わり、アルメー宅に戻る道中。牛乳の容器を割らないように、卵を割らないように、前を走るツァールロスを見失わないように、慎重かつ素早く足を動かす。

『ツァールロスさん、ケーキって粉いるんじゃないの?』

「小麦粉も膨らし粉も野菜もアーマイゼんとこにある」

運ぶ物があるから速度は自然と行き道よりも遅く、会話する余裕も出来た。

『……野菜入れるの?』

「甘いの好きじゃなくて怠さあるなら野菜入れた方がいいだろ」

おやつと言うよりはおかず、そんな物が出来上がりそうだ。まぁ祝いのケーキには違いない、アルも喜んでくれるだろう。

『…………アルならお肉もあった方がいいかな』

「肉はアーマイゼの奴ら寄越さないぞ。やりたきゃ自分で狩れよ」

森を走っていれば鹿や兎などが見つかる。鬼の身体能力なら飛びかかって首を捻る程度造作もない。けれど、ただ生きているだけの動物を殺すのは気が引けるし、解体の知識もない。処理に手間取って不味くなった肉では意味がない。

『……やめとく』

アルメー宅に到着し、キッチンの場所を知らないのでツァールロスに着いていく。彼女は一度も曲がり角で迷うことなく、おそらく最短であろう道を選んでいった。

「窯あっためといて……小麦粉と膨らし粉よく混ぜる」

『膨らし粉?』

「これ入れないとふっくらしないからケーキとか作る時は気を付けるんだぞ」

食事を作った経験はあるけれど、お菓子を作ったことはなかったななんて考えつつ、頭に膨らし粉の存在をメモする。

「卵、牛乳、植物油、チーズを混ぜる……卵は別で溶いてから、チーズは溶かすか削るかした後の方がいいぞ。よく混ざったらさっき混ぜた粉とも混ぜて、追いチーズ」

『混ぜるねぇ……ところでさ、チーズ多くない? すごいチーズの匂いするよ』

「チーズは多いほど美味いだろ」

チーズ……美味しい食材のようだが、味覚の鈍い僕にはその美味しさがよく分からない。けれど匂いで美味しいものなのだろうとは思っている。

「混ざったら型に……おい、型は?」

『型? 型……型……あ、これは?』

「パン用だな……形に可愛げがないけど、まぁいいや。型に移して、窯に突っ込む」

『どれくらいで焼けるかな』

「三十分か一時間か……まぁたまにつついて様子見てろ。私は熱いから出ておく」

僕は熱の干渉を遮断すればいいだけだ。景色が揺らぐほどの熱の目前で焼けていく匂いが楽しめる。



数十分後、つつくと丁度良さそうな感触が返ってくるようになったのでツァールロスを呼んだ。いい焼き加減だったらしく、窯から出すように言われた。ミトンを探すツァールロスを横目に素手で型を掴み、逆さにして振り回しケーキを皿に出した。

「…………手、無事か?」

『ん? うん、平気。っていうかこれさ、ケーキっていうかパンじゃない? しかも夕飯に使えるようなやつ』

「うるさいな、甘いの嫌なんだろ」

ケーキから甘さを引くと夕飯の主役になるのか。

「もうちょっと冷めたら持ってくぞ。埃とか虫とか被らないように何か被せとけ」

『なかなか冷めなさそうだね……』

またしばらく待ってキッチンを出た。皿に半円の蓋を被せて曲がり角を三つほど真っ直ぐ進み、立ち止まる。

『……アルどこに居るんだっけ?』

「知らないのに自信満々に歩いてたのか?」

『うん……』

「…………お前、大物になりそうだな」

そりゃあ魔物を率いる身ですから、なんて返事ができる人間なら僕はとっくに魔物を統率している。

『食堂からちょっと行ったところなんだけど』

「ちょっとって……どっちに行ったんだ?」

『えっと、右斜め前? で、左?』

「食堂の出入り口は三つあるぞ。どこから出たんだ」

『待って、最初は真っ直ぐだったかも。出入り口は……なんか後ろの方のだったと思う』

「どこから見て後ろだよ」

曖昧に返していると深くわざとらしいため息をつかれ、焦りが加速する。僕は方向音痴ではないのに、一度通れば覚えるはずなのに、どうにもツァールロスには伝わらない。とりあえず食堂に行って、そこから思い出していこうということになった。

「さ、どこから出たんだ」

『…………あっち!』

「……イマイチ信用出来ないんだよな」

入ってきた扉の向かいにあった扉を指差す。呆れ顔のツァールロスを後ろにその扉を抜け、十字路に着く。

『十字路あった気がする、やっぱりこっちだよ』

「……他の出入り口の先にもあるからな」

声にまで呆れっぷりを滲ませたツァールロスを放って勘で右の道を選ぶと、キョロキョロと首を回しながら歩いていたセネカに出会す。

『セネカさん、こんにちは。迷ったんですか?』

『……魔物使い君! どこに行ってたの!』

セネカは僕を見つけると血相を変えて僕の両肩を掴んだ。

『狼さんが大変なんだよ! すごく苦しんでて……唸って……なんでこんな時に離れるの!』

『…………え?』

『お兄さんの治癒もライオンさんの治癒も効かなくてっ……いいから早く来て!』

手から滑り落ちたケーキは寸前でツァールロスに受け止められる。それに礼や賞賛を述べる暇もなく、僕はセネカに引き摺られた。
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