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第三十六章 怠惰の悪魔と鬼喰らいの神虫

SOS

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酒色の国には国民の休日が一ヶ月に一日必ずある、この日は全ての店がシャッターを閉める。国民のほとんどは前日に食事を買い溜め、家で寝て過ごすのだと。ヴェーン邸の者達もそうやって寝て過ごそうと──していなかった。

『だーぁーりぃーん! この間釣りに行ったって聞いたわ、綺麗な川あるのよね! ワタシ、そこでだーりんと遊びたい!』

『あ、ボクもボクもー! そういう健康的な休日に憧れてたんだよね~』

「川遊びか……おいガキこの間買ってやった水着あるだろ、お前も行ってこい」

「うん、ぐろるもいくー!」

朝食を終えてダイニングでゆっくりとコーヒー風味の砂糖を食べていた僕に飛びついたメルの発言から始まった、僕を置いてけぼりにした川遊び計画。

『我らも行こう! 兄弟!』

『……まぁ、たまにはいいだろう』

獣達も乗り気だ。猫は水気を嫌うと聞く、だがネコ科の彼らには何故か当てはまらないらしい。

『川か……せやったらこの酒……いやこっち』

『魚に合うかで選んだ方がええんとちゃいます?』

鬼達は川遊びと言うよりは川辺での酒盛りに興味があるようだ。
そうして全員の意見は一致し、僕に視線が集中する。

『……アル?』

『貴方が行くなら私も行く』

黒い瞳は期待に満ちている。水浴びも酒盛りもアルが大好きなものだ、行きたくなって当然だろう。アルが行きたいのなら──楽しそうな顔をしてくれるのなら──

『…………自分の荷物は自分で持つこと、ゴミは持ち帰ること』

一拍置いて歓声を上げ、各々の部屋へと走る。

『川かぁ……まぁ、この状態なら崩れないし、何より弟と遊ぶのは兄の本懐だからね』

『兄さん、最近見なかったけどどこ行ってたの?』

『園芸用品店。良質な土を探してたんだ、ヘルの魔力消費も抑えられるよ』

ライアーにとっての土の質は植物を育てる時と同じく栄養分の多さで判断されるのか。しかし兄の本懐は弟と遊ぶことではないだろう、具体的には思い付かないけれど他にあるはずだ。

『お、弟の本懐はお兄ちゃんに遊んでもらうこと……』

フェルがおずおずと僕の顔色を伺いながらそう呟いた。
兄の本懐は弟と遊ぶことだな、間違いない。



わらわらと連れたって静かな川辺に。今から騒がしくなる、静寂を好む蛙や魚には早々に逃げることを勧めておきたい。

『ね、ね、だーりん。水着に着替えたいんだけどぉ、背中が紐で結べなくてぇ……』

『セネカさーんメルの着替え手伝ったげてくださーい。グロルちゃん、深いところ行っちゃダメだよー。メル、グロルちゃん溺れたら引き上げてね』

浅瀬で遊びたいらしいグロルをメルとセネカに任せ、少し離れて釣りを始めた鬼達を背に、僕は焼き魚のために枯れ木を拾う。

『そんなのしなくてもボクが焼いてあげるよ?』

『こういうのが楽しいんだよ』

『……ふぅん?』

アルは兄弟達と少し深めのところで遊んでいる。はしゃぎ疲れたら僕が焼いた魚を食べて、僕の膝で眠って──なんて展開に憧れたりして。

『……ん? ヘル、頭下げて』

軽く後頭部を押されて言われるがままに頭を下げると、ライアーは高速で飛行していた何かを掴み取った。

『…………虫か。過剰反応だったかな?』

『虫? 見せて……って、ベルゼブブじゃないか! 兄さんダメだよそんな握ったら潰れちゃう!』

『潰れて困るの?』

『困るよ! グチャってなるんだよグチャって! 汁いっぱいグチャってなるんだよ! 普通の小バエなら手洗えばいいだけだけど、そのサイズの虫潰れたらもうっ……もう、兄さんに二度と触られたくないよ!』

ライアーは手のひらサイズの丸っこい蝿を草むらに投げ捨て、手を服で拭い、僕に恐る恐る手を伸ばしてきた。その手から逃げていると人型になったベルゼブブが草むらから飛び出した。

『……何すんですかこのクソ野郎! 痛いじゃないですか!』

『ベルゼブブ、君出ていく気ないよね。魔力あげるからずっと人型になっててよ、きもっ……寂しいよ』

『キモイって言おうとしましたよね今』

『違うよ、気持ち悪いだよ』

『違わないでしょ。それにね、私は私じゃなくて私の分身なんですよ。空間転移とか偵察とかに出す私の子供達です。人型になってるのは会話のためで、引き伸ばしてるからペラペラなんですよ』

しっかり立体として地面を踏み締めているように見えるけれど……ペラペラとはただの喩えだろうか。空間的にだとか魔力的にだとか、本質はそういう話だろうか。

『会話って……何? 魚欲しいなら酒呑か茨木に聞きなよ。お酒もね』

『違います。SOSですよ、ベルフェゴールがヤバいんです。私はちょっと忙しくて行けそうにないので……魔物使い様にお願いしようかと』

『忙しいって……分身は?』

『通信や偵察程度しか出来ないんです、あのまま力込められたら潰れてましたからね?』

そう言いながらベルゼブブの分身はライアーを睨む。止めてよかったと心から思う、潰れた虫なんて見たくない。

『……川遊び始めたばっかりなんだけど』

『ベルフェゴールより川遊びが大事なら別にいいと思いますよ? 今回のはぐーたらで死にかけてるんじゃなくて襲われてるみたいですけど、それでも死ねって言うなら遊んでおけばいいじゃないですか』

そんな言い方をされては自分達を優先するなんて出来やしない。しかし襲われるというのも妙な話だ、植物の国の島全体にかけられた『怠惰の呪』は外から来る者の気力を奪うもの、ベルフェゴールが窮地に立たされるほどの力が出せるとは思えない。

『じゃ、私持ち場に戻りますね。私としましてはベルフェゴールがどうなろうとどうでもいいので……好きにしてください』

もとよりベルフェゴールは仲間に引き入れたいと思っていた。しかしタイミングが悪い、悪過ぎる、せっかく全員で遊びに来ているのに……一日くらい耐えてくれないかな。

『…………酒呑、ちょっと』

『なんや頭領、魚よーさん獲れたで』

僕の表情から深刻さが読み取れたのか、酒呑は魚をバケツに詰めて木の影に来てくれた。

『植物の国って知ってるかな。亜種人類って人達が住んでる島なんだけど、そこに悪魔がいてその悪魔が島を守ってるんだ。で、今その悪魔から助けてって連絡があってさ』

『行くんか?』

『……行かなきゃなんだけど、みんなになんて言えばいいかな。あんな……楽しそうにしてるのに、危ないところに行こうなんて……』

ベルゼブブが居るなら実質的なリーダーは彼女に押し付けられるから悩む必要は無かった。だが、今リーダーの役割を果たさなければならないのは僕だ、この中で最もリーダーに向かない僕なのだ。

『全員で行くことないんちゃう? ガキんちょやらは連れてってもしゃーないやろ』

『グロルちゃん?』

『あと……せやな、吸血鬼やら頭領の女やら』

『ヴェーンさんとアル?』

『赤いのん』

『メルは友達だよ』

戦力にならない者達は安全の為にも置いて行って、川遊びを続けてもらう。グロルとメルは川遊びを楽しみにしていたしちょうどいい、それで行こう。

『じゃあ兄さんには残ってもらわないと』

『それは無理だよ』

『……兄さん、お願い。僕は何があっても大丈夫だからさ、みんなを守ってよ』

『そういうんじゃなくてさ、ボクの本体はその石に込められるキミの魔力だから、キミから離れるとボクは土塊に戻っちゃうんだよね』

石を置いて──いや、僕の魔力が本体なら無駄か。カヤと小烏もライアーと同じく僕の魔力で動く、同じ理由で無理だと言われるだろう。

『とりあえずみんなに言ったら?』

『そう……だね』

結界と認識阻害は術者が離れたからと消えるものではない。心配だという問題を省けば誰か強い者を残して行こうなんて考えも要らないのだ。

『……ごめん、酒呑。代わりに集めてくれないかな、僕あんまり声大きくないから』

集団のまとめ役という意味でのベルゼブブの代理は酒呑に任せていいかもしれない。酔ってさえいなければ冷静で頭も切れる、しかも案外と僕に従順。参謀というか助手というか、そういう意味ではベルゼブブよりも優れている。流石は元頭領、と言っていいだろう。
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