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第二十八章 神降の国にて晩餐会を

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部屋に戻るとアルテミスは僕の手をぎゅっと握った。しかしそれは一瞬で、僕は兄の隣に座らされた。

「おかえり、アルテミス。さて、揃ったところで話を始めてもいいかな?」

聞き覚えのある男の声だ。王族でヘルメス以外の男となるとアポロンだろう。

「移身石が欲しいという事だったな。中々にロマンチックな真似をするね、自分自身を渡すようなものだ」

「どーすんのにぃ、ぽいっとあげちゃう?  ヘルシャフト君は国にとっても俺にとってもにぃにとっても恩人だし、石くらいよくない?」

「希少と言ってもそこまででもないしな……」

王族だけに伝わる宝石だと聞いていたが、案外簡単に譲ってもらえそうだ。恩は売っておくものだな、人助けは自分の為になるのだ。

「だが、ホイホイ渡してはメンツがな……」

「頭硬いなぁー、そんなだから妹にキモがられるんだ」

「なっ、ア、アルテミス!  お兄ちゃんキモくないよな!?  な!?」

相変わらず妹第一の人だ、良い兄で羨ましい。

「……勿論よ。お兄様に対して……そんなこと」

「えっ……お兄様?  えっ、ぁ、アルテミス?  アルテミス!?  だっ、誰だおま……アルテミス!  その美しさはアルテミスだ!」

「にぃ、落ち着いて。そういうところだよ」

まだ以前の退行の後遺症が残っているのか、アポロンは取り乱す。騒がしさに苛立つ兄の手を握り、僕は爪先でアルテミスの足をつついた。

「……お兄様、本題に戻りましょう」

「あぁっ、なんて美しい……仰せのままにっ!」

アポロンは咳払いをし、騒ぎで動いた机の位置を戻した。

「……宝石は渡そう。好きな大きさ、好きな形でな。君には恩がある。だが……タダで、というのもな。一つ仕事を頼まれてくれないか?  何、簡単なものだ」

「ケチだねぇーにぃは」

『僕は構いませんよ。ヘル?』

「あ、うん。大丈夫」

アポロンの切り替えの速さと落差に驚いて返事が遅れた。

「明後日、晩餐会に父が出席するんだが……暗殺だとか大規模なテロだとかの嫌な噂があってな、父の護衛を頼みたいんだ」

「とぉも神具使いだし、自分の身は自分で守れるけどね……ぁ、晩餐会のお誘いって訳?」

「本音を言うな、王族として致命的だぞ」

その注意を聞こえるところで言ってしまうアポロンも、その致命的な欠点を持っていると言える。
しかし、晩餐会で王の護衛か。暗殺者に天使や悪魔が居るとも思えない、彼らなら暗殺なんて手は使わない。楽な仕事、招待の建前だ。

「もちろん構いませんよ。引き受けます。ね、にいさま」

『ヘルがそうしたいならお兄ちゃん全力を尽くすよ』

「ありがとう!  心強いよ」

「ねぇ、にぃ。その会生ハムメロン出る?」

「出るぞ」

ヘルメスは真面目な話をするのには向いていないが、お堅いアポロンとの緩急が付いて話しやすい。王族としてどうなのかは分からないが、僕は良い才能だと思う。

『王様ってどんな人?  見た目分かんなきゃ護衛出来ませんよ』

「父は……えぇと、髪が…………いつ切ったんだ?」

「えっと……髭、伸ばして……たっけ?  あのマイブーム何年前?  もう剃った?」

「…………アタシ、最近見てない……です」

子供達が父親の見た目を覚えていないとはどういう事だ。多忙にしたって同じ城に住んでいて会っていないなんてありえない。

「まぁ晩餐会には俺達も参加するし、その時で良いよね?  にぃ」

「あぁ……仕方ないな、すまない」

『いえ、君達と同じ……神具使い?  なら見れば分かりますから』

魔力視とは言っているが神力も見えているのだろうか。
国王なら晩餐会で挨拶くらいするだろうし、誰か分からなくて護衛出来ないなんてことはないだろう。

『何人くらい来るんですか?』

「えぇと、御三家と周辺諸国の統治者と……」

「ざっと三、四十人ってとこ」

それは少ないのだろうか、多いのだろうか、晩餐会なんて経験が無いから分からない。

『……後は当日で構いませんか?』

「あぁ、礼服はこちらで用意する。すまないね」

『では、今日は失礼します』

「えっ……?  も、もう帰るんですか?」

もう少し晩餐会について聞いておくべきだ。礼儀が分からず途中で追い出されでもしたらどうする。

『恋人待たせてるからね。ヘルが』

「な、なら!  ヘルシャフト君だけ帰して、エア様は今少し……」

『じゃあ、また明後日』

一瞬の浮遊感があり、ソファの座り心地が変わる。兄が言うには酒食の国に帰ってきたらしい。ここはどの部屋だろう、いやに静かだ、ここには誰も居ないらしい。

『……思ってたより時間かかりそうだね』

「まぁ、品が品だし仕方ないよ」

『やっぱり強盗した方が楽だったんじゃ……あ、そうそうヘル。この蝿借りてていい?』

「本人がいいなら……」

瓶の中に入っている以上、意思表示は出来てもそれを貫くことは出来ない。本人が「いい」と言わなくても、兄は気にせず自分の都合を優先するだろう。

『うん、じゃあね。僕部屋に居るから、何かあったら呼んで』

そう残して兄の足音が遠ざかっていく。

「ちょ、ちょっと待って部屋に……ぅわっ!?」

兄を追おうと立ち上がり、低い机に足をぶつけ、転ぶ。痛みが治まるのを待って手探りで部屋を出るが、足音どころか物音すら聞こえない。

「にいさまー……?」

静けさに恐怖を覚えつつ兄を呼ぶも、返事も足音もない。

「…………カヤ、動ける?」

背筋に寒気が走り、廊下に座り込んだ僕の膝に小さな毛の塊が乗ってくる。
牢獄の国の一件で負傷したカヤは魔力を吸わせて療養させていたらそのうち治るという鬼達の言葉を信用し休ませていた。
傷は回復しているらしいが、魔眼を失った僕には十分な魔力を与えられず、カヤは仔犬の姿になってしまっている。アルや兄に魔力を分けてもらえれば良いのだが、犬神というものは主人の魔力以外受け付けないのだと。

「僕を部屋まで連れてって欲しいんだけど、出来る?」

クゥンと高く小さな可愛らしい声が返ってきて、カヤは僕の膝の上から消える。僕は襟首を咥えられ、廊下を引き摺られるような感覚を数秒味わい、柔らかいものの上に落とされた。
ワンと誇らしげに一声鳴き、一瞬の寒気を与えてカヤは姿を隠した。

「ベッド……かな?」

シーツの感触に枕の存在、頭の上と足の下の柵を確認して、ここはベッドだと確信する。
手探りにベッドの真ん中に移動すると温かいものに触れる。それに生えた毛は柔らかく細く長く、さらさらと指を通し、離れる間際に優しく絡んだ。

『………………ヘル?』

温かい毛皮を撫でているとそれはピクリと動いた。

「ただいま、アル。寂しかった?」

アルは僕の胴に尾を巻き、黙って僕を引っ張る。まるで腕枕をするように前足の間に僕の頭を挟んで、太腿に後ろ足を置いた。
僕はアルの首に顔を埋め、腕を回して背を撫でた。翼の骨の部分を優しく掴むようにして撫でて、付け根を丹念に愛撫し、そのままの流れで背筋を撫で上げた。骨や筋肉の付き方が、逞しさが伝わってくる。

『寂しかった……ヘル、会いたかった』

いつものアルとは全く違った可愛らしい声で、僕の耳元で、独り言のように呟いた。

『外に出るのは危険だと言われていただろう?  買いたい物なら私が帰ってから伝えたら──そうだ、買いたい物は買えたのか?』

「ごめんね。でもにいさまと一緒だし、この国じゃなかったし、平気だと思って……それでね、買いたかったんだけど、品切れで……入荷待ちなんだ、明後日にまた行こうと思ってる」

適当に嘘を混ぜながら、少し僕を責めているらしいアルを宥める。

『なら、その日は私も行こう』

「あー……僕はアルが買い物に行ってる間に行こうと思ってたんだけど。ほら、それなら独りの時間有効活用出来るよ、僕は買い出し一緒に行けないからさ」

『一人で平気なのか?』

「にいさまも居るって。後さ、ほら……その店、魔獣連れは入口で何か紙書かなきゃで、面倒だからさ」

『…………分かった、気を付けて行けよ』

それと──と、アルの声が数段低くなる。

『……女の匂いがするな。店員か何かか?  私が近くに居ない時の出来事は次会った時に全て話すようにしろ、いいな?』

「わ、分かった。その匂いは多分店員さん……にいさまに気があったみたいだった、かな」

アルが居ない間に会い、触れられた女性はアルテミスだけだ。アルも彼女には会ったことがあるはずだが、覚えていないのか香水でも変えたのか気が付かなかった。
適当に真実を混ぜながら、都合のいい事実を作り上げていく。

『…………ヘルが好かれるのも気に入らんが、好かれんのも気に入らんな……』

「どうしろって言うのさ」

『……別に、貴方に注文は無い』

アルの気持ちは分かる。僕もアルを格好良いだとか美しいだとか言われたら嬉しい。けれど、撫でさせてだとか乗らせてだとか、そういったものには腹が立つ。
だって、僕のものだから。

「ふふ……大丈夫だよ、アル」

アルは永遠に僕のものなのだから、アルが僕を誰かに盗られる心配をする必要なんてない。例え僕が誰かに所有されたとしてもアルとの関係は変わらないし、やがて世界を手にする僕を盗む者など現れないのだから。
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