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第二十七章 壊されかけた者共と契りを結べ

夜更けまで続く

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ベルゼブブが提示したお題は恋愛話。アルは言葉と態度では嫌がりつつも、その実誰かに語りたくて仕方がなかった。

『あの日はとても美しい夜でした──』

滅びた日の魔法の国は収穫祭の真っ最中で、その飾りやパフォーマンスの光が輝いていた。それは空を飛んでいた自分にも見えるくらいに。
そんなような事をアルは酷く幻想的な語り口で話した。

『近くの高台で眺める事にしました。すると魔物共がやって来て……』

壊れないはずの結界は何故か解けてしまった。その直後飛び去った黒い影は、磨り硝子を引っ掻くような醜い鳴き声を上げていた。

『結界が解けた謎にも惹かれ、戦火も美しいかとそのまま眺めていました。その内に魔法の国の中心に虹色の魔力が輝き、そこから私を呼ぶ声が聞こえました』

人の姿などアルの眼にすら捉えられない距離、それでも届いた眩い光。ヘルが魔物使いの力を使った際の魔力の輝きだ。誰か助けてという声にアルの身体は勝手に動いた。

『助けてくれたのかと聞く右眼は……その魔力と同じ色をしていました』

『それで恋に落ちたと!』

『いえ、違います。その後が大変で……様々な感情に押し潰されそうになる彼に、文字通り身を削って尽くし続けました』

アルはベルゼブブの決め付けを冷静に否定し、話を続けた。

『恋に落ちた、なんて急なモノではありません。いつの間にか高い高い壁が周囲に築かれていたのです。落ちたのではなく、閉じ込められたのです』

思い出に、妄想に、陶酔する。

『傍に居るのは無上の幸福です。しかし、無理に引き離され、ヘルが私を求めるのは……筆舌に尽くし難い快感です』

背後の戸棚から尾で酒を勝手に取り出し、瓶を一つ空け、酔っ払ったアルはアザゼルを睨み付けた。

『貴様の様な屑にくれてやるものか。ヘルは私のものだ、髪の毛一本から血の一滴まで残さずな』

そう言って口の端を歪ませ、ベルゼブブに瞳で「終わった」と伝えた。
とりあえず二周した女子会だが、主催であるベルゼブブは納得が行かなかった。

『なんか……これ、女子会じゃなくないですか』

「そもそも女子が俺以外居ねぇんだよ」

『そこの鬼以外は全員女子ですよ!』

女子という言葉の定義も曖昧で、個々の認識も違うのに、それを元にした口論などまともに成り立つ訳もない。

『じゃあお前何したいんだよ』

『もっとこー……えー誰が好きなの?  告っちゃえ告っちゃえー、きゃー、みたいな』

『俺王様』

『私はヘル』

『うちは……特に居らへんなぁ』

打算と狂愛の想い人は決まっており、それを隠す必要も無い。ベルゼブブが求める秘匿性などアルの「ヘルに詳細を話すのはやめて」という希望以外には存在しないし、ベルゼブブが望む部類の秘密でもない。

『はぁ……まぁいいです、ところで堕天使。貴方なんで引きこもってたんです?』

「しばらくグロルだったならなぁ。多分、魔力視の性能が上がってきてんだ。それでお前らが今まで以上に怖いんだよ」

『ふぅーん……とっとと人格統合してくださいよ』

「自分でどうこう出来る問題じゃねぇーの、気長に待ってくれ」

元々大して盛り上がってはいなかったが、盛り上げようという気すらなくなり、部屋は静かになる。
特に理由はない、強いて言うなら「話題がない」事だ。

『……砂漠の国でも思うたけど、うちらって頭領はん居らなまともに話されへんねんなぁ』

『結構話せてたと思いますけど』

『…………あの、ベルゼブブ様。ベルゼブブ様の側近の方は……死人は出ないと言っていませんでしたか?』

ベルゼブブが望む「女子っぽい話」は出来ないまま、部屋の空気が重くなっていく。ただ一人リンを知らないアザゼルだけはその空気に首を傾げていた。

『よく思い出してください。アスタロトは……ヘルシャフト様に向かって「貴方が行けば死者は出ません」と言いました』

『……ヘルを置いて行ったからリンは死んだと?』

『おそらく、敵の連中にも街の住民にも死人は出なかったかと』

ヘルを置いて行こうと言ったのはベルゼブブだ。だが、それを了承したのは全員だ、自分でもある。アルは自分の判断を……自分を、責めた。

『魔物使いの力は魔眼が無くてもある程度使えているようですし、ヘルシャフト様は人死にを嫌いますので、私達に気を遣わせるでしょうから……』

『……ほんま、魔法使ったら一発やったんや。それをどこかの誰かさんが「危ない」言うてなぁ』

邪教の連中に魔法を感知出来る者も利用出来る者も居なかった。結果論で言えばあの用心は徒労だった。
それが分かっていてヘルが居たなら地下室を見つけた後、ヘルは兄に頼んで劇場を囲う結界を作らせただろう。それは邪教徒にも呪術師にも破れない。ナイが手を出せば結界は解かれるだろうが、ナイも神性の召喚には後ろ向きだった。それに加えあの顕現はアルの魔力を供給したベルゼブブで十分押さえられた。

『……私の責任にしたいんですか?』

『そんなこと言うてへんよ。でもなぁ、うちもあのおにーさんにはちょっとした関わりがあってなぁ。ほんまやったら死なんかった言われたら……なぁ』

『言いたいことがあるならハッキリ言いなさい!』

バンッと机を叩く音が響く。静かな室内に笑い声が響く。

『ふふっ……ふふふ、嫌やわ、そない怒って。別に言いたいことなんかなんもあれへんよ。人間一人死んだところでうちはなーんも思えへん』

『さっきと言ってること違いますよ?  思い入れがあるようなこと言ってたじゃないですか』

茨木はくすくすと笑っている。計算か天然か、それはベルゼブブを挑発するのに最も効果的だった。

『何笑ってんですかこのクソアマ!』

『ふっふふふふ、あっはっはっ…………アマ、なぁ?  あははっ……』

『このっ……!』

『お待ち下さいベルゼブブ様!  堪えてください!』

アルは机の上に登ろうとしたベルゼブブの足に尾を巻き付け、襟を咥えて引き止める。

『鬼!  貴様もベルゼブブ様を挑発するな!』

『ふふ……嫌やわぁ、挑発なんかしてへんよ。話しただけで挑発言われるんやったら、うちもう喋られへんわ』

『……ああ、そうだな、暫く黙っていろ!』

『うっふふふふ……はーい』

茨木は笑みを湛えたまま、菓子を口に運び、黙る。
アザゼルは諍いの原因も分からず、ただ狼狽えていた。

『……貴方も気に入らないんですよ、先輩』

座って落ち着いたかに見えたベルゼブブはその実怒りを煮え滾らせていた。

『なんでもかんでも自分にも責任があるって面して、良い子ちゃんぶって仲裁とかしちゃって、貴方もどーせ私を恨んでるんでしょ?  製作者の御子孫ですもんねぇ』

その赤い複眼にアルを無数に映し、視線に敵意を宿す。

『…………面白がってはやし立てていましたが……貴方、本当にヘルシャフト様と結ばれると思ってます?』

『………………いいえ。私は……獣ですから』

『嘘ですね。自信たっぷり、いえ、ライバルは全員殺しますか。そこの堕天使も今なら可能ですねぇ』

このまま力を増し、身体の変質が終われば、天使という性質を持つ以上アザゼルは簡単には殺せなくなる。
ベルゼブブの言葉は全てアルにとって真実だった。ベルゼブブを恨んでいるのも、ヘルと結ばれる自信があるのも。何もかもだ。

『……ま、伴侶の座争いはどうでもいいですけどね。困るんですよねぇ、ヘルシャフト様の精神を安定させてもらったら、ヘルシャフト様の子を……だなんて思われたら!  不安定で操りやすいから傀儡として育てているのに、純潔でなければ味が落ちるのに!  そんなことされたら迷惑なんですよぉ!』

『ヘルはっ!  ヘルは、ヘルは!  ベルゼブブ様やサタン様の傀儡でも餌でも有りません!』

ベルゼブブはアルの首の毛を掴み、引き寄せ、額をぶつける。幾本もの棘の生えた舌がアルの上顎に絡みつく。

『…………誰に口きいてんです?』

『……ヘルを喰わせてたまるか』

『もう一度チャンスを与えます。誰に、口を、きいているんですか』

『…………貴様だベルゼブブ!  貴様なんぞにヘルは渡さん!』

アルは口内に侵入していた舌を食いちぎり、家具を尾で払って威嚇の体勢を取った。ベルゼブブは口に手を当てて立ち上がり、邪魔な椅子を蹴り飛ばした。

『賢者の石を壊さない限り死なないんですよね?  つまり、首捥ごうと内臓引きずり出そうと、問題無いんですよね?』

『…………忘れるな、ここは人界だ。消耗戦は貴様に不利だぞ?』

アルは大口を開けてベルゼブブに飛びかかる。振るわれた腕に腹を裂かれ、血と内臓を零そうと、その勢いは変わらない。
ベルゼブブは「ヘルにバレないように躾を済ませよう」と考えていたから、痛みを与えて屈服させようとしていた。だからアルは致命的な傷を狙わなかった。

アルは傷も痛みも気に留めない。だからその牙はベルゼブブという遥か格上の首に届いた。
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