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第二十章 偽の理想郷にて嘘を兄に
嘘は優しい
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開店時間が近くなり、僕達は準備を始めた。
凍らせておいた果物の解凍、珈琲を淹れる為のお湯、少し時間がかかるデザートの下準備、等々。
「そろそろだね。ヘル君、鍵開けて札OPENにしてきて」
「あ、はーい」
言われた通りに鍵を開け、CLOSEと書かれた札を裏返す。しばらく待つと数人の客が来店する、もちろん人間ではない。
「……ヘル君、初仕事」
とん、と肩を叩かれる。
カウンターに座った客に向けて、出来うる限りの笑顔を作った。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「……いつもの」
「俺も」
「え……あ、あの」
「見れば分かるでしょ、この子新人なの! ちゃんと注文してよねー、ってかキミ達いっつも注文バラバラじゃん!」
「……珈琲、冷たいの」
「オレンジジュース」
店主に聞こえる距離ならば僕が聞く必要はないのでは……なんて考えは飲み込んで、聞いた注文を店主に伝える。
「はい、渡してー」
手馴れた様子で珈琲とジュースを用意し、僕に渡す。
カウンターなんだからそのまま渡せば……なんて考えは飲み込んで、どちらがどちらかを間違えないように注意しながら、客の前にグラスを置く。
「よく出来ましたー。はい拍手」
「…………ぱちぱち」
「わー。ぱちぱち」
「ノリのいいお客様で助かるよ」
「そんなことしていただかなくても……あ、ありがとうございます」
死んだ魚のような目、いや魚の目ではある、死んだ魚の目のような瞳が正しいか。
客は僕や店主に光のない虚ろな目を向けながら、感情のこもらない歓声を上げた。
「んー、よしよし、優秀なバイトだ」
「……僕要りました? 今の」
「必要とされない人間なんていないさ。いたら可哀想だからね、ボクは必要としてあげるんだ」
優しく頭を撫でられ、穏やかに話され、僕は少しずつ絆されていく。
「なんかいい事言ってるみたいですけど要らなかったって事ですよね」
「勘のいい子は好きだよ。でも、気が付かなくていい事まで気が付いてしまう子は損だね」
店主は自分用の温かい珈琲に砂糖をたっぷりと入れながらそう言う。
「そんな不幸で可哀想な子が、ボクはたまらなく好きだ」
「…………そうですか」
「キミのことだよ?」
不幸で可哀想で損ばっかりしている勘のいい人。
それのどこに好きになる要素があるって言うんだ、一緒にいたって同じように損をするばかりだろうに。
「ありがとうございます。嘘でも嬉しいですよ」
「嘘じゃないよ」
「……そうなんですか? だったら、趣味が悪いんですね」
『あっはは、そうかもねぇ」
人には好かれたいけれど、僕がどんな奴か分かっていて好くような人からは離れたい。
僕を好きだって言う奴なんて、ろくな奴じゃない。その好きが恋愛だろうと友愛だろうと隣人愛だろうと。
「嫌いな奴と仕事はしたくないから」
「……嫌いな人ってどんな人ですか? 僕を好きになれるくらいなら嫌いな人なんていないでしょう」
「あっはは、随分と自己評価の低い子だ。嫌いな人かぁ、そうだねぇ……」
僕は他愛ない会話を楽しんでいたつもりなのに、店主の表情が突然消える。
ついさっきまで笑顔だったのに。
もしかして僕の馬鹿な質問で思い出したくない事を思い出したのか? そんな、どうしよう、どうすれば許してもらえる? どうすればまた好きになってもらえる?
「……人の作ったものを壊す奴」
「そっ、それは、嫌な人ですね」
「そうだよ、アレを作るのにボクがどれだけ時間と手間と愛情をかけてきたか! 何にも考えずに! ただ、燃やしてっ……あぁ嫌いだ、大っ嫌い!」
店主はバンと手のひらを机に叩きつける。
僕は何も言えず、ただ静かな時が流れた。
「…………あっと、そうだ。そろそろお昼だからパン切っておかないとね、ヘル君手伝ってくれる?」
「あ、はい。分かりました」
切り方を指示され、手本を見せられ、パン切り包丁を手渡される。先程の怒りの矛先が気になって集中出来ない。
「ナナメにね」
「はっ、はい」
料理をした経験はあるが、包丁を握った経験はない。人を刺した──ならあるけれど。
僕は慣れない行為に手元が狂って、ギザギザの刃で指先を傷つけてしまった。
「……った」
「わ、大丈夫? 見せて」
「す、すいません。あ……パン」
「結構深いね、奥に絆創膏あるから貼っておいで」
「……ごめんなさい」
ぽたぽたと落ちる血を捕まえるようにもう片方の手で傷口を押さえ、奥へと引っ込む。
僕は傷の痛みよりもパンを汚してしまった事が気になっていた。
これから昼時で、必要だったのに。
ダメだ、嫌われた、今日でクビだ。
…………嫌だ。嫌われたくない。
「ヘルくーん? 大丈夫ー?」
コンコン、とドアを叩く音。僕は急いで表に戻った。
「ごめんなさいっ! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、お願い、嫌わないでっ……お願い」
「な、何? え、傷は?」
店主は僕の手を取り、絆創膏を巻いた傷口を観察する。
僅かに滲んだ血は彼にどんなふうに映っただろう。愚かさの、鈍臭さの象徴かな。
「そんなに痛いの?」
「…………いえ、大丈夫です」
今までに経験した痛みとはまた違った痛さがあった。けれど、弱音を吐いたら嫌われると思った僕は嘘をついた。
「そう? ならよかった」
店主はそう言って微笑む。嫌われてはいなかった事に胸を撫で下ろす。
……おかしい。僕はどうして彼に嫌われたくないんだ? いや、人に嫌われたい奴なんて滅多にいないだろうけど。
異常だ。好きだと言われた時には疑心もあったし趣味が悪いとも思った。好かれる事に肯定的ではなかった。
なのにどうして今はこんなにも嫌われたくないんだ?
「……あの、お名前何でしたっけ」
「え? 忘れたの? ライアーさんだよ」
「ライアー……さん、すいません。忘れたわけじゃないんですけど、少し気になって……その、本当に知り合いに似てて」
名前を聞いたって僕が抱いた疑念は解けない。
お菓子の国でナイと話した時、今のように嫌われたくないと強く願った。もしかしたら店主が口を滑らせてナイと名乗るかも、なんて思ったのだが──
「ふぅん……?」
不思議そうに首を傾げただけだった。
凍らせておいた果物の解凍、珈琲を淹れる為のお湯、少し時間がかかるデザートの下準備、等々。
「そろそろだね。ヘル君、鍵開けて札OPENにしてきて」
「あ、はーい」
言われた通りに鍵を開け、CLOSEと書かれた札を裏返す。しばらく待つと数人の客が来店する、もちろん人間ではない。
「……ヘル君、初仕事」
とん、と肩を叩かれる。
カウンターに座った客に向けて、出来うる限りの笑顔を作った。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「……いつもの」
「俺も」
「え……あ、あの」
「見れば分かるでしょ、この子新人なの! ちゃんと注文してよねー、ってかキミ達いっつも注文バラバラじゃん!」
「……珈琲、冷たいの」
「オレンジジュース」
店主に聞こえる距離ならば僕が聞く必要はないのでは……なんて考えは飲み込んで、聞いた注文を店主に伝える。
「はい、渡してー」
手馴れた様子で珈琲とジュースを用意し、僕に渡す。
カウンターなんだからそのまま渡せば……なんて考えは飲み込んで、どちらがどちらかを間違えないように注意しながら、客の前にグラスを置く。
「よく出来ましたー。はい拍手」
「…………ぱちぱち」
「わー。ぱちぱち」
「ノリのいいお客様で助かるよ」
「そんなことしていただかなくても……あ、ありがとうございます」
死んだ魚のような目、いや魚の目ではある、死んだ魚の目のような瞳が正しいか。
客は僕や店主に光のない虚ろな目を向けながら、感情のこもらない歓声を上げた。
「んー、よしよし、優秀なバイトだ」
「……僕要りました? 今の」
「必要とされない人間なんていないさ。いたら可哀想だからね、ボクは必要としてあげるんだ」
優しく頭を撫でられ、穏やかに話され、僕は少しずつ絆されていく。
「なんかいい事言ってるみたいですけど要らなかったって事ですよね」
「勘のいい子は好きだよ。でも、気が付かなくていい事まで気が付いてしまう子は損だね」
店主は自分用の温かい珈琲に砂糖をたっぷりと入れながらそう言う。
「そんな不幸で可哀想な子が、ボクはたまらなく好きだ」
「…………そうですか」
「キミのことだよ?」
不幸で可哀想で損ばっかりしている勘のいい人。
それのどこに好きになる要素があるって言うんだ、一緒にいたって同じように損をするばかりだろうに。
「ありがとうございます。嘘でも嬉しいですよ」
「嘘じゃないよ」
「……そうなんですか? だったら、趣味が悪いんですね」
『あっはは、そうかもねぇ」
人には好かれたいけれど、僕がどんな奴か分かっていて好くような人からは離れたい。
僕を好きだって言う奴なんて、ろくな奴じゃない。その好きが恋愛だろうと友愛だろうと隣人愛だろうと。
「嫌いな奴と仕事はしたくないから」
「……嫌いな人ってどんな人ですか? 僕を好きになれるくらいなら嫌いな人なんていないでしょう」
「あっはは、随分と自己評価の低い子だ。嫌いな人かぁ、そうだねぇ……」
僕は他愛ない会話を楽しんでいたつもりなのに、店主の表情が突然消える。
ついさっきまで笑顔だったのに。
もしかして僕の馬鹿な質問で思い出したくない事を思い出したのか? そんな、どうしよう、どうすれば許してもらえる? どうすればまた好きになってもらえる?
「……人の作ったものを壊す奴」
「そっ、それは、嫌な人ですね」
「そうだよ、アレを作るのにボクがどれだけ時間と手間と愛情をかけてきたか! 何にも考えずに! ただ、燃やしてっ……あぁ嫌いだ、大っ嫌い!」
店主はバンと手のひらを机に叩きつける。
僕は何も言えず、ただ静かな時が流れた。
「…………あっと、そうだ。そろそろお昼だからパン切っておかないとね、ヘル君手伝ってくれる?」
「あ、はい。分かりました」
切り方を指示され、手本を見せられ、パン切り包丁を手渡される。先程の怒りの矛先が気になって集中出来ない。
「ナナメにね」
「はっ、はい」
料理をした経験はあるが、包丁を握った経験はない。人を刺した──ならあるけれど。
僕は慣れない行為に手元が狂って、ギザギザの刃で指先を傷つけてしまった。
「……った」
「わ、大丈夫? 見せて」
「す、すいません。あ……パン」
「結構深いね、奥に絆創膏あるから貼っておいで」
「……ごめんなさい」
ぽたぽたと落ちる血を捕まえるようにもう片方の手で傷口を押さえ、奥へと引っ込む。
僕は傷の痛みよりもパンを汚してしまった事が気になっていた。
これから昼時で、必要だったのに。
ダメだ、嫌われた、今日でクビだ。
…………嫌だ。嫌われたくない。
「ヘルくーん? 大丈夫ー?」
コンコン、とドアを叩く音。僕は急いで表に戻った。
「ごめんなさいっ! ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、お願い、嫌わないでっ……お願い」
「な、何? え、傷は?」
店主は僕の手を取り、絆創膏を巻いた傷口を観察する。
僅かに滲んだ血は彼にどんなふうに映っただろう。愚かさの、鈍臭さの象徴かな。
「そんなに痛いの?」
「…………いえ、大丈夫です」
今までに経験した痛みとはまた違った痛さがあった。けれど、弱音を吐いたら嫌われると思った僕は嘘をついた。
「そう? ならよかった」
店主はそう言って微笑む。嫌われてはいなかった事に胸を撫で下ろす。
……おかしい。僕はどうして彼に嫌われたくないんだ? いや、人に嫌われたい奴なんて滅多にいないだろうけど。
異常だ。好きだと言われた時には疑心もあったし趣味が悪いとも思った。好かれる事に肯定的ではなかった。
なのにどうして今はこんなにも嫌われたくないんだ?
「……あの、お名前何でしたっけ」
「え? 忘れたの? ライアーさんだよ」
「ライアー……さん、すいません。忘れたわけじゃないんですけど、少し気になって……その、本当に知り合いに似てて」
名前を聞いたって僕が抱いた疑念は解けない。
お菓子の国でナイと話した時、今のように嫌われたくないと強く願った。もしかしたら店主が口を滑らせてナイと名乗るかも、なんて思ったのだが──
「ふぅん……?」
不思議そうに首を傾げただけだった。
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(他サイトでも投稿中)
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