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第二十六章 貪食者と界を守る魔性共

炎信仰

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ヘルを置き去りに砂漠の国へ来た一行は街の外れで物陰に隠れ、ヒソヒソと喧嘩をしていた。

『ですから!  情報収集なら酒場一択です!  昼間から空いていますから、そこへ行きましょうと言ってるんです!  私何か変なこと言ってますか?  言ってませんよね?』

『あっづ……水、水飲みたい……』

『だから!  この国で一番人が集まるのは劇場なんだって!  劇が終わった後も日が沈むまでは館内から出ないだろうから、そこで暇を持て余してる奴等に聞こうって言ってるんだよ。僕何か間違ってる?  僕が間違ってるわけないよね?』

『あら……酒呑様が酒以外飲みたい言うなんて珍し……』

喧嘩をしているのはベルゼブブとエア。理由は聞き込みの場所についてだ。
探知魔法を使わない理由は「ナイと同界のモノであれば魔法を感知するだろうから」とのベルゼブブの推測だ。魔法を察知するような者はこの国には居ないのだが、それを知る者はここには居ない。

『酒場はならず者や噂好きが集まるものなんです!』

『狼さん、ぐったりしてるけどどうしたの?  体調悪い?』

『酔っ払いだらけでろくに話せる奴が居ないと思うけどね!  劇場なら劇を見るような人間ばかりだから、会話が成立すると思うよ?』

『……暑いのだ。ついこの前夏毛に生え変わったところだが……それでも、真昼間のこの国は屋内の石畳の上でなければやり過ごせんな』

フェルは二人の喧嘩が終わる時は遠いと判断し、ぐったりと地に臥したアルの前で杖を振る。

『……我等人類など貴殿の前では無意味、冷たき炎よ、灰色の炎よ、貴殿の燐光を此処に再現す……氷塊!』

人の頭ほどの大きさの氷が現れ、フェルはその氷をアルに抱かせる。

『あぁ……これは良いな。冷たくて気持ち良い。有難う、弟君』

『お兄ちゃんは狼さんが大好きだからね、狼さんには優しくしておかなくちゃ、お兄ちゃんに嫌われちゃう』

『ふっ……貴方は本当にヘルによく似ている、可愛らしい人だ』

アルは尾をフェルの腕に巻き付ける。この炎天下でも黒蛇の鱗は冷たく、触れさせるのに適していた。

『常に他者の事ばかりを考えて、自分を蔑ろにして、他者の為に心身を傷付けて……本当に、可愛い人』

『…………弱いだけだよ。人に尽くして人に気に入られないと生きていけないだけ』

『その不器用さが堪らなく愛おしい』

黒蛇の額がフェルの頬に寄せられる。

『貴方が他者に尽くすなら、私は貴方だけに尽くそう。私の全てを貴方に捧げる、私は貴方だけを愛し守ろう。何があっても私だけはヘルだけを見ていよう』

フェルは自分のオリジナルに向けられた愛情を受け、複雑な気持ちになりながらも笑みを浮かべる。勿論その笑みは心からではなく、アルに媚びる為に作ったものだ。

『……お兄ちゃんは幸せ者だ』

きっとこの狼は本心からヘルの幸せを願っている。それだけの為に生命すら捨てられる愛がある。だが、彼女も生き物だ。聖人のような愛情ばかりな訳がない、矛盾する欲望も持ち合わせているはずだ。
フェルはそう考え、意地の悪い質問を投げかけた。

『ねぇ狼さん、お兄ちゃんが自分の願いを全て叶えて、この世の誰よりも幸せになって、その幸せに狼さんが必要無かったとしたら、どうする?』

アルは目を見開き、それから穏やかな表情を作った。

『……私が必要無いのなら離れるだけだ。ヘルの邪魔には成りたくない』

『そっか、良かった。狼さんも人間らしい所ある……この言い方はおかしいかな、でも、うん、安心したよ。完璧に綺麗なモノに愛されるのは苦痛だから』

清らかな愛なんて自分の醜さを写す鏡でしかない。
フェルはアルの一瞬の表情を読み取り、アルの醜さを見つけた。

『本当に必要無いのなら私は本当に離れるさ。それがヘルの為だ』

『……にいさまと違って薄っぺらくはないね。嘘が上手、お兄ちゃんは騙せてるのかな?  僕が嘘だって分かるのは人間じゃないから、視力も記憶力もお兄ちゃん以上だからってだけだし、お兄ちゃんは騙されてるんだろうね。可哀想に、愛されてて羨ましいよ』

例え話を振った時、ほんの一瞬だけアルは瞳に憎悪を滾らせた。ヘルが幸せになった時、ヘルの隣に居る者を妬み、眼光だけで殺せるような殺意を抱いた。

『きっと、お兄ちゃんは醜い愛情を向けられた方が喜ぶよ?  この蛇で痣ができるまで締め付けて、その爪や牙で皮膚を裂くんだよ。そうしたらきっと泣き叫びながら嬉しそうに笑うと思うよ、そういう人間なんだ、ヘルシャフト・ルーラーは』

フェルはベルゼブブと睨み合うエアに目線をやって、冷笑する。
アルはフェルの発言と表情に怒りを覚え、腕に巻いた尾を解き、軽く睨む。

『……痛みこそ、愛情。傷跡は愛の証。そんな歪んだ認識がヘルシャフト、所有を望む支配者。全く可哀想にねぇ、ヘルを好きになれば、ヘルに好かれれば、きっとみんな不幸になる。本人達は幸せを感じられたとしても、傍から見れば憐れで仕方ない』

『弟君、貴方の脳がヘルと同じだとは分かっている。その思考もヘルと同じものなのだろう。だが、敢えて言わせてもらう。貴方はヘルとは別の生き物で、ヘルはまだ成長する、ヘルの歪みは私が修正する。だから…………それ以上口を開かないでくれ、私にヘルの姿を壊させるな』

一回り小さくなった氷に尾を巻いて砕き、拳ほどの大きさの氷を一つ飲み込み、アルは喧嘩の仲裁に向かう。フェルはそんなアルの後ろ姿を見ながら口の端を吊り上げる。

『……その歪みが好きなくせに』

置いて行かれた氷の欠片を摘む手が一つ。

『もらうで』

『どーぞ』

『しっかしまぁ……自分、頭領より腹黒そうやな』

『何言ってるの、みんな腹黒だよ。特にあの狼はタチが悪い。依存させたくて仕方ないくせに、自立させようと必死になってる。外面に凝りすぎて自分が分からなくなるタイプだね、アレは。そのうち最低な爆発の仕方するよ』

酒呑は比較的小さく割れた氷を瓢箪に詰め、ガラガラと振る。茨木は手のひらに収まる大きさの氷を丸呑みし、胸を擦る。

『狼もにいさまもベルゼブブもグロル……いやアザゼルも、全員ヘルと自分以外邪魔者だと思ってる。互いに利用価値が無かったらとっくに殺し合ってるよ。よくこの人数でやっていけてる、奇跡だと思うね』

『嫌やねぇ……うちは頭領はんになーんも思てへんから、ほっといてや?』

『そんなの誰も信用しないし、仮にそうだったとしてもどうでもいいよ。にいさまとアザゼルはやがて魔物を統べる力が欲しくてヘルを手に入れようとしてるだけだけど、狼は違う。彼女はヘル自身を求めてる、きっと眼は無いままがいいと思ってるね、そうしたらずっと自分に頼るからさ。だからつまり、個人の思いがどうだろうと邪魔者であることには変わらない』

『怖っ……』

『ふふ、まぁ、恋言うんはそういうもんや。知らんけど』

『何言うとるんや茨木……』

『酒呑みの鬼さんにもう一つ怖いこと教えてあげる。多分ヘルも目を戻したくないと思ってる。狼にずっと構ってもらえるからね』

『怖っ……』

酒呑は寒気がしてきたと氷を放り、茨木はまた一つ氷を口に含む。
フェルが話のネタを尽きさせると同時に喧嘩が収まり動向が定まる。

『決まりましたよ、酒場に行きましょう』

『決まったよ、劇場に行こう』

『決まってへんやんけ』

『決まりましたよ。何も全員でゾロゾロ行く必要は無いんです、手分けした方が集まる情報も増えるでしょう?』

ベルゼブブとエアが出した結論は砂漠の国に来る前に決められる内容だった。酒呑は呆れながらも酒が飲めるからとベルゼブブに付き、茨木もそれに倣う。

『組み分けも決まりましたね。大体分かってましたけど』

フェルは当然エアに付き、余ったアルは少ない方に付く。

『じゃあ、日が落ちたら合流ね』

『はいはーい、蝿送りまーす』

『気持ち悪いからやめて』

ベルゼブブとエアは喧嘩などなかったかのように仲良さげに手を振り合い、正反対の方へ歩き出す。二人ずつ続き、各々の建物を目指す。
 
『……私はこの見た目だが、平気なのか?』

『国連に入ってないし、魔獣のペット認めてる国だし、刻印あるし、平気だと思うけど』

『うむ……以前来た時も不都合は無かったが……』

『何かあったら見た人の記憶消すから。それくらいなら魔法使わなくてもなんとかなるし』

『…………万能だな』

皮肉と煽てを込めて吐き捨てる。エアはそれに当然だと満足気な表情を浮かべ、劇場の扉を開いた。
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