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第十六章 遊戯は神降の国でも企てられる
但し逃走は失敗
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蛇が跳んですぐに僕も振り返る。
そこにあったのは陶器の破片や羽根などの幻想的な最期ではなかった。吹き出す血に飛び散る肉、生々しい死の間際だ。
『……ルシフェルを封印した時ぶりか、人間の間隔でいえば「久しぶり」なのか?』
薄紫色の髪を揺らし、重厚な甲冑を身にまとった天使は瀕死の蛇を踏みつける。蛇はちぎれかけた体を天使の足に巻き付かせ、へし折ろうと力を込める。
『私はカマエルだ、覚えているか? ルシフェルとの戦いの時に会っただろう、書物の国でも会ったな? あの時はよくもやってくれた』
カマエルは蛇を一瞥もせず、僕を見つめている。
力を抜いて垂れ下がったカマエルの手に魔法陣のようなものが現れる。
声を出す間も無く、毒針が蛇の頭を貫いた。だが、蛇の体はカマエルの足に巻きついたままだ、死んでもなお僕に尽くそうとしているように。
『爬虫類というものは、案外死んでも動くものだ。魚や虫ならそれはもっと顕著だな。全く気味の悪い奴等だ』
彼女はこんなにも会話を楽しむような性格だったか? 天使の中でも天使らしい、全く話を聞かずに、疑ったもの全てを罰するような性格ではなかったか?
『……私はルシフェルを封印した時、貴様が神にとって害になるとは思えなかった。だが今、その考えが間違いだったと気づいたよ。私の部下を躊躇なく破壊し、私も殺そうとしたな? 所詮魔物使いは魔物使いだ。魔物を支配し、操り、魔王として君臨する。やはり彼は正しい、流石だな。さぁ……魂の投降を願おうか』
魔法陣らしきものから引きずり出される二本の剣、それは僕の前に展開された本物の魔法陣に弾かれる。
『何っ!? そんな馬鹿な! 魔法を扱えるなど聞いていないぞ! あの国は滅びたはず……!』
ローブに刺繍された魔法が発動したのだろう、心の中で兄に感謝する。そして、この状況を打開するために言葉を紡いだ。無意識的に、口だけが勝手に動くように感じた。
「僕の元へ集い、僕だけに従い、僕の為だけに…… 死 ね 。愛しい愛しい魔物共」
森が、揺れた。
『これは……! 貴様、もうここまで!』
右眼に鋭い痛みを感じる。自分が吐いた言葉を侮蔑する。でも、それでも、僕は異様な多幸感に支配されていた。
大小様々な魔獣がカマエルに飛び込んでいく。だが、森に住む魔獣程度ではカマエルには敵わず、次々に肉塊へ変えられる。
僕のせいで死んでいく、僕の為に死んでいく魔獣達を眺めながら、僕は途方もない罪悪感と救いようのない快楽に陶酔していた。
「……僕、今、とっても愛されてる……っ!」
意思に反して口が勝手に笑い出す。自身の言動に嫌悪感を覚えながらも、自分自身を支配できない。
動け、今のうちに逃げろ。
叫べ、魔獣達を逃がせ。
微かに残った理性から来る比較的善良な思考も快感に掻き消される。
「ふふっ……はは、あっはははは! 幸せ。僕、今まで生きてきた中で一番幸せ! もっと、もっと、おいでよ! 僕への愛を示してよ! 僕の為に死んでよ!」
幸せ? まさか。自分のために大量の魔獣が死んでいるのに、幸福を感じる訳がない。だというのに抑えようのない本能が僕を支配する。
カマエルは魔獣を振り払い、僕に向かって剣を振り下ろした。
大量の魔獣の血と油で鈍った剣。硬い皮や鱗を裂いて刃こぼれした剣。またもや魔法陣に弾かれ、カマエルは剣を捨て大量の毒針を飛ばす。
『これも駄目なのか……!』
史上最強の魔法使いが紡いだ結界がそう簡単に崩れる訳がない。カマエルは防護結界の破壊手段に気を取られ、突進する魔獣に気がつかなかった。
『ヘル! 無事か、乗れ!』
カマエルの左肩を喰いちぎり、尾で突き飛ばして僕をすくい上げる。
大樹の枝に飛び乗り、翼を広げた。僕はアルの首に手を回し、何も言わずにただ顔を埋めていた。
『……ヘル? 大丈夫か?』
「平気」
『そうか?』
アルに言える訳がない。
自分のために死ぬ魔獣を見て悦んでいました、なんて。
軽蔑されるに決まっている、僕だって僕を軽蔑している。いつものように無能だからだとか、考えすぎるからだとか、そんな生まれ持った欠点が理由なら少しは救いもあった。人格を疑うような、あんな言動。救いようがない。
『ハート、おかげで助かった。礼を言う』
「……どうも」
鬱陶しそうに片目を開き、面倒臭そうに呟いた。
ハートの腕の傷は変わらず酷い、数分目を離しただけで治るとも思っていなかったが、改めて見るとまた罪悪感が湧く。
胸を締め付けるような罪悪感が……罪悪感? 本当に? 悦びだろ? 彼の怪我も僕の為のもので──違う、絶対に違う。僕はあんなこと考えていない。
堂々巡りの自問自答はいつも以上に深く暗く沈んでいった。
『……しかし、見つからなかったのはそのローブのせいか、魔力が全く感知できん』
「脱いだほうがいい?」
『防護結界や治癒魔法もあるのだろう? 貴方の安全の為には着ていた方がいい』
「……なぁ、お前が魔力探知できないならあんだけ魔獣寄ってくるのもおかしくないか?」
『いや、そうでもない。魔力を閉じ込めている訳ではなく、匂いを消しているだけだからな。使うことについては問題は無い。それで私も正確な位置が分かったからな』
「ふぅん? まぁ魔法も魔物の感覚も知らないけどさ。それって……術者は魔法陣の場所分かる、とかないよな?」
背筋が凍る。兄が僕の居場所を探知できる? もし僕を追ってきていたら、今度こそ殺される。
兄と認めて、仲直りとも取れる言葉を沢山吐いた。その上で逃げたのだ、これでは最上の裏切りと思われても仕方ない。
『……まさか。と、とりあえず脱げ、ヘル。森の中にでも捨ててこよう。念の為に』
「ま、待って、なんか脱げない……袖、離れないし、前開かないし」
『当然だろ? 勝手に脱がれちゃ困るからね』
背後からの冷たい声に振り返ると、兄が僕を失望したような目で見下ろしていた。その目を見ていると僕が無能だとバレた時のことが思い出されて、泣き叫んで縋りたくなる。
『……また、逃げたね』
頬に触れる手はゾッとするほど冷たい。死体に触られているような、陶器の人形に触れているような、そんな感覚だ。
「違うよバーカ。俺が攫ったんだよ」
『…………へぇ?』
ハートが会話に割り込んできた事で兄はさらに不機嫌になる。
「お前こいつが一人で逃げられると思ってんの? あの紐がまず解けないって」
『紐のこと知ってるんだ、なら嘘じゃないのかな?』
確かめるように僕を見て、僕の頬から額に手を動かす。微かな痛みを頭の中心に感じた。
『ふぅん……本当みたいだね。わざわざ言う理由が分からないけど、大人しく攫われたのも気に入らないけど』
「記憶まで見れるわけ? これはこれは……口先だけじゃダメそうだ」
何故、ハートは僕を庇っているのだろうか。彼は魔物ではないのに、僕は何も命令していないのに。
僕が逃げたと責められないように、自分が攫ったと言い張っている。僕には彼の言動が全く理解できない。
『……詳細は分からないけど、僕の所有物を盗んだってのは確かだよね?』
「所有物、ね。何のことか分かりきってて吐き気がするよ」
『知ってるかな、盗人への罰は指や手を切り落とすのが多いそうだよ? どこの国でも手癖が悪いなら手を落とせってのは共通みたいだ』
兄は僕を物扱いしている。そのことについて大した不満はない。全くとは言い難いが、物だろうと大切に扱ってくれるのなら良かったから。
だが、実際のところ僕の扱いは雑だ。壊れたところで治せばいいのだから、兄にはそれが出来るのだから、兄には僕を丁寧に愛する理由が無い。
『盗むのは手が悪いのかな? 違うよねぇ、悪いのは頭だよね? 知恵がなければ盗みなんて出来ないよね 』
「まぁ、人間の長所と短所は頭脳だよな」
『……切り落とすべきは、頭だよね?』
「鬱陶しいよな、お前も。やりたいならやればいい、グダグダ言ってる時間が無駄だとか思わないんだな」
兄の長ったらしく遠回しで、情報の少ない殺害宣言。それは聞いている相手を怖がらせて面白がるためのものなのに、ハートが思い通りに怖がらないから兄は不機嫌だ。
その不機嫌に任せて必要以上に強力な魔法を放つ程に。
そこにあったのは陶器の破片や羽根などの幻想的な最期ではなかった。吹き出す血に飛び散る肉、生々しい死の間際だ。
『……ルシフェルを封印した時ぶりか、人間の間隔でいえば「久しぶり」なのか?』
薄紫色の髪を揺らし、重厚な甲冑を身にまとった天使は瀕死の蛇を踏みつける。蛇はちぎれかけた体を天使の足に巻き付かせ、へし折ろうと力を込める。
『私はカマエルだ、覚えているか? ルシフェルとの戦いの時に会っただろう、書物の国でも会ったな? あの時はよくもやってくれた』
カマエルは蛇を一瞥もせず、僕を見つめている。
力を抜いて垂れ下がったカマエルの手に魔法陣のようなものが現れる。
声を出す間も無く、毒針が蛇の頭を貫いた。だが、蛇の体はカマエルの足に巻きついたままだ、死んでもなお僕に尽くそうとしているように。
『爬虫類というものは、案外死んでも動くものだ。魚や虫ならそれはもっと顕著だな。全く気味の悪い奴等だ』
彼女はこんなにも会話を楽しむような性格だったか? 天使の中でも天使らしい、全く話を聞かずに、疑ったもの全てを罰するような性格ではなかったか?
『……私はルシフェルを封印した時、貴様が神にとって害になるとは思えなかった。だが今、その考えが間違いだったと気づいたよ。私の部下を躊躇なく破壊し、私も殺そうとしたな? 所詮魔物使いは魔物使いだ。魔物を支配し、操り、魔王として君臨する。やはり彼は正しい、流石だな。さぁ……魂の投降を願おうか』
魔法陣らしきものから引きずり出される二本の剣、それは僕の前に展開された本物の魔法陣に弾かれる。
『何っ!? そんな馬鹿な! 魔法を扱えるなど聞いていないぞ! あの国は滅びたはず……!』
ローブに刺繍された魔法が発動したのだろう、心の中で兄に感謝する。そして、この状況を打開するために言葉を紡いだ。無意識的に、口だけが勝手に動くように感じた。
「僕の元へ集い、僕だけに従い、僕の為だけに…… 死 ね 。愛しい愛しい魔物共」
森が、揺れた。
『これは……! 貴様、もうここまで!』
右眼に鋭い痛みを感じる。自分が吐いた言葉を侮蔑する。でも、それでも、僕は異様な多幸感に支配されていた。
大小様々な魔獣がカマエルに飛び込んでいく。だが、森に住む魔獣程度ではカマエルには敵わず、次々に肉塊へ変えられる。
僕のせいで死んでいく、僕の為に死んでいく魔獣達を眺めながら、僕は途方もない罪悪感と救いようのない快楽に陶酔していた。
「……僕、今、とっても愛されてる……っ!」
意思に反して口が勝手に笑い出す。自身の言動に嫌悪感を覚えながらも、自分自身を支配できない。
動け、今のうちに逃げろ。
叫べ、魔獣達を逃がせ。
微かに残った理性から来る比較的善良な思考も快感に掻き消される。
「ふふっ……はは、あっはははは! 幸せ。僕、今まで生きてきた中で一番幸せ! もっと、もっと、おいでよ! 僕への愛を示してよ! 僕の為に死んでよ!」
幸せ? まさか。自分のために大量の魔獣が死んでいるのに、幸福を感じる訳がない。だというのに抑えようのない本能が僕を支配する。
カマエルは魔獣を振り払い、僕に向かって剣を振り下ろした。
大量の魔獣の血と油で鈍った剣。硬い皮や鱗を裂いて刃こぼれした剣。またもや魔法陣に弾かれ、カマエルは剣を捨て大量の毒針を飛ばす。
『これも駄目なのか……!』
史上最強の魔法使いが紡いだ結界がそう簡単に崩れる訳がない。カマエルは防護結界の破壊手段に気を取られ、突進する魔獣に気がつかなかった。
『ヘル! 無事か、乗れ!』
カマエルの左肩を喰いちぎり、尾で突き飛ばして僕をすくい上げる。
大樹の枝に飛び乗り、翼を広げた。僕はアルの首に手を回し、何も言わずにただ顔を埋めていた。
『……ヘル? 大丈夫か?』
「平気」
『そうか?』
アルに言える訳がない。
自分のために死ぬ魔獣を見て悦んでいました、なんて。
軽蔑されるに決まっている、僕だって僕を軽蔑している。いつものように無能だからだとか、考えすぎるからだとか、そんな生まれ持った欠点が理由なら少しは救いもあった。人格を疑うような、あんな言動。救いようがない。
『ハート、おかげで助かった。礼を言う』
「……どうも」
鬱陶しそうに片目を開き、面倒臭そうに呟いた。
ハートの腕の傷は変わらず酷い、数分目を離しただけで治るとも思っていなかったが、改めて見るとまた罪悪感が湧く。
胸を締め付けるような罪悪感が……罪悪感? 本当に? 悦びだろ? 彼の怪我も僕の為のもので──違う、絶対に違う。僕はあんなこと考えていない。
堂々巡りの自問自答はいつも以上に深く暗く沈んでいった。
『……しかし、見つからなかったのはそのローブのせいか、魔力が全く感知できん』
「脱いだほうがいい?」
『防護結界や治癒魔法もあるのだろう? 貴方の安全の為には着ていた方がいい』
「……なぁ、お前が魔力探知できないならあんだけ魔獣寄ってくるのもおかしくないか?」
『いや、そうでもない。魔力を閉じ込めている訳ではなく、匂いを消しているだけだからな。使うことについては問題は無い。それで私も正確な位置が分かったからな』
「ふぅん? まぁ魔法も魔物の感覚も知らないけどさ。それって……術者は魔法陣の場所分かる、とかないよな?」
背筋が凍る。兄が僕の居場所を探知できる? もし僕を追ってきていたら、今度こそ殺される。
兄と認めて、仲直りとも取れる言葉を沢山吐いた。その上で逃げたのだ、これでは最上の裏切りと思われても仕方ない。
『……まさか。と、とりあえず脱げ、ヘル。森の中にでも捨ててこよう。念の為に』
「ま、待って、なんか脱げない……袖、離れないし、前開かないし」
『当然だろ? 勝手に脱がれちゃ困るからね』
背後からの冷たい声に振り返ると、兄が僕を失望したような目で見下ろしていた。その目を見ていると僕が無能だとバレた時のことが思い出されて、泣き叫んで縋りたくなる。
『……また、逃げたね』
頬に触れる手はゾッとするほど冷たい。死体に触られているような、陶器の人形に触れているような、そんな感覚だ。
「違うよバーカ。俺が攫ったんだよ」
『…………へぇ?』
ハートが会話に割り込んできた事で兄はさらに不機嫌になる。
「お前こいつが一人で逃げられると思ってんの? あの紐がまず解けないって」
『紐のこと知ってるんだ、なら嘘じゃないのかな?』
確かめるように僕を見て、僕の頬から額に手を動かす。微かな痛みを頭の中心に感じた。
『ふぅん……本当みたいだね。わざわざ言う理由が分からないけど、大人しく攫われたのも気に入らないけど』
「記憶まで見れるわけ? これはこれは……口先だけじゃダメそうだ」
何故、ハートは僕を庇っているのだろうか。彼は魔物ではないのに、僕は何も命令していないのに。
僕が逃げたと責められないように、自分が攫ったと言い張っている。僕には彼の言動が全く理解できない。
『……詳細は分からないけど、僕の所有物を盗んだってのは確かだよね?』
「所有物、ね。何のことか分かりきってて吐き気がするよ」
『知ってるかな、盗人への罰は指や手を切り落とすのが多いそうだよ? どこの国でも手癖が悪いなら手を落とせってのは共通みたいだ』
兄は僕を物扱いしている。そのことについて大した不満はない。全くとは言い難いが、物だろうと大切に扱ってくれるのなら良かったから。
だが、実際のところ僕の扱いは雑だ。壊れたところで治せばいいのだから、兄にはそれが出来るのだから、兄には僕を丁寧に愛する理由が無い。
『盗むのは手が悪いのかな? 違うよねぇ、悪いのは頭だよね? 知恵がなければ盗みなんて出来ないよね 』
「まぁ、人間の長所と短所は頭脳だよな」
『……切り落とすべきは、頭だよね?』
「鬱陶しいよな、お前も。やりたいならやればいい、グダグダ言ってる時間が無駄だとか思わないんだな」
兄の長ったらしく遠回しで、情報の少ない殺害宣言。それは聞いている相手を怖がらせて面白がるためのものなのに、ハートが思い通りに怖がらないから兄は不機嫌だ。
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