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第六章 砂漠の国の地下遺跡

無の願い

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僕を押さえつけるように抱き締めた人物──少女と仮定しよう、少女に話しかける。

「だ、誰?  離してくれないかな」

『暴れないならいいけど』

少女を刺激しないように出来る限り柔らかい口調を使う。
少女の声は思っていたよりも低く、男のものにも思えた。

「暴れないよ、だから離して」

想像以上に簡単に拘束は解かれる。振り返った先に居たのは真っ黒い服を着た黒い髪の少女だった。
僕よりも少し長い髪は彼女の顔に影を作り、彼女の顔を黒く塗り潰してしまっていた。
僕にはそんな儚く冷たい見た目の少女に見覚えがあった。

『やぁ、こんにちは。ボクが誰か分かるかな?』

「温泉の国で……えっと、天使……だったっけ」

温泉の国、洞窟に現れたあの黒い天使だ。
悪魔の居場所を教えてくれた、弓も彼女が運ばせたんだったか。

『ボクの事は『黒』でいいよ、名前を覚えてないからね。それにどうせ人間なんてすぐ死ぬんだから』

「そりゃ、天使からしてみればすぐかもしれないけど」

『そんな短命の生き物に心を裂くわけにはいかないよね。仲良くなったら危ないから……大抵の天使はそう考えるんだよ。でも、二人は君の事が好きみたい』

感情など欠片も込められていない声色。『黒』には何も無い、僕はそう直感した。
それでもこの天使は美しく、不気味だと思っていながらも見蕩れてしまう。

「二人って?」

『昔は一人だったんだけどさ、ちょっと前に分裂したんだよね。自由奔放な子供と、ちょっと感情的な女、中でずっと言い争いしてる』

「えっと……『黒』は多重人格者、ってこと?」

『理解が早くて助かるよ。その認識で構わない』

「『黒』が主人格?」

『いいや、『黒』は二つに分かれた内の残りカスだよ。記憶も何も無い、本当に要らないもの』

『黒』は窓辺に腰掛け、僕の手を引いた。『黒』の腰の横に両手をつく体勢になってしまい、あまりの近さに顔を背けた。
細長い足が僕の体に絡み、『黒』は両手で僕の顔を優しく挟んだ。
こんなにも傍に居るのに、『黒』の顔は見えないままだ。

「ちょっと……近いよ」

『悪いねぇ、『黒』は感情を全部渡してしまったから、彼女の感情に引っ張られてしまうんだよ。ボクはまだそこまでこの身体を支配できていないし……』

「えっと、どういう意味?」

『『白』はキミが好きなんだよ。『灰』もそれに引っ張られたのと好奇心とでキミを気に入ってる。だから『黒』はそれに引きずられてキミに惹かれている。ボクはまた別の理由だけど、キミを気に入っている』

僕を抱き締め、首元に顔を埋める。背に回された手は冷たく、僕の焼けた肌を癒す。
何の感情もなく「惹かれている」なんて言われても、僕にはどうすればいいのか分からない。
半分無意識に『黒』の肩を抱いて、頭を撫でた。

『へぇ……?  もっと照れると思ってたんだけど、案外手馴れてるんだ、モテるんだね?』

「そ、そんな事ないよ。君は……ちょっと違うから」

自分でもよくそんな言葉を吐いたなと驚いた。でも違うんだ。他の女の子……たとえ悪魔や天使だったとしても、こんなふうに抱きつかれたらきっと僕は照れて突き放してしまうだろう。
『黒』にはそうさせるモノが無い、狼やコウモリを抱き締めている時と似た感覚がある。
それに、何故か懐かしさを感じさせられるのだ。

『違う?  まさか見抜いて……いや、いいよ、そろそろ本題に入りたいな』

「本題?」

僕を押しのけて、部屋の中心で気取ったように一回りする。僕は何故か『黒』の体温が恋しくなって、『黒』が離れた事に異常な寂しさを感じた。

『頼みがあるんだ、牢獄の国に来てくれないかな?』

「牢獄の、国?」

随分と物騒な名前だ。

『そこに居るんだよ、『黒』の昔馴染みがね。ボクも一度見ておきたい』

昔馴染みなのに「一度見ておきたい」とはどういう意味だ?
別の人格で……いや、ハッキリと『黒』の昔馴染みと言った。
『黒』は僕の不審がった視線を意に介さず、低い男の声で続けた。温泉の国で会った時は鈴が鳴るような可愛らしい声をしていたと思うのだが。
……何か、おかしいな。

『天使長なんだけどね、何してるのかなーって、さ』

僕は無意識のうちに『黒』に歩み寄り、そっと手を握った。
自分でも何をしているのか分からない。『黒』は僕の手を握り返し、変わらない態度で話を続けた。

『ずっと地下に居るみたいでね、でもあの国は魔王の統治下だろう?  ちょっと……気になるよね?』

「魔王って……そんなのが居るの?」

『あれ、知らなかった?  最近力をつけた魔物が牢獄の国の王権を奪い取ったんだよ。魔王とは言ってるけど、魔獣なのか悪魔なのかもよく分かってないんだよね。本物の魔王じゃないことは確かなんだけど、正確に分かることはなんにもない』

「そこに天使長がいる……ってこと?  見張りとかじゃなくて?」

『あんな暴政に見張りなんて要らないんじゃない?  天使が居るならとっくに倒されてると思うね。それにあの国には天使の力を弱める術が置かれているんだよ。そんな所に天使長が何もせずに居るなんておかしい。キミはそう思わない?』

何の感情も宿していない声が微かに震える。それは笑いを堪えているようにも、天使長が心配で不安がっているようにも思えた。
僕はそれをかき消したくて、『黒』を抱き締めた。
細く柔らかい体は非常に頼りなく、庇護欲を掻き立てる。『黒』の腕は力なく垂れたままで、僕から離れようとはしない。
その無抵抗さは僕に打ち震えるような悦びを与えてくれた。

「天使長について僕が調べればいいんだね?」

『頼みたいけど、別に断ってもいいんだよ?』

「大丈夫、僕に任せてよ。解決してみせるから」

『……『白』が君を気に入るのも無理ないね、その優しさは身を滅ぼすよ。でも、うん。そんなところが好きなんだよ』

『黒』の体温が、感触が、消える。僕の体をすり抜けてそっと窓に近づく。
霧でも抱いていたみたいに何も残らない、少し寒くなる。『黒』は窓を開き、そこから抜け出す。
入ってきた時もきっとああやったのだろう、『黒』は翼も出さずに宙に浮かんでいる。

「安心して『黒』、僕は怪我なんてしないで天使長って人を君の目の前に引っ張り出してみせるから」

『そう、頑張ってね。キミには期待してるんだ』

「僕の名前はヘルシャフトって言うんだ、君じゃなくてヘルって呼んで欲しい」

僕が名前を呼んでほしいと要求すると、『黒』はカクンと首を垂らす。それは頷きではなかった。
僕が何度か呼ぶと『黒』は顔を上げ、ようやくその可愛らしい顔を見せてくれた。冷たく黒い双眸に僕が映っている。

『…………僕を裏切らないなら、考えてあげる』

鈴に似た可愛らしい声を残して、『黒』の姿はふっと消える。窓の外には何も無い、『黒』なんて居なかったかのように。
僕の白昼夢だとでも言うように砂が巻き上がり顔にぶつけられる。
僕は慌てて窓を閉じ、カーテンも閉じた。
今度は背後を振り返っても誰もいない。僕は顔を洗って、二人を起こさないようにベッドに潜り込んだ。
『黒』が去った寂しさをかき消すように。
『黒』に抱いた微かな疑念と恋心を押し隠すように。
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