灯台守

早川隆

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第九章

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「神々の進む航路を、照らさなきゃならないの。」

波瑠巳はるみさまは、われにそう言った。神々が海を渡り、陸地へとあがるまさにその場所を、われと波瑠巳さまは、ともに手を携えて、ずっとずっと照らしておかねばならぬのだ。

それが役割だ。それが運命さだめなのだ。



ギトの崖とは、もとは地上の人間たちから擬戸ぎとと呼び習わされていた、水底の世界と地上の世界との結節点である。はるかな昔、今よりずっと両の世界が密接に関わっていた大昔、神々はこの場所を通って地上にあがり、ただ地に這うばかりで他に能のない無知蒙昧むちもうまいな人間どもに様々な恩沢を施しては、感謝されつつまた水底へと還っていった。

愚かな人間どもは神々を歓呼し、火を焚いて夜通し踊りながら、その来臨と帰路の安全とを寿ことほいだ。世界は安定し、皆は今よりずっと仲睦まじく、そして幸せだった。

万年億年もの時が経ち、地球はいくたびか冷えまた熱くたぎりたち、そうしていつしか世界はそのかたちそのものを変えて、神々は水底深く逃れ、滅多に出てこなくなった。



それでは困る、とても困る!

困り果てた愚かな地上の人間どもは、ふたたび神々を地上へとび寄せるため、海底深くからずっとずっと黄金色の石を積み、登りやすい道をつくった。完成するまで数知れず犠牲が出たが、もちろん彼らはそんなことに頓着しなかった。

そのいじましい努力の甲斐あって、水底と地上はふたたびつながり、時として神々はまた揚り、限定された恩沢を施してくれるようになった。しかし、敬虔さを忘れた愚かな地上の人間どもは、やがて自らの力を過信し、これをたのみ、神々の存在を忘れて身勝手な振る舞いをするようになっていった。

地上にも水上にも、これら人間どもの焚くあまたの灯火があかあかと暗い水面を照らし、神々はその進むべき進路をしばしば誤った。怒った神々は、かつて大いに愛でた人間どもに対し、ときに峻厳な罰を与えるようになった。



かつて神々の来臨をこいねがい、そのために人間が自ら作った水底からの階段は、いつしか悪魔のような顔貌をした神々が大いなる鉄鞭を振るい極限の苦痛をもたらす恐怖の道へと変化した。人々はこれを畏れ、さまざまに封印の呪術を施し、またときに生贄いけにえを捧げ、この道をなんとか塞ごうとした。そのため、 擬戸という名も、なにか別のことを意味する呼び名に変えられた。

以来おそらく数千年。あるときには開かれ、あるときには閉じたこの両界を繋ぐ架け橋ともいうべきギトの扉は、いま再び大きく開け放たれようとしていた。愚かな人間どもが自らの水上航路の安全のために設けた灯台守として赴任していた夫婦者が、あるときこの世界の秘密を知り、彼らが本来仕えるべき水底の神々に忠誠を誓って、この階段の上に立ち、秘儀を行って神々を呼び寄せたのである。

代々、過去の恐ろしい記憶を口伝えにしてきた島民たちは震撼しんかんし、この夫婦者を皆で包囲し、まず夫を残酷にも石で殴り殺した。彼は妻を身を以て守り、絶叫しながら血みどろになって事切れた。次に、夫のむくろの脇にうずくまって震える妻を簀巻すまきにして、そのまま海に沈め殺した。彼女は泣き、喚き、いつか蘇って復讐すると殺人者たちを脅しながら、波間に消えていった。

たまたま灯台の無人化と重なったこの灯台守夫婦の失踪事件の恐るべき真相は、遂に露見することなく終わった。しかし極限の恐怖と恨みを持って沈んだ彼女の魂魄こんぱくは火の玉となって夜毎島内各所を浮遊し、夫婦が生前、貧困ゆえ別の土地に置いてきた遺児の夢に現れ、長年月をかけてじわじわと作用し、遺児の息子、すなわち彼らにとって孫に当たる男の身体を導き、遂にこの地まで呼び寄せることに成功したのである。





ああ、そうか。

波瑠巳はるみさまは、われのばばさま・・・・、なのだ。


でも、いま見る波瑠巳さまは、とても若く、つやつやとしていて美しく、まるで天女が地に、いや海中に降り立ったかのように見える。そうだ、彼女は美しい。そして神々しい。そう、まるで、彼女はわれの、理想の妻のようだ。



「神々の進む航路を、照らさなきゃならないの。」

ばばさまは・・・いや、我が美しき妻は、そう言った。



ああ、そうだった。
われは、灯台守だ。

くらき海に、なかから火を灯し、そこをゆく者の足元を照らし、そのあゆみをたしかなものにする。彼らが進みたい方向へと確実にいざない、行きたいと願うところへと、彼らを送り届ける。

それが、役目だ。



すでに罪深き地上の人間どもには、全員に相応の懲罰を与え、残らず火にくべ灰にしてしまっている。前非を悔いて、贖罪しょくざいの機会を与えられることを願ったあの遠智という感心な男が、謹厳な役人らしく、漏れなく完璧にそれを成し遂げた。そして彼は神を称える呪文を唱えながら服毒し、三つ並んだ最後のロストル式焼却炉に身を横たえ、ばばさまに命じられたわれが、あのときはただ、わけもわからず最後の点火スイッチを押したのだった。



われは、灯台守だ。

これからは、われの果たすべき職務にだけ専念すればよい。神々の進む航路を、照らす。その役割にだけ、忠実でおればよい。

すでに、邪魔っけなあの地上の灯塔は沈黙し、ただの黒く長細い線となって岬に立ち尽くしている。灯火の入らぬ灯台など、この世界でいちばんの役立たずだ。ざまあみろ。



われは、灯台守だ。

これからずっと、億年兆年の末までずっと、妻と二人で、神々のために灯りをともし続けるのだ。海のなかから、ずっとずっと照らし続けるのだ。

われらが指し示す道を、昏き水底から揚り来たる偉大なる神々が、波に揺蕩たゆたいながら進んでゆかれる。あの小憎き人間どもを残らず掃滅してしまうまで。ふたたび地上を、神々が総べたもう真の楽土へと変えるまで。



われは、照らし続ける。神々の道を。



そう。
われは、灯台守なのだから。



<了>
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