Vanishing Twins 

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瀬戸遥の思い出

4.姿見

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遥にとっては、その日もいつもと同じ1日だった。
平凡に何時もと同じ学校生活。
理不尽な同級生の仕打ちは辛い気持ちになるが、ただ乗りきれば良いだけのこと。そうして、帰途につけば、普段と変わらない日常で終わるはずだった。
一人になって気が抜ける場所までやって来て、パスケースを使いホームに立つ。
やっとで、今日一日が終わる。
そう思いながら遥は、無意識の動きで鞄を片手で探る。

お気に入りの小説を片手に、駅のホームで電車を待つ。ページをめくり先を読み進みながら、遥は俯いたまま文字を追いかける。
次にくる電車に乗って二駅行けば、もう後は家に帰るだけだ。そう思いながら、読書に意識の半分が没頭していた。
そのせいか滑り込んできた電車の扉から押し出される人の群れに、一瞬体を押し返され体が平行を失って後ろにふらつく。ふらついた足が上手く立て直せず体が傾ぐ。

あっ。

尻餅をついて転ぶことを覚悟し、思わずたたらを踏んだ遥の背中を誰かが押さえた。思わぬ助けに遥は、背後からの手に抱えられる体勢で体を立てなおす。
一瞬の出来事にそのまま支えた手に押さえられて呆然としているうちに、電車の扉は閉じ滑る様にホームから走り出す。遥の体を支えた相手が、しまったという様に声をあげた。

「あちゃぁ……ごめん。とっさに支えたとこまではよかったけど、電車一本乗り損ねた。大丈夫だった?」

その声に聞き覚えがあって遥は目を丸くした。
その様子に気がついたのか彼女を支えた手の主も、遥の顔を覗き込むと驚いた様な様子を見せる。その青年の顔は、遥にとってつい最近見た事のあるものだったのだ。

「あれ、……あぁ、そうだ、この間のパスケースの子。」

彼の言葉に見る間に遥の顔が朱に染まる。
青年はその表情を見ると、面白そうに微笑んだ。
帰途の人々で溢れるホームの中で私服の青年と、真っ赤になった女子高生の取り合わせ。それ程異質なわけではないし目立つわけでもないのだが、真っ赤になっている遥だけが恥ずかしいのか焦ったように辺りを気にしている。ふと、思い出したように彼女は青年の顔を見上げた。

「こ、この間は……あ・ありがとうございましたっ。」

大きくペコッと頭を下げた遥に彼は、少し声を立てて面白そうに笑う。

「いえいえ、それにこの間もお礼は聞いたよ。君もこの沿線なんだ?」
「は・はい。」

そう言われればお礼はしどろもどろでも言ったんだったと遥は恐縮したように縮こまる。その様子を面白そうに見つめる青年の視線に、遥は眩しそうに彼を見上げた。
彼女の反応が面白いのか青年は、にこにこと笑いながら見つめていて、遥は何だかいたたまれない気持ちになる。遥はこんな時自分ではなく、表に出ているのがカナタだったらもっと会話もできるのにと思う。そして余計にカナタが起きていてくれたらと、真っ赤になりながら心の芯から思っていた。
それほどの間もなくホームに再び滑り込んできた電車に今度は二人で一緒に乗り込む。先程までよりずっと気さくに青年は話しかけてきて、遥は落ち着かない不思議な気持ちのまま辿々しく答える。その青年がどうして遥にこんなに話しかけてくるのか、微かに疑問に感じながら彼の事を見つめていた。

今まで気がついたことがなかったが、実は降車駅も同じだった。青年は同じ駅で降りると凄い偶然だねと、彼女に向かってやさしい笑顔を向けた。毎日何千人と利用しているなかの出会いは、タイミングが合わなければ一生出会わない偶然だったのだろう。
遥は今まで一度も異性にそんな風に微笑みかけられた事がなかった。驚きあわてながら真っ赤になって頷く。
青年は、菊池直人と名乗った。
また機会があったら今度はゆっくりお茶でもしようと社交辞令の言葉にも彼女は慌てふためいてしまう。そんな彼女の慌てた様子に、再び声をあげて笑いながら彼は約束だねと顔を覗きこむ。出会ったばかりの異性にそんな風に誘われて、遥は余計に縮こまってしまう。こんな物語の中でしか起こらないような異性との経験は、遥にとって産まれて初めての事だった。


※※※





「どうかしたの?遥」


不意にかけられた声に彼女はハッとしたように我に返った。こじんまりと整えられた私室の中で、クッションに寄りかかりながら座る遥は、小説を片手にその視線に気がついた。
姿見の中からこちらを見つめるカナタの声が、不思議そうに自分を見つめながら声をかける。

「帰ってからずぅっと、ボーっとしてるよ?」
「そんな事ないよ?」

焦って鏡に向かって言う遥に、カナタはにやーっと目を細め鏡の中から遥を見返す。
女の子らしい部屋の中で、鏡に向かって話しかける姿は奇異にも見えるが彼女達にとってはこれも日常だ。手に持った文庫本は、開いてから一ページも進んでおらず、読んでいたつもりだが内容も全く頭に入って来ない。

「嘘ばーっか、遥はすぐ顔に出るからばればれだよ?」

カナタの言葉に彼女は気まり悪そうに頬を赤らめた。
諦めた様にパタンと本を閉じると机の上に置かれた鏡を真正面から見つめ遥は、言いにくそうに口を開いた。

「この間の人にまた会ったの。」
「この間?」
「パスケースを拾ってくれた人、菊池さんって言うんだって。」

遥の言葉に少し考え込んだ様にカナタの表情が曇る。いや、もしかして表情を曇らせているのは遥自身なのかもしれない。しかし、やがて何かを思い出したようにカナタは、遥を驚いた様にまじまじと鏡の中から眺め返し口を開いた。

「やっぱりタイプだったんだ?ああいう感じの人。」
「わ、分かんないよ、ただ転びそうになったのを助けて貰っただけ。」

ふぅんと鏡の中のカナタがニヤニヤと笑ったまま目を細め頬杖をつく。遥は焦ったように鏡に乗り出して、彼女にそんなんじゃないよと言う。

「そんなんじゃないのに、名前まで聞いたんだ?菊地さんだっけ?下の名前は?」
「直人さんって言うんだって。」
「やぁだ!ちゃんと下の名前まで聞き出してる!」
「ち、ちがうよ!ちゃんとフルネームで教えてくれただけなんだよ!」

きゃきゃと華やいだように話が続く。
二人で一つの体で生きているとはいえ、やはり二人は別人なのだ。好きな音楽だって、好きな芸能人だって違う。勿論、人の好みだって違う。カナタにとってはそこらにいた青年でも、遥にとっては全く違う意味の出会いなのだろう。そして、何よりこの体の主導権のほとんどは遥のモノである事は大きな事実なのだ。カナタは長い時間体を自由にはできない。テレビ番組を一つか二つか見る程度の時間体を動かすと、暫く眠ってしまうことがその証拠だった。

「まぁ、もともと体はあんたのモノだしね、仕方ないけどさ。」
「カナタ!そんなんじゃ…」

最近どうしてもお互いの好みが食い違うと、最終的にそうカナタが呟く事が増えた。小学生の時のように同じように選ぶ事だけで済む事が減っている。お互いが性格が違いすぎるから、選択肢があるとどうしても遥が優先されていく。それは、人格があってもこの体が遥のものである証拠なのだろう。

言いかけた遥の言葉を遮り階下から母の呼ぶ声が響く。

これに関してはもう言うこともないと、カナタはそれ以上何も言おうとしない。不貞腐れたように遥の様子を眺めているカナタを困ったように遥は見つめた。
こういうことは時々ある。
ポテトチップスの味の好みが遥は塩味がいいのに、カナタはコンソメ味が好きなとき。
遥はモスバーガーが良いけど、カナタはケンタッキーがいいとか。
遥はカフェオレが飲みたいのにカナタはカフェラテが飲みたいとか。
二人の好みが違うのは何時もの事だ。どちらかが折れるしかないのだが、食べ物であれば胃の大きさを考えれば折れるしかない。結局折れるのは八割がたカナタなのだ。それでも時折申し訳ないと先に遥が折れることはあるが、それはカフェオレとカフェラテ位の差だ。
だが、簡単には決められない差が生じた時、優先権は遥にある。それは遥がこの体の持ち主だという証明のようなものだ。
それでも、カナタの様子が遥には、少し今までと違う様な気がした。言葉をかけても答えようともしない。ただ不貞腐れた表彰のまま、遥の様子を眺めている。

「カナタ……。」
「あたしより菊地さんって人のこと、すき?」

不意に言われた言葉に遥は返答に詰まった。
素敵な人だなと始めてみたとき思った。今まで見ていた異性のように粗暴でも不潔でもない、大人ぶって変な言葉も使わない。今まで知っている異性とは違う、人懐っこい笑顔の素敵な人だと思った。でも、それが恋愛感情なのかは分からない。それに、それとカナタを比べる理由もない。

「なに言って……。」

階下から再び母が遥を呼ぶ。振り返り返事をした遥がもう一度姿見を見た時、もうそこにはカナタはいなかった。姿見にはただ自分が映りこんでいるだけだ。

「……カナタ……?」

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