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96.遠坂喜一
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石倉に誘われてあの密室で三浦に暴行を加えた人間達。
行方の分からなかった二人は石倉が死んだ直後に、それぞれ早々に携帯を解約していた。それでもやっとの事で見つけた親戚から二人を突き止めた時には、もう時既に遅しだった。
そう、残りの二人もそれぞれに数ヶ月前に死んでいた。
息子・縣幸喜と同じく自分の自宅で殺された植村洸の三つ上の実兄・植村正樹と《random face》で松下と共に殺された相馬晴臣の五歳違いの叔父・高橋格。植村は経理士事務所で働いていて、高橋の方は普通のサラリーマンだった。何処にでもいそうな、周囲に人となりを聞けば誰もが大人しく穏やかな人だったと言う二人が、それでも彼らの顔写真で確認すれば俺には見覚えのある二人だったのは事実だ。
結局元は真面目な何処にでもいるような奴ばかり……
それなのに身内の死という切っ掛けで悪意に飲まれて全員が結局おかしくなってしまったのだと思うと、発端の進藤の悪意の広がりには目眩がしそうになる。ただし死は死でも、この二人の死は三浦が手を下したとハッキリ言えない。
植村正樹は既に数年前から独り暮らしだった。自宅で発見された植村の死因は溺死。経理士の植村は事務所のクライアントと飲みに行った翌日から無断欠勤が続き、不審に思った同僚が自宅を訪ねて発見した。それは死後二日後のことで、弟と同じく浴槽の中で自動給湯のお陰で完全に茹で上がった状態だった。ただ弟と違うのは切傷や打撲などの外傷がなく、肺の中も風呂の湯で水浸しだったということだ。つまり泥酔して入浴し、そのまま眠り込んでの溺死。
高橋格の方は大きなプロジェクトの責任者になっていて、そのストレスなのか職場のある高層ビルの屋上から飛び降り死亡していた。靴は履いたまま、遺書もない。高橋の関わるプロジェクト自体は滞りなく進んでいたというが、その後別な責任者が後を引き継いだ途端大きな問題が発覚した。結局その問題は、プロジェクトの根底に関わることでプロジェクトは頓挫したという。死の前に高橋の様子が変だと周囲は薄々感じていて、時折高橋が独りで思い詰めたような顔をしていたのも見ていた。だから高橋はその大きな問題に先に気がついて、取り返しがつかないと思い悩んで自殺したのだと誰もが考えている。
だが言い換えれば、俺以外の全員が死んだんだ。
これを俺はどう考えればいいのか。全てに三浦が関与していると思うべきか、全く関係なく三人はそれぞれの事情で死んだと考えるべきか。それともどれかは三浦が関わって、偶然が起こったのか。既に死からは二ヶ月が経ち、家族はそれぞれに身内の死に折り合いをつけていて目新しい情報は得られない。当時それぞれに三浦らしき人物が、周囲にいたかどうかも誰もわからないのだ。しかも改めて調べようにも被害者の身内はそれぞれが既に最初の殺人事件のせいで、マスコミに追い回され警察に根掘り葉掘りされていて協力に飽き飽きしている。
もういいですから、そっとしておいて下さい。
そう息子を二人も亡くした松下家と植村家の両親が青ざめ窶れた顔で言い、兄の捜査はしないで欲しいと言う。高橋の妻に至っては高橋家は相馬とはもう何も関係ないと、金切り声で不動に向かって叫んだらしい。相馬は松下と共に最初に《random face》に通い始めた二人で、三浦夫妻と同じくらい性的暴行に関してマスコミに追い回されていた。叔父とはいえ五歳しか違わず相馬晴臣を家に泊めたり、食事を振る舞うことの多かった高橋家もその騒ぎに巻き込まれて転居を二度している。家族にしてみればウンザリする程身内の恥をほじくられて、またそれが始まると思ったら拒絶したくなるのも当然だ。
ただ植村正樹と高橋格は石倉拓也が死んだ直後に、被害者達の携帯を早々に解約していた。植村と高橋の二人が直接連絡を取った形跡は一度もなく、それは松下達也も方も同様だ。つまりこちらの二人は松下達也とは違って早々に携帯という証拠を隠滅し、元通りの日常を送ることにしたのだと思う。
石倉の死に三浦の事はなかったことにしようと、それぞれに決め込んだ訳だ。
そう考えれば三浦は隔離されたままだと信じている三人の前に、もし三浦が姿を見せれば少なくとも松下と高橋のように自殺を選ぶ可能性はなくはない。何しろ倉橋健吾も三浦の影に怯えて自殺したと進藤は笑ったじゃないか、倉橋の妻が体裁が悪いからと自殺を隠してやったんだと進藤は平然と口にしていた。確信をもって三浦は関与しないと言えないのは松下の死の直前の電話だけでなく、植村が自宅の鍵を開けたままチェーンもなしで溺死したこと、高橋が遺書もなく靴も脱がなかったことのせいだ。偶々松下が誰かと電話しただけ、酔っていたから普段はかけているのに植村が鍵をかけ忘れただけ、柵を跨ぐのに素足では困難だから靴も履いたまま、遺書を書く時間もなかったのか?それではなんだか偶然が重なりすぎている気がしてしまう。
悪意の連鎖か……
悪意に悪意を返すのは駄目だと宮井麻希子が俺に言わなかったら、俺はこの先に何をしようとしただろうか。それはさておき宮井麻希子のことを思い出すと、俺自身に大きな疑問はある。
どうして、あの時俺は殺されなかったんだ?
写真は何か書き込んであるのだろうか?何か意図があって骨折ですんだのか?それとも何か俺には生き残る要素があったのだろうかと考えると、それは上原杏奈ではないかと僅かな記憶から考える。
あいつのこと
そう口にした三浦は自分でも手加減が出来ないとも言った。記憶が少しずつ保持できていたのなら、その前に上原が出会った時の顔と記憶の中の顔を結びつけたのではないだろうか。上原杏奈のあの足の傷は三浦が進藤と一緒の時に刺したものだというが、刺していて完全に殺さなかったのは何故だ?
三浦は真名かおるに会えたら死んでやると言っていた。
進藤の前ではなくて、三浦と真名かおるだけ。つまりは三浦の願いは真名かおるとの心中で、今も最終的な目的はそれだとすれば。どこかで上原杏奈と連絡を取れる外崎宏太と俺の関係を、進藤から聞いたなら俺を直ぐには殺さなかった理由にはなりそうだ。
………勝手な考えだな。
そうは言っても宏太は、真名かおると上原杏奈は別人だと言っている。ただ俺が今でもまだ疑っているのは、上原杏奈は真名かおると年頃も容姿も雰囲気も当て嵌まり過ぎるのだ。
上原杏奈が真名かおるだとしたら、何故三浦をたらしこんだのか?それは勿論金だ、三浦厚志は近郊の大手不動産で支店も沿線駅周辺に幾つかあった。そして豪邸を建築出来る程の資産家で、その息子は大学を卒業してもまだ勤めもせずに遊び暮らしている。それに外崎宏太は当時は目が見えていたのだから、今程聴覚が発達していなかっただろう。だとしたら三浦から金銭をある程度得た時点で、身の上を探るなど不都合な行動をされたから三浦を放棄した可能性はある。そしてあの時その真名かおるだと分かったから、三浦が進藤からあえて逃がしたとすれば?怪我は兎も角三浦を迎えに来た進藤を連れて、三浦が立ち去った隙にあの血溜まりを残して上原が何とか逃げたのだとしたら。そう想定したらあの時俺が直ぐ傍にいたのを、上原杏奈は何処からか見ていたかもしれない。
俺は進藤と取引をして三十分の時間を奴等に売り渡した。
対価は何だって?今更隠しても仕方がないな、杉浦陽太郎のオークション詐欺の件だ。真名かおると名乗った上原に指摘された通り、俺は二課に自分から移動して穴を見つけ出した。証拠品として残されていた画像を署から大量にUSBにコピーしたのは俺だし、スマホを送りつけたのも俺、最初は自宅に送りつけてやり方を教えたのも俺だよ。本当は最初のだけで終わらせて、逮捕して終わるつもりだった。そうならなかったのは杉浦が異様に怯えるのに杉浦が何をして来たのか知った俺が歯止めが聞かなくなったのと、俺自身正直言うと杉浦を捕まえた後警察を辞める気だったからだ。金で遊び暮らす気だったのかって?違う、俺はアンダーグラウンドに潜って、杉浦も三浦も殺す気だった。その為の準備資金に杉浦から奪った金も使う気だったんだ。だから進藤に俺のしたことの証拠があると言われて、それを握り潰す事を対価に三十分を売ったんだ。
進藤を信用するのかって?これは進藤にとってはゲームの駆け引きなんだ、俺を今潰して三浦と言う駒がなくなるより既に潰れている手下の商品をあげられる方が奴には安い対価なんだよ。しかもこれは永遠の確証のない取引だったが、適切な質問が向けられないと進藤は答えない。
それも、ゲームのルールってやつなんだろうな。
選択肢を間違えば正しい答えは得られないし、選択しなければ先には進めない。全くもっておかしな拘りだが、産まれてこのかたそれしか頭にない男ならと思えば納得はできる。俺はあの時約束の三十分が過ぎるまで、廃ビルに繋がる路地の入り口を眺めていた。もしかしたらこの三十分で風間は死んでしまうかもしれないと思ってもいたが、それでも俺はその先の目的を捨てきれなかったんだ。三浦を殺すまで、せめて警察を辞める準備が出来るまでは、詐欺の件はバレては困る。そんな自己中心的な考えで風間を見殺しにしておいて、人混みの中に路地から出てきた風間の姿にどこか安堵もしていた。
何とか逃げ出せたか。
最悪だろ?二年も後輩として指導して相棒として活動してきた男が、自分の悪意に飲まれて当然のように見殺しにするつもりだったんだ。だがその後の経過に俺は愕然とした。第三者が大流血して姿を眩ましていて、それが上原じゃないかと風間は言う。しかも風間は全く上原の姿を見てないと言うし、俺に連絡をとってきた進藤のスマホは折り返すこともできず沈黙してしまった。どこからも垂れ込みがないから今のところは俺の事はリークされていないようだが、上原が俺に関して何を何処まで知ったのか想像もつかない。そんな矢先、上原が真名かおると名乗って連絡してきたんだ。上原杏奈が三浦に性的暴行を受けた女性の親族なら話はあっという間に解決だが、上原杏奈の親族は夫の殺害で逮捕されている母親以外は地方にいて疎遠だ。だが宏太は真名かおるは親族の恨みではなく、個人的な目的で動いていたと思うといっていた。
やっぱり真名かおるは上原なんじゃないか?
そう考えていた俺に、上原は自分が真名かおるだと告げたんだ。だが俺がしたことを叱責した上原は、俺が三浦が俺の事を記憶しているかどうか知りたがったのに一瞬皮肉に笑うと真っ直ぐに俺の事を見つめた。
※※※
何故か目の前の真名かおるだという上原杏奈が俺がしてきたことを全て知っている。土下座でもして三浦にしたことを謝るのかと問われ、自分ではどうしたいんだろうと考えてしまう。
「………どうするか……分からないんだ。俺にも。」
真名かおるに叱責された言葉に対して、俺は項垂れて正直に戸惑いに呟くしかなかった。そうして俺は上原に自分がしたことを、何故か正直に全て口にしたんだ。病棟の廊下の窓の鍵をはずしておいたことも、石倉と仲間になって三浦にしたことも。石倉の手帳を既に手に入れていた上原の冷ややかな視線に、俺は進藤と三十分の取引をしたことを打ち明ける。
「……それで祥太が死んでたらどうする気だったの?遠坂。」
その言葉に俺は平然と嘘をつく。そんな取引に乗ったのは自分が悪意の目的を果たすためだったが分からないと答えた俺に、上原は初めて落胆の表情を浮かべたのだ。俺が傍にいてわざと助けに行かなかったのを知っていた上原は、何故風間を見殺しにしなきゃいけなかったのか明確な理由が答えられない俺に落胆したのだ。
風間はあんたに死神に売り飛ばされるような男?
その質問の答えはもう一度言ったが、勿論ノーだ。わかっている、自分が馬鹿な取引に乗ったことくらいは、だが三浦の事を考えたら何故か断れなかった。三浦を殺す為には今は捕まるわけにはいかない、だが結果とすれば進藤を助けて三浦を助けたことになる。子供のような瞳で待ってたと言われ三浦は俺が殺すのを待っている、なんて考えた俺は狂っているのかもしれない。そう心の中で考えた時、何故か上原はこんなことを言ったのだ。
「あんた………三浦に惚れてるの?」
ある意味ではそうなのだ。殺してしまえば、三浦和希はもう誰のものでもなくなる。三浦は純粋に自分に害のない者を的確に見抜く、悪魔なんだか天使なんだか分からない人間になっていた。
「なんで、惚れた人間を殺すの?遠坂。」
そう呟いた上原の瞳は真名かおるではなく上原杏奈で、酷く傷ついて悲しみにくれている。子供のためとはいえそれぞれ悪事を働いてしまった愚かな親同士、そう思うと上原の悲しみは理解できなくはない。ただ俺は完全に復讐のためで、上原は子供を助けようとしている。
悪意ではあるが、愛情のために紡がれる悪意。
そして、上原杏奈はまだ風間祥太のことを忘れてもいない。
「そんなの間違いだわ、大事なものを失ったらただ狂うだけなのよ?」
「綺麗事だな、上原。」
「違うわ、本当のことよ。善くも悪くも大事なものを失ったら人は狂うのよ。大事だからこそ、狂わないために大切に守るのよ。」
上原杏奈はそうハッキリと告げると、俺に背を向けて歩き出すと姿を消した。狂わないために守るといわれて、三浦を守るのか?そんなこと出来るはずがないだろう?俺の息子を殺して、俺がレイプした人間を、俺はどうやって守るんだ?ところがその疑問を問い返す前に、上原杏奈は桜が散るみたいにアッサリと死んでしまった。
一体…上原を刺したのは誰だったんだ?俺と別れた後に……やっぱり三浦なのか?
進藤ではない、それは上原杏奈になんの興味も示さない様子からもよくわかる。恐らく写真の九人にすら入っていないのは確実で、既にあの廃ビルの地下で上原杏奈が死んでいると考えていたからかもしれない。
※※※
やっとのことでギプスがとれた五月の連休直後に、駅前の騒動が耳に入ったのは当然騒動が既に収まってからのことだ。
三浦和希の逮捕。
誰しもこんなことがここまで急激に起こるとは考えていなかったし、まさか本気で三浦が宮井麻希子や宇野智雪、そしてその息子を襲いに行くとは考えていなかった。それが一課の正直な思いだったのは、進藤が本当に包み隠さず話しているとは信じていなかったのだ。嘘だとは思っていないがサイコパスの言うことと、全て鵜呑みにしていなかったと言うことでもある。
宇野智雪は宏太に忠告を受けた直後に、三浦と鉢合わせ大怪我をおった。右背部の刺傷はかなり深く腎臓まで達していて、六時間もの大手術と大量の輸血で何とか宇野は命をとりとめる。宇野の叔父夫婦には三浦は記憶障害があるから心配はない等と勝手な太鼓判を捺していた俺も、連絡をしなかった不動も叔母だという宮井麻希子によく似た女性に泣きながら叱責された。
何で早く教えてくれなかったのか、何で早く捕まえてくれなかったのか
当然な叱責だ。上司が公にすることを拒んでいるからといって、放置していいことでは無いのだから。悪意に悪意で帰そうとしないために、宏太に協力して進藤隆平の自白を引き出した宇野智雪、それなのに守るべき警察官が悪意にのまこまれたままでいる。
それでも確かに三浦は逮捕され、今は口をつぐんでいる。
進藤が投薬を中断すれば廃人になると笑っていたが、拘束着を着せられ特殊な壁の部屋に置かれた三浦はまるで病室にいた時のように大人しく無言を貫いている。投薬されてないから元の退行状態に戻ったんじゃないかとも噂されているが、今のところ変化は見られないという。
何はともあれ三浦は確保されて、俺にはもう以前のような悪意に悪意で返すような行動をする気力はのこっていない。
そう、そろそろけりをつける時が来たってことなんだ……。
行方の分からなかった二人は石倉が死んだ直後に、それぞれ早々に携帯を解約していた。それでもやっとの事で見つけた親戚から二人を突き止めた時には、もう時既に遅しだった。
そう、残りの二人もそれぞれに数ヶ月前に死んでいた。
息子・縣幸喜と同じく自分の自宅で殺された植村洸の三つ上の実兄・植村正樹と《random face》で松下と共に殺された相馬晴臣の五歳違いの叔父・高橋格。植村は経理士事務所で働いていて、高橋の方は普通のサラリーマンだった。何処にでもいそうな、周囲に人となりを聞けば誰もが大人しく穏やかな人だったと言う二人が、それでも彼らの顔写真で確認すれば俺には見覚えのある二人だったのは事実だ。
結局元は真面目な何処にでもいるような奴ばかり……
それなのに身内の死という切っ掛けで悪意に飲まれて全員が結局おかしくなってしまったのだと思うと、発端の進藤の悪意の広がりには目眩がしそうになる。ただし死は死でも、この二人の死は三浦が手を下したとハッキリ言えない。
植村正樹は既に数年前から独り暮らしだった。自宅で発見された植村の死因は溺死。経理士の植村は事務所のクライアントと飲みに行った翌日から無断欠勤が続き、不審に思った同僚が自宅を訪ねて発見した。それは死後二日後のことで、弟と同じく浴槽の中で自動給湯のお陰で完全に茹で上がった状態だった。ただ弟と違うのは切傷や打撲などの外傷がなく、肺の中も風呂の湯で水浸しだったということだ。つまり泥酔して入浴し、そのまま眠り込んでの溺死。
高橋格の方は大きなプロジェクトの責任者になっていて、そのストレスなのか職場のある高層ビルの屋上から飛び降り死亡していた。靴は履いたまま、遺書もない。高橋の関わるプロジェクト自体は滞りなく進んでいたというが、その後別な責任者が後を引き継いだ途端大きな問題が発覚した。結局その問題は、プロジェクトの根底に関わることでプロジェクトは頓挫したという。死の前に高橋の様子が変だと周囲は薄々感じていて、時折高橋が独りで思い詰めたような顔をしていたのも見ていた。だから高橋はその大きな問題に先に気がついて、取り返しがつかないと思い悩んで自殺したのだと誰もが考えている。
だが言い換えれば、俺以外の全員が死んだんだ。
これを俺はどう考えればいいのか。全てに三浦が関与していると思うべきか、全く関係なく三人はそれぞれの事情で死んだと考えるべきか。それともどれかは三浦が関わって、偶然が起こったのか。既に死からは二ヶ月が経ち、家族はそれぞれに身内の死に折り合いをつけていて目新しい情報は得られない。当時それぞれに三浦らしき人物が、周囲にいたかどうかも誰もわからないのだ。しかも改めて調べようにも被害者の身内はそれぞれが既に最初の殺人事件のせいで、マスコミに追い回され警察に根掘り葉掘りされていて協力に飽き飽きしている。
もういいですから、そっとしておいて下さい。
そう息子を二人も亡くした松下家と植村家の両親が青ざめ窶れた顔で言い、兄の捜査はしないで欲しいと言う。高橋の妻に至っては高橋家は相馬とはもう何も関係ないと、金切り声で不動に向かって叫んだらしい。相馬は松下と共に最初に《random face》に通い始めた二人で、三浦夫妻と同じくらい性的暴行に関してマスコミに追い回されていた。叔父とはいえ五歳しか違わず相馬晴臣を家に泊めたり、食事を振る舞うことの多かった高橋家もその騒ぎに巻き込まれて転居を二度している。家族にしてみればウンザリする程身内の恥をほじくられて、またそれが始まると思ったら拒絶したくなるのも当然だ。
ただ植村正樹と高橋格は石倉拓也が死んだ直後に、被害者達の携帯を早々に解約していた。植村と高橋の二人が直接連絡を取った形跡は一度もなく、それは松下達也も方も同様だ。つまりこちらの二人は松下達也とは違って早々に携帯という証拠を隠滅し、元通りの日常を送ることにしたのだと思う。
石倉の死に三浦の事はなかったことにしようと、それぞれに決め込んだ訳だ。
そう考えれば三浦は隔離されたままだと信じている三人の前に、もし三浦が姿を見せれば少なくとも松下と高橋のように自殺を選ぶ可能性はなくはない。何しろ倉橋健吾も三浦の影に怯えて自殺したと進藤は笑ったじゃないか、倉橋の妻が体裁が悪いからと自殺を隠してやったんだと進藤は平然と口にしていた。確信をもって三浦は関与しないと言えないのは松下の死の直前の電話だけでなく、植村が自宅の鍵を開けたままチェーンもなしで溺死したこと、高橋が遺書もなく靴も脱がなかったことのせいだ。偶々松下が誰かと電話しただけ、酔っていたから普段はかけているのに植村が鍵をかけ忘れただけ、柵を跨ぐのに素足では困難だから靴も履いたまま、遺書を書く時間もなかったのか?それではなんだか偶然が重なりすぎている気がしてしまう。
悪意の連鎖か……
悪意に悪意を返すのは駄目だと宮井麻希子が俺に言わなかったら、俺はこの先に何をしようとしただろうか。それはさておき宮井麻希子のことを思い出すと、俺自身に大きな疑問はある。
どうして、あの時俺は殺されなかったんだ?
写真は何か書き込んであるのだろうか?何か意図があって骨折ですんだのか?それとも何か俺には生き残る要素があったのだろうかと考えると、それは上原杏奈ではないかと僅かな記憶から考える。
あいつのこと
そう口にした三浦は自分でも手加減が出来ないとも言った。記憶が少しずつ保持できていたのなら、その前に上原が出会った時の顔と記憶の中の顔を結びつけたのではないだろうか。上原杏奈のあの足の傷は三浦が進藤と一緒の時に刺したものだというが、刺していて完全に殺さなかったのは何故だ?
三浦は真名かおるに会えたら死んでやると言っていた。
進藤の前ではなくて、三浦と真名かおるだけ。つまりは三浦の願いは真名かおるとの心中で、今も最終的な目的はそれだとすれば。どこかで上原杏奈と連絡を取れる外崎宏太と俺の関係を、進藤から聞いたなら俺を直ぐには殺さなかった理由にはなりそうだ。
………勝手な考えだな。
そうは言っても宏太は、真名かおると上原杏奈は別人だと言っている。ただ俺が今でもまだ疑っているのは、上原杏奈は真名かおると年頃も容姿も雰囲気も当て嵌まり過ぎるのだ。
上原杏奈が真名かおるだとしたら、何故三浦をたらしこんだのか?それは勿論金だ、三浦厚志は近郊の大手不動産で支店も沿線駅周辺に幾つかあった。そして豪邸を建築出来る程の資産家で、その息子は大学を卒業してもまだ勤めもせずに遊び暮らしている。それに外崎宏太は当時は目が見えていたのだから、今程聴覚が発達していなかっただろう。だとしたら三浦から金銭をある程度得た時点で、身の上を探るなど不都合な行動をされたから三浦を放棄した可能性はある。そしてあの時その真名かおるだと分かったから、三浦が進藤からあえて逃がしたとすれば?怪我は兎も角三浦を迎えに来た進藤を連れて、三浦が立ち去った隙にあの血溜まりを残して上原が何とか逃げたのだとしたら。そう想定したらあの時俺が直ぐ傍にいたのを、上原杏奈は何処からか見ていたかもしれない。
俺は進藤と取引をして三十分の時間を奴等に売り渡した。
対価は何だって?今更隠しても仕方がないな、杉浦陽太郎のオークション詐欺の件だ。真名かおると名乗った上原に指摘された通り、俺は二課に自分から移動して穴を見つけ出した。証拠品として残されていた画像を署から大量にUSBにコピーしたのは俺だし、スマホを送りつけたのも俺、最初は自宅に送りつけてやり方を教えたのも俺だよ。本当は最初のだけで終わらせて、逮捕して終わるつもりだった。そうならなかったのは杉浦が異様に怯えるのに杉浦が何をして来たのか知った俺が歯止めが聞かなくなったのと、俺自身正直言うと杉浦を捕まえた後警察を辞める気だったからだ。金で遊び暮らす気だったのかって?違う、俺はアンダーグラウンドに潜って、杉浦も三浦も殺す気だった。その為の準備資金に杉浦から奪った金も使う気だったんだ。だから進藤に俺のしたことの証拠があると言われて、それを握り潰す事を対価に三十分を売ったんだ。
進藤を信用するのかって?これは進藤にとってはゲームの駆け引きなんだ、俺を今潰して三浦と言う駒がなくなるより既に潰れている手下の商品をあげられる方が奴には安い対価なんだよ。しかもこれは永遠の確証のない取引だったが、適切な質問が向けられないと進藤は答えない。
それも、ゲームのルールってやつなんだろうな。
選択肢を間違えば正しい答えは得られないし、選択しなければ先には進めない。全くもっておかしな拘りだが、産まれてこのかたそれしか頭にない男ならと思えば納得はできる。俺はあの時約束の三十分が過ぎるまで、廃ビルに繋がる路地の入り口を眺めていた。もしかしたらこの三十分で風間は死んでしまうかもしれないと思ってもいたが、それでも俺はその先の目的を捨てきれなかったんだ。三浦を殺すまで、せめて警察を辞める準備が出来るまでは、詐欺の件はバレては困る。そんな自己中心的な考えで風間を見殺しにしておいて、人混みの中に路地から出てきた風間の姿にどこか安堵もしていた。
何とか逃げ出せたか。
最悪だろ?二年も後輩として指導して相棒として活動してきた男が、自分の悪意に飲まれて当然のように見殺しにするつもりだったんだ。だがその後の経過に俺は愕然とした。第三者が大流血して姿を眩ましていて、それが上原じゃないかと風間は言う。しかも風間は全く上原の姿を見てないと言うし、俺に連絡をとってきた進藤のスマホは折り返すこともできず沈黙してしまった。どこからも垂れ込みがないから今のところは俺の事はリークされていないようだが、上原が俺に関して何を何処まで知ったのか想像もつかない。そんな矢先、上原が真名かおると名乗って連絡してきたんだ。上原杏奈が三浦に性的暴行を受けた女性の親族なら話はあっという間に解決だが、上原杏奈の親族は夫の殺害で逮捕されている母親以外は地方にいて疎遠だ。だが宏太は真名かおるは親族の恨みではなく、個人的な目的で動いていたと思うといっていた。
やっぱり真名かおるは上原なんじゃないか?
そう考えていた俺に、上原は自分が真名かおるだと告げたんだ。だが俺がしたことを叱責した上原は、俺が三浦が俺の事を記憶しているかどうか知りたがったのに一瞬皮肉に笑うと真っ直ぐに俺の事を見つめた。
※※※
何故か目の前の真名かおるだという上原杏奈が俺がしてきたことを全て知っている。土下座でもして三浦にしたことを謝るのかと問われ、自分ではどうしたいんだろうと考えてしまう。
「………どうするか……分からないんだ。俺にも。」
真名かおるに叱責された言葉に対して、俺は項垂れて正直に戸惑いに呟くしかなかった。そうして俺は上原に自分がしたことを、何故か正直に全て口にしたんだ。病棟の廊下の窓の鍵をはずしておいたことも、石倉と仲間になって三浦にしたことも。石倉の手帳を既に手に入れていた上原の冷ややかな視線に、俺は進藤と三十分の取引をしたことを打ち明ける。
「……それで祥太が死んでたらどうする気だったの?遠坂。」
その言葉に俺は平然と嘘をつく。そんな取引に乗ったのは自分が悪意の目的を果たすためだったが分からないと答えた俺に、上原は初めて落胆の表情を浮かべたのだ。俺が傍にいてわざと助けに行かなかったのを知っていた上原は、何故風間を見殺しにしなきゃいけなかったのか明確な理由が答えられない俺に落胆したのだ。
風間はあんたに死神に売り飛ばされるような男?
その質問の答えはもう一度言ったが、勿論ノーだ。わかっている、自分が馬鹿な取引に乗ったことくらいは、だが三浦の事を考えたら何故か断れなかった。三浦を殺す為には今は捕まるわけにはいかない、だが結果とすれば進藤を助けて三浦を助けたことになる。子供のような瞳で待ってたと言われ三浦は俺が殺すのを待っている、なんて考えた俺は狂っているのかもしれない。そう心の中で考えた時、何故か上原はこんなことを言ったのだ。
「あんた………三浦に惚れてるの?」
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「なんで、惚れた人間を殺すの?遠坂。」
そう呟いた上原の瞳は真名かおるではなく上原杏奈で、酷く傷ついて悲しみにくれている。子供のためとはいえそれぞれ悪事を働いてしまった愚かな親同士、そう思うと上原の悲しみは理解できなくはない。ただ俺は完全に復讐のためで、上原は子供を助けようとしている。
悪意ではあるが、愛情のために紡がれる悪意。
そして、上原杏奈はまだ風間祥太のことを忘れてもいない。
「そんなの間違いだわ、大事なものを失ったらただ狂うだけなのよ?」
「綺麗事だな、上原。」
「違うわ、本当のことよ。善くも悪くも大事なものを失ったら人は狂うのよ。大事だからこそ、狂わないために大切に守るのよ。」
上原杏奈はそうハッキリと告げると、俺に背を向けて歩き出すと姿を消した。狂わないために守るといわれて、三浦を守るのか?そんなこと出来るはずがないだろう?俺の息子を殺して、俺がレイプした人間を、俺はどうやって守るんだ?ところがその疑問を問い返す前に、上原杏奈は桜が散るみたいにアッサリと死んでしまった。
一体…上原を刺したのは誰だったんだ?俺と別れた後に……やっぱり三浦なのか?
進藤ではない、それは上原杏奈になんの興味も示さない様子からもよくわかる。恐らく写真の九人にすら入っていないのは確実で、既にあの廃ビルの地下で上原杏奈が死んでいると考えていたからかもしれない。
※※※
やっとのことでギプスがとれた五月の連休直後に、駅前の騒動が耳に入ったのは当然騒動が既に収まってからのことだ。
三浦和希の逮捕。
誰しもこんなことがここまで急激に起こるとは考えていなかったし、まさか本気で三浦が宮井麻希子や宇野智雪、そしてその息子を襲いに行くとは考えていなかった。それが一課の正直な思いだったのは、進藤が本当に包み隠さず話しているとは信じていなかったのだ。嘘だとは思っていないがサイコパスの言うことと、全て鵜呑みにしていなかったと言うことでもある。
宇野智雪は宏太に忠告を受けた直後に、三浦と鉢合わせ大怪我をおった。右背部の刺傷はかなり深く腎臓まで達していて、六時間もの大手術と大量の輸血で何とか宇野は命をとりとめる。宇野の叔父夫婦には三浦は記憶障害があるから心配はない等と勝手な太鼓判を捺していた俺も、連絡をしなかった不動も叔母だという宮井麻希子によく似た女性に泣きながら叱責された。
何で早く教えてくれなかったのか、何で早く捕まえてくれなかったのか
当然な叱責だ。上司が公にすることを拒んでいるからといって、放置していいことでは無いのだから。悪意に悪意で帰そうとしないために、宏太に協力して進藤隆平の自白を引き出した宇野智雪、それなのに守るべき警察官が悪意にのまこまれたままでいる。
それでも確かに三浦は逮捕され、今は口をつぐんでいる。
進藤が投薬を中断すれば廃人になると笑っていたが、拘束着を着せられ特殊な壁の部屋に置かれた三浦はまるで病室にいた時のように大人しく無言を貫いている。投薬されてないから元の退行状態に戻ったんじゃないかとも噂されているが、今のところ変化は見られないという。
何はともあれ三浦は確保されて、俺にはもう以前のような悪意に悪意で返すような行動をする気力はのこっていない。
そう、そろそろけりをつける時が来たってことなんだ……。
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※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
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