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94.遠坂喜一
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三浦の足取りを掴むために、何か方法がないかと日々思い悩んではいた。既に進藤が捕まって一ヶ月が経ち五月のゴールデンウィークも過ぎようとしている。ここまでに俺自身は何度か進藤に呼び出され、恐らくは暇潰しの相手にされているのだろうが話を何度も聞いている。
この頃には何も隠す気はないと言いながら聞き方を間違うと一つも答えようとしないものが進藤には幾つかあるのに、俺だけでなく不動も気がついていた。だからこそ表立っては二課の俺を何度も三浦の情報目的で面会させるのは問題だろうが、一課どころか課長も黙認で俺は再三ここにいる。何しろ一課の何人かは全く世間話だけで話に踏み込めなかったのに、俺と来たら可能なときは時間単位で三浦の会話が可能だ。それに気がついた不動が助力を求めたいと課長に申し出たのは、俺は直接聞いていないが薄々気がついている。
「骨が折れてる間はあんたも暇だろ?遠坂。」
「悪いが骨折程度で公務員は仕事が減らねぇよ。」
「そりゃ大変だな。」
窓辺からそとの日差しを眺めながら進藤は呑気な様子でそう言うと、ギプスの足を眺めた。実は進藤はここに来てリハビリを完全拒否している。このまま歩けなくなると説得されても、歩く気はないからもういいというのだ。確かに粉砕骨折とはいえ、もう片方は無事なのだからと思うが、トイレ等の目的で車椅子には乗るのだがリハビリは一つも受け入れない。
「せめて左で立つ位はリハビリしたらどうだ?」
「どうせ後は死ぬだけだ、そんな無駄な費用使うだけ無駄だろ。」
と平然と言うが死刑になるまでは少なくとも裁判を受ける必要があるというのに、その期間寝たきりで過ごす気なのかと問いかけると進藤は意味深に笑うだけだ。問いかけかたを変えても堂々巡りなところを見ると、どうやらこの質問は間違いらしい。そう気がついてから俺はこの話は切り上げて、進藤が三浦に何を試していたのか問いかける。
「そうだな、日常的に世話をしてる人間は覚えていられるか、住みかは覚えていられるか。」
「結果は?」
「毎日顔をあわせれば、まあ、記憶はするな。会わなくなれば一週間もすれば忘れる。住みかは覚える。」
「本当に人間だけか。」
「面白いことにな。稀に長い期間印象が強くて記憶する人間も少しいるようだが、規則性は分からん。」
それは初めて聞いたと俺は眉をあげる。殆どの人間は覚えていられないのに、稀にだが記憶に残る人間もいるということは回復の余地があると言うことではないのか。
「どうだろうな、倉橋は海馬の辺りが障害を起こしてると言っていた。」
人間は日々の生活の中で様々な出来事に遭遇し、それを記憶する。例えば、朝ご飯に何を食べたとか、朝ニュースを見たなど…、これらをエピソード記憶という。脳の中でエピソード記憶を形成したり、思い出したりするのに重要な場所を『海馬』という。多くの研究から、海馬に形成された記憶は徐々に『大脳皮質』に“転送”され、最終的に大脳皮質に“貯蔵”されるのではないかと考えられている。これを「記憶固定化の標準モデル」というのだが、三浦和希は自傷の結果一時的に脳内が低酸素状態になり、海馬の周辺の脳組織が壊死したと考えられているという。というのも低酸素症で、一番先に死滅していくのが『海馬』を含む組織らしい。結果として三浦は死滅した細胞である海馬の殆どと大脳皮質の一部が脱落しているのだ。本来なら海馬が全ての機能を失うと、人は新しいことを全く記憶できなくなる。しかし海馬という組織は、再生しない筈の脳細胞なのに実は成人してからも増えることが研究で認められた部分なのだという。
「日々訓練してたら、少しずつ改善するかもな。人の顔に関しても。」
何しろ機械や他の物への記憶は異様な程だ。今まで知らなかった筈の技術も教えると一度で覚えてしまうというから、ある意味でサヴァン症候群と似た状態と言えなくもない。それにしても日を重ねる内に回復するとなると、尚更モンスターとして成長しているようなものだ。俺はハッとしたように、気がついたその疑問を問いかけた。
「訓練ってのは、何をしてるんだ?」
その質問に進藤はとうとう辿り着いたかと言わんばかりに、ニヤリと意味ありげに笑うと楽しげに口を開いた。そうなのだ何処にいるかとか、何が目的なのかと問いかけても答える筈がなかったんだ。何処にいるかも今何を目的に三浦が過ごしているかも、進藤は全く知らないから何も答えられない。
「会わなくても顔を見られるように、写真を渡してある。何人かね。」
顔写真を渡してある。俺はその言葉に愕然とした。今まで何でか誰かが三浦に、何か行動の指示を与えていると思い続けていたんだ。進藤の部下がこういう事をしていろと、日々世話をして日々指示を出している。そんな風に思い込んでいたが、もしこれが写真で済むことなら命令役なんか必要ない。人の顔以外は様々な技能は身につけられるなら、日常生活だって恐らくは問題ない筈だ。
顔は一週間と覚えていられないが毎日顔を見れば記憶の保持が可能だという人間に、顔写真を何人か渡している?つまりはその何人かの顔写真を、三浦は日々確認して過ごしているということか?
「……渡してあるのは何人なんだ?」
進藤は頭の中で人数を数えるような仕草を浮かべて、暫し黙り込んだがやがて意味深な笑顔で口を開く。
「九人。」
思っている以上に人数が多い。九人のうち誰か既に死んでいる奴はいるだろうか?高校生の写真も中に入っているのか?もし写真を渡しておけば記憶できるのなら、その相手は何時までも三浦の記憶に残されるということか?その九人全てが殺される可能性があるのか?
「その相手がどんな相手かも記憶するのか?」
「例えば?」
「自分にとって害があるか、ないか。」
つまりは自分にとって邪魔な人間か、利益のある人間か。もしくは殺すべきか殺さないべきか。そんな類いの判断の基準になる、本来なら必要で誰もが記憶する情報。例えば俺の写真を見て、俺が暴行した相手だと記憶し続けられるかどうか?
「どうだろうな?渡してから会ってないんでね。」
思わず舌打ちしたくなるが、既に一ヶ月以上会っていないというから、それは恐らく事実なのだろう。そう考えた瞬間、不意に理解できた事実に俺は思わず口を開いていた。
「………自分の写真も渡してあるんだな?」
その言葉に進藤は満足気に微笑みを浮かべる。自分では死ねない男は記憶を覚えていられないモンスターの息子に、事前に自分を殺すように写真を渡してあるのだ。だから死刑まで時間があっても、その前に死ぬと考えている。だから進藤にはリハビリは必要なく、進藤はその日が来るのをベットの上で待つ。どうやってここにいるのか知るのかって?そんなの進藤と同じ能力をもった三浦なら、容易く調べあげられる程度の事なのだ。
「なかなか誰も辿り着かないから心配したが、おたくはまぁまぁだな。」
「よくまぁ、息子にそんなことを……。」
「忘れたのか?俺は親父に頼まれて親父を吊るしてるんだぞ?」
父親に殺せと頼まれて一番最初に殺そうとしたのが倉橋俊二だった進藤隆平は、息子の三浦に自分を殺せと写真を託す。馬鹿な話じゃないか、自分がされたことを悉く自分の息子に託すなんて、人間なら少しでも自分より息子や娘にはましな生活を望むもんじゃないのか?
「正論はやめてくれよ?産まれてからマトモだった事がないんだ、常識を突きつけられても馬鹿馬鹿しいからな。」
愕然とする俺の顔に浮かぶ俺が言いたいことを、空かさず読み取った進藤がそう言う。それは確かにわかっているし、九人のうちの一人が進藤なのも理解した。後の八人…少なくとも一人は分かる。
「あと一人は香坂智春の息子か…。」
「いいね、後何人思い浮かぶ?後七人だ。」
少なくとも進藤の目的はほぼ達しているから、倉橋の家系は渡さない筈だが一人残っている倉橋亜希子はどうか分からない。香坂智春の息子には義理のだが息子がいて、この義理の息子は竜胆ファイルでは実は親戚に当たる。それを進藤が知っているかどうかは兎も角、義理の息子の写真は三浦に渡した可能性が高い。なら、宮井麻希子もきっと対象者だ。
少なくとも進藤、宇野智雪、宇野の義理の息子、宮井麻希子の四人は確かだから、後五人。もしかして三浦に性的な暴行をした四人も写真を渡されているか?それとも性的暴行の四人はなしで、久保田や宏太、風間と俺?どちらにせよ、俺が入ってるのは確かだろうな。
「どちらにせよ、俺は入ってる。」
「ははは、おたくはいいな、その考え方は俺によく似てるよ。」
否定はしない、つまり進藤と宇野智雪、宇野の息子と宮井麻希子、そして俺は確定。今のところ五人は確定したが、後四人。想定できるのは三浦に暴行して生きている三人と久保田と宏太と風間。それとも全く予期しない人間なのか。
「俺が予期しない人間の可能性は?」
「おたくはどう考えてるんだ?」
「多分ない。俺が予測してるうち半分は入ってると思ってる。」
その言葉に進藤は酷く楽しげに高い声をあげて笑い出す。俺は笑い続けている進藤を放置して、廊下に出ると低い声で目の前に座っていた不動を呼ぶ。不動は青ざめた俺の顔を見て、何か分かったのかと問いかけてくる。
「進藤の奴、捕まる前に三浦に命令してやがった。三浦が何処まで命令を守るか分からんが、対象は九人だ。」
「九人?本気か?」
「その内の五人は、宇野智雪、宇野の息子、宮井麻希子、後は俺。」
俺の言葉に不動は目を丸くする。ここまで聞き出せていたことと同時に、俺が含まれているのにも驚いたようだ。だが、最後に進藤自身も含まれていると聞いた不動は強面の顔を歪ませた。
「自分?自分もなのか?」
「死刑まで待つ気がねぇんだろ。後は可能性としては、風間もだ。」
俺と風間はここ暫く進藤の行動を邪魔し続けてきたから、当然だと不動は思っただろう。進藤は俺の想定の中の半分は入るだろうと言ったのに否定しなかったし、俺の考え方は自分に似ていると言った。
「後は可能性があるのは、三浦が殺した奴の身内が三人。調べられるか?顔がわかれば俺が確認できる。」
俺の言葉に不動が眉を潜めるが、俺は言葉少なに石倉が俺に会わせたと小さく呟くと納得した風だ。どうせ石倉の行動は署内では暗黙の了解で皆知っていることだし、そいつが連絡をとっていた人間に俺があっていたとしても不動は疑問には感じないようだ。薄々俺がしたことには不動だって気がついていたろうし、俺が二課に移ると言った理由だってこいつは何となく理解しているに違いない。何せ一課で十年以上も組んで来たんだから、それくらい感じとるだろう。
「早急に調べる。」
「悪いな、後の二人は俺のダチだから、俺が連絡しておく。」
「宇野の近辺はどうする?確証はだせないだろ?」
「だろうな、写真で何処まで覚えてるのか分からんからな。」
確証もないのに他の捜査を中断させる事は出来ないし、少なくともここ一ヶ月三浦の動きは捉えられていない。この状況で進藤の不確かな証言を何処まで信用して、警察が一般人を保護するかは難しいのだ。
「被害者の身内を押さえてから、次の手を考える。」
「そうだな。」
顔を付き合わせて会話していた俺はふと、廊下の先で風間が戸惑い顔で立ち尽くしているのに気がつく。またタイミングの悪いときに来たな、風間も。不動が神妙な顔で駆け出していくのに、戸惑いを隠しもしない風間がゆっくり歩み寄ってくる。
「何か進展が?」
課長と一課での暗黙の了解だから、俺が頻繁に進藤と会話を重ねる理由は風間には伝わらない。二課の方では現状は成田哲の地固め中で、骨折中の俺はほぼ開店休業だし、風間は他の奴等のヘルプに入っている。つまり、風間にとって俺の行動は、勤務中の勝手な独断行動だと考えているに違いない。まあある意味でそれは事実なのだが。
「進藤が三浦に人を殺すように命令してるらしい。」
俺の低い声に風間は目を丸くして、俺の顔を真正面に見つめる。何を信じたらいいか分からないと言いたげな瞳の色と頬に貼られた絆創膏を見つけて、俺は訝しげに眉を潜めた。
「どうした?それ?」
「あ。ちょっと、絡まれて。」
喧嘩に巻き込まれて怪我だなんて剣道も柔道もやっている風間にしては珍しいな言うと、微かに笑いながら少しボォッとしてたんですと風間らしくないことを言う。上原杏奈の事が今だに尾をひいているのかもしれないが、そうそう怪我をするような風間ではない。風間は視線を病室のドアに向けて、中を伺うように躊躇いがちに呟く。
「進藤はまだリハビリ拒否してるんですか?」
「ああ、三浦が自分を殺しに来るのを待ってるんだよ。」
吐き捨てた俺の言葉に、風間は驚いて俺のことを眺める。まさか進藤が逃げることでなく、三浦に自分を殺させようと目論んでいるとは思いもしなかったようだ。だがそれで進藤が依然として、リハビリを断固拒絶している理由は理解できたらしい。
「訳の分からない男ですね。」
「そうだな、悪党なのは確かなんだけどな。」
悪党なのは確かだ、両親から祖父母、伯父叔母夫婦、親戚、それ以外にホテルのスタッフや宿泊客、宮井夫婦、槙山家、それ以外にも名前すら知らない大勢を殺してきた男。しかも、息子にまで自分と同じ人生を押し付け、自分を殺せと命令するような人間だ。それなのに以前よりずっと進藤が理解できるようになってきたのは、何度も話をしたせいだろうか。
「ひとまず、俺も対象者だ。お前も入ってる可能性があるからな。」
「俺も……。宇野もですか?」
「当然だ。連絡は一課が捜査の上だぞ。」
分かってますという風間の暗い横顔が気にかかるが、今は先ず不動からの連絡を待たないとならない。宏太にも時間を見て、いずれは連絡しないとならないかもしれない。そう俺は歩き出しながら考えていた。
この頃には何も隠す気はないと言いながら聞き方を間違うと一つも答えようとしないものが進藤には幾つかあるのに、俺だけでなく不動も気がついていた。だからこそ表立っては二課の俺を何度も三浦の情報目的で面会させるのは問題だろうが、一課どころか課長も黙認で俺は再三ここにいる。何しろ一課の何人かは全く世間話だけで話に踏み込めなかったのに、俺と来たら可能なときは時間単位で三浦の会話が可能だ。それに気がついた不動が助力を求めたいと課長に申し出たのは、俺は直接聞いていないが薄々気がついている。
「骨が折れてる間はあんたも暇だろ?遠坂。」
「悪いが骨折程度で公務員は仕事が減らねぇよ。」
「そりゃ大変だな。」
窓辺からそとの日差しを眺めながら進藤は呑気な様子でそう言うと、ギプスの足を眺めた。実は進藤はここに来てリハビリを完全拒否している。このまま歩けなくなると説得されても、歩く気はないからもういいというのだ。確かに粉砕骨折とはいえ、もう片方は無事なのだからと思うが、トイレ等の目的で車椅子には乗るのだがリハビリは一つも受け入れない。
「せめて左で立つ位はリハビリしたらどうだ?」
「どうせ後は死ぬだけだ、そんな無駄な費用使うだけ無駄だろ。」
と平然と言うが死刑になるまでは少なくとも裁判を受ける必要があるというのに、その期間寝たきりで過ごす気なのかと問いかけると進藤は意味深に笑うだけだ。問いかけかたを変えても堂々巡りなところを見ると、どうやらこの質問は間違いらしい。そう気がついてから俺はこの話は切り上げて、進藤が三浦に何を試していたのか問いかける。
「そうだな、日常的に世話をしてる人間は覚えていられるか、住みかは覚えていられるか。」
「結果は?」
「毎日顔をあわせれば、まあ、記憶はするな。会わなくなれば一週間もすれば忘れる。住みかは覚える。」
「本当に人間だけか。」
「面白いことにな。稀に長い期間印象が強くて記憶する人間も少しいるようだが、規則性は分からん。」
それは初めて聞いたと俺は眉をあげる。殆どの人間は覚えていられないのに、稀にだが記憶に残る人間もいるということは回復の余地があると言うことではないのか。
「どうだろうな、倉橋は海馬の辺りが障害を起こしてると言っていた。」
人間は日々の生活の中で様々な出来事に遭遇し、それを記憶する。例えば、朝ご飯に何を食べたとか、朝ニュースを見たなど…、これらをエピソード記憶という。脳の中でエピソード記憶を形成したり、思い出したりするのに重要な場所を『海馬』という。多くの研究から、海馬に形成された記憶は徐々に『大脳皮質』に“転送”され、最終的に大脳皮質に“貯蔵”されるのではないかと考えられている。これを「記憶固定化の標準モデル」というのだが、三浦和希は自傷の結果一時的に脳内が低酸素状態になり、海馬の周辺の脳組織が壊死したと考えられているという。というのも低酸素症で、一番先に死滅していくのが『海馬』を含む組織らしい。結果として三浦は死滅した細胞である海馬の殆どと大脳皮質の一部が脱落しているのだ。本来なら海馬が全ての機能を失うと、人は新しいことを全く記憶できなくなる。しかし海馬という組織は、再生しない筈の脳細胞なのに実は成人してからも増えることが研究で認められた部分なのだという。
「日々訓練してたら、少しずつ改善するかもな。人の顔に関しても。」
何しろ機械や他の物への記憶は異様な程だ。今まで知らなかった筈の技術も教えると一度で覚えてしまうというから、ある意味でサヴァン症候群と似た状態と言えなくもない。それにしても日を重ねる内に回復するとなると、尚更モンスターとして成長しているようなものだ。俺はハッとしたように、気がついたその疑問を問いかけた。
「訓練ってのは、何をしてるんだ?」
その質問に進藤はとうとう辿り着いたかと言わんばかりに、ニヤリと意味ありげに笑うと楽しげに口を開いた。そうなのだ何処にいるかとか、何が目的なのかと問いかけても答える筈がなかったんだ。何処にいるかも今何を目的に三浦が過ごしているかも、進藤は全く知らないから何も答えられない。
「会わなくても顔を見られるように、写真を渡してある。何人かね。」
顔写真を渡してある。俺はその言葉に愕然とした。今まで何でか誰かが三浦に、何か行動の指示を与えていると思い続けていたんだ。進藤の部下がこういう事をしていろと、日々世話をして日々指示を出している。そんな風に思い込んでいたが、もしこれが写真で済むことなら命令役なんか必要ない。人の顔以外は様々な技能は身につけられるなら、日常生活だって恐らくは問題ない筈だ。
顔は一週間と覚えていられないが毎日顔を見れば記憶の保持が可能だという人間に、顔写真を何人か渡している?つまりはその何人かの顔写真を、三浦は日々確認して過ごしているということか?
「……渡してあるのは何人なんだ?」
進藤は頭の中で人数を数えるような仕草を浮かべて、暫し黙り込んだがやがて意味深な笑顔で口を開く。
「九人。」
思っている以上に人数が多い。九人のうち誰か既に死んでいる奴はいるだろうか?高校生の写真も中に入っているのか?もし写真を渡しておけば記憶できるのなら、その相手は何時までも三浦の記憶に残されるということか?その九人全てが殺される可能性があるのか?
「その相手がどんな相手かも記憶するのか?」
「例えば?」
「自分にとって害があるか、ないか。」
つまりは自分にとって邪魔な人間か、利益のある人間か。もしくは殺すべきか殺さないべきか。そんな類いの判断の基準になる、本来なら必要で誰もが記憶する情報。例えば俺の写真を見て、俺が暴行した相手だと記憶し続けられるかどうか?
「どうだろうな?渡してから会ってないんでね。」
思わず舌打ちしたくなるが、既に一ヶ月以上会っていないというから、それは恐らく事実なのだろう。そう考えた瞬間、不意に理解できた事実に俺は思わず口を開いていた。
「………自分の写真も渡してあるんだな?」
その言葉に進藤は満足気に微笑みを浮かべる。自分では死ねない男は記憶を覚えていられないモンスターの息子に、事前に自分を殺すように写真を渡してあるのだ。だから死刑まで時間があっても、その前に死ぬと考えている。だから進藤にはリハビリは必要なく、進藤はその日が来るのをベットの上で待つ。どうやってここにいるのか知るのかって?そんなの進藤と同じ能力をもった三浦なら、容易く調べあげられる程度の事なのだ。
「なかなか誰も辿り着かないから心配したが、おたくはまぁまぁだな。」
「よくまぁ、息子にそんなことを……。」
「忘れたのか?俺は親父に頼まれて親父を吊るしてるんだぞ?」
父親に殺せと頼まれて一番最初に殺そうとしたのが倉橋俊二だった進藤隆平は、息子の三浦に自分を殺せと写真を託す。馬鹿な話じゃないか、自分がされたことを悉く自分の息子に託すなんて、人間なら少しでも自分より息子や娘にはましな生活を望むもんじゃないのか?
「正論はやめてくれよ?産まれてからマトモだった事がないんだ、常識を突きつけられても馬鹿馬鹿しいからな。」
愕然とする俺の顔に浮かぶ俺が言いたいことを、空かさず読み取った進藤がそう言う。それは確かにわかっているし、九人のうちの一人が進藤なのも理解した。後の八人…少なくとも一人は分かる。
「あと一人は香坂智春の息子か…。」
「いいね、後何人思い浮かぶ?後七人だ。」
少なくとも進藤の目的はほぼ達しているから、倉橋の家系は渡さない筈だが一人残っている倉橋亜希子はどうか分からない。香坂智春の息子には義理のだが息子がいて、この義理の息子は竜胆ファイルでは実は親戚に当たる。それを進藤が知っているかどうかは兎も角、義理の息子の写真は三浦に渡した可能性が高い。なら、宮井麻希子もきっと対象者だ。
少なくとも進藤、宇野智雪、宇野の義理の息子、宮井麻希子の四人は確かだから、後五人。もしかして三浦に性的な暴行をした四人も写真を渡されているか?それとも性的暴行の四人はなしで、久保田や宏太、風間と俺?どちらにせよ、俺が入ってるのは確かだろうな。
「どちらにせよ、俺は入ってる。」
「ははは、おたくはいいな、その考え方は俺によく似てるよ。」
否定はしない、つまり進藤と宇野智雪、宇野の息子と宮井麻希子、そして俺は確定。今のところ五人は確定したが、後四人。想定できるのは三浦に暴行して生きている三人と久保田と宏太と風間。それとも全く予期しない人間なのか。
「俺が予期しない人間の可能性は?」
「おたくはどう考えてるんだ?」
「多分ない。俺が予測してるうち半分は入ってると思ってる。」
その言葉に進藤は酷く楽しげに高い声をあげて笑い出す。俺は笑い続けている進藤を放置して、廊下に出ると低い声で目の前に座っていた不動を呼ぶ。不動は青ざめた俺の顔を見て、何か分かったのかと問いかけてくる。
「進藤の奴、捕まる前に三浦に命令してやがった。三浦が何処まで命令を守るか分からんが、対象は九人だ。」
「九人?本気か?」
「その内の五人は、宇野智雪、宇野の息子、宮井麻希子、後は俺。」
俺の言葉に不動は目を丸くする。ここまで聞き出せていたことと同時に、俺が含まれているのにも驚いたようだ。だが、最後に進藤自身も含まれていると聞いた不動は強面の顔を歪ませた。
「自分?自分もなのか?」
「死刑まで待つ気がねぇんだろ。後は可能性としては、風間もだ。」
俺と風間はここ暫く進藤の行動を邪魔し続けてきたから、当然だと不動は思っただろう。進藤は俺の想定の中の半分は入るだろうと言ったのに否定しなかったし、俺の考え方は自分に似ていると言った。
「後は可能性があるのは、三浦が殺した奴の身内が三人。調べられるか?顔がわかれば俺が確認できる。」
俺の言葉に不動が眉を潜めるが、俺は言葉少なに石倉が俺に会わせたと小さく呟くと納得した風だ。どうせ石倉の行動は署内では暗黙の了解で皆知っていることだし、そいつが連絡をとっていた人間に俺があっていたとしても不動は疑問には感じないようだ。薄々俺がしたことには不動だって気がついていたろうし、俺が二課に移ると言った理由だってこいつは何となく理解しているに違いない。何せ一課で十年以上も組んで来たんだから、それくらい感じとるだろう。
「早急に調べる。」
「悪いな、後の二人は俺のダチだから、俺が連絡しておく。」
「宇野の近辺はどうする?確証はだせないだろ?」
「だろうな、写真で何処まで覚えてるのか分からんからな。」
確証もないのに他の捜査を中断させる事は出来ないし、少なくともここ一ヶ月三浦の動きは捉えられていない。この状況で進藤の不確かな証言を何処まで信用して、警察が一般人を保護するかは難しいのだ。
「被害者の身内を押さえてから、次の手を考える。」
「そうだな。」
顔を付き合わせて会話していた俺はふと、廊下の先で風間が戸惑い顔で立ち尽くしているのに気がつく。またタイミングの悪いときに来たな、風間も。不動が神妙な顔で駆け出していくのに、戸惑いを隠しもしない風間がゆっくり歩み寄ってくる。
「何か進展が?」
課長と一課での暗黙の了解だから、俺が頻繁に進藤と会話を重ねる理由は風間には伝わらない。二課の方では現状は成田哲の地固め中で、骨折中の俺はほぼ開店休業だし、風間は他の奴等のヘルプに入っている。つまり、風間にとって俺の行動は、勤務中の勝手な独断行動だと考えているに違いない。まあある意味でそれは事実なのだが。
「進藤が三浦に人を殺すように命令してるらしい。」
俺の低い声に風間は目を丸くして、俺の顔を真正面に見つめる。何を信じたらいいか分からないと言いたげな瞳の色と頬に貼られた絆創膏を見つけて、俺は訝しげに眉を潜めた。
「どうした?それ?」
「あ。ちょっと、絡まれて。」
喧嘩に巻き込まれて怪我だなんて剣道も柔道もやっている風間にしては珍しいな言うと、微かに笑いながら少しボォッとしてたんですと風間らしくないことを言う。上原杏奈の事が今だに尾をひいているのかもしれないが、そうそう怪我をするような風間ではない。風間は視線を病室のドアに向けて、中を伺うように躊躇いがちに呟く。
「進藤はまだリハビリ拒否してるんですか?」
「ああ、三浦が自分を殺しに来るのを待ってるんだよ。」
吐き捨てた俺の言葉に、風間は驚いて俺のことを眺める。まさか進藤が逃げることでなく、三浦に自分を殺させようと目論んでいるとは思いもしなかったようだ。だがそれで進藤が依然として、リハビリを断固拒絶している理由は理解できたらしい。
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「そうだな、悪党なのは確かなんだけどな。」
悪党なのは確かだ、両親から祖父母、伯父叔母夫婦、親戚、それ以外にホテルのスタッフや宿泊客、宮井夫婦、槙山家、それ以外にも名前すら知らない大勢を殺してきた男。しかも、息子にまで自分と同じ人生を押し付け、自分を殺せと命令するような人間だ。それなのに以前よりずっと進藤が理解できるようになってきたのは、何度も話をしたせいだろうか。
「ひとまず、俺も対象者だ。お前も入ってる可能性があるからな。」
「俺も……。宇野もですか?」
「当然だ。連絡は一課が捜査の上だぞ。」
分かってますという風間の暗い横顔が気にかかるが、今は先ず不動からの連絡を待たないとならない。宏太にも時間を見て、いずれは連絡しないとならないかもしれない。そう俺は歩き出しながら考えていた。
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