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68.外崎宏太
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決意して勢い込んで開けたドアの向こうは、バックヤードというよりは厨房のようだった。地下二階でこの規模の飲食店の厨房設置は、寂れたこの立地では珍しいと惣一が呟く。惣一曰く路面店舗も作れないこの路地裏のビルでの地下二階に飲食店は、新規店舗を選ぶとしても絶対に避けるという。
「多分以前の区画整理の時のビルなのかな。」
駅前の区画整理以前には一応は通りに面していた可能性があると、惣一は寂れた空間を珍しそうに眺める。可能性だがビルが建設された当時は一角は路面店舗もあり、もしかすれば盛況なビルだったかもしれないというのだ。確かに大通りに面している新しいテナントビルと比較しても、このビル自体が既に古ぼけた哀愁に包まれてはいる。
その上店舗の廃業の後も地下二階という搬出の問題か、廃棄もされずに放置されたまま幾つもの巨大な厨房機器が未だに残されている。巨大な冷蔵庫が二つも作り付けなのか天井にはまりこみ隙間すらなく、そのままの場所に放棄されていると惣一はいう。両側をそんな過去の廃棄品に壁が見えないほどに囲まれて、空気の動く気配もなく冷えて淀んだ空気が水をそのまま排水できるよう設置された床で足元に絡み付くように溜まっている。俺とは違い視界に頼る惣一がペンライトを取り出して扉のない厨房の出入り口まで進むと、店舗だったとおぼしき暗がりを慎重に覗き込む。
「店舗……やって………ないね?当然か。うん。」
惣一が疑問を滲ませながら身を暗闇に滑らせて呟くのを聞きながら、俺も壁に囲まれた室内にもう一度耳を澄ます。元は恐らく居酒屋か何かの確りした店舗の厨房だったのか、巨大な流しも水が出ることなくそのまま錆び付いているしコンロがあった場所にはガス管の先だけがポツンと残されたまま。勿論調理器具も皿やなんかは存在しないだろうし食材の気配も微塵もないが、湿った下水のようなすえて腐り果てた臭いが足元に執拗に漂っている。
「店舗の方も目ぼしいものは運んだみたいだけど、居抜きにするにも面倒だなぁ、これは。」
多店舗のオーナーでもある惣一としては、現状立地は悪いし人の流れも悪い古い建物というだけで不動産としての価値は駄々下がりだという。リノベーションにするにしても、この放置機器の廃棄だけで大金がかかるし、地下二階の換気の悪さは悪臭を階全体に染み付けてしまっていた。既にこの状況で長年放置となると、誰がここの所有者なのかもう分かったもんじゃないねと呆れ半分に呟く。火災報知器の設置も甘いから築三十年じゃきかないと不貞腐れたように言う惣一に、俺は思わず苦笑いしてしまう。まるで飲食店の新店舗でも開こうと店舗を探しているような口ぶりだと一瞬思ってしまったのだ。
「更地にすりゃいいんじゃねぇか?で、も一回上物建てるとか。」
「更地で売られても私だったら買わないね。ここじゃ建てられるものが、限定され過ぎる。」
周囲には居酒屋やスナック等が多いこの立地では、同系統の飲食店類の新店舗は建てにくいという。強豪店舗だけでなく、長年の居酒屋店舗も多すぎるし、目新しさで路地の裏に入り地下二階まで客を引き寄せるにはかなりの目玉商品が必要なのだ。かといってこの近郊にくる客の年代層は成人以降、しかも四十代以上の男性が七割以上。目新しいものには余り興味を向けて来ない。
「反対側の花街の路地裏なら、若い子もいるから目新しさで行けるかもしれないけど。」
少し東側にある同じような立地なら、客の年代層が少し若いし比率として女性もいるから手があるのだという。たった通りを一本か二本でそこまで違うのには驚きだが、そこを判断できるからこそ多店舗経営者というわけだ。
「なんとかできそうじゃないか?惣一なら。」
「まさか、松理にお仕置きされるよ、こんなビルに手を出したら。」
細い路地をはいるこの建物は治安の問題もあるというから、かなりの難物物件だということのようだ。だからこそこの店舗はこの厨房設備でも、大分前にこんな風に放棄されたわけだ。
人気がないのをいいことにそんな無駄話をしながら動いているわけだが、室内には廊下より微かに壁づたいのモーター音が強く響いていた。俺の耳には、確かにここには何かが未だに動いている。
無人の店舗で今も動く………か。
惣一は更に店舗の方に回って、何か目新しい情報がないか確認している。コツコツと響く足音からすると向こうの店舗の床張りは、合板だろうが一応は木の板のようだ。そうすると和風のコンセプトの居酒屋というところか。少なくとも今のところは、他に何かが動く気配は一つも感じ取れない。俺も厨房の中を足元を探りながら、音がどこからするのか限定しようと耳を澄ます。廊下に向けてモーターが開口しているということは、手前側の作り付けの機器の可能性は高い。頭上の空調が動いている気配はないし、聞こえているのはどちらか側面の反響音のような気がする。そっと左手を伸ばし探ると、手袋越しの指先にはザラリとした感触が触れてきて、一瞬感触に悪寒が走り背筋が冷えた。
目が見えない状態で、得体の知れない場所を探る
これが案外不快なことだとは、こうなってみないと正直なところ分からない。想像してみれば分かると思うが、真っ暗闇の中を手探りだけで日常生活をおくるだけでも難儀なのに、全く理解できない場所を手探りするわけだ。その指先だけが頼りなんだが、それが何か分からないものに触れる。
厨房ってわかってても、ヒンヤリした感触と臭いが不快だよな、既に。
普段から人間ってやつはどんなに目に頼って生活しているかは、本当に痛切に感じることだと思う。俺は指先に触れる戸口のような感触を確かめるが、その金属が扉の一部で何かの保管用の戸棚といったところだと安堵する。かなり大きめの保管棚は、スライド式の戸棚だが既に扉は錆び付いているのか動きはしない。ザラリと感じたのはどうやら錆だったようだ。そこからすればここには大分長い年月人の手が入っていないようなのに、続いているモーター音はなんなのだろうと手を滑らせた瞬間指先に微かな振動を感じた。
これが……動いてるのか……?
他のものは放棄されているのに何故かこれだけ駆動の振動が感じ取れて、俺はその表面を指でなぞっていく。戸棚よりはツルリとした感触の表面は窓ガラスのような感じだが、地下の厨房でこの感触となると。指先を滑らせると端に取っ手があるのに、俺は納得しながらそれに手をかける。
業務用冷蔵庫ってとこだな。
高さは二メートル程、取っ手が中央に四つ集まるように並んでいる。中央から観音開きに開くタイプで古そうだからピラーレスとはいかなそうだが、何でこれだけこの廃墟のなかで動いてんだ?そう考えてしまうと、ジリと背中に不快感が沸き上がって不安が這い上がってくる。
「どうやら店が廃業したのは十年以上前みたいだよ。」
店舗跡に残されていた何かを見つけた風に、惣一が紙のようなものを摘まむ音をさせて歩いてくる。どうやらカウンターに歳月の確認ができるような何かを見つけたらしいが、十年も放置となると先程の戸棚の錆び付きも理解できなくはない。
「十年も放置……。」
「それ以外のテナントがずっと入ってて、どうにも出来ないってのはあり得るかもね。上に人が居そうなんだろ?」
捜索を終えて歩み寄ってきた惣一が、扉に手をかけて固まっている俺の隣に立つ。どうやら向こうの表側にあったカウンターのしたの隙間に、予約をかけたメモ書きの切れ端が残っていた風だ。それをヒラヒラさせながら惣一が不思議そうに俺の事を覗き込む。
「動いてるの、………それ?」
「……十年以上も動いてるもんなのか?業務用。」
「なくはないけどね。大概は…平均八年位かな。」
しかも大事に使ってという前提があっての八年であって、この業務用冷蔵庫はその前にどれくらいか業務の中で活動していたはずではある。業務用冷蔵庫というやつは、多店舗オーナー久保田に言わせても平均しても十年はもたないものらしい。とはいえ探していた微かなモーター動きは、確かにこの冷蔵庫としか思えないし、全く前例が無いわけではないからこれが動いていてもおかしくはない。ただ問題として疑問は幾つか残るだけだ。この冷凍庫にかかる電気代は誰が支払うわけだ?月々三千円程だろうが、空き店舗へ請求するわけはない。誰かが支払っていないと、これが動いているのは直ぐバレる筈だ。
正直、嫌な予感がする。
とは言えここまで来た理由として、このマップを送りつけた上原秋奈の意図はなんだったのか調べておかないとならないのは事実だ。何故ここに来させたかったか、この冷蔵庫とは全く関係ない上の階ということだってある。だが同時に十年以上も業務用冷蔵庫を、忘れて電気が入ったままなんて事はあり得ないが、何年も放置した冷蔵庫に試しに電源を入れて動くものだろうか。
「仕方がない、開けてみるか。」
「……仕方ないなぁ。開けた後見るのは私なんだよ?」
惣一の抗議を軽く聞き流して力を込めて取っ手を引くと、案外楽にバカッと音をたてて扉が開く。中からは外気より冷えた空気が溢れ落ちてくるところを見ると、確かに経年劣化しつつも冷蔵庫と言うより冷凍庫のようだが、まだ稼働していたらしい。溜め息混じりの惣一がライトのつかない隙間から内部を覗きこんだのを感じつつ、俺にもその空気に微かな異臭が混じっている気がする。
「宏太。」
「何だ?」
「………どうしようか?何て言う?」
その言葉に最悪の事態を感じとりながら、遅かったかと俺の口から溜め息が落ちる。嫌な予感が的中して巨大な業務用冷凍庫の中には、誰かの遺体がおしこまれていたのだ。惣一が困惑しながら扉の中を、手で口元を覆いながらじっくりと眺めている。
「どっちだ?」
「どっち………?」
俺が風間か秋奈のどっちだと聞いているのに、惣一はそれに明確な返答ができない。たかが数時間でそれほど容貌が変わるほどの損壊なのかと内心ウンザリする俺に、惣一が違うよと淡々とした口調で呟く。
「中にあるのすっかりミイラになってるから、流石にあの二人じゃないんじゃないかな?」
そんな惣一の意味の分からない言葉に、俺は思わずポカーンとしてしまっていた。既に身元も分からないほど乾燥して干からび、黒くなった遺体が冷凍庫に一つ。呆気にとられる事態だが、冷静に考えるとそれが誰かは一人しかいない気がする。
「男だろ?ミイラ。」
「だろうねぇ、誰か分かる?」
多分と俺は答えるが、何でまた杏奈の奴は今にここを俺に伝える気になったんだ?上原杏奈の身の回りを調べているうちに、可能性としてこの結果になる割合は高いとは思っていたが。まさかこんなところに押し込んで隠しているとは。
「上原征雄だろ。多分。」
「杏奈嬢の義理の父親?」
扉を閉じてどうしたものかと考えながらも、惣一が俺の手が触れた辺りを丁寧に拭き取っている。俺自身素手で握った訳ではないが、力を込めた取っ手だけは念をいれてということのようだ。既にミイラじゃ死因は謎だなと呟くと、眺めていた惣一は他殺かもしれないねぇと囁く。
「何で?」
「頭が陥没してるっぽいんだよね。」
「殴られてるってことか?」
思わず溜め息が溢れてしまう。上原征雄だと思われている男の遺体の後頭部が、一目見ただけでも分かる程ベコンとへこんでいるらしい。死んだ直後には分からなくても水分が失われる過程で、逆に殴られて骨折でもした場所が浮かび上がったのだろう。
そういうことかと思わず言いたくなるが、恐らくは上原秋奈はこの原因を知っているのだろう。そしてここに上原征雄の遺体があるのも知っているから、俺にメールを送ったわけだ。ということはこれが終わったらあいつは姿を眩ますつもりで、あえて俺に電話はしてこなかったのかもしれない。
面倒なことする女だな、本当に。
これを通報すると杏奈が殺人犯として手配されることになるのか。それとも他に考えられる事があるのか。上原征雄は失踪したことになっていたが、十一年前に死んでいたことになるのかもしれない。だが、それで杏奈には十分な期間だと言うのだろうか。
「傷害致死って何年だ?」
「二十年。」
「十一年じゃ足りねえな。」
時効も成立してないのに杏奈がこの遺体を伝える理由はなんだろう。俺なら後九年これを隠してくれる?そんなわけはない。俺がしたあいつとの約束は全く別なもので、これとは完全に別な話だ。兎も角もう一ヶ所の確認もしなきゃならないし、この遺体の通報にも地上に出ないとどうしようもないと手をついて歩くわけにもいかず惣一に厨房を抜けるまでは珍しく手を引かれる羽目になる。
「遺棄だけなら三年だけどね。」
惣一がそう何気なく呟いた言葉に俺は思わず眉を潜めていた。
「多分以前の区画整理の時のビルなのかな。」
駅前の区画整理以前には一応は通りに面していた可能性があると、惣一は寂れた空間を珍しそうに眺める。可能性だがビルが建設された当時は一角は路面店舗もあり、もしかすれば盛況なビルだったかもしれないというのだ。確かに大通りに面している新しいテナントビルと比較しても、このビル自体が既に古ぼけた哀愁に包まれてはいる。
その上店舗の廃業の後も地下二階という搬出の問題か、廃棄もされずに放置されたまま幾つもの巨大な厨房機器が未だに残されている。巨大な冷蔵庫が二つも作り付けなのか天井にはまりこみ隙間すらなく、そのままの場所に放棄されていると惣一はいう。両側をそんな過去の廃棄品に壁が見えないほどに囲まれて、空気の動く気配もなく冷えて淀んだ空気が水をそのまま排水できるよう設置された床で足元に絡み付くように溜まっている。俺とは違い視界に頼る惣一がペンライトを取り出して扉のない厨房の出入り口まで進むと、店舗だったとおぼしき暗がりを慎重に覗き込む。
「店舗……やって………ないね?当然か。うん。」
惣一が疑問を滲ませながら身を暗闇に滑らせて呟くのを聞きながら、俺も壁に囲まれた室内にもう一度耳を澄ます。元は恐らく居酒屋か何かの確りした店舗の厨房だったのか、巨大な流しも水が出ることなくそのまま錆び付いているしコンロがあった場所にはガス管の先だけがポツンと残されたまま。勿論調理器具も皿やなんかは存在しないだろうし食材の気配も微塵もないが、湿った下水のようなすえて腐り果てた臭いが足元に執拗に漂っている。
「店舗の方も目ぼしいものは運んだみたいだけど、居抜きにするにも面倒だなぁ、これは。」
多店舗のオーナーでもある惣一としては、現状立地は悪いし人の流れも悪い古い建物というだけで不動産としての価値は駄々下がりだという。リノベーションにするにしても、この放置機器の廃棄だけで大金がかかるし、地下二階の換気の悪さは悪臭を階全体に染み付けてしまっていた。既にこの状況で長年放置となると、誰がここの所有者なのかもう分かったもんじゃないねと呆れ半分に呟く。火災報知器の設置も甘いから築三十年じゃきかないと不貞腐れたように言う惣一に、俺は思わず苦笑いしてしまう。まるで飲食店の新店舗でも開こうと店舗を探しているような口ぶりだと一瞬思ってしまったのだ。
「更地にすりゃいいんじゃねぇか?で、も一回上物建てるとか。」
「更地で売られても私だったら買わないね。ここじゃ建てられるものが、限定され過ぎる。」
周囲には居酒屋やスナック等が多いこの立地では、同系統の飲食店類の新店舗は建てにくいという。強豪店舗だけでなく、長年の居酒屋店舗も多すぎるし、目新しさで路地の裏に入り地下二階まで客を引き寄せるにはかなりの目玉商品が必要なのだ。かといってこの近郊にくる客の年代層は成人以降、しかも四十代以上の男性が七割以上。目新しいものには余り興味を向けて来ない。
「反対側の花街の路地裏なら、若い子もいるから目新しさで行けるかもしれないけど。」
少し東側にある同じような立地なら、客の年代層が少し若いし比率として女性もいるから手があるのだという。たった通りを一本か二本でそこまで違うのには驚きだが、そこを判断できるからこそ多店舗経営者というわけだ。
「なんとかできそうじゃないか?惣一なら。」
「まさか、松理にお仕置きされるよ、こんなビルに手を出したら。」
細い路地をはいるこの建物は治安の問題もあるというから、かなりの難物物件だということのようだ。だからこそこの店舗はこの厨房設備でも、大分前にこんな風に放棄されたわけだ。
人気がないのをいいことにそんな無駄話をしながら動いているわけだが、室内には廊下より微かに壁づたいのモーター音が強く響いていた。俺の耳には、確かにここには何かが未だに動いている。
無人の店舗で今も動く………か。
惣一は更に店舗の方に回って、何か目新しい情報がないか確認している。コツコツと響く足音からすると向こうの店舗の床張りは、合板だろうが一応は木の板のようだ。そうすると和風のコンセプトの居酒屋というところか。少なくとも今のところは、他に何かが動く気配は一つも感じ取れない。俺も厨房の中を足元を探りながら、音がどこからするのか限定しようと耳を澄ます。廊下に向けてモーターが開口しているということは、手前側の作り付けの機器の可能性は高い。頭上の空調が動いている気配はないし、聞こえているのはどちらか側面の反響音のような気がする。そっと左手を伸ばし探ると、手袋越しの指先にはザラリとした感触が触れてきて、一瞬感触に悪寒が走り背筋が冷えた。
目が見えない状態で、得体の知れない場所を探る
これが案外不快なことだとは、こうなってみないと正直なところ分からない。想像してみれば分かると思うが、真っ暗闇の中を手探りだけで日常生活をおくるだけでも難儀なのに、全く理解できない場所を手探りするわけだ。その指先だけが頼りなんだが、それが何か分からないものに触れる。
厨房ってわかってても、ヒンヤリした感触と臭いが不快だよな、既に。
普段から人間ってやつはどんなに目に頼って生活しているかは、本当に痛切に感じることだと思う。俺は指先に触れる戸口のような感触を確かめるが、その金属が扉の一部で何かの保管用の戸棚といったところだと安堵する。かなり大きめの保管棚は、スライド式の戸棚だが既に扉は錆び付いているのか動きはしない。ザラリと感じたのはどうやら錆だったようだ。そこからすればここには大分長い年月人の手が入っていないようなのに、続いているモーター音はなんなのだろうと手を滑らせた瞬間指先に微かな振動を感じた。
これが……動いてるのか……?
他のものは放棄されているのに何故かこれだけ駆動の振動が感じ取れて、俺はその表面を指でなぞっていく。戸棚よりはツルリとした感触の表面は窓ガラスのような感じだが、地下の厨房でこの感触となると。指先を滑らせると端に取っ手があるのに、俺は納得しながらそれに手をかける。
業務用冷蔵庫ってとこだな。
高さは二メートル程、取っ手が中央に四つ集まるように並んでいる。中央から観音開きに開くタイプで古そうだからピラーレスとはいかなそうだが、何でこれだけこの廃墟のなかで動いてんだ?そう考えてしまうと、ジリと背中に不快感が沸き上がって不安が這い上がってくる。
「どうやら店が廃業したのは十年以上前みたいだよ。」
店舗跡に残されていた何かを見つけた風に、惣一が紙のようなものを摘まむ音をさせて歩いてくる。どうやらカウンターに歳月の確認ができるような何かを見つけたらしいが、十年も放置となると先程の戸棚の錆び付きも理解できなくはない。
「十年も放置……。」
「それ以外のテナントがずっと入ってて、どうにも出来ないってのはあり得るかもね。上に人が居そうなんだろ?」
捜索を終えて歩み寄ってきた惣一が、扉に手をかけて固まっている俺の隣に立つ。どうやら向こうの表側にあったカウンターのしたの隙間に、予約をかけたメモ書きの切れ端が残っていた風だ。それをヒラヒラさせながら惣一が不思議そうに俺の事を覗き込む。
「動いてるの、………それ?」
「……十年以上も動いてるもんなのか?業務用。」
「なくはないけどね。大概は…平均八年位かな。」
しかも大事に使ってという前提があっての八年であって、この業務用冷蔵庫はその前にどれくらいか業務の中で活動していたはずではある。業務用冷蔵庫というやつは、多店舗オーナー久保田に言わせても平均しても十年はもたないものらしい。とはいえ探していた微かなモーター動きは、確かにこの冷蔵庫としか思えないし、全く前例が無いわけではないからこれが動いていてもおかしくはない。ただ問題として疑問は幾つか残るだけだ。この冷凍庫にかかる電気代は誰が支払うわけだ?月々三千円程だろうが、空き店舗へ請求するわけはない。誰かが支払っていないと、これが動いているのは直ぐバレる筈だ。
正直、嫌な予感がする。
とは言えここまで来た理由として、このマップを送りつけた上原秋奈の意図はなんだったのか調べておかないとならないのは事実だ。何故ここに来させたかったか、この冷蔵庫とは全く関係ない上の階ということだってある。だが同時に十年以上も業務用冷蔵庫を、忘れて電気が入ったままなんて事はあり得ないが、何年も放置した冷蔵庫に試しに電源を入れて動くものだろうか。
「仕方がない、開けてみるか。」
「……仕方ないなぁ。開けた後見るのは私なんだよ?」
惣一の抗議を軽く聞き流して力を込めて取っ手を引くと、案外楽にバカッと音をたてて扉が開く。中からは外気より冷えた空気が溢れ落ちてくるところを見ると、確かに経年劣化しつつも冷蔵庫と言うより冷凍庫のようだが、まだ稼働していたらしい。溜め息混じりの惣一がライトのつかない隙間から内部を覗きこんだのを感じつつ、俺にもその空気に微かな異臭が混じっている気がする。
「宏太。」
「何だ?」
「………どうしようか?何て言う?」
その言葉に最悪の事態を感じとりながら、遅かったかと俺の口から溜め息が落ちる。嫌な予感が的中して巨大な業務用冷凍庫の中には、誰かの遺体がおしこまれていたのだ。惣一が困惑しながら扉の中を、手で口元を覆いながらじっくりと眺めている。
「どっちだ?」
「どっち………?」
俺が風間か秋奈のどっちだと聞いているのに、惣一はそれに明確な返答ができない。たかが数時間でそれほど容貌が変わるほどの損壊なのかと内心ウンザリする俺に、惣一が違うよと淡々とした口調で呟く。
「中にあるのすっかりミイラになってるから、流石にあの二人じゃないんじゃないかな?」
そんな惣一の意味の分からない言葉に、俺は思わずポカーンとしてしまっていた。既に身元も分からないほど乾燥して干からび、黒くなった遺体が冷凍庫に一つ。呆気にとられる事態だが、冷静に考えるとそれが誰かは一人しかいない気がする。
「男だろ?ミイラ。」
「だろうねぇ、誰か分かる?」
多分と俺は答えるが、何でまた杏奈の奴は今にここを俺に伝える気になったんだ?上原杏奈の身の回りを調べているうちに、可能性としてこの結果になる割合は高いとは思っていたが。まさかこんなところに押し込んで隠しているとは。
「上原征雄だろ。多分。」
「杏奈嬢の義理の父親?」
扉を閉じてどうしたものかと考えながらも、惣一が俺の手が触れた辺りを丁寧に拭き取っている。俺自身素手で握った訳ではないが、力を込めた取っ手だけは念をいれてということのようだ。既にミイラじゃ死因は謎だなと呟くと、眺めていた惣一は他殺かもしれないねぇと囁く。
「何で?」
「頭が陥没してるっぽいんだよね。」
「殴られてるってことか?」
思わず溜め息が溢れてしまう。上原征雄だと思われている男の遺体の後頭部が、一目見ただけでも分かる程ベコンとへこんでいるらしい。死んだ直後には分からなくても水分が失われる過程で、逆に殴られて骨折でもした場所が浮かび上がったのだろう。
そういうことかと思わず言いたくなるが、恐らくは上原秋奈はこの原因を知っているのだろう。そしてここに上原征雄の遺体があるのも知っているから、俺にメールを送ったわけだ。ということはこれが終わったらあいつは姿を眩ますつもりで、あえて俺に電話はしてこなかったのかもしれない。
面倒なことする女だな、本当に。
これを通報すると杏奈が殺人犯として手配されることになるのか。それとも他に考えられる事があるのか。上原征雄は失踪したことになっていたが、十一年前に死んでいたことになるのかもしれない。だが、それで杏奈には十分な期間だと言うのだろうか。
「傷害致死って何年だ?」
「二十年。」
「十一年じゃ足りねえな。」
時効も成立してないのに杏奈がこの遺体を伝える理由はなんだろう。俺なら後九年これを隠してくれる?そんなわけはない。俺がしたあいつとの約束は全く別なもので、これとは完全に別な話だ。兎も角もう一ヶ所の確認もしなきゃならないし、この遺体の通報にも地上に出ないとどうしようもないと手をついて歩くわけにもいかず惣一に厨房を抜けるまでは珍しく手を引かれる羽目になる。
「遺棄だけなら三年だけどね。」
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