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61.上原秋奈

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ひっそりとした一階には当然のように誰の気配もなく、私は電気の消えた下の階を一階の通路から乗り出すようにして上から覗きこむ。一階にはトイレと元の管理人室らしき部屋と何かの店舗の跡地だとしか思えない空き室のみ。シャッターも鍵もおりている空き室の入り口には、不動産の電話番号のついたプレートが貼り付けられている。しかも管理人室まで無人の空き室では、もしかしたら上のあの簡易事務所は無許可かもと何気なく上を見上げる。夜番と言っていたから恐らく今晩はあの男一人で二階に常駐するのだろうし、何かに怯えた風でもあったからそうそう出ては来ないと思いたい。

ここの下にもしかして祥太が閉じ込められていたりするだろうか?

もう一度階段の下を覗きこんだ私は、シンと静まり返り人気のない階下に耳を澄ませる。もし監禁されるのに手足を拘束されていれば身動きはとれないけど、この下に放置されていて音も完全に遮蔽できるだろうか?地下一階なら暴れれば音がしそうだけど、更に下の地下二階となったらどうだろう。だけど遠坂も拉致の可能性があるという倉庫に向かっている最中だというし。

一旦ここを出て宏太に、祥太の状況が遠坂から来ているか確認した方が良いのだろうか?

そう考えはしたものの出来るだけ可能性は少しでも潰しておいた方が、良いかもしれない。少なくとも上のあの男はそうそう階下まで降りて来そうな気配はなかったしと、一先ず先程の段ボールの中身の写メと現在位置とまあもう一つ情報を手早くメールで宏太に送信しておいて私は慎重に更に下の階を確認しに降り始めていた。文面は打たなかったけど、見れば分かると思うし。
冷えた空気が開放されたままのビルの入り口から音もなく流れ込んできていて、一月の冷えた空気がビルの内部を凍りつかせ軋ませているみたいだ。地下なら少しは空気が流れないから冷えも緩和されるかと思いきや、鉄筋コンクリート自体の強い冷え込みと重く冷えた夜の空気のせいで冷蔵庫のよう。開口する窓もなくキンと冷えきった打ちっぱなしの壁に囲まれて、逆に物音が鋭く反響するみたい。一歩階段を歩くのに緊張感が全身を包んで、なんだか息が詰まりそうだ。

下って上の階より逃げ場がないわよね……

上の階なら最悪でも窓からとか屋上とか幾つか逃げ場はあるだろうけど、地下に進む度に逃げる道が塞がれていくのに私は気がつく。下に向かえば更に下に逃げ込んで行くしかなくなるし、最下層で物陰がなければ追跡者と対峙するしか逃げ道がないのだ。それを考えると更に足取りが重く、音をたてたくない足が進みにくい。

やっぱり無謀よね……幾ら下のやつって言葉が気になったからって……。

大体にして見張りもなしで監禁した警察官を放置するものだろうか?だけど逃げられない場所に入れているなら、放置しててもおかしくはない。でも祥太がおしこめられているのがそんな場所だったら、女の私に開けられる?とは言え宏太には既に現在位置は送ったし、宏太ならメールが見えなくても変わりに見てくれる遠坂に転送するくらい訳ない。もしこのまま私も行方不明になったら先ずはここが探されるし、もし私に何かあっても私の目的は宏太がやってくれる。そう気を取り直すと私は先を進み始めた。地下二階と地下一階のどっちから探すのがいいのかは分からないが、実際には何故か地上の階より下の階の方が廊下が長くとられていて角もあるし広く感じる。もしかしたら本当に地上の建物より地下の方が、かなり広く作られているのかもしれない。

まずは地下一階から探そう

もしここで目ぼしいものが見つかればという微かな期待で、辺りを息を殺して見渡す。地下一階は恐らく随分前に飲み屋の類いもしくは、スナックでもあったのだろう。飲食店舗の類いがあったに違いないと分かる古ぼけた設備に、弱い非常灯の緑の光が薄暗く通路を照らす。通路には誰かがここを歩いているらしく幾つもの真新しい足跡が至るところに大量についているが、生憎私は靴で性別を判別出来るほどじゃない。

でも、女物の靴跡があるのは良かった。

今ここを私が歩いても女物のヒールの足跡で紛れてくれるのには内心安堵はするが、こんな廃墟の廊下を歩くような女が何人も居るかと考えるとなにその女ってことよ。正直怪しいかもしれないと思うでしょ?上には恐らく闇ブローカーの簡易事務所があるわけだし。あ、それとも廃墟だと思って彼氏と肝試しでも?それはあり得なくはないだろうけど、こんな中途半端な位置具合の廃墟に大した幽霊なんかいなさそうだ。このビルの通りから一本駅前に通りを移せば、キャバクラとかクラブとかスナックだらけの花街な訳。

だからこそ、あいつらが簡易事務所にするには良い隠れ蓑よね。

街中から遠すぎず寂れすぎてないけど、誰もいない筈の廃墟寸前の雑居ビル。崩れるほどではないけど、人が入り込んでいるかどうかなんて確かめる気もない。そんなことを考えながら廊下の突き当たりまで進んだ私は、もう一度辺りを見渡して落書きなんかはないのに目を細める。もしかしたら地下の店が廃業したのは、つい最近の可能性もなくはない。

街の店舗の出入りなんて誰も気にしないんだし

つい先月にもどこかのクラブが違法薬物の流通網になっていたと、警察が踏み込んだらしいとは耳に入っていた。その店舗はアッサリと閉店して今月末には居抜き店舗として、別なクラブがもう開く予定らしい。街の移り変わりなんてそんなもの。人間だって同じようなもので、同じ街の中で何をしていても誰も気にしやしない。奥から順に扉をあけてなかを確認しようとした私は、一番奥の扉の中を覗いた瞬間目の前に状況に呆気にとられていた。

なに…………ここ?

中には無操作に脱ぎ散らかされたりハンガーにかけられた様々な種類の衣類や小物、靴、眼鏡やウィッグ。もしかしてショーパブか何かの衣装室だったのだろうかと思うような大量の衣類や宝飾類に溢れた一部屋だけど、ショーの衣装にしては男女の片寄りもない上にショーには適さない普段着過ぎる。それに男女兼用の物なら兎も角、男性用・女性用の種類も系統も関係ない雑多な衣類。しかもメンズスーツだけでなくレディーススーツのようなものまであるし、もしかして舞台劇でもやっていたのかと思う幅の広さだ。

衣装部屋………

それを頭で繰り返した瞬間、不意に背筋か凍りついたのに気がつく。それを一人で身に付けられるような人間が、無意識のうちに私の頭には浮かんでいたのだ。

ヤバい……ここ、出なくちゃ

上階には進藤の部下の簡易事務所、下に衣装部屋。眼鏡の中には見覚えのある赤い縁の眼鏡もあるし、丸められビニールに詰め込まれた私を助けてくれようとしたサラリーマンの血を被った筈のダウンジャケットが部屋の隅に投げられている。ここを拠点に人の大勢いる花街を経由して人混みに紛れてるんじゃ、確かに三浦和希が男姿でも女姿でも違和感なんて感じさせないで紛れ込んでいても可笑しくはない。誰かがこの大量の衣装を準備してやって、紛れ込むのに最適な防犯カメラも監視カメラもない穴場を教えていたのなら、三浦は日々姿を変えていて中々捕まらない訳だ。

宏太と同じ情報がある進藤なら、監視カメラのない場所も知ってるわけよね……

足音を立てないよう室内を後退るが、視界にもう一つ扉があるのに気がついて愕然とする。他の階と違って廊下が長いと思ったのは間違いではなかった。実際に空間が広く空間を他の階より小さく個室に区切っていて、しかもどこかのドアが対面のもう一つに繋がっているのだ。そうなると地下に降りた時点で、既に何処かの室内に誰かいても分からない。知らずに廊下を通過する音を、私は無意識にさせていたかもしれない。

どっちかに回り込まれてたら最悪。

そう分かってはいるが、どちらにせよ状況は悪い。どちからからこの部屋をでないと、何時この部屋の主がここに戻ってくるか。それどこか対面にドアがあるということは居住できるスペースもあるのかもしれない。他に入るドアがあるとしたら、廊下に出られたら…そう考えながらやっと後ろ手に入ってきた扉に戻った瞬間、対面のドアのノブがユックリ回ったのに気がついた。咄嗟に同時にドアノブを回して体を滑り込ませ、廊下に飛び出して真っ直ぐに階段に向かって駆け出す。可能性として奥から来るのが三浦の可能性が高いなら、足音なんて気にする事も出来ない。さっきの何分の一かの時間で階段に辿り着き駆け上がろうとした私は、視線をあげた瞬間その場に凍りついていた。

「あんた、誰?」

目の前には黒髪から陶器のような真っ白い肌を覗かせたフード付きのパーカーにスキニージーンズ姿の青年が階段に腰かけて私の事を爬虫類のような瞳で見下ろしている。住宅街で一度会ったことなど記憶には全い様子で三浦和希は、感情の浮かばない瞳を光らせて私の事を見据たまま。

「………なんでここにいたわけ?」

私が部屋に入ったことを知っている。対面のドアノブを回したのは三浦ではなかったのか、それとも暗い廊下を走るより室内の方がショートカットたったのか。何と答えるのが最適なのか想像も出来ないが、あの時の身のこなしを考えると三浦に背中を見せたり階下におりるのは尚更部が悪い。それにドアノブを回したのが別人なら、下手をするともう一人地下一階には人間がいる可能性もある。

「………あんた、名前は?」

冷え冷えとした空気の中なのに、白く濁ることもない三浦の呼吸。まるで本当に爬虫類のように体温が感じられない三浦に、私は目を細めて呼吸を整えながら髪を耳にかける。冷静に、目の前の男はマトモじゃない。会話だって何処まで理解しているのか分かったものじゃない子供の記憶しかない殺人鬼。

「あたしが名前を教えたら、あんたそこ退くわけ?」

私が強い口調でそう言うと初めて三浦は少し驚いたように、目を細めたかと思うと階段に腰かけたままの膝に垂らした手で頬杖をつく。その瞳は相変わらず感情の浮かばないままだが、どこか私の事を値踏みしている風にも見える。

「………黙ってるなら、あたしのこと構わないでそこどいてよ。」

私の無謀な言葉に三浦は更に表情を変えたが、その顔を見た瞬間私は相手が私を見下ろす顔立ちがあの男とよく似ていると気がついた。三浦とあの男は二十位は年が離れている筈だし、体格は華奢だから似ているとは思えない。でも今こうして私を見下ろす顔立ちは、暗い目の落ち窪んだ進藤隆平に見える。

あいつ………こいつの親父?………だから、こいつを外に出した?

こいつには不動産屋の両親がいた筈。でも三浦の持ってる雰囲気も顔つきも進藤そっくりじゃない。私の無言に何か思うのか三浦は低く掠れた奇妙な声で呟く。

「あんた、誰かに裏切られたらどうする?」

誰かに裏切られたら?誰と聞きたいけど、記憶の保持できない男が裏切られたらなんて奇妙な質問にもほどがある。きっともしもそうだったらという程度の単なる興味なのかもしれない。

「あんたにそんなこと答える必要ある?あたしが………裏切られてどう考えようが、あたしの自由よ!あんたには関係ないわ!!」

興味があろうが何とかこの場を乗りきらないとならない私にはそれこそどうでも良い質問だ。裏切られたから何をどう出来るかなんて、力も金もあって人生に余裕がある人間の思考で、無力でまだ世間を知らなかった高校生の私には何も出来なかった。何も術を持たなかった私は、上原杏奈を棄てるしか方法がなくなっただけ。舌打ちしてやりたいほどの胸の中の痛みと焦りに怒鳴り付けてやった瞬間、目の前の男の目の色が変わったのに気がついた。ユラリと音もなく立ち上がった男の顔が暗がりの中に、更に進藤隆平そっくりに見える。それなのにその瞳は今までの爬虫類のような瞳とはまるで違うものに、ガラッと塗り変わっていた。

「……お前…………。」

一階から差し込む逆光で表情が見えないのに、まるで焔のようにギラギラと光る瞳で私の事を見下ろしている三浦和希。ヤバい、口にする言葉の選択を間違ったんだと私が気がついた時には遅かった。一瞬で目の前には白磁のような細い指が視界を覆っていて、片手で顔を掴まれると思った刹那頭蓋骨が割れるのではないかというような激しい痛みが襲いかかる。背後の壁に叩きつけられたと自分でも気がついた時には、既に気を失いかけていて両足から力が抜けていく。

「かおるか?」

そう問いかける声は遥か遠く掠れたように滲んで、意識の向こう側にあっという間に飛び散っていた。
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