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46.上原秋奈

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あの三浦が姿を見せた事件のせいで落ち着かない日が続いていた。あの後あの会社員がどうなったか実は知らないんだけど、あれは何のニュースにもならなかったんだ。あの助けてくれた会社員が助かったって事も一度は考えたけど、あの血液の量を見ているから正直助かったとは思えない。でも、全然通り魔とかそんなニュースは新聞にも乗らなかった。そんなのあり得る?風間に聞いてみるのも考えたけど、それでもし死んだと聞かされたら?結局私は何も聞かなかったし、現場にも寄り付かないで過ごす事にした。とは言えお陰で外に出ても常に背後が気になってしまって、ユックリと出歩くことも出来ない。次第に薄くなっていく三浦のつけた手首の痣を見下ろしながら、どうしようもできないでいる。

でも、私に何ができたっていうの?

答えは何も出来ないだ。三浦の握力は正直なところ、あの華奢な体や腕が出したものとは思えない。まるで漫画みたいな話だけど、あのまま握られたら手首が折れたんじゃないかって思ってる。それにあの時は気がつかなかったけど私が使った回り道を逆に回ったからって、あんな短時間で背後には回り込めない。恐らく周囲のブロック塀とかを上手く乗り越えるとかして背後にたったと思うけど、それを音もなくやってのけるにはかなりの筋力が必要だ。裸を見たわけじゃないから服の下がどんな体なのかは分からないし、運動神経がどうだったとかも知らない。でも、私の元同級生には女みたいに華奢だけど、校舎の二階のベランダから飛び降りて無傷でいた奴もいる。そいつは自分の倍も体重があっても足蹴り一つで相手をのしてしまうような奴だから、同じように三浦が人間兵器みたいな能力がある可能性だってあるだろう。

そう言えば、あいつ、今何してんのかな。

ついこの間その人物の幼馴染みの土志田に会ったばかりだ。土志田が予想外の学校の先生なら、あいつは何をしているだろう。つまりは私にとっても幼馴染みでもあるのだが、昔から実は読書が好きだとコッソリ話していたから図書館とかに勤めていたら流石に大爆笑してしまいそうだ。
結局そんなわけで余り外にも出にくく、クリスマスはあきちゃんの言葉に甘えてあきちゃんの手料理で女二人でのんびりと過ごした。考えてみたらあきちゃんは元看護師だって話していたけど、今は何をやっているんだろうって時々思う。そう疑問に思うけどあえて聞かないのは、私も聞かれても答えられないからなのはもう分かってるでしょ?こんなマンションに独りで暮らす彼女は、収入はどうしているのかな。宏太みたいにもうこのマンションは、彼女の持ち物なんだろうとは思うんだ。宏太みたいにそうじゃなきゃできないって物が据え付けられているって訳ではなくて、ただなんとなく簡素なんだけど彼女が暮らしている感覚が家の中の何処にいても感じられるって感じ。
それにしてもお料理も温かくて美味しいしお家も居心地がいい、こんな風に幸せなクリスマスなんて正直初めてかもしれない。だって私の記憶にあるクリスマスなんてのは、もう父親が病気で母親は夜いないものという記憶しかないんだから。

「あきちゃんの元カレはバカだねぇ。」
「え?」
「あきちゃんが彼女とか奥さんだったら、凄く幸せだよ。」

私がシャンパングラスを片手に呟くと、何時ものように彼女はそんなことないのよと悲しそうに呟く。そうして彼女は酔いのせいか珍しく昔の話をポツリポツリと始めたのだ。
倉橋亜希子は元は東北の産まれなのだという。看護学校に入って看護師になった彼女は様々な経験を重ね働いていたが、学生から生真面目すぎた彼女は恋愛の経験が乏しかった。同時に土地で生まれた特有の閉鎖的な感覚のせいで、男を見る目がなかったのだと言う。大人の恋人としてある男と付き合った時点から、彼女は最初から相手が学生だったこともあって金銭面を全て負担していた。それ以外にも付き合いが深くなるほどに、彼女は次々と新しい負担を負い続けたのだという。

「掃除に洗濯、料理。一緒に住んでからは家事は全て私。それに彼のバイトや仕事の送迎。」
「えええ?!送迎って何?」
「言葉の通りよ、車で送り迎えするの。」

でも、あきちゃんは仕事してるんでしょ?と問いかけると、普通に看護師として二交代の勤務をしていたのだという。しかも、相手の送迎は次第に大規模になって、男の同僚を真夜中過ぎに片道一時間もかけて送ることもしていたという。

「いつ寝てたの?それで。」

あきちゃんが元々不眠症だからというけど、どう考えても寝る時間がないよね。だって、自分が朝から仕事をして夜帰ってきて送迎して家事して、しかも片道一時間もかけて関係ない人を送るんでしょ?しかも、仕事二交代ってつまり当直ってことだよ?不眠症とかいう問題より、寝る時間が無いとしか思えない。それで遂に限界になったのって笑うあきちゃんは、何でか私も悪かったのよと呟く。

「いや、それはあきちゃんが悪い訳じゃないでしょ?」
「でも、私は自分からやったの。相手がそれが当然って思うように自分から進んでしちゃったのよ。」

でもそれが当然になっていたから、男がどんどん傲慢になっていいって話はない。相手の休む時間が無いことに全く気がつかないって、男の方がおかしいでしょ。だって、同棲してて看護師さんの仕事時間がきついの分かるでしょ、普通。私がそう言ってもそれを許したのが昔の私の悪いところなのよと、彼女は穏やかに微笑みながら言う。いや、その気持ちは分からなくないんだ。他の人には異常と分かっても、それをどうしようもない状況で容認しながら過ごさないとならないってことがある。私にだってそれはよく分かるけど、今彼女が自分も悪かったというのはおかしい。だって私はあの時の自分も悪かったなんて、口が裂けたって絶対に認められないんだから。

「でも今のあきちゃんが、あの時の自分も悪かったなんて言ったら、昔のあきちゃんが可哀想だよ。あきちゃんは尽くしただけでしょ?」
「秋奈ちゃんは優しいね。でも、結局全部やりたくてやったことなのよ、私が。」

それにねと彼女は少しだけ瞳を陰らせて呟く。

「正直に言うとね、私、まだその男の事を怨んでるの。」

そんなの当然じゃないって私が頬を膨らませると、彼女は可笑しそうに笑いながら当然かしらって首を傾げる。当然に決まってる、沢山尽くして酷い扱いをされた相手を、簡単には許せるわけなんかない。そんな簡単に相手を許せたら、世の中皆聖人君子ばっかりだよ。

「秋奈ちゃんは、元カレを怨んでたりする?」
「当然だよ。」
「死ねばいいのにとか考えたりしちゃう?」
「死ぬよりもっと苦しめばいいって思う。」

クリスマスなんて世の中幸せで当然の日に女二人でする話じゃないと思うけど、私は正直なところそう思ってる。ただ死んだんじゃつまらないから散々苦しんで死ねばいいし、死んだ後だって地獄で苦しめばいいと思ってるよ。もし、こう考えるのは罪だと言われても私は全く構わないし、罪だからなんだっていうのよ?私が苦しんでた時あいつは楽しんでたし誰も助けてくれなかったのは事実だもの。

「私達って変なところで似てるのね。」
「あきちゃんもおんなじ?」

聖なる夜にそんな事を言って二人で笑うなんておかしいかもしれないけど、二人っきりだもの誰にバレる訳じゃないでしょ。
そんな事をお互いに言いながら二人で仲良くクリスマスを過ごした翌日、その突然の来訪者が目の前に現れたんだ。この家には来訪者なんて殆どないからてっきり宅急便かな位に思って料理で手が離せない彼女の変わりに玄関に出ると、身なりのいい男が独り立っていてジッと私の事を見下ろしている。
トレンチコートに仕立てのいいオーダーメイドらしいスーツ、綺麗に磨きあげた革靴にブランド物の革の手袋。残念だけど、貴金属の類いは見えない。身長は宏太と同じくらい、年の頃も恐らく同じくらい?髪は黒で、顔立ちは中々整ってるけど、涼しげな目元は何故か少し暗い雰囲気を纏ってる。何でだろう、何処かで見たような気が

「……品定めは終わったかい?お嬢さん。」

静かに穏やかな声で話しかけられて、私はしまったと内心思う。つい何時もの癖で相手を品定めしてしまったけど、それを相手にこんなにアッサリ見抜かれるなんて珍しい。私の品定めって一瞬で割合見てるから、そう相手にバレることはないんだ。

「ごめんなさい、そんなつもりじゃ。」
「別に構わない。………亜希子はいるかな?」

再び静かな口調で語りかけられ、目の前の男があきちゃんの知り合いなのだと今さら気がつく。実は今まで一度も彼女の知り合いがこんな風に訪れる事がなかったから、こうして誰かが訪ねてくる可能性すら私は考えていなかった。そういわれて考えると顔立ちは何処と無く似ている気もするから、もしかしたらあきちゃんのお兄さんとか?小柄で小さなあきちゃんに並んだら、きっと三十センチ位ゆうに差がありそう。

「秋奈ちゃん、誰?宅急便?」

火を止めて奥から顔を出したあきちゃんが、男の人を見て驚いたように目を丸くする。その視線は私の目の前にいるこの人があきちゃんにとって嫌な人とか言う反応では全くないけど、彼が突然ここに来たのには心底驚いたっていう感じの反応だ。

「どうしたんですか?急に。」

あきちゃんが駆け寄ってきてスリッパを取り出すのに、その人は悪いなと抑揚のない静な口調で呟くように言う。何でだろう、何処かで見たような気がしてるんだけど、それがこの人だったのか似ている人に会ったのかがハッキリわからない。そんな事を考えていたらあきちゃんが、申し訳なさそうに先に食事しててくれると私に告げた。あ、彼との話は私には聞かれたくない事なんだと、その言葉で私も気がつく。

「ごめんね、……秋奈ちゃん。」
「いいよ、お先にいただいてます。」

二人が並んであきちゃんの部屋に入っていくのを見送り、大人しくリビングで食事をしながら独りで考え込む。何が私の心に、こんなに引っ掛かる感じなのか。二人の話が気になってるだけなのか?それにしてもあの人が何時か何処かで出会った気がするのは、一体どうしてなんだろう。あんな話し方をする静かな声は聞いたことが無い筈なんだけど、そんな風に考えながらあきちゃんの作った食事を口に入れる。

もしかして、あきちゃんと似てるって思ったからかな……?

また再び倉橋亜希子の事を、私は何にも知らないことが頭に浮かぶ。勿論彼女が自分から話してくれたから幾らかは前よりは少し知ったけれど、依然として彼女には知らないことが多い。東北の産まれで元看護師で、元カレに酷い目にあわされ、手首に傷を残している彼女。今何歳なのか、元看護師ということは別な仕事をしているのだろうけど、何をして生計を立てているのか。自室の中にはパソコンや簡素な家具ばかりで、仕事が伺えるものはない。それに何より自分みたいな素性の知れない胡散臭い人間の世話を、当然みたいにしている彼女。

怪我をしてて可哀想だった。

公園で顔を腫れ上がらせた私を見て、自分と同じ境遇に見えたからと彼女は言った。親切に私に暖かい寝床を与えてくれたその言葉に、全く嘘は無さそうだった。だけど、それを何ヵ月もずっと鵜呑みにしているのは、正しい事なのだろうか。何であきちゃんの事を、こんな風に考えたりしなきゃならないのか?答えは、私があの男の人を見てしまったからだ。
実はあきちゃんと何処かが似ているということは、何処と無くだけど三浦和希にも似た雰囲気をしているところがあるということ。それが凄く気にかかるのは、どうしてだろう。ほんの少しだけ何処かが似た雰囲気なだけなのに、それがとてつもなく心に突き刺さる。穏やかに話しかける静かな声なのに抑揚がない話し方が、何故か自分に問いかけてきた三浦を感じさせる。話し方も問いかけも似てなんかいないのに、何か通じるものを感じさせるのだ。そう感じてしまうと美味しかった筈の食事が、宏太みたいに紙みたいに味が感じられない。口に入れても味が分からないと、それを飲み込むが苦痛になっていく。

そっか、私……怖がってるんだ……。

嵐の夜だけに私を犯すために訪れたあの男のように、今・あきちゃんに会いに来ている男に子供のように真名かおるという人を探す三浦和希と同じくらいに怯えている。それに自分で気がついたとき、あの男の人は一体何て言う名前なんだろうと疑問が浮かんでいた。静かな口調で名前を問いかけさせないように、会話の言葉を選んでいたのかもしれない。そう気がつくと更に食事が味を失っていく。

早くあきちゃんとの話が終わって、あの人が帰ってくれたらいいのに。

まるで母親を奪われた子供が拗ねているように、私はそんなことを考えてしまっていた。


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