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25.風間祥太
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偶然通りかかった駅前で見つけたその姿は、遠目にも一瞬で彼女だと俺には分かっていた。歩み寄る自分にも全く気がつく気配もなく、歩きすぎていく人々の足元を見つめる。
独りでいる上原は酷く心細そうに見えた。
駅前の和やかで賑やかなクリスマスイルミネーションを見上げる訳でもなく、ただ心細げに辺りを過ぎ去る人々の足元だけを眺めている。そんな姿を見つけて放っておけるはずがなかった。足早に人混みを掻き分け歩み寄り、彼女に向かって声をあげる。
「上原。」
そう声をかけても暫く彼女は、視線をあげようともしなかった。ザッと見た限りでは以前と何処も変わったようには見えないし、何処かに行っていたような荷物も傍にない。もしかしたら探し出せなかっただけで、ずっとここいらに居たのかもしれないとすら正直感じる。ところがフッと視線を上げた彼女が酷く暗く淀んだ瞳をしていたのに、俺は驚き思わず目を丸くしていた。
「久しぶり。」
何処も変わってなくなんかなかった、彼女は何処か酷く傷ついて立ち直れないでいる。そんな風に感じる目で自分を上目遣いに見つめる上原は、いつもと違い能面のように表情が浮かばない。表面を取り繕うような彼女の言葉に思わず、俺は何時もの詰問するような口調で話しかけてしまう。
「探してたんだ、何処にいたんだ?上原。」
自分の口調にまるで傷つけられるみたいに、彼女は更に瞳を陰らせて低く囁くように呟く。
「私、あんたと付き合ってた時、他の男と寝てたわ。」
嘘ではない。言葉の色が見えるような暗く淀んだ言葉には、それを望んでいた訳ではないという感情が滲んでいる気がした。ああ、やっぱりと心が呟くのが分かる。自分の知らないところで上原にはやっぱり何かが起きていて、上原は自分にそれを俺には隠していたのだと思った。そう感じた瞬間上原のこの暗い瞳は今のものではなくて、十年も彼女が独りで抱えてきたのだと突きつけられた気がした。
辺りの幸せそうな恋人達とは正反対の苦悩に満ちた懺悔のような声で、上原はクリスマス一色の街中で口を開く。
「全然気がつかなかったでしょ?」
確かに自分は上原が姿を消すまで、それどころか今になってはっきり知るまで、その可能性について深く考えようとしなかった。あの頃は自分が子供過ぎたせいか上原が何を考えていたのか知ろうともしていなかったし、知っていると過信もしていたのだ。幼馴染みでよく知っていると思い込んでいて、上原の苦悩が目に入っても気がつかなかった。遠距離になると言った時のあの奇妙な空気が、その破片だと気がついていたら今の二人は違っただろうか。
「あんたはそのまま遠くに行くし、隠してるの面倒で嫌になったの。」
不意に悲しく寂しい歪んだ笑いが、その頬に浮かんだのが分かる。同時にそれは不思議なことに何処か、あの監視カメラの画像に残っていた三浦の笑顔に似てもいた。狂って殺人鬼に変わった三浦和希、それと目の前の彼女の笑顔が似ていると思うのは何故だろうか。
「上原……。」
「だから全部捨てて逃げたのよ。杏奈を捨てたの。」
吐き捨てるように呟く彼女は、今も癒えることなく酷く傷ついているのだと俺には感じた。深く傷ついて自分からも逃げるしかなくなった彼女は、どうしてここに戻って来る気持ちになれたのだろう。ここにいたら彼女にとって捨てた筈の上原杏奈を引き戻す存在は、自分や母親を含めて幾つもある筈だ。
それとも逃げたくても逃げられない理由があるのか?上原。
歩み寄って手を伸ばした上原はまるで泣き出してしまいそうに見えて、思わず抱き締めていた。小学生の低学年くらいには何も考えず戯れて、彼女の事を抱き締めた事はあった。でも、歳を重ねる内に二人の間は開いてこんな風に彼女に触れた記憶はなく、思っているよりもずっと小柄で華奢な肩が腕の中に収まる。こんなに彼女が小さいなんて思わなかった。
「……なに、よ?」
困惑に震える声に幼い時の彼女が重なり、俺は心の中で繰り返す。探したんだ、十年前も今回も、何とか見つけ出したいと願って。あの時俺は杏奈が何に苦しんでいたのか気がつけなかったし、杏奈がどうして姿を消さなきゃいけなかったのかも分からなかった。同時にどうして俺には話してくれなかったのだろうと考えもしたけれど、今の彼女の言葉で何となく理由が分かった気がする。
話したくても話せない事だったんじゃないか?杏奈
誰かが気がついて助けなきゃ自分独りでは逃げられないような事態。そんなものがなんなのかは俺には分からないが、そんな苦悩に上原は限界まで独りで立ち向かっていたのではないかと感じていた。そうして傷つき過ぎて上原はこんな風に悲しく歪に笑って自分から逃げるしかなくなってしまう。親にも相談できなかったのは親の方も上手くいってなくて、相談できなかったのかもしれない。
「心配してた。」
あれからずっと心配していたんだ。だから、今回こそは何とか探し出そうとしたのに、どうしても俺は上手く出来ない。それは十年前も同じことで、きっと上原を酷く失望させたのに違いない。上原が何に苦しんでいるのかも分からないから、何処に居るのかも察することの出来ない男だったのだ。
「あっそ。」
それを肯定するような彼女の声に、思わず自分でも情けなくなる。それでも自分は確かに上原杏奈の事が好きで、ずっと大切に思っていた。今でも心の何処かはそれが変わらずに残っているのに、彼女にして見たら失望した自分は過去の存在なのかもしれない。
「……俺は、そんなに…………。」
頼りない男なんだろうかと情けない事に彼女に向かって問いかけそうになった自分を、上原が察して慌てたように突き放す。彼女は無言で俯いたまま立ち上がり、ベンチに触れていたスカートを音をたてて払う。そうして彼女は抱き締められていたのを忘れようとするみたいに立ち上がると、俺の事など一瞬で忘れたみたいに自分の横をすり抜け颯爽と歩き出していた。
※※※
「………何やってんの?そこで追いかけないのかよ、普通。お前もヘタレか。」
あからさまに呆れたような声で言われて、思わず言葉に詰まる。あの時どうするのが正しいのか分からなかった、というのが俺の本音なのだが。確かに追いかけずに歩み去り人混みに紛れていく上原の後ろ姿を、立ち尽くしたまま見送った自分がどうかしていたとは思う。あんなに探していた筈なのに見つけた途端怖じ気付いてしまったのは、指摘されなくても事実で呆れられても仕方がない。しかし、何で自分は態々こいつに電話を掛けてしまったのか、しかも何故こいつに馬鹿正直に全部話しているのか今でも分からない。
「しかも、折角見つけてて連絡先も聞かなかったのか?ヘタレ。」
「う……。」
唐突に呼び出した割には直ぐ出てきて俺は今日体調も機嫌も悪いと最初に告げた鳥飼信哉は、当人が言った通りの不機嫌でとんでもなく口が悪い。それでも何でか自分の話には付き合ってくれて、上原が見つかった行には良かったじゃないかと口にしたのに、その先を話した途端即ヘタレ呼ばわりだ。しかも誰か他にもヘタレ呼ばわりしている奴がいるらしく『も』と言われている始末。年末の居酒屋の中は金曜の賑やかさに溢れているのに、なんとも情けない限りだ。
「追いかけて抱き締めるくらいしろよ、まだ好きだから気にしてんだろ?風間。」
グラスを空けながら無造作にそう言われて、一瞬戸惑う自分がいる。上原の事が好きなのかと聞かれれば、恐らくそうなのだとは思う。上原が姿を消してから恋なんかしたこともないし、ずっと心に残っていたのは事実だ。それでもあんな風に言われて、今から挽回なんて方法は何か残されているのだろうか。そういうと目下実は文筆業を生業にしているという感性なのか、信哉は呆れたように挽回とか言ってんじゃねぇよと口にする。
「新しく関係を構築するんだよ。一回駄目になってんだろ?」
「お前、………本当に口悪いよな。」
「口も悪くなるだろ、俺の初恋は小学一年の時の上原杏奈だ。」
え?!と思わず相手の顔を見返すと、因みに土志田悌順も同じだからなと唐突に信哉が言い出す。確かに自分と上原だけでなく、鳥飼たちも小学生から高校までずっと同じ学校に通い続けていたが、そんな話は聞いたことがなかった。告白はしたのかと聞くと、信哉はあのなぁと呆れたように俺の事を眺める。
「あんなに始終お前達くっついてて、告白なんて出来るか?即効で失恋したって二人とも気がついたに決まってるだろ?」
「そ、そうなのか……。」
「お前、トコトン鈍感だったもんなぁ……。」
呆れたように言われた上に毎年バレンタイン貰ってて高二まで気がつかないなんてと迄扱き下ろされる。そういう信哉だって何度も告白されていたのに彼女もいなかった癖にと言い返してやると、そんなこともないと突然遠い目をするのに驚く。それにしても不機嫌の理由はなんだと問いかけると、渋い顔で親絡みだよと苦々しく呟いた。実は信哉の母親はシングルマザーで彼を育てて、高校の辺りに交通事故で亡くなっている。既に十年も経っているのに今さら振り回されるとは、十年一昔なんて言葉は甘いのかもしれない。
「まったくな、ここにきてこんな騒動なんてお袋も吃驚する。」
思わず口にした言葉に、眉を潜める。確か喧嘩の時に同級生に妾呼ばわりされてキレていた様子だったから、もしかしたら母親ではなく父親の関係でも絡んだのかというと刑事の勘か?と彼は笑う。
「まあ、そんなもんだけど。フリージャーナリストなんて名目で彷徨かれて、雪まで巻き込まれてんだよ。」
酔いのせいか少し不貞腐れているように口にした雪とは同級生の一人の宮井智雪のことで、高校の時は自分は生徒会でしばしば会話する事も多かった奴だ。懐かしい名前に宮井もまだここら辺に住んでるのかと問いかけると、信哉は直ぐそこに住んでるし夕方にも会ったのだと言う。それにしてもフリージャーナリストとは、最近何処かで聞いた気がして俺は思わず首を傾げた。何処でだったか……ああ、そうだ、外崎が言った妙に印象に残る名前で得体がしれないって女
「……竜胆貴理子。」
「あ?何だよ?知ってるのか?」
思わず溢れ落ちた名前に予想外の反応が帰ってきて、俺は目を丸くする。こっちでも得体の知れないと情報が入った女が、何故か同級生の身辺を調べ歩いているのだと聞かされたのだ。何を調べてる女なのか問いかけると信哉の方は、逆に困った様子で渋々と少しだけ話してくれる。
竜胆貴理子は元は政治・経済の汚職関係に強いジャーナリストらしいが、目下の調査は失踪事件で合気道関係者を調べているのだと言う。そう言われれば信哉は合気道を習っていたから納得だが、それにしても失踪事件?警察は実際には、事件性がなければ公に捜査は行わない。もし失踪者が家出と考えられてしまえば、情報はデータベースで共有してパトロール中に似たような背格好の人物には職務質問くらいはする。だが、実はただの行方不明では、捜査はしていないのだ。それに誘拐でもなければ、捜査一課に迄情報は回らないから騒ぎにすらならない。
「そうなのか?」
「ああ、捜索願いが出てても、本当はそんなもんだ。」
捜索願い=捜索じゃないと言ったら信哉は驚いた風だ。というのも家出人は、大概職務質問で見つかることが多いのだ。家出をする理由があっても帰りたがっているということは多々あって、そういうタイプの家出人は挙動不審なことが多い。そう考えると上原はそうではなく本気で失踪したのだと分かるが、同時に親が捜索願いを出さなかったと言う可能性にも気がついた。あの辺り自分はものを知らずに警察に訴えに行ったが、上原の母親はどうだったろう。基本データベースに上がった人間が失踪宣告できるようになるのは、失踪後七年だ。ただ上原に関しては母親と時折連絡はとっているから、宣告は恐らくうけられない。それなのに上原はあえてこの街にいる理由はなんだろう。何か目的があるのだろうか。
「おい、顔が刑事だ。」
「あ、悪い。つい考えてしまって。」
「失踪の件は兎も角、あんまり絡んでくるものだから雪がキレ気味なんだよ。中々しつこくて執念深いしな。」
竜胆貴理子。
芸名みたいな名前だなと呟くと信哉は苦笑いしながら、芸名かもなと何気なく呟く。それにしても失踪に関して調べるジャーナリストとは、何か別なニュースソースがありそうな気がする。予想外の場所から情報が舞い込んできている気がしなくもないが、外崎がまたなにかつかんではいないか聞いてみるのも手かもしれないと俺は頭の中で考えていた。正直そう考えることで、実は上原のことから逃げ出そうとしていたのかもしれない。
独りでいる上原は酷く心細そうに見えた。
駅前の和やかで賑やかなクリスマスイルミネーションを見上げる訳でもなく、ただ心細げに辺りを過ぎ去る人々の足元だけを眺めている。そんな姿を見つけて放っておけるはずがなかった。足早に人混みを掻き分け歩み寄り、彼女に向かって声をあげる。
「上原。」
そう声をかけても暫く彼女は、視線をあげようともしなかった。ザッと見た限りでは以前と何処も変わったようには見えないし、何処かに行っていたような荷物も傍にない。もしかしたら探し出せなかっただけで、ずっとここいらに居たのかもしれないとすら正直感じる。ところがフッと視線を上げた彼女が酷く暗く淀んだ瞳をしていたのに、俺は驚き思わず目を丸くしていた。
「久しぶり。」
何処も変わってなくなんかなかった、彼女は何処か酷く傷ついて立ち直れないでいる。そんな風に感じる目で自分を上目遣いに見つめる上原は、いつもと違い能面のように表情が浮かばない。表面を取り繕うような彼女の言葉に思わず、俺は何時もの詰問するような口調で話しかけてしまう。
「探してたんだ、何処にいたんだ?上原。」
自分の口調にまるで傷つけられるみたいに、彼女は更に瞳を陰らせて低く囁くように呟く。
「私、あんたと付き合ってた時、他の男と寝てたわ。」
嘘ではない。言葉の色が見えるような暗く淀んだ言葉には、それを望んでいた訳ではないという感情が滲んでいる気がした。ああ、やっぱりと心が呟くのが分かる。自分の知らないところで上原にはやっぱり何かが起きていて、上原は自分にそれを俺には隠していたのだと思った。そう感じた瞬間上原のこの暗い瞳は今のものではなくて、十年も彼女が独りで抱えてきたのだと突きつけられた気がした。
辺りの幸せそうな恋人達とは正反対の苦悩に満ちた懺悔のような声で、上原はクリスマス一色の街中で口を開く。
「全然気がつかなかったでしょ?」
確かに自分は上原が姿を消すまで、それどころか今になってはっきり知るまで、その可能性について深く考えようとしなかった。あの頃は自分が子供過ぎたせいか上原が何を考えていたのか知ろうともしていなかったし、知っていると過信もしていたのだ。幼馴染みでよく知っていると思い込んでいて、上原の苦悩が目に入っても気がつかなかった。遠距離になると言った時のあの奇妙な空気が、その破片だと気がついていたら今の二人は違っただろうか。
「あんたはそのまま遠くに行くし、隠してるの面倒で嫌になったの。」
不意に悲しく寂しい歪んだ笑いが、その頬に浮かんだのが分かる。同時にそれは不思議なことに何処か、あの監視カメラの画像に残っていた三浦の笑顔に似てもいた。狂って殺人鬼に変わった三浦和希、それと目の前の彼女の笑顔が似ていると思うのは何故だろうか。
「上原……。」
「だから全部捨てて逃げたのよ。杏奈を捨てたの。」
吐き捨てるように呟く彼女は、今も癒えることなく酷く傷ついているのだと俺には感じた。深く傷ついて自分からも逃げるしかなくなった彼女は、どうしてここに戻って来る気持ちになれたのだろう。ここにいたら彼女にとって捨てた筈の上原杏奈を引き戻す存在は、自分や母親を含めて幾つもある筈だ。
それとも逃げたくても逃げられない理由があるのか?上原。
歩み寄って手を伸ばした上原はまるで泣き出してしまいそうに見えて、思わず抱き締めていた。小学生の低学年くらいには何も考えず戯れて、彼女の事を抱き締めた事はあった。でも、歳を重ねる内に二人の間は開いてこんな風に彼女に触れた記憶はなく、思っているよりもずっと小柄で華奢な肩が腕の中に収まる。こんなに彼女が小さいなんて思わなかった。
「……なに、よ?」
困惑に震える声に幼い時の彼女が重なり、俺は心の中で繰り返す。探したんだ、十年前も今回も、何とか見つけ出したいと願って。あの時俺は杏奈が何に苦しんでいたのか気がつけなかったし、杏奈がどうして姿を消さなきゃいけなかったのかも分からなかった。同時にどうして俺には話してくれなかったのだろうと考えもしたけれど、今の彼女の言葉で何となく理由が分かった気がする。
話したくても話せない事だったんじゃないか?杏奈
誰かが気がついて助けなきゃ自分独りでは逃げられないような事態。そんなものがなんなのかは俺には分からないが、そんな苦悩に上原は限界まで独りで立ち向かっていたのではないかと感じていた。そうして傷つき過ぎて上原はこんな風に悲しく歪に笑って自分から逃げるしかなくなってしまう。親にも相談できなかったのは親の方も上手くいってなくて、相談できなかったのかもしれない。
「心配してた。」
あれからずっと心配していたんだ。だから、今回こそは何とか探し出そうとしたのに、どうしても俺は上手く出来ない。それは十年前も同じことで、きっと上原を酷く失望させたのに違いない。上原が何に苦しんでいるのかも分からないから、何処に居るのかも察することの出来ない男だったのだ。
「あっそ。」
それを肯定するような彼女の声に、思わず自分でも情けなくなる。それでも自分は確かに上原杏奈の事が好きで、ずっと大切に思っていた。今でも心の何処かはそれが変わらずに残っているのに、彼女にして見たら失望した自分は過去の存在なのかもしれない。
「……俺は、そんなに…………。」
頼りない男なんだろうかと情けない事に彼女に向かって問いかけそうになった自分を、上原が察して慌てたように突き放す。彼女は無言で俯いたまま立ち上がり、ベンチに触れていたスカートを音をたてて払う。そうして彼女は抱き締められていたのを忘れようとするみたいに立ち上がると、俺の事など一瞬で忘れたみたいに自分の横をすり抜け颯爽と歩き出していた。
※※※
「………何やってんの?そこで追いかけないのかよ、普通。お前もヘタレか。」
あからさまに呆れたような声で言われて、思わず言葉に詰まる。あの時どうするのが正しいのか分からなかった、というのが俺の本音なのだが。確かに追いかけずに歩み去り人混みに紛れていく上原の後ろ姿を、立ち尽くしたまま見送った自分がどうかしていたとは思う。あんなに探していた筈なのに見つけた途端怖じ気付いてしまったのは、指摘されなくても事実で呆れられても仕方がない。しかし、何で自分は態々こいつに電話を掛けてしまったのか、しかも何故こいつに馬鹿正直に全部話しているのか今でも分からない。
「しかも、折角見つけてて連絡先も聞かなかったのか?ヘタレ。」
「う……。」
唐突に呼び出した割には直ぐ出てきて俺は今日体調も機嫌も悪いと最初に告げた鳥飼信哉は、当人が言った通りの不機嫌でとんでもなく口が悪い。それでも何でか自分の話には付き合ってくれて、上原が見つかった行には良かったじゃないかと口にしたのに、その先を話した途端即ヘタレ呼ばわりだ。しかも誰か他にもヘタレ呼ばわりしている奴がいるらしく『も』と言われている始末。年末の居酒屋の中は金曜の賑やかさに溢れているのに、なんとも情けない限りだ。
「追いかけて抱き締めるくらいしろよ、まだ好きだから気にしてんだろ?風間。」
グラスを空けながら無造作にそう言われて、一瞬戸惑う自分がいる。上原の事が好きなのかと聞かれれば、恐らくそうなのだとは思う。上原が姿を消してから恋なんかしたこともないし、ずっと心に残っていたのは事実だ。それでもあんな風に言われて、今から挽回なんて方法は何か残されているのだろうか。そういうと目下実は文筆業を生業にしているという感性なのか、信哉は呆れたように挽回とか言ってんじゃねぇよと口にする。
「新しく関係を構築するんだよ。一回駄目になってんだろ?」
「お前、………本当に口悪いよな。」
「口も悪くなるだろ、俺の初恋は小学一年の時の上原杏奈だ。」
え?!と思わず相手の顔を見返すと、因みに土志田悌順も同じだからなと唐突に信哉が言い出す。確かに自分と上原だけでなく、鳥飼たちも小学生から高校までずっと同じ学校に通い続けていたが、そんな話は聞いたことがなかった。告白はしたのかと聞くと、信哉はあのなぁと呆れたように俺の事を眺める。
「あんなに始終お前達くっついてて、告白なんて出来るか?即効で失恋したって二人とも気がついたに決まってるだろ?」
「そ、そうなのか……。」
「お前、トコトン鈍感だったもんなぁ……。」
呆れたように言われた上に毎年バレンタイン貰ってて高二まで気がつかないなんてと迄扱き下ろされる。そういう信哉だって何度も告白されていたのに彼女もいなかった癖にと言い返してやると、そんなこともないと突然遠い目をするのに驚く。それにしても不機嫌の理由はなんだと問いかけると、渋い顔で親絡みだよと苦々しく呟いた。実は信哉の母親はシングルマザーで彼を育てて、高校の辺りに交通事故で亡くなっている。既に十年も経っているのに今さら振り回されるとは、十年一昔なんて言葉は甘いのかもしれない。
「まったくな、ここにきてこんな騒動なんてお袋も吃驚する。」
思わず口にした言葉に、眉を潜める。確か喧嘩の時に同級生に妾呼ばわりされてキレていた様子だったから、もしかしたら母親ではなく父親の関係でも絡んだのかというと刑事の勘か?と彼は笑う。
「まあ、そんなもんだけど。フリージャーナリストなんて名目で彷徨かれて、雪まで巻き込まれてんだよ。」
酔いのせいか少し不貞腐れているように口にした雪とは同級生の一人の宮井智雪のことで、高校の時は自分は生徒会でしばしば会話する事も多かった奴だ。懐かしい名前に宮井もまだここら辺に住んでるのかと問いかけると、信哉は直ぐそこに住んでるし夕方にも会ったのだと言う。それにしてもフリージャーナリストとは、最近何処かで聞いた気がして俺は思わず首を傾げた。何処でだったか……ああ、そうだ、外崎が言った妙に印象に残る名前で得体がしれないって女
「……竜胆貴理子。」
「あ?何だよ?知ってるのか?」
思わず溢れ落ちた名前に予想外の反応が帰ってきて、俺は目を丸くする。こっちでも得体の知れないと情報が入った女が、何故か同級生の身辺を調べ歩いているのだと聞かされたのだ。何を調べてる女なのか問いかけると信哉の方は、逆に困った様子で渋々と少しだけ話してくれる。
竜胆貴理子は元は政治・経済の汚職関係に強いジャーナリストらしいが、目下の調査は失踪事件で合気道関係者を調べているのだと言う。そう言われれば信哉は合気道を習っていたから納得だが、それにしても失踪事件?警察は実際には、事件性がなければ公に捜査は行わない。もし失踪者が家出と考えられてしまえば、情報はデータベースで共有してパトロール中に似たような背格好の人物には職務質問くらいはする。だが、実はただの行方不明では、捜査はしていないのだ。それに誘拐でもなければ、捜査一課に迄情報は回らないから騒ぎにすらならない。
「そうなのか?」
「ああ、捜索願いが出てても、本当はそんなもんだ。」
捜索願い=捜索じゃないと言ったら信哉は驚いた風だ。というのも家出人は、大概職務質問で見つかることが多いのだ。家出をする理由があっても帰りたがっているということは多々あって、そういうタイプの家出人は挙動不審なことが多い。そう考えると上原はそうではなく本気で失踪したのだと分かるが、同時に親が捜索願いを出さなかったと言う可能性にも気がついた。あの辺り自分はものを知らずに警察に訴えに行ったが、上原の母親はどうだったろう。基本データベースに上がった人間が失踪宣告できるようになるのは、失踪後七年だ。ただ上原に関しては母親と時折連絡はとっているから、宣告は恐らくうけられない。それなのに上原はあえてこの街にいる理由はなんだろう。何か目的があるのだろうか。
「おい、顔が刑事だ。」
「あ、悪い。つい考えてしまって。」
「失踪の件は兎も角、あんまり絡んでくるものだから雪がキレ気味なんだよ。中々しつこくて執念深いしな。」
竜胆貴理子。
芸名みたいな名前だなと呟くと信哉は苦笑いしながら、芸名かもなと何気なく呟く。それにしても失踪に関して調べるジャーナリストとは、何か別なニュースソースがありそうな気がする。予想外の場所から情報が舞い込んできている気がしなくもないが、外崎がまたなにかつかんではいないか聞いてみるのも手かもしれないと俺は頭の中で考えていた。正直そう考えることで、実は上原のことから逃げ出そうとしていたのかもしれない。
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