鵺の哭く刻

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そして新たな感染

169.

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あの嵐の夜からは恐らく数日程が経っていると思う。
思うというのは実はここでは正確な時間が一切分からないのと、時間を確認する手だてもないからだ。というのも今のクラハシアキコは病院とおぼしき施設の一室に隔離された状態で、室内の作り付けのベットの上に座っていた。それでも情報のないなかで病院とおぼしきとアキコが判断したのは、ここに閉じ込められてからどうやら本職の看護師と思われる女性が一度だけ採血に来たからだ。手技は辿々しいからそれほど経験が長くないか、基本的には病院の勤務をしたことがないか。でも免許をもっている看護師だと判断したのは、言葉の選択と部屋の出入りの時の手指衛生の方法が医療関係者だという証明をして見せたからだ。後はアキコ自身に対する手技を見ていれば、アキコ自身には問題がないのにここに何らかの理由で閉じ込められたということは分かる。

何を見てそう思う?

もう遥かに遠退いたシンドウリュウヘイの魂に問いかけられて素直に答えるのは、その看護師とおぼしき女性は一般的な不繊紙のマスクをかけてノーマルなゴム手袋だけで採血をしたからだ。アキコが何らかの理由で隔離されるとすれば、考えられるのは何かの病原菌くらいなものだろうが、アキコ自身は何の異変も身体に生じていないことから病原菌に晒されたキャリア疑いとなるだろう。少なくともアキコは余り広範囲に人と交流を持たないから、一番頭に浮かんだのはヤネオシュンイチを飲み込んだあの黒い汚泥。今までとは異質な汚泥が、例えば周囲の家の人間も襲いましたとなったら

…………SF映画の見すぎか?

煩いわよと思わず言い返してしまったが、考え付くのはその程度。兎も角もしそれが原因だとして、滓が人を襲っても、滓を主食にする人の皮を被った『鵺』は恐らくは何ともない筈だ。そうなると他の人間は倒れてもケロリとしたアキコが見つかったりするわけで。

それで隔離

魂だけなんだから、こういう時外を見てこれたらいいのになんて都合いい事を考えると、魂だけの男はまた映画の見すぎだと笑うばかり。とはいえここで一人隔離されているのは事実で、同時にここを病院とおぼしきと判断しているのは、医者の姿はまだ見ていないし同時に警察の類いの人間もまだ見ていないからだった。

理由も教えられてないしね。ここにいる理由。

アキコがいる場所は病室としてはかなり高級なもので、個室でバス・トイレ付き。ただ残念ながら窓は嵌め込みで扉には外側からしか開けられないように確りと鍵がかけられていて、女の力では突破は難しいのは目に見えている。空調完備、三食付き、ただし外部との連絡はとれないし、テレビや何か情報を得られるようなツールもない。そのせいでシュンイチがあれからどうなったのかは知らないし、ついでに言えばあの巨大な影と遭遇した直後に気絶したアキコは、あの金髪の青年がどうなったかも知らない。それを問いかけるにも看護師はつれない態度しかしていないわけで、心の中でリュウヘイとばかり喋っている有り様なのだ。

無事ならいいんだけど…………

カズキに似ているからか、あの青年も無事だといいと思う。それにあまり家を空けて不在にすると顔を見に来るかもしれないカズキが、自分のことを心配するだろうなと思いもする。しかもどうも気絶した後にもう一人助けてくれた青年がいたようなのだが、それに関しては断片の魂だけの男は言葉を濁して何が起こったのか分からないというばかり。結局新たなその人物ごと、アキコは確保されたと言うか拉致されたと言うか監禁されているというか。兎も角気がついた時にはここに一人で隔離されていて、看護師には何を聞いても後で先生から聞いてくださいの一点張り。そのくせその先生とやらは、まだ一度もここには姿を見せない矛盾。

困ったわね…………。

目を細めてアキコは溜め息をつきながら、壁越しに辺りを見渡していた。こんなことをしては駄目だとは理解するけれど、隔離されている理由も分からないまま大人しくしていろも無理な話だ。正直に言えばシュンイチとの暮らしのせいでアキコは物音には異様に過敏だし、看護師は割合動く気配が一定で数回廊下を歩くのを確認すれば大概の規模が分かる。喧騒や足音でこの周囲に病室がどの程度あるのかや患者がどの程度いるのかは、統計学的に判断出来てしまうのだ。
何故なら最初にも言ったがアキコは隔離されているが健康状態としては良好で、何かの感染症に潜伏されているにしては看護師の装備が何も無さすぎるから。マスクと手袋で無造作に採血に来る程度の人間には、マトモなら隔離室は使わないものだ。とはいえ無菌室ではなく鍵がしまっていても遮蔽しているわけでもないから定期的に足音は漏れ聞こえるから、暇な時間を費やして思案した結果は常駐の看護師は三名ほど、夜間は二人の三交代制、計一日七人が勤務している。おまけに言えば人工呼吸機のような治療器具を要するような患者はいないし、点滴や医療機器管理も行われていない。嵌め込みの窓からは住宅地は見えないし、看護師でない職種の人間も時折歩いているということだ。

おたく……凄いな

バカにしてる?と聞きたくなりもするが、足音の種類や病室の出入りの音を聞けば分かる。この周辺には人の出歩く病室はアキコの病室だけで、他の部屋には入る様子もないから病室として稼働させられているのはこの部屋だけなのだ。それなのにこの人数は他の棟か別な階も見ているからだし、そこに向かうスタッフは暫く帰ってこないのだから距離もあるようだ。そんなことしか考えることがないのにも困るが、この状況が余りよくないのは言うまでもない。自分を隔離して何も状況の説明がないのは、説明の必要がないからと考えている可能性が高いのだ。そして、それはつまり自分には分からないが、何らかの理由で自分は生かされているだけで、利用価値がなくなったら始末されるということではないのかとも思う。

例えば、自分と一緒に確保されたという人に対する人質とか?

馬鹿馬鹿しいし映画の見すぎかもしれないが、ここまで説明なしで隔離されているとなるとあり得ない最悪のケースも想定しておかないとと思う。そして同時にこんな風な思考過程はアキコがもっていたものではなくて、それこそリュウヘイの得意な分野だとも。



※※※



夢の中で何故か傍にリュウヘイがいる。おかしなことに自分に一度もしたことのない膝枕なんかをして、何度も優しい手付きで頭を撫でてリュウヘイが眠っている自分を見下ろして微笑む。そんなことあり得ないし夢だと分かっていて、アキコは目を明けることもしないで寝たふりを続けている。

このまま…………こうしていられたら…………

こんなことを思うのは初めてで、恐らくあの土蔵に入る前も入ってからも自分が生まれ落ちてから一度も感じたことのない感情だ。人間は誰しもこんな感情に振り回されて生きているなんて、なんて不思議な生き物だろうと今は思う。自分はたった一つこの感情を知っただけで、もう存在意義を失おうとしているのに、人間はこれよりももっと沢山の様々な感情に振り回されながら生きていくのだ。

なぁ起きてるだろ?

頭上からそっと問いかけられても、寝たふりのままなのはこのままずっとこうして撫でていて欲しいからで、夢の中で構わないからこうして傍にいたいから。だけどそれを口にして言葉にして彼に伝えるのも自分には無理だから、このままこうして過ごしたいだけ。

あのな、

そう知っていてリュウヘイが、耳元にそっと顔を近づけてきて囁くのが分かる。意地悪で人でなしだなと思うのは、そう言ったら自分がこのまま大人しくしていないのをリュウヘイは分かっていて言うからだ。もう残り少ない時間しか一緒にいられないのに、それを囁くリュウヘイが少し憎らしい。

好きだから…………

おんなじだよと言ってやりたいけれど、言おうとすれば

 

※※※



ふと夢から目覚めて何で覚めたかなと舌打ちしたくなったのはここだけの話で、アキコは無意識に目が覚めた途端に微かに聞こえた音声に耳を済ましていた。かなり遠い場所で何かの連絡を取り合う声に、更に連れだって何人かが歩きだす気配がする。リノリウムの床を踏むラバーの靴底、キュッキュッと足音が遠ざかり人の気配が途絶えていく。

呼び出された…………かな?

恐らくは全員。アキコの病室の扉には鍵がかかっていて頑丈な扉や窓から外に出ることは出来ないと今迄の状況からも判断は可能だから。つまりこの棟に一つの病室が脱出不能で何も起きないと分かっているのなら、ある程度の時間人がいなくても変化は起きない。なら呼び出しで全員がいなくなる時間が、あっても別段問題になりうるわけではない。それは想定できる範囲内のことだとは、立場が隔離されている側のアキコにもちゃんと分かる。

ところがそれから数時間。
あの呼び出しから、誰一人として戻ってこない。廊下を歩く人の気配がパタリと途絶えてから、大分時間が立つ理由がアキコにも流石に掴めないでいる。呼び出されたまま誰もあれから戻ってこないのは、ここが例えば放棄されたと見なすべきなのか?そうだとしたらアキコはこのままここで飢え死にするだけとなるのか?それでも放棄がありえたとして、放棄した場所にエアコンなどの空調はそのまま。放棄ならエアコンなどの空調だって真っ先に停止される可能性がありそうなのだが、それは変わらないまま稼働し続けているのだ。しかも空調だけでなく、室内の電気も同様。だけど、既にかなりの長さとおぼしき時間が、この周囲一体を含めて無人になっていると思われる。足音も話し声も、全く一つも戻ってこないシンと静まり返ったままの空間。それになおのこと耳を済まして考えてしまう。

何か、が………………起きてる。

それもかなりマトモではない何か。ここに監禁されて完全に自分が、巻き込まれてしまっている。そして、それは焦燥感に近い感覚で、アキコにこう執拗に囁きかけてくるのだ。

そろそろ……時が来る………………

何かがおころうとしていると思うとどうしても脳裏にヤネオシュンイチが、黒い靄にあっという間に飲まれていくのを思い出してしまう。アキコが自宅で一度死んだ時も、あんな風にアキコの体からは大量の滓が吹き出してしたのだろうか。だとしたらシュンイチも自分のように、…………ここまでの状況からシュンイチで言えば、件がシュンイチという人の皮を被ってシュンイチとして生きていくのだろうかと思わず考えてしまう。でも同時に背後から件を呑み込んだあの闇は別な巨大なものだったとも肌で感じてしまうから、アキコはボンヤリと窓の外の暗い空を眺めている。

ヤネオシュンイチは結局は…………死んだのかしら…………

ロクデナシで男としては最低だったがシュンイチを最初に自堕落な狂った人間に堕ちるのを引き留めず、結果としては手伝いみたいな行動を無意識にしてしまったアキコにも半分は責任があると今は思う。半分だけなのは残り半分は本人の意思やらの問題だからで、更に人間としては二人が離婚してから既に十年も経っていて、まだアキコは奴隷にしたりレイプしようとする精神はヤッパリどうかとは思うからだ。それでもあの時に気が付いたが、アキコと等しく体内に滓を溜め込み生きてきたということは何かを惹き付けながら生きていたということなのではないだろうか。それが何かは分からないが少なくともシュンイチの生き方を歪めるような何かなのだと思うのは、自分自身を鑑みての結論だ。

アキコのように…………何かを…………

そんなことを今更知ってもアキコにはシュンイチを助けようはないし、それをしてやるつもりもアキコにはないのは事実だ。それでも化け物に喰われて最後を迎えるのは流石に可哀想な気もする。あれに呑まれて中身が入れ替わって帰ってきたとして、当人の精神はあの死の淵にユルユルと沈んでいくんだろうかと思うとそれはそれで憐れだとも僅かにおもえるのだ。

せめて…………痛くなきゃいいけれど

そう考えて違うわねと、アキコは思わず自分に突っ込みたくなる。痛くなきゃ食われててもいいと言うわけてはないのだが、そんなことを暢気に考えてる場合ではなかった。ふと不意に空調に紛れて微かな血の臭いがした気がして、アキコは顔をあげて眉を潜める。何故なら看護師をしていると血の臭いや死の臭いというやつは身近にあるもので、思わずこんな風に過剰に反応するものなのだ。それが例え僅かでもほんの少しだけで、空調にのって流れてきただけでも気がついてしまうのだから嫌になる。
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