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87.
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自宅に遊びに来たコバヤカワとコイズミの二人に以前と何一つ変わらない様子で、愛想を振りまく夫である男の姿にアキコは無言のまま乾いた瞳を向けていた。既にアキコの顔の痣が殆ど分からないくらいに、治癒して消えていて良かったのか悪かったのかアキコには分からない。しかも外に向ける表情は今までと一つも変わらないのに、どうして自分に向ける顔や行動は昔に戻るどところではなく完全に歪んでしまったのだろう。そう思いながら、その様子を冷え冷えとした感情の感じられない凍ってしまった瞳で見つめている。あれからお前が言うことを聞けば何も痛め付けないとシュンイチは何度も事あるごとに言うのに、アキコの体が反応しない・アソコが濡れない、目付きが気に入らないと数えきれない程に蹴られ殴られていた。しかも逃げようとアキコが心の中で僅かでも考えると、何故かシュンイチはそれを空気からなのか察してしまう。必ず逃げる場所なんか無いんだぞと囁きながら、アキコを縛り上げて執拗に動けなくなるまで犯し痛め付ける。
こんな風に犯されて喜ぶ府設楽な雌犬が何処に行けると思ってるんだ?
ケツまでマンコにして、ヒイヒイよがりまくる変態の癖に。
気持ちよくないと叫びたくてもそんな時に限っては体内の蛇が嘲笑うように、アキコの身体を狂わせて精液に酔わされる。そうなるとアキコには、シュンイチのその言葉を肯定するしかできなくなってしまう。淫らなに膣と尻の穴をほじくって下さいと懇願しながら犯されて、鞭でぶたれたり穴に玩具を嵌めて喘ぐ様を動画に撮られもしている。
嵌め録りがそんなに良かったら、ホームレスにまわさせるぞ?!雌豚!
それだけは許してくださいと、シュンイチの逸物を舐めさせてください、いれてくださいと懇願する自分の動画を一体何に使うのかアキコには全く想像も出来ない。たった一つの対になった指輪・たった一つの書類が、全てに雁字搦めの鎖のように絡み付いてアキコを縛りつけ逃げ出す事すら許しもしない呪縛のようだ。でももしそれがなかったとしても、アキコには帰る場所がもうない。親の思いを踏みにじった悪い娘には帰る場所がないのだとアキコは暗く沈んだ瞳で考える。狂い始めた二人の関係を誰かに明らかにするには、余りにも自分はおぞましいものに虜まれ過ぎていて逃げ道がもう既に見えないし分からない。
「…………アキ?」
無表情で動かないままでいたアキコにかけられた言葉は訝しげに空気に響き、早くアキコが察して動く事を強要していた。もう今ではその声の影にある妻らしい動きを、言われなくても早くしろと言うシュンイチの命令が透かして見える。もう言われなくとも、そう空気でいいつけられている気すらするし、概ねそれは間違いではないのだ。アキコが無言で立ち上がり音もなくキッチンに立とうとすると、コバヤカワケイがにこやかに微笑みながら歩み寄った。
「ねぇさん、お茶なら俺が入れてもいいかな?」
「コバ、いいからアキが……。」
「俺コーヒー薄めがいいから自分で好きな濃さに入れさせて貰うよ。ねぇさん、座ってなよ。」
アキコを手伝おうとするコバヤカワを無理やり言葉で引きとめようとしたシュンイチは、そうできないことに更に苛立ちを感じたような表情を微かに浮かべる。その表情にアキコはこの後彼らが帰った後に、またシュンイチからお仕置きされるのだと思うと言いようもなく気が滅入った。
勿論痛いことは嫌だが、またこの間のように得体の知れない薬を使われるかもしれない。後でこっそり彼のパソコンの履歴からそれが《ずいき》と呼ばれるものを加工したのだと知ったが、随分な仕打ちじゃないか。山芋のようなものを直接洗えない場所の奥底にたっぷり塗られたのだ。もし、爛れてなおらなかったらどうする気なのかと思うが、きっとシュンイチはどうする気もないのだ。偽善者のように心配するふりをして、可哀想にと取り繕うだけに違いない。もう、すっかり何か起きた時に彼がどういう行動に出るのかすら目に見えるような気がする。アキコの暗澹たる思いに気がついたかのようにコバヤカワはシュンイチを振り返ると、何も気がつかなかったかのように明るい声をかけた。
「ヤネちゃん、この後さぁカラオケでも行かない?」
「そうだ、久々に一緒に行こうよ、ヤネちゃん。」
二人の言葉に満更でもない表情にその男の表情が明らかに変わったのを見て、アキコは内心ホッとすらしていた。幾ばくかの時間でもアキコを忘れて家からいなくなってくれる時間ができれば、アキコ自身にも心に余裕ができる。例えそれがほんの僅かな時間の出来事であってもだ。
「…………ねぇさん、大丈夫?」
自分の表情がそこまで分かりやすかったのだろうか、一緒に来訪していたコイズミまで心配げに声をかけられてアキコは隠しきれずに弱く小さな微笑を浮かべて大丈夫とだけ呟いた。
※※※
やはり一人で帰さなければ良かったんじゃとあの時マンションから帰途を辿りながらコバヤカワケイは一人で考えていたのだった。初めて会った時からアキコは見た目と違って理知的で勘のいい女性だったと、ケイは思っていて、それに関しては友人のコイズミもハルカワも同意している。
頭がいい人だから、うまくやれるのかもな。
そうコイズミが言うのは元々ヤネオシュンイチは男同士の友人関係には問題はないが、女性に関しては一つではなく多々問題を抱えていたからだった。何故かシュンイチは女性を恋人にすると、突然粗暴になるし支配的に変わる、しかも異常に独占欲も強い。何か気に入らないと暴力を振るうし、それは次第に気に入るとかいらないとかすら関係なくなるのに、本人がまるで気がついていないのだ。
確かにアキコが現れる直前に付き合っていた後輩が家に忍び込んでいたというのは、ハルカワから聞いて驚きもしたがあの後その理由を聞き出したらコイズミもケイもその理由に納得してしまった。
だって…………ハメ撮りとかされてたから…………消したかったの…………
そうなのだ。確かに彼女は密かにシュンイチのアパートに忍び込みはしたのだが、既にあの時にはシュンイチの粗暴さについていけなくなりつつあってシュンイチと分かれるためにあの部屋に忍び込んだのだった。彼女はシュンイチとのセックス写真を何枚か撮られていて、それを消すために何度かあの部屋に忍び込んだのだし、見つかったあの時やっと全て抹消したところだったのだと密かに話したのだ。
それ以外にも何度シュンイチの元彼女から夜に泣きながら電話を受けたか。それを本人だけが知らないのは今更だけど間違ってたとケイは思う。ちゃんとその都度突き詰めて話し合えばよかったのに、女の子の怯えた様子からケイもコイズミも、ハルカワですらシュンイチには何も言わないことの方が多かった。
そしてあの時タガアキコという人が、シュンイチの傍にやって来てしまったのだ。
今までになく大人しく穏やかなで我慢強い女性。彼女は三人の誰にも泣き言も言わなかったし、恐らく何度も粗暴になっているシュンイチとの関係を上手くやり過ごしているのだとケイもコイズミも最初は思った。だけど腰を痛めたシュンイチを抱えていってアキコの体の痣を見た時に、本当はシュンイチを是が非でも問い詰めておけばよかったのだ。
幾ら大人しくて我慢強い人でも女性は女性なんだから、暴力を振るわれて口止めされていたら?
大体にしてシュンイチの行動がドンドンおかしくなっているのは分かっていた。アキコだって仕事をしているのに真夜中にシュンイチの仕事の送り迎えをして同僚まで送っていると聞いた時、アキコが何時休むの?とシュンイチに思わず聞いたらシュンイチは当然のように何いってるんだと眉を潜めたのだ。
「何言ってんだよ?送り迎えだぞ?」
「え?いや、だってさ、ヤネちゃん、ねぇさんだって看護師の仕事してるじゃん。そんな毎日真夜中に送り迎えって何時寝るの?明日休みなの?」
ハルカワを一時間も離れた駅まで送っていったと以前聞いた時、シュンイチの勤め先からハルカワの最寄り駅を経由して家までの往復を考えたら真夜中に四時間近くも車の運転をすることになるのに気がついた。それを真夜中にして、他の家事もして看護師の仕事もしていたら、アキコには殆ど身体を休める時間なんてないのではと気がつく。一緒に住んでいないケイですらそんなこと簡単に分かるのに、一緒に暮らしているシュンイチはまるでそれに気がついていないのだ。
「気にしなくていい。アキはやりたくてやってんだから。」
その答えはまるで噛み合わないし、結局アキコは深夜の三時過ぎに他の友人も乗せて車でそいつらの最寄り駅まで送り届け、自分を乗せてくれて家の前で下ろすとそれから自宅に戻っていった。アキコのか顔色は夜の闇と街灯で白を通り越して青白くすら見えていて、ケイはその横顔に不安を感じもする。ところがその日の夕方アキコが、駅前をヨロヨロしながら歩いて帰ったのをケイはみつけてしまう。どう見ても仕事を終えて疲れきっているその姿にケイは呆気にとられ、コイズミにそれを告げていた。
「ヤネちゃん、…………ねぇさんのこと大事にしてなくない……?コイズミ。」
「…………俺もそんな気がする。」
次第に窶れて痩せ細り、それでも彼女はヤネオのために色々と手を尽くしていたのに、唐突にヤネオシュンイチは仕事を辞めて引きこもった。しかもただ引きこもったのとは違って、シュンイチはゲーセンをはしごしたり遊ぶことには以前よりも行動的ですらあって状況を知らないハルカワは大分それに付き合っていた様だ。
そしてあの日自分の目の前で泣き出したアキコをそのまま帰してしまったのを、コバヤカワケイは酷く後悔していた。あれからほんの数日しか立っていない筈なのに、シュンイチの隣で顔を見せたアキコの顔は何処か色が自然でなく彼女らしくないファンデーションを塗り込んであるのだ。
※※※
アキコに一緒に来る事を一度強要したシュンイチをコバヤカワとコイズミは、無理矢理連れ出すようにして出掛けていってくれた。シュンイチを連れて行ってくれた二人に心の中で深く感謝しながら、アキコは家にやっと独りきりになる。
だが何をすることができるわけではない。
アキコにできるのはただ自分のストレスを何かに転嫁することだけだった。
今のアキコに出来たのは、過食嘔吐。
それがどれだけ自分の体を痛めつけると分かっていても、そうすることしかアキコには痛みをぶつける場所すら分からなくなり始めていたのだった。無造作にデリバリーのピザのチラシを広げ、電話を掛けて注文を始める。
「………の、Lサイズ1枚。サイドのチキンボックスとパスタの………、ラザニア一つ。あと紅茶1リットルを二本。あ、後デザートの……………。」
一人が食べる量とは思えない大量の注文に、相手は愛想よく次々と受け付けていく。家族で食べるとでも思ってかオススメ商品を紹介され、迷うことなく「じゃ、それも一つ」とアキコは無表情で答えを返す。それが来るまでは冷蔵庫を漁り、丸のままのレタスを片手にぼんやりとソファーに腰かけた。バリバリと片手でレタスをむしりとり、口に押し込み噛み砕き飲み込む。
これが美味しくてするわけでもない。
なにも考えずに手と口を動かしているだけ。
美味しいと思うなら吐く必要なんかない。
勿体ないし止めれば良いと思うけど、こうしていないと自分がドンドン崩れて行く。
いや、もうとっくに崩れているのかもしれないが。
チャイムがなって取り繕った笑顔で大量の品物を受け取りソファーに戻る。
無造作にピザの箱を開けて、紅茶の紙パックに長いストローをさしこみ音をたてて飲む。細かく噛みながらピザを一切れ飲み込みながら、次々と商品の蓋を開けていく。美味しいかどうか、食べたいかどうかなんて関係ない。ただ胃の中に詰め込まないと気がすまないだけなのだ。
なるべく吐きやすいようになんて本末転倒な事を考えながらと、こんなに食べる意味はあるのだろうかとは考えている。でも、食べないではいられないし、それを体内にとどめておくこともできない。つまりは、吐かないではいられない。何かを食べて吐き出さないといられないのだ。
こんなことに無駄な費用をかける自分はシュンイチと同じ愚か者だ。
そんなことを心のどこかで考えながら、異常な量の食べ物を口に押し込み続ける。
確かにアキコ一人で家計を支えることは不可能ではない。
だがこのままいくと、アキコになにかあった途端に全てが破綻する。余裕がない今の状況で、生活を続ける事ができなくなる不安が常に心にあるのが嫌だった。だからこそ、彼の有り余っていた有給を消化して正式に退職扱いになった直後に、アキコはシュンイチに職安に行く事をすすめた。しかし、それすらも彼は進んでしようとしない。終いにはアキコが一緒でなければ職安に行かないというその言動にアキコは唖然とした。子供のような筋のとおらない言動に戸惑い、男の心の中の構造すら図りかねていた。
ぐずぐずと文句をいい続ける彼にやっとのことで失業保険の手当ての手続きは自分でないとできないし、しないともらえないと宥め透かした時も、失業保険の存在すらも知らない風の彼に先のことなど何一つ考えていないことを思い知らされた。その上、ハローワーク職員から手当てを受けとるまでに期間がかかることを聞いた瞬間にシュンイチはキレたのだ。訳の分からない理論武装で、結局は自分は今すぐ金をもらうのが正しいと喚き散らした姿は、まさに頭のおかしい道化でしかなかった。止めようにとめられなかったのは止めた後のお仕置きが嫌だったからで、心の底では他人のふりをしてでも逃げて帰りたかった。結局は彼の言い分がとおるはずもなく、帰ってから無駄足を運ばせたとお仕置きをされたのだが、手続きをしなければ貰えないことは棚におかれるのだ。
無職で収入もない状況なのに歪な性衝動を満たす道具を次から次へと買い漁り、アキコを責めることに使う。しかもアキコが働いている間はゲームをするかネットでチャットをしているのはわかっていた。新しく女に会わないのは、彼に資金がないからだということも承知している。これ以上とめる気がないのは、止めるだけ自分が暴力で虐げられるからだ。そんな悪循環からそれでも逃げ出せなかったのは、心の中に無意識にかけられた鍵のかかった錠の着いた重い鎖のせいだったのかも知れない。
アキコはもう帰る場所がない、という重い呪詛の言葉。
本当なら逃げたかった。
ここから逃げ出して、家に帰りたかった。もう、このマンションを自分の家と認識していない自分にアキコ自身もとっくに気がついていた。
こんな風に犯されて喜ぶ府設楽な雌犬が何処に行けると思ってるんだ?
ケツまでマンコにして、ヒイヒイよがりまくる変態の癖に。
気持ちよくないと叫びたくてもそんな時に限っては体内の蛇が嘲笑うように、アキコの身体を狂わせて精液に酔わされる。そうなるとアキコには、シュンイチのその言葉を肯定するしかできなくなってしまう。淫らなに膣と尻の穴をほじくって下さいと懇願しながら犯されて、鞭でぶたれたり穴に玩具を嵌めて喘ぐ様を動画に撮られもしている。
嵌め録りがそんなに良かったら、ホームレスにまわさせるぞ?!雌豚!
それだけは許してくださいと、シュンイチの逸物を舐めさせてください、いれてくださいと懇願する自分の動画を一体何に使うのかアキコには全く想像も出来ない。たった一つの対になった指輪・たった一つの書類が、全てに雁字搦めの鎖のように絡み付いてアキコを縛りつけ逃げ出す事すら許しもしない呪縛のようだ。でももしそれがなかったとしても、アキコには帰る場所がもうない。親の思いを踏みにじった悪い娘には帰る場所がないのだとアキコは暗く沈んだ瞳で考える。狂い始めた二人の関係を誰かに明らかにするには、余りにも自分はおぞましいものに虜まれ過ぎていて逃げ道がもう既に見えないし分からない。
「…………アキ?」
無表情で動かないままでいたアキコにかけられた言葉は訝しげに空気に響き、早くアキコが察して動く事を強要していた。もう今ではその声の影にある妻らしい動きを、言われなくても早くしろと言うシュンイチの命令が透かして見える。もう言われなくとも、そう空気でいいつけられている気すらするし、概ねそれは間違いではないのだ。アキコが無言で立ち上がり音もなくキッチンに立とうとすると、コバヤカワケイがにこやかに微笑みながら歩み寄った。
「ねぇさん、お茶なら俺が入れてもいいかな?」
「コバ、いいからアキが……。」
「俺コーヒー薄めがいいから自分で好きな濃さに入れさせて貰うよ。ねぇさん、座ってなよ。」
アキコを手伝おうとするコバヤカワを無理やり言葉で引きとめようとしたシュンイチは、そうできないことに更に苛立ちを感じたような表情を微かに浮かべる。その表情にアキコはこの後彼らが帰った後に、またシュンイチからお仕置きされるのだと思うと言いようもなく気が滅入った。
勿論痛いことは嫌だが、またこの間のように得体の知れない薬を使われるかもしれない。後でこっそり彼のパソコンの履歴からそれが《ずいき》と呼ばれるものを加工したのだと知ったが、随分な仕打ちじゃないか。山芋のようなものを直接洗えない場所の奥底にたっぷり塗られたのだ。もし、爛れてなおらなかったらどうする気なのかと思うが、きっとシュンイチはどうする気もないのだ。偽善者のように心配するふりをして、可哀想にと取り繕うだけに違いない。もう、すっかり何か起きた時に彼がどういう行動に出るのかすら目に見えるような気がする。アキコの暗澹たる思いに気がついたかのようにコバヤカワはシュンイチを振り返ると、何も気がつかなかったかのように明るい声をかけた。
「ヤネちゃん、この後さぁカラオケでも行かない?」
「そうだ、久々に一緒に行こうよ、ヤネちゃん。」
二人の言葉に満更でもない表情にその男の表情が明らかに変わったのを見て、アキコは内心ホッとすらしていた。幾ばくかの時間でもアキコを忘れて家からいなくなってくれる時間ができれば、アキコ自身にも心に余裕ができる。例えそれがほんの僅かな時間の出来事であってもだ。
「…………ねぇさん、大丈夫?」
自分の表情がそこまで分かりやすかったのだろうか、一緒に来訪していたコイズミまで心配げに声をかけられてアキコは隠しきれずに弱く小さな微笑を浮かべて大丈夫とだけ呟いた。
※※※
やはり一人で帰さなければ良かったんじゃとあの時マンションから帰途を辿りながらコバヤカワケイは一人で考えていたのだった。初めて会った時からアキコは見た目と違って理知的で勘のいい女性だったと、ケイは思っていて、それに関しては友人のコイズミもハルカワも同意している。
頭がいい人だから、うまくやれるのかもな。
そうコイズミが言うのは元々ヤネオシュンイチは男同士の友人関係には問題はないが、女性に関しては一つではなく多々問題を抱えていたからだった。何故かシュンイチは女性を恋人にすると、突然粗暴になるし支配的に変わる、しかも異常に独占欲も強い。何か気に入らないと暴力を振るうし、それは次第に気に入るとかいらないとかすら関係なくなるのに、本人がまるで気がついていないのだ。
確かにアキコが現れる直前に付き合っていた後輩が家に忍び込んでいたというのは、ハルカワから聞いて驚きもしたがあの後その理由を聞き出したらコイズミもケイもその理由に納得してしまった。
だって…………ハメ撮りとかされてたから…………消したかったの…………
そうなのだ。確かに彼女は密かにシュンイチのアパートに忍び込みはしたのだが、既にあの時にはシュンイチの粗暴さについていけなくなりつつあってシュンイチと分かれるためにあの部屋に忍び込んだのだった。彼女はシュンイチとのセックス写真を何枚か撮られていて、それを消すために何度かあの部屋に忍び込んだのだし、見つかったあの時やっと全て抹消したところだったのだと密かに話したのだ。
それ以外にも何度シュンイチの元彼女から夜に泣きながら電話を受けたか。それを本人だけが知らないのは今更だけど間違ってたとケイは思う。ちゃんとその都度突き詰めて話し合えばよかったのに、女の子の怯えた様子からケイもコイズミも、ハルカワですらシュンイチには何も言わないことの方が多かった。
そしてあの時タガアキコという人が、シュンイチの傍にやって来てしまったのだ。
今までになく大人しく穏やかなで我慢強い女性。彼女は三人の誰にも泣き言も言わなかったし、恐らく何度も粗暴になっているシュンイチとの関係を上手くやり過ごしているのだとケイもコイズミも最初は思った。だけど腰を痛めたシュンイチを抱えていってアキコの体の痣を見た時に、本当はシュンイチを是が非でも問い詰めておけばよかったのだ。
幾ら大人しくて我慢強い人でも女性は女性なんだから、暴力を振るわれて口止めされていたら?
大体にしてシュンイチの行動がドンドンおかしくなっているのは分かっていた。アキコだって仕事をしているのに真夜中にシュンイチの仕事の送り迎えをして同僚まで送っていると聞いた時、アキコが何時休むの?とシュンイチに思わず聞いたらシュンイチは当然のように何いってるんだと眉を潜めたのだ。
「何言ってんだよ?送り迎えだぞ?」
「え?いや、だってさ、ヤネちゃん、ねぇさんだって看護師の仕事してるじゃん。そんな毎日真夜中に送り迎えって何時寝るの?明日休みなの?」
ハルカワを一時間も離れた駅まで送っていったと以前聞いた時、シュンイチの勤め先からハルカワの最寄り駅を経由して家までの往復を考えたら真夜中に四時間近くも車の運転をすることになるのに気がついた。それを真夜中にして、他の家事もして看護師の仕事もしていたら、アキコには殆ど身体を休める時間なんてないのではと気がつく。一緒に住んでいないケイですらそんなこと簡単に分かるのに、一緒に暮らしているシュンイチはまるでそれに気がついていないのだ。
「気にしなくていい。アキはやりたくてやってんだから。」
その答えはまるで噛み合わないし、結局アキコは深夜の三時過ぎに他の友人も乗せて車でそいつらの最寄り駅まで送り届け、自分を乗せてくれて家の前で下ろすとそれから自宅に戻っていった。アキコのか顔色は夜の闇と街灯で白を通り越して青白くすら見えていて、ケイはその横顔に不安を感じもする。ところがその日の夕方アキコが、駅前をヨロヨロしながら歩いて帰ったのをケイはみつけてしまう。どう見ても仕事を終えて疲れきっているその姿にケイは呆気にとられ、コイズミにそれを告げていた。
「ヤネちゃん、…………ねぇさんのこと大事にしてなくない……?コイズミ。」
「…………俺もそんな気がする。」
次第に窶れて痩せ細り、それでも彼女はヤネオのために色々と手を尽くしていたのに、唐突にヤネオシュンイチは仕事を辞めて引きこもった。しかもただ引きこもったのとは違って、シュンイチはゲーセンをはしごしたり遊ぶことには以前よりも行動的ですらあって状況を知らないハルカワは大分それに付き合っていた様だ。
そしてあの日自分の目の前で泣き出したアキコをそのまま帰してしまったのを、コバヤカワケイは酷く後悔していた。あれからほんの数日しか立っていない筈なのに、シュンイチの隣で顔を見せたアキコの顔は何処か色が自然でなく彼女らしくないファンデーションを塗り込んであるのだ。
※※※
アキコに一緒に来る事を一度強要したシュンイチをコバヤカワとコイズミは、無理矢理連れ出すようにして出掛けていってくれた。シュンイチを連れて行ってくれた二人に心の中で深く感謝しながら、アキコは家にやっと独りきりになる。
だが何をすることができるわけではない。
アキコにできるのはただ自分のストレスを何かに転嫁することだけだった。
今のアキコに出来たのは、過食嘔吐。
それがどれだけ自分の体を痛めつけると分かっていても、そうすることしかアキコには痛みをぶつける場所すら分からなくなり始めていたのだった。無造作にデリバリーのピザのチラシを広げ、電話を掛けて注文を始める。
「………の、Lサイズ1枚。サイドのチキンボックスとパスタの………、ラザニア一つ。あと紅茶1リットルを二本。あ、後デザートの……………。」
一人が食べる量とは思えない大量の注文に、相手は愛想よく次々と受け付けていく。家族で食べるとでも思ってかオススメ商品を紹介され、迷うことなく「じゃ、それも一つ」とアキコは無表情で答えを返す。それが来るまでは冷蔵庫を漁り、丸のままのレタスを片手にぼんやりとソファーに腰かけた。バリバリと片手でレタスをむしりとり、口に押し込み噛み砕き飲み込む。
これが美味しくてするわけでもない。
なにも考えずに手と口を動かしているだけ。
美味しいと思うなら吐く必要なんかない。
勿体ないし止めれば良いと思うけど、こうしていないと自分がドンドン崩れて行く。
いや、もうとっくに崩れているのかもしれないが。
チャイムがなって取り繕った笑顔で大量の品物を受け取りソファーに戻る。
無造作にピザの箱を開けて、紅茶の紙パックに長いストローをさしこみ音をたてて飲む。細かく噛みながらピザを一切れ飲み込みながら、次々と商品の蓋を開けていく。美味しいかどうか、食べたいかどうかなんて関係ない。ただ胃の中に詰め込まないと気がすまないだけなのだ。
なるべく吐きやすいようになんて本末転倒な事を考えながらと、こんなに食べる意味はあるのだろうかとは考えている。でも、食べないではいられないし、それを体内にとどめておくこともできない。つまりは、吐かないではいられない。何かを食べて吐き出さないといられないのだ。
こんなことに無駄な費用をかける自分はシュンイチと同じ愚か者だ。
そんなことを心のどこかで考えながら、異常な量の食べ物を口に押し込み続ける。
確かにアキコ一人で家計を支えることは不可能ではない。
だがこのままいくと、アキコになにかあった途端に全てが破綻する。余裕がない今の状況で、生活を続ける事ができなくなる不安が常に心にあるのが嫌だった。だからこそ、彼の有り余っていた有給を消化して正式に退職扱いになった直後に、アキコはシュンイチに職安に行く事をすすめた。しかし、それすらも彼は進んでしようとしない。終いにはアキコが一緒でなければ職安に行かないというその言動にアキコは唖然とした。子供のような筋のとおらない言動に戸惑い、男の心の中の構造すら図りかねていた。
ぐずぐずと文句をいい続ける彼にやっとのことで失業保険の手当ての手続きは自分でないとできないし、しないともらえないと宥め透かした時も、失業保険の存在すらも知らない風の彼に先のことなど何一つ考えていないことを思い知らされた。その上、ハローワーク職員から手当てを受けとるまでに期間がかかることを聞いた瞬間にシュンイチはキレたのだ。訳の分からない理論武装で、結局は自分は今すぐ金をもらうのが正しいと喚き散らした姿は、まさに頭のおかしい道化でしかなかった。止めようにとめられなかったのは止めた後のお仕置きが嫌だったからで、心の底では他人のふりをしてでも逃げて帰りたかった。結局は彼の言い分がとおるはずもなく、帰ってから無駄足を運ばせたとお仕置きをされたのだが、手続きをしなければ貰えないことは棚におかれるのだ。
無職で収入もない状況なのに歪な性衝動を満たす道具を次から次へと買い漁り、アキコを責めることに使う。しかもアキコが働いている間はゲームをするかネットでチャットをしているのはわかっていた。新しく女に会わないのは、彼に資金がないからだということも承知している。これ以上とめる気がないのは、止めるだけ自分が暴力で虐げられるからだ。そんな悪循環からそれでも逃げ出せなかったのは、心の中に無意識にかけられた鍵のかかった錠の着いた重い鎖のせいだったのかも知れない。
アキコはもう帰る場所がない、という重い呪詛の言葉。
本当なら逃げたかった。
ここから逃げ出して、家に帰りたかった。もう、このマンションを自分の家と認識していない自分にアキコ自身もとっくに気がついていた。
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