鵺の哭く刻

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潜伏期

17.★

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《リエ:こんばんは、はじめまして。》

慣れた手つきでカタカタと音をたててキーを打つ。その文字面を眺めた内部にいた仮想現実の参加者達が、それぞれに矢継ぎ早に挨拶の一文が流す。今までのチャットルームより少し反応が早く感じるのは、ここにいるのは割合チャット慣れしているということでもあるしキーを打つ速度が早いということでもある。

年代は同じか……少し上かもしれない。

無意識にそう判断しているのは、アキコの癖のようなものだった。看護師を始めてからというよりも、以前から無意識に傾向や動向を情報として集める癖がある。看護師になって患者にふれあうようになって、それはより顕著になっていて、ある意味統計を無意識にとっているのに近い。
パソコンが流行り始めているのは自分より上は十歳程度だ。年下の年代ではそれほど個人としてネットに接続してネットサーフィンをする程の利用はない。基本的には下は高校生以上だから、アキコからみれば五歳程下。ブラインドタッチができる程の技術はまだ身に付けていない人の方が多いから、チャットでの会話にはタイムラグが起きるのが普通だ。でもここではそれほどのタイムラグが起きていないから、キーを打つことに慣れている。若くて慣れているのか、仕事で利用する機会がある職種。話題性は
そんなことを無意識に観察している彼女にオープンチャット恒例の質問が、まるで矢のように飛んでくる。ただ何時もと違うのは質問の内容が、通常通っていたチャットとは違うことだ。

《マツリ:リエはS?M?私は一応Mね。》

女性らしいハンドルネーム。迷いもなく自己紹介をしている彼女は、常連なのだろうと眺める。

《クボ:ご主人様を探してるの?》
《フィ:フリーなの?》

普段であれば職業や年齢や、見た目、彼氏がいるかいないか、そんな話を取っ掛かりにして話が始まる。しかし、ここではまるで違うことの方が、遥かに優先度が高いことがこれでわかった。少なくとも遠回りに探りを入れられるよりは、分かり易くて不快感も少ない。

《リエ:どっちなのかはまだわかりませんが、興味があります。なのでここに伺ってみました。》

そう返答すると、通いなれた常連達が慣れたようにこの場所がどういう集まりなのかを教えてくれる。柄の悪い人もいるからといいながらも、丁寧に教えてくれることを読んで理解していく。
このチャットルームは初心者やパートナー探しの目的で集まる場所で、勿論チャットの中でのプレイは可能だが雑談も許されている。つまりは気が合うパートナー探しや情報共有の部屋で、初心者も熟練者も誰でも入室できるというわけだ。ただしオープンチャットなので、SMのプレイをする時は、パートナーが既にいる人間とはパートナーの許可がないと出来ない。加えて初心者にデモンストレーションとしてなら、互いの同意があれば自由に許可されている。因みにSMの宣言なしに無暗に行為を強いるのはNG、そういう目的のチャットルームはホームに戻れば隣にあるので移動することになっているのだという。
ここによく来るのは五人か六人程度。
マツリ・クボ・フィはこのチャットルームが出来た時からの常連で、他にも同じ頃からの常連はトノとアズサ・シノという人物がいる。男性は全員がSでクボ・フィ・トノ、女性はMのマツリとSのアズサ、シノは性別不明で嗜好も不明。このチャットルームには大概その六人のうち誰かがいることが多くて、SMに関係した話をしたり経験談を話したり、夜になると気が向けばチャット上で調教をして見せることもある。とは言え基本的には雑談が多く、新しいお客に変に絡むことはしない約束になっているのだという。今のところ六人はオフ会を開くほど親密な関係ではないが、クボとマツリは現実的にもパートナーだと意図も容易く教えてくれる。それなのに、アキコには余り深いところまでは聞き出そうとしない。

《リエ:あまり、私のこと根掘り葉掘りしないんですね。》
《クボ:ネットだからね。》
《マツリ:話したかったら聞くけど、SMは信頼が第一よ?リエ。》

暢気な感じでそう伝えられる。つまりはアキコが話したくなければ聞かないという意味なのだ。その後独特の口調で話すトノが加わったのに一応の挨拶を交わし、他の人が交わす会話を眺めていた。

思っていたより普通。

それがアキコにとっての最初の感想だ。
それから暫く通うが、そこでの雑談は普通に楽しい。性癖をオープンにして隠していないからなのか会話の内容は気兼ねがなく、しかもあからさまで長閑だ。女子だけになれば可愛い下着の話とか、バストアップの効果のある体操の話とかになるし、男性が混じれば好みの服装の話とかになる。

《フィ:白いシャツはありでしょ。》
《トノ:同意。》
《マツリ:白シャツー?薄いブルーがエロいでしょ?!》
《アズサ:白にも色々とあるですよ?白シャツの下に黒下着ですね。》

別段普通のチャットルームと何も変わらないのではないかと思い始めた矢先、初めてSMサイト特有の状況に巡りあった。
新規でそれまで見たことの無いハンドルネーム『ダイキ』と名乗る男性が入室した途端に、Sの宣言をする事もなく無差別に入室していた女性に性的な行為をしろと発言したのだ。

《ダイキ:やられたくて集まってるんだろ?さっさと命令を聞けよ。》

偶々来訪していて嫌気をさして退室したり無言になる女性が多いなか、常連の一角で最初からその場にいたマツリがやんわりとダイキの行動を嗜める。

《マツリ:ここはチャットセックス目的の部屋じゃないの、初心者やパートナー探しの部屋なのよ。だから、そういうのが目的なら。》
《ダイキ:いちいち小うるさい。いいから、裸になれっての。》
《マツリ:悪いけど、私パートナーがいるの。》
《ダイキ:関係ないだろ。早くマンコ弄くれっての。》

まるで人の言うことを聞きもしないダイキが、あからさまにマツリに集中して絡み始めている。口を挟もうにも文字は酷く赤裸々で卑猥な言葉を投げつけ続けていて、呆れてしまう程生々しい。何時もの男性連がいないから止める人間がいないのだとモニターを眺め対応を考慮している目の前で、マツリのパートナーのクボの入室が新たにに表示されたのに安堵した。

良かった。

これで騒動がおさまると思ったのに、クボは挨拶もせずに沈黙したまま。しかもその後にはフィもトノも入室したのだが、誰もダイキの行動を制止すらしないで静観している。

《ダイキ:ほら!ギャラリーが増えたぞ!早く裸で股拡げろ、アバズレ!》

見ている方が驚愕に凍りついてしまうような、文字での性的な行為の強要。確かにこれまでチャットルームで性的な行為をしろと言われたことはあるし、アキコ自身それを適当にあしらったこともある。

《マツリ:……分かりました……。》

え?とモニターの中を見つめて、目を丸くする。本当にしているかはさておき、既に文字の上では彼女は裸になって足を開くよう強制され従っている。

《ダイキ:弄れ》
《マツリ:はい。》

信じられないほどに従順に命令に従っている。勿論モニターでのことで視えるわけでもないのだから構わないかもしれないけれど、チャットルームにはパートナーのクボもいるのだ。

《ダイキ:どんな風に弄ってるか言え。》
《マツリ:はい……弄って………ますっ、指で…広げて、》

丁寧に自分の現状を伝えるマツリが信じられなくて、凍りついたように目を丸くして画面を見つめる。周りもそうなのか文字列が相手の指示とマツリの淫靡な行為で次々埋まっていく。

《ダイキ:気持ちいいんだろ?》
《マツリ:あぁ気持ちいいです》
《ダイキ:じゃあ、指を入れて掻き回せ!いかせてやるからいったら言えよ?そしたらツーショットに移動するぞ?》

最初から周囲に行為を見せつけて二人きりのチャットルームに持ち帰るつもりだったのだろうと、アキコはモニターを眺めながら考える。ところが今になって唐突に、その言葉を待っていたように文字列が動いた。

《クボ:いくなよ?》

それが何を示しているのかは言わなくても分かる。性的に刺激して、それで絶頂に達するなと言うのだ。

《ダイキ:あ?邪魔すんなよ、なんだよいいとこで。》
《マツリ:は、はい。》

ダイキとマツリのログがほぼ同時に流れて、マツリが何に素早く反応したのかは一目瞭然だった。

《ダイキ:いいから、いけよ!弄くっていけ!》
《クボ:弄るのは許してやる、だけどいくなよ?》

普段からパートナーだというから普通のカップルだと思っていたのとは、二人の関係が毛色が違うことに気がつく。クボはあえて新参者に好きにさせていたことがわかるが、アキコには意図が理解できなかった。

《クボ:何をどうしてるのか、ちゃんと説明は?》
《マツリ:は、い。椅子の肘掛け……に、足を拡げてかけて、左手で、オマンコに指を、グチョグチョ……して、ます。》

生々しい。ダイキに促されている時より遥かに熱の含まれた文字に、生々しく卑猥な情景か脳裏に浮かぶ。

《マツリ:くぅ……っあ、ぁもう、お願いっ!グチュグチュなんですっ!》
《ダイキ:よしいけ!いきまくっちまえ!!》

まるで性的な行為をするショーを、マツリが見せているようだとも感じた。クボがダイキという道化を横目に冷淡な目でマツリを見下ろしているのが、目の前で繰り広げられているように感じられる。

《マツリ:…お願いっ…お願いしますっいきたいのぉ!》
《ダイキ:だからいけって!掻き回していきまくれよ!》
《クボ:マナーがなってないな、悪いけど入室前の案内板見て無いんだろ?マツリ、激しく指を出し入れして掻き回しながら我慢だ。》

不意に自分に投げつけられた言葉と、一緒に流れた文字にダイキが混乱するのが手に取るように分かる。何しろ寸前まで自分がいいように操っていた筈の女は、たった一言で簡単に奪われてしまったのだ。

《マツリ:そんな………あぁっ!!駄目ぇっ!!椅子まで溢れちゃうぅ。》
《クボ:ここはフリーな子を探すための調教は誰でも可だけど、所有物は所有者の許可を得るのがルールだ。女漁りたかったら、それ用ルームに行け。しかも、まるで調教がなってない。》

思わず無言になってしまうダイキに、嘲笑うように静観していた男達が呟き始める。

《トノ:躾にもならねぇな。やりたいだけなら、やり部屋いけよ。》
《フィ:無駄だろ?やりたい盛りの猿だから文字は読めないんだろ。リエー?大丈夫か?怖くて凍ってる?》

次の瞬間チャットルームの参加者の名前から、ダイキという文字がフッと消え去る。

《フィ:やりたいだけの猿はブラウザ落ちだ。》
《クボ:逃げかたも猿並だな。さて……マツリはどうしたい?》

いつの間にか道化にされたと気がついた新参者の名前はルームから消えてるのに淫靡な雰囲気は消える気配もなく、更に密度を濃くしているような気がした。まるで、目の前にその光景が広がっているように、一人の女性が局部を白い細い指で掻き回しながら喘いでいるのを、酷く冷淡な目で見下ろしている男性がいる。アキコや他の参加者は、今やただの見学者だ。

《クボ:マツリ。弄るのはそこまでだ、返事もできないんじゃ意味がないだろ?弄るのを止めなさい。》
《マツリ:そ、そんなぁ……も、ぐちょぐちょなのにぃ……。》
《クボ:そんなこと言わなくても分かってる。マツリは悪い子だな、あんな奴の命令で喜ぶのか?お前の所有者は誰なんだい?》

悪い子。
命令。
所有。
奇妙にその言葉に、体の奥からゾワゾワと何かが沸き上がる。

《トノ:躾たのクボだろうが、可哀想なマツリ。フィもそう思うだろ?ん?》
《フィ:我慢するマツリが可愛いんだからクボも大変だ。俺はリエの方がが心配だよ、久々のクボの公開調教に当たってビックリして凍ったままだよ。》
《トノ:そう言えば、リエー?もしかして、マツリの恥ずかしいところを見て、自分でもしたくなったか?弄ってんのか?ん?》

普段と同じ口調で茶化すようなトノの言葉。それなのに内容は更に淫靡さを増した会話の中で自分が巻き込まれてきて慌てふためく。まるでアキコが目の前であわてふためいているのを知っているか、見ているかのようなタイミングでブラウザが再び更新される。

《フィ:リエ、大丈夫だよ。怖いなら無理しなくて。クボはリエに手は出さないよ。》
《クボ:おや、リエが希望するなら私は構わないけどね。さぁ、マツリ。お前はどうしてほしい?》

その言葉に何故かゴクリとモニターの前で自分の喉がなるのを聞いた。
   
《マツリ:あぁ……ご主人様……、マツリを罰してください。マツリはご主人様に虐めて欲しくて……。》
《クボ:マツリは悪い子だな、皆の前で罰が欲しかったのか?》

二人の淫靡な行為が更に密度を増していくのに、初めて接した調教という名の文面に息を飲んだ。
マツリは悪い子だと言われた。
悪い子、悪い事をしている、それで罰を受けている。
我慢して堪えている、罰を受けて堪えている。
堪えているのに、それが酷く気持ち良さそうに見える。
我慢して我慢して恥ずかしい思いをしているのに、酷く気持ち良さそう。
喘いで、堪えて、悶えているのをこんな風に曝されて。
辛いはずなのに、酷く気持ち良さそうだ。
アキコは混乱しながらそれを見つめる。未だに退室にならないアキコが、息をのんでこの情景にみいっているのは、誰の目にも明らかだ。淫靡な二人の会話、触れていい場所をクボが告げ、マツリがそこがどんな状態で卑猥に誘うかを文字で伝える。当然モニターの向こうだから現実は何もしてないかもしれないが、普段は早いマツリのログが少し遅くなっていた。

…………本当にしているのかも

本当のパートナーであるなら、彼女の行動はクボには理解されている範疇の筈だ。どこがどんな様子で、どこが感じるのか、そんなのを知り尽くしている相手に、焦らされ罰を与えて貰いながら身悶えている。それを頭の中で見つめているアキコの腹の奥底から、蛇のような滑る渇望が興奮と共に這い出してきた。熱くドロリとした欲望が毒のように神経を麻痺させていく。

《トノ:リエ。クボ達を見ながら軽く弄ってみるか?》
《フィ:軽くね?マツリが気持ち良さそうなのわかる?怖くない分でいいんだよ?》

既に馴染み始めた仲間が優しげな言葉でその先を促す。それに、抗うほどの意思はもうアキコには残っていなかった。
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