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第三部
第七幕 沿岸部研究施設内及び都市下宇野邸
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トンッ……
それがなんなのかは分からないが、何処かから響く低く重い振動音。それは実はずっと続いているものであって、こうして近づいてきているのには何も気がついていないだけのこと。
トンッ…………トンッ…………
次第にそれは規則正しいリズムを取り始めている。等間隔で規則正しく、同じ大きさで、早まることもなければ遅くなることもない振動音。それは人間で言えば最も近いのは心音なのだろうが、それは人間ではないし正確には生物ですらない。それでもそこに存在しているのを、示すように振動音は続いている。
トンッ…………トンッ…………トンッ
生物でもないものの中から響く振動音は、次第に大きくなりつつある。それはまるで電車が遠くから近づいてくる音だけの気配に似ている。
遠くから次第に僅かに、少しずつ。
それがここで表に漏れ始めるのに、もうそれほどの時間はかからないに違いない。
※※※
「信哉は隔離されてない?」
死人を流し尽くした通路の中、電灯は再びチカチカと瞬き辺りを照らす。心許ない電気の明かりの中で聞いた予想外の言葉に悌順は声を荒げて『ロキ』に掴みかかり、その背後に身を隠していたふったちが言葉通り飛び上がって怯える。その怯えっぷりに思わず悌順が眉をあげるが、幾ら相手が常識人で怖くない害はないとわかっていても、ふったちにしてみたら兎にライオンが掴みかかるようなものなのだ。
ふったちから自分のような者を『間の子』といい、そういう存在が割合いると話を聞いて少なからず驚きはした。しかし知恵のある人外が人の形をとれる時点で、何百年も前に見逃され人間と交わったといわれると悌順にはもう何ともしようがない。
よくあるっ昔話で雪女と子供ができるとかあるでしょ?あんなのだよ、うちの方にはそういう家系が集まる部落もあるし、皆知ってて見ないふりしてる。元は人喰いでも混じると食わなくても生きていける奴もいるんだよ。
必死に説明するふったちに、ふったちがここまで人喰いの化け物を片付けてくれなかったらここまでこれなかったと『ロキ』も言う。確かにさっきの死人だけが闊歩しているとは思えないし、あれがここを闊歩する理由としても人喰いの化け物がいてもおかしくない。『ロキ』の方は間の子ではないと話すが、事情があって少しそういうものに触れ易いのだという。
それは言い換えると人を食う筈の人外が、何らかの意図で人間と子供を作ったということになる。でも確かに民話や昔話にはそんな話がないわけではないし、雪女や鬼や国の中には狐から産まれたとされる人間の話しもある位だ。同時にふったちが言うには自分達が今いる街の中にですら、他にも彼と同じ『間の子』は割合いるのだという。『間の子』は大概がある条件下でしか力を使えないし、条件はそれぞれに違う。しかも自分でも『間の子』だと気がついてないことも多いし、『間の子』として目覚めても自分のルールを守らないと自分が生きていけない。
『間の子』は大概短命なんだよ。振り返った顔を見たら死ぬなんてルールの『間の子』が、自分ちで夜振り返ってガラスに顔が映ったら、アウトなんてのもあるんだし
確かに厳密なルールの中でしか生きられないとなると、それは普通の人間よりも脆い命だと言える。しかも親が知らないのに先祖帰りして子供だけ『間の子』って言う場合もあるらしく、そうなるとルールが全く家系に伝わらないこともあると言う。そうすると奇妙な遺体が残るだけで、変死事件が起きることになるのだ。しかもルールが分かったからと言って、それが使いこなせるわけでもない。
使いこなせなくて、人に見られて追いたてられる奴等も多いんだよ。
そう言う意味では目の前のふったちは意図して力を使うことが可能だという意味では街の中でもかなり力が強い存在だという。しかし、それも万能ではなく力を使いすぎると記憶を無くすし、ルールの制限も大きい。つまりはそれ以外の時は力なんて表に出ないし、ただの人間と同じで普通に仕事をして飯を食って寝ての生活しているのだという。
だから、普段の俺は会ってもあんたが神様の化身だなんてちーとも分かんないし、俺がここで力を使ったこともひとっつも覚えてない。
大きな力の対価が記憶喪失や血縁の薄さなんだよと嘆く彼に、そこは自分達と余り変わりないのかと呆れもする。身に余る力は偏りが大きくて人間の体には負荷がかかるから、そうやって対価をとらないと狂っちゃうんだという彼の言葉に、東条にその話し聞かせてやりたいと染々思ってしまう。結局生き物の体では四神や何やの力は器がもたないと、昔から知っている一族が国内にはこうして密かに息づいているということなのだ。しかも、彼らには地域性があると言うし、部落もある。なんでそこに気がつかないんだと、その地域を聞いてみる。
い、言っても何もしない?俺の家の奴等もふったちになってるのもいるし、他にも色々いるんだ
何をしろと言うんだと思うが場所を聞いてみて、確かにそこいらにゲートを見たことがないのに気がつく。元々境界線が曖昧で霧で隠れるんだと言われて、そう言われれば霧のかかる山野を見た記憶がある。
つまりは隠れ里のように、密かにそうして息づいている家系があって、自分達を殺す勢いで調べても何も出るわけがない。結論としてこのふったちの反応を見ても自分達の能力も人外と何も変わらないと言うだけのことだ、そう薄々思っていたことをここで確信しただけのことだ。
その後で『ロキ』の言葉から耳にしたのが隔離されていたのが三人で、忠志と義人は既に解放されて中心の暗闇に向かったということと、信哉は隔離されてないという事実だった。
「あいつが……隔離されてない?隔離されてて一人で先に脱出した訳じゃないのか?」
「悪いけど、隔離室Dはあなた達の部屋と違って起動すらしてないの。ここらから西側の部屋になるけど、システムがまるで起動すらしてないのよ。」
『ロキ』がどうにかしてこの施設のシステムハックをしているのは既に分かっているが、システムの起動履歴には四つ目の部屋が動いた気配は何一つないのだという。それに悌順は神妙な顔で、『ロキ』を見下ろす。
「研究者が常駐してる部屋とかは分かるか?」
「何故?」
「信哉が隔離されないなんておかしすぎる。東条が一番欲しがってたのは信哉だ。」
その言葉に眉を潜める『ロキ』に、あいつは少し特殊な事情があるんだと悌順はいう。そう言う意味では自分と義人も特殊な状態だと言えなくもないが、信哉に比べれば格段に特殊性は低い。既に信哉は四神の子供というだけで十分特殊なのだ。
「部屋をぶっ壊して逃げてるんなら、納得なんだけどな。」
「弟や父親は、言うことを聞かせる手にはならない?」
「ああ?!真見塚の家の人間まで巻き込んだのか?!あの糞爺!」
東条の行動には心底呆れ果てるしかないが、それなら逆に信哉はキレると悌順は断言する。マトモに考えたら信哉を引き留めるには隔離室が一番適切だが、恐らく完全に信哉は隔離できない。一瞬でも扉を開けたら逃げ出しかねないから、麻酔でも毎回かけないとならないに違いないと口にする。
「なんでそんなに鳥飼信哉は別格なの?」
その言葉に悌順は仕方がないと言いたげな溜め息をつく。これは他の二人も知らないし、今これを知っているのは信哉自身と幼馴染みの悌順と宇野智雪だけ。しかもそれは別に普段は気にすることでもなくて、話すことでもない。偶々そういうことが起きていたと言う程度で、普通の親子でも話されるような話なのだ。
「…………信哉は、…………二人分の力を持って生まれたんだ。」
※※※
駆け込むようにして自宅に飛び込んだ宇野智雪は、扉を開いた瞬間に何故か菜の花のような微かな臭いを感じた。父子家庭で恋人の麻希子がちょくちょく来てくれてはいるが、園芸が趣味の雪は鉢は兎も角切り花を飾ることはないし菜の花はどちらかと言えば食べるほうが好みだ。セイヨウアブラナから菜種油をとる関係で、割合世の中にはセイヨウアブラナの花畑がある地域なら兎も角、都会の中でワザワザ購入してまで飾るとは思えない。咄嗟にリビングに駆け込むと、そこは更に強い菜の花の香りが漂っていて、人の気配は丸でないのに気がつく。
「麻希子?!衛!」
外崎宏太の手伝いで遅くなるとは連絡してあったし、麻希子が仁の事を気にかけて家に泊まるのも電話で話しているから分かっている。花街の騒動と風間の怪我や榊恭平を救急車に乗せるのでバタバタしていたし、外崎の方は外崎の方で何かあったらしくあれから連絡がとれない。街が落ち着いてきたからと帰宅したのに、蒼白になりながら雪はそれぞれがいる筈の部屋の扉を開く。
麻希子の靴も衛の靴もある、扉は鍵がかかっていたし、ここを嗅ぎ付けられたとしたら久保田惣一が教えてくれる約束だ。
久保田惣一は雪の両親である宮井夫妻の友人で、父・宮井浩一から白磁のティーポットを譲り受け喫茶店を始めた人間だが、元は街の裏側で生きていた。そのせいか情報収集や統制に長けていて、今も街で大きな問題が起こると密かに便りにされる。そして同時に外崎宏太の友人で、師匠で、この件は大きすぎるから久保田にも手伝って貰うと宏太が言ったのだ。そこから澤江仁も狙われている可能性があるから、異常が起きたら直ぐに教えて貰う手筈になっている。でも、久保田からは連絡がないということは、ここから三人が消えたのも久保田はまだ知らないかもしれない。それとも、手が回らない状況が、別な方で起きているか。
どちらにせよ、麻希子と衛、仁は絶対返して貰う。
雪は険しい顔で今の自分に何が可能か、凄まじい勢いで考え始めていた。
※※※
「…………どうする?一回逃げとく?」
呆れ果てたように中空に浮かびながら呟く忠志の、言いたいことも分からないでもない。体育館ほどの空間の中、空気をどれだけ浄化してもゲートからは腐臭が溢れ続けていて、しかもゲートに蓋をしている肉塊は表面的にどれだけ傷つけても直ぐに再生してしまう。呆れるほどの再生能力、それに貪欲で空間の中の血液は全て啜りとり時には自分達にまで手を伸ばしてくる。
「せめて上の階の人達が退避してから、逃げよう。」
そう無意識に頭上を見上げる義人の目には、通路を動く人の気配が確かに感じ取れている。施設の内部で奇妙に動くものの気配もあるが、それには生命らしさは感じないから除外してもだ。それに同じ階の通路の端では悌順と自分を部屋から出してくれた人達の気配がまだあって、その状況でこの肉塊を放置して逃げるのもどうかとは思う。
「ゲートから下に落ちたら、そのまま閉じんのに。」
一瞬それは名案と同意したくなるが、あのゲートはどれくらいここに開いていたのだろうとも・どれだけ深いのだろうとも思う。そんなことを考えながら延々と無意味に消耗戦を続ける。こんな状況を打開するには、経験の少なさは大きいと苦く考えながらふと辺りを見回していた義人は、まるで別な方向に他にも人の気配があるのに気がつく。今まで上階と北側ばかり見ていたのもあって、西側にまで気が向いていなかったのだ。
「忠志。西側に気配感じる?」
「ん、弱い火気っぽいのだろ?」
確かに人の気配は火気に感じるが、その傍にある混沌とした気配はなんだろうと義人は意識を集中する。まるで目の前の肉塊みたいに気の気配が読み取れない存在が、そこにも一つあるのに気がついて義人は戸惑うように眉を潜めた。
まさかあっちにも肉塊があるとか言わないで欲しいな……。
これがあと一つなんてことになったら手の施しようがない。舌打ちしながらそれに更に視線を向けた一瞬の隙に、中空に浮いていた義人の足を肉塊が巻き込んでいた。
「義人!!」
咄嗟に引きずり込まれそうになる義人の腕を忠志が掴んだが、突然肉塊が身を縮めたのを忠志は目にした。真っ暗な深淵の縁が肉塊を中心に広がり、肉塊がそのまま自由落下を始めたのに気がつく。
まさか、
一緒に引きずり込むために待ち構えていたのだとは、一つも思わなかった。見る間に闇が近づいてきて義人は驚きに体を浮かそうと風を巻き上げるのに、肉塊自身がその風を落下のための力に飲み込んでしまう。
ここを抜けた向こう
今まで一度もゲートをくぐることなんか考えもしない。そんなことをして自分達が無事でいられるのかどうかもわからない。炎で焼いても風で切り裂いても、再生が早く足どころか忠志の腕まで絡めとっていく。そして巨大な肉塊に巻き込まれ、二人はそのまま闇の中に引きずり込まれていた。
それがなんなのかは分からないが、何処かから響く低く重い振動音。それは実はずっと続いているものであって、こうして近づいてきているのには何も気がついていないだけのこと。
トンッ…………トンッ…………
次第にそれは規則正しいリズムを取り始めている。等間隔で規則正しく、同じ大きさで、早まることもなければ遅くなることもない振動音。それは人間で言えば最も近いのは心音なのだろうが、それは人間ではないし正確には生物ですらない。それでもそこに存在しているのを、示すように振動音は続いている。
トンッ…………トンッ…………トンッ
生物でもないものの中から響く振動音は、次第に大きくなりつつある。それはまるで電車が遠くから近づいてくる音だけの気配に似ている。
遠くから次第に僅かに、少しずつ。
それがここで表に漏れ始めるのに、もうそれほどの時間はかからないに違いない。
※※※
「信哉は隔離されてない?」
死人を流し尽くした通路の中、電灯は再びチカチカと瞬き辺りを照らす。心許ない電気の明かりの中で聞いた予想外の言葉に悌順は声を荒げて『ロキ』に掴みかかり、その背後に身を隠していたふったちが言葉通り飛び上がって怯える。その怯えっぷりに思わず悌順が眉をあげるが、幾ら相手が常識人で怖くない害はないとわかっていても、ふったちにしてみたら兎にライオンが掴みかかるようなものなのだ。
ふったちから自分のような者を『間の子』といい、そういう存在が割合いると話を聞いて少なからず驚きはした。しかし知恵のある人外が人の形をとれる時点で、何百年も前に見逃され人間と交わったといわれると悌順にはもう何ともしようがない。
よくあるっ昔話で雪女と子供ができるとかあるでしょ?あんなのだよ、うちの方にはそういう家系が集まる部落もあるし、皆知ってて見ないふりしてる。元は人喰いでも混じると食わなくても生きていける奴もいるんだよ。
必死に説明するふったちに、ふったちがここまで人喰いの化け物を片付けてくれなかったらここまでこれなかったと『ロキ』も言う。確かにさっきの死人だけが闊歩しているとは思えないし、あれがここを闊歩する理由としても人喰いの化け物がいてもおかしくない。『ロキ』の方は間の子ではないと話すが、事情があって少しそういうものに触れ易いのだという。
それは言い換えると人を食う筈の人外が、何らかの意図で人間と子供を作ったということになる。でも確かに民話や昔話にはそんな話がないわけではないし、雪女や鬼や国の中には狐から産まれたとされる人間の話しもある位だ。同時にふったちが言うには自分達が今いる街の中にですら、他にも彼と同じ『間の子』は割合いるのだという。『間の子』は大概がある条件下でしか力を使えないし、条件はそれぞれに違う。しかも自分でも『間の子』だと気がついてないことも多いし、『間の子』として目覚めても自分のルールを守らないと自分が生きていけない。
『間の子』は大概短命なんだよ。振り返った顔を見たら死ぬなんてルールの『間の子』が、自分ちで夜振り返ってガラスに顔が映ったら、アウトなんてのもあるんだし
確かに厳密なルールの中でしか生きられないとなると、それは普通の人間よりも脆い命だと言える。しかも親が知らないのに先祖帰りして子供だけ『間の子』って言う場合もあるらしく、そうなるとルールが全く家系に伝わらないこともあると言う。そうすると奇妙な遺体が残るだけで、変死事件が起きることになるのだ。しかもルールが分かったからと言って、それが使いこなせるわけでもない。
使いこなせなくて、人に見られて追いたてられる奴等も多いんだよ。
そう言う意味では目の前のふったちは意図して力を使うことが可能だという意味では街の中でもかなり力が強い存在だという。しかし、それも万能ではなく力を使いすぎると記憶を無くすし、ルールの制限も大きい。つまりはそれ以外の時は力なんて表に出ないし、ただの人間と同じで普通に仕事をして飯を食って寝ての生活しているのだという。
だから、普段の俺は会ってもあんたが神様の化身だなんてちーとも分かんないし、俺がここで力を使ったこともひとっつも覚えてない。
大きな力の対価が記憶喪失や血縁の薄さなんだよと嘆く彼に、そこは自分達と余り変わりないのかと呆れもする。身に余る力は偏りが大きくて人間の体には負荷がかかるから、そうやって対価をとらないと狂っちゃうんだという彼の言葉に、東条にその話し聞かせてやりたいと染々思ってしまう。結局生き物の体では四神や何やの力は器がもたないと、昔から知っている一族が国内にはこうして密かに息づいているということなのだ。しかも、彼らには地域性があると言うし、部落もある。なんでそこに気がつかないんだと、その地域を聞いてみる。
い、言っても何もしない?俺の家の奴等もふったちになってるのもいるし、他にも色々いるんだ
何をしろと言うんだと思うが場所を聞いてみて、確かにそこいらにゲートを見たことがないのに気がつく。元々境界線が曖昧で霧で隠れるんだと言われて、そう言われれば霧のかかる山野を見た記憶がある。
つまりは隠れ里のように、密かにそうして息づいている家系があって、自分達を殺す勢いで調べても何も出るわけがない。結論としてこのふったちの反応を見ても自分達の能力も人外と何も変わらないと言うだけのことだ、そう薄々思っていたことをここで確信しただけのことだ。
その後で『ロキ』の言葉から耳にしたのが隔離されていたのが三人で、忠志と義人は既に解放されて中心の暗闇に向かったということと、信哉は隔離されてないという事実だった。
「あいつが……隔離されてない?隔離されてて一人で先に脱出した訳じゃないのか?」
「悪いけど、隔離室Dはあなた達の部屋と違って起動すらしてないの。ここらから西側の部屋になるけど、システムがまるで起動すらしてないのよ。」
『ロキ』がどうにかしてこの施設のシステムハックをしているのは既に分かっているが、システムの起動履歴には四つ目の部屋が動いた気配は何一つないのだという。それに悌順は神妙な顔で、『ロキ』を見下ろす。
「研究者が常駐してる部屋とかは分かるか?」
「何故?」
「信哉が隔離されないなんておかしすぎる。東条が一番欲しがってたのは信哉だ。」
その言葉に眉を潜める『ロキ』に、あいつは少し特殊な事情があるんだと悌順はいう。そう言う意味では自分と義人も特殊な状態だと言えなくもないが、信哉に比べれば格段に特殊性は低い。既に信哉は四神の子供というだけで十分特殊なのだ。
「部屋をぶっ壊して逃げてるんなら、納得なんだけどな。」
「弟や父親は、言うことを聞かせる手にはならない?」
「ああ?!真見塚の家の人間まで巻き込んだのか?!あの糞爺!」
東条の行動には心底呆れ果てるしかないが、それなら逆に信哉はキレると悌順は断言する。マトモに考えたら信哉を引き留めるには隔離室が一番適切だが、恐らく完全に信哉は隔離できない。一瞬でも扉を開けたら逃げ出しかねないから、麻酔でも毎回かけないとならないに違いないと口にする。
「なんでそんなに鳥飼信哉は別格なの?」
その言葉に悌順は仕方がないと言いたげな溜め息をつく。これは他の二人も知らないし、今これを知っているのは信哉自身と幼馴染みの悌順と宇野智雪だけ。しかもそれは別に普段は気にすることでもなくて、話すことでもない。偶々そういうことが起きていたと言う程度で、普通の親子でも話されるような話なのだ。
「…………信哉は、…………二人分の力を持って生まれたんだ。」
※※※
駆け込むようにして自宅に飛び込んだ宇野智雪は、扉を開いた瞬間に何故か菜の花のような微かな臭いを感じた。父子家庭で恋人の麻希子がちょくちょく来てくれてはいるが、園芸が趣味の雪は鉢は兎も角切り花を飾ることはないし菜の花はどちらかと言えば食べるほうが好みだ。セイヨウアブラナから菜種油をとる関係で、割合世の中にはセイヨウアブラナの花畑がある地域なら兎も角、都会の中でワザワザ購入してまで飾るとは思えない。咄嗟にリビングに駆け込むと、そこは更に強い菜の花の香りが漂っていて、人の気配は丸でないのに気がつく。
「麻希子?!衛!」
外崎宏太の手伝いで遅くなるとは連絡してあったし、麻希子が仁の事を気にかけて家に泊まるのも電話で話しているから分かっている。花街の騒動と風間の怪我や榊恭平を救急車に乗せるのでバタバタしていたし、外崎の方は外崎の方で何かあったらしくあれから連絡がとれない。街が落ち着いてきたからと帰宅したのに、蒼白になりながら雪はそれぞれがいる筈の部屋の扉を開く。
麻希子の靴も衛の靴もある、扉は鍵がかかっていたし、ここを嗅ぎ付けられたとしたら久保田惣一が教えてくれる約束だ。
久保田惣一は雪の両親である宮井夫妻の友人で、父・宮井浩一から白磁のティーポットを譲り受け喫茶店を始めた人間だが、元は街の裏側で生きていた。そのせいか情報収集や統制に長けていて、今も街で大きな問題が起こると密かに便りにされる。そして同時に外崎宏太の友人で、師匠で、この件は大きすぎるから久保田にも手伝って貰うと宏太が言ったのだ。そこから澤江仁も狙われている可能性があるから、異常が起きたら直ぐに教えて貰う手筈になっている。でも、久保田からは連絡がないということは、ここから三人が消えたのも久保田はまだ知らないかもしれない。それとも、手が回らない状況が、別な方で起きているか。
どちらにせよ、麻希子と衛、仁は絶対返して貰う。
雪は険しい顔で今の自分に何が可能か、凄まじい勢いで考え始めていた。
※※※
「…………どうする?一回逃げとく?」
呆れ果てたように中空に浮かびながら呟く忠志の、言いたいことも分からないでもない。体育館ほどの空間の中、空気をどれだけ浄化してもゲートからは腐臭が溢れ続けていて、しかもゲートに蓋をしている肉塊は表面的にどれだけ傷つけても直ぐに再生してしまう。呆れるほどの再生能力、それに貪欲で空間の中の血液は全て啜りとり時には自分達にまで手を伸ばしてくる。
「せめて上の階の人達が退避してから、逃げよう。」
そう無意識に頭上を見上げる義人の目には、通路を動く人の気配が確かに感じ取れている。施設の内部で奇妙に動くものの気配もあるが、それには生命らしさは感じないから除外してもだ。それに同じ階の通路の端では悌順と自分を部屋から出してくれた人達の気配がまだあって、その状況でこの肉塊を放置して逃げるのもどうかとは思う。
「ゲートから下に落ちたら、そのまま閉じんのに。」
一瞬それは名案と同意したくなるが、あのゲートはどれくらいここに開いていたのだろうとも・どれだけ深いのだろうとも思う。そんなことを考えながら延々と無意味に消耗戦を続ける。こんな状況を打開するには、経験の少なさは大きいと苦く考えながらふと辺りを見回していた義人は、まるで別な方向に他にも人の気配があるのに気がつく。今まで上階と北側ばかり見ていたのもあって、西側にまで気が向いていなかったのだ。
「忠志。西側に気配感じる?」
「ん、弱い火気っぽいのだろ?」
確かに人の気配は火気に感じるが、その傍にある混沌とした気配はなんだろうと義人は意識を集中する。まるで目の前の肉塊みたいに気の気配が読み取れない存在が、そこにも一つあるのに気がついて義人は戸惑うように眉を潜めた。
まさかあっちにも肉塊があるとか言わないで欲しいな……。
これがあと一つなんてことになったら手の施しようがない。舌打ちしながらそれに更に視線を向けた一瞬の隙に、中空に浮いていた義人の足を肉塊が巻き込んでいた。
「義人!!」
咄嗟に引きずり込まれそうになる義人の腕を忠志が掴んだが、突然肉塊が身を縮めたのを忠志は目にした。真っ暗な深淵の縁が肉塊を中心に広がり、肉塊がそのまま自由落下を始めたのに気がつく。
まさか、
一緒に引きずり込むために待ち構えていたのだとは、一つも思わなかった。見る間に闇が近づいてきて義人は驚きに体を浮かそうと風を巻き上げるのに、肉塊自身がその風を落下のための力に飲み込んでしまう。
ここを抜けた向こう
今まで一度もゲートをくぐることなんか考えもしない。そんなことをして自分達が無事でいられるのかどうかもわからない。炎で焼いても風で切り裂いても、再生が早く足どころか忠志の腕まで絡めとっていく。そして巨大な肉塊に巻き込まれ、二人はそのまま闇の中に引きずり込まれていた。
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