かのじょの物語

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30代の話 Terminal

64.そして、一人考える

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退院して数日。
実家で静養する私は、体調が回復しつつあっても夫である男と全く連絡を取ろうとしなかった。まだ携帯電話も電源を入れる事はなく、メールも電話すらもしようとはしなかった。
だが、現実から逃げた訳ではない。静養中の私は、ただ自分の中にある感情を見極めようとしていた。この空白の時間は自分を確認するための小休止にすぎなかった。


こうして、一人考える。
暗闇ではなく日射しの入る室内に敷かれた清潔な布団に横になり、子供の頃に見慣れた天井節を眺め考える。
確かに愛情は存在していた。
私の中に彼を愛していたという思いはある。
私は彼を愛していたし、彼の為になりたいと願った。
だが、今にして思えば私自身も愛情の表現の仕方が間違っていたのかもしれない。何でもしてやるのが愛情の表現と思った。そして、その表現には同等の愛情が返されるものだと思っていた。自分の両親がそう見えたから、夫婦はそうあるものなのだと過信した。
そしてその認識の誤りを正さなかった。何度もそうでないことに気がついていたのに、認識をけして変えようとしなかった。しかも、その認識を相手に伝えることもなかった。伝えずにそうするはずと思い、そうならないことに落胆したのだ。その頑なな考えと自己満足に似た愛情という名の過保護に相手の世話を焼いたのは私が誤っていた。私に過ちがあった。
しかし、その相手である夫はどうだったろうか。
彼の愛情はどうだったのだろう。
SM調教という歪な形で示され、言葉と行為の暴力で形どられた愛情は彼にとって本物だったのだろうか。何度も一からやり直すと口にして、一時の安定の後元の自堕落な生活に墜ちる事を繰り返す。そして、そのどれもが私のせいだと彼は言った。日々遊んでいるのも、女と会うことも、私のせいだった。私を愛しているのかと問うと、こうして考えれば疑問がわいてくる。
最初、私は都合のいい財布で、都合のいいダッチワイフだった。次に私は都合のいい飯炊きで、都合のいいメイドで性奴隷に変わった。その次に都合のいい奴隷妻で、何時でも金を出せる都合のいいATMになった。彼にとって私は結局都合のいい使い勝手のいいメイドなのだ。血の繋がる子供も拒絶した彼にとって、私は気持ちが悪いが性行為の出来る母親の代用品なのだろう。代用品だから簡単に、自分の罪も擦り付けることが出来たのだ。

だって母さんが管理するものだから、俺が使ってるのを管理しない母さんが悪い。俺が使うのを止めないのが悪い。

親もそうだった。
けして自分達が悪いとは言わない。
全部誰かのせいだった。俺のせいじゃない、私たちのせいじゃない、あのこがそうだから、あいつがそうだから、だから自分のせいじゃない。
今更だが、きっと自分で責任をとるという認識はない家族なのだろう。母親がそう育てたのであれば、当人がそう育ったと思うしかない。そこに私がと思い込みやすい自分が入ることで悪循環に陥ったのかもしれない。

それにしても短くない代用母との愛は彼にとって幸せだったのだろうか。
深かった愛情が憎しみに変わった瞬間を思い出すと私もまだ自分の心が微かに波立つのを感じる。
深すぎた誤りに満ちる愛情
それと対になる深く暗い憎しみ


それを知った事で私は変った。
そして今やっとそれを昇華させ、一度死の縁から戻った私は全てを酷く冷静な気持ちで見ることができた。それはある意味で全てに決別を迎えようとする感情の片鱗なのかもしれない。
陽射しに溢れる部屋の中で、私は静かにそっと涙を溢した。



※※※


 

体調も回復して更に動けるようになり、自分を見つめられるようになった。私は日々を噛み締めながら、改めて自分の先を考える。もう一度やり直したいとどこかで考えているのか心の中に問いかける。だが、私の考えは一つも揺らぐ事はなく、あのときと同じ言葉を返してくる。私の思いはやがて確信と変わっていった。
そしてそれは彼からの手紙を目にしても変わる事はなかったのだ。


俺は変わりなく楽しくやっているし、ゲームの階級も上がったからアキに早く俺様の勇姿を見せたいよ。アキが早くゲームしに行くのについてきてくれるといいな。
早く戻ってきてください。早く仕事ができる様になって元通りの看護師にアキが帰れれば、きっとアキは元気になる。こっちに戻ったら前みたいに遊びについてきたら気晴らしになるよ。だから、早く戻ってきて仕事してください。それが一番元気になるはずだ…


恐る恐るという節で母から差し出された手紙を開けて読んだのは、退院して2週間ほどたった頃だった。
その稚拙な文章を何度か読み直して私は目を細める。一度両親が目を通していたのだろう、既に開けられた封筒からたった一枚出てきた便箋には残念というしかない文章が綴られていた。
以前だったらどうなったか知らないが、今こうして読むと稚拙で心に何も響かない。それどころか、実は苛立っている自分に気がつく。
何故なら、文章には一つも私の体調を心配する文面がない。しかも内容が酷い。言い換えたら、私に元に戻り、同じ生活をして金を稼いで自分を養えと言っているに他ならない事を男は気が付いているのだろうか。私に再び愛以上に憎悪を感じさせる生活を繰り返せというのだろうか。これに私の立場で怒らないで読めるとしたら、もう洗脳されているとしか思えない。
私は酷く冷静にもう一度汚く稚拙な文字を見た。今になってみると、怒ると同時に幼稚な文字の汚さに相手の精神も疑いたくなってきた。

未だ独り暮らしの生活の中であの高額ゲームの為にゲームセンターにお金を落とす生活をしているのはよく分かった。という事は、生活は傷病手当だけでは成り立たない。恐らく今は、自分の両親に金銭を貰っているに違いないとすぐに分かる。

もう、男は私を愛しているのではないのだろう。
私のもたらす物を失うのが嫌なだけなのかもしれない。私がしてきた彼の面倒を見てくれるものがいなくなるのが困るだけかもしれない。
自由と金銭と…自分が支配できる存在。
何一つ自由に出来ない稚拙で男に与えられた唯一の玩具の様な存在。彼は自分が私にとっての唯一無二と考えていた。でもそれは逆も当てはまるとは思っていないのだろう。

あなたにとって私もそうだった。でも、もう私はその呪縛を外してしまったから、もうあなたは私の唯一ではないの。だから、私はもう同じ事はしない。


私は静かな目でそれを読み上げて、心配そうな自分の両親に向かって微かに微笑みながら視線を向けた。


「アキコ、その手紙は捨てよう?ね?腹が立つものね。」
「ううん、とっておいて。」


その言葉に母は再び私が誤った選択をするのではないかと危惧しているのを恐れているのが分かる。だから私はは全く違う理由があることを伝えるために、朗らかに笑い手紙をきちんと折り畳み封筒におさめた。自分で保管しておきたいが、一瞬怒りに呑まれたときに破り捨ててしまいそうだ。だから、冷静に対応できるはずの母に渡す。

「離婚を拒んだ時に証明に使うから、とっておいてほしいの。」

私は真っ直ぐに、過去に持ち合わせていた聡明さを取り戻しながら、迷うことなくそう口にした。いつか母と笑って破り捨ててやる日が来る。残念だがそこまでは、大事に保管しておくしかない。
相手が仕事もせずに遊び歩いて、私に世話をさせようと考えている証拠として。

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