かのじょの物語

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20代の話 Deterioration

50.もし、そうだとしたら。

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心を落ち着かせる時間も、安心していられる場所も私にはなかった。逃げ出したいと思っても何処にも行く場所がない。私は親の思いを踏みにじって故郷を捨てた人間で、その上嫁になって他の家に嫁いだ人間だから。
そんな私がその時点で頼りに出来たのは、職場の姉御肌の人物とコバヤカワとコイズミの存在だけだった。

※※※

以前より私の職場に近いアパートに引っ越しして暫くがたった。
アパートはマンションよりはこじんまりとしていたが、部屋数もあって居心地もなかなか良い。キッチンと居間、和室ともう一つフローリングの部屋があって、どの部屋も二辺は隣の部屋と繋がっている。つまりは、クルリと円を描くように移動が可能な間取りだ。
居間の隣のフローリングの一室に彼のパソコンを据え、それ以外の本棚等を据え付け彼が主として使う書斎にした。実際にはその位置だと、彼が何かしようと立ち上がれば他の部屋にいても私が察知しやすいのだ。私のパソコンデスクを居間の隅にしたのもそれが理由だったが、独りで籠れる場所をまず第一に優先で作ったことで彼は機嫌がよかった。


彼は相変わらず毎日遊び歩いていた。ゲームは勿論、何人か女性と会っていた節はあるが、こと女性に関しては上手くいかなかったらしい。上手くいかないから、その憂さ晴らしが私に調教として行われる。
正直、ひものご主人様に新しく奴隷として囲われたいなんて思う人はいないと思う。私が新しく会う女だとしたら、にこやかに微笑んで食事を奢って頂いて速やかにお別れしたい。そんなわけで、新しい性奴隷については上手くいかないままだ。私にとっては最悪だが、新しい被害者が出ない事を良しと考えることにしていた。

とは言え私の状態は、傍目に見ても次第に追い詰められた感が漂い始めていたようだ。
マンションに住み始めた頃一旦家に籠っていたためか一時期より太り67キロとよく言えばふくよか・悪く言えばデブだった。残念ながら、元々体重がある人は脂肪細胞が沢山あるとかないとか、リバウンドしやすいを証明した形ではある。しかし、過食嘔吐で激減した体重は一時40キロ台まで落ちたが、その頃には50キロ前後をキープするようにしていた。それでも雰囲気が荒んでいくと、痩せではなく窶れが見え始めるらしい。
そして、満足に夜眠らせて貰えない私は、食事休憩にソファーで丸くなって仮眠をとることが日常的になっていた。そんな状況がまともでないとも、私はわからなくなっていた。
そんな時、何かれと私の様子を気にかけ声をかけてくれる同僚がいた。

就職したばかりは何時もツンとすました感じのある綺麗な人というイメージだったが、その人と一度呑みに行った途端にそのイメージが間違いだったことを知った。彼女自身が少し人見知りする質で最初は声をかけれなかっただけだったそうで、馴染むととても優しい懐の広い姉御肌の人だった。

私が窶れるのを心配してその後も幾度となく声をかけ呑みに行き、親身に悩みを聞いてくれたのはウノさんといった。

※※※


今まで余り触れ合った事のないその先輩である女性から呑みに誘ってくれたのは、窶れていく私の姿に彼女自身に何か感じる事があったのだろう。半個室の居酒屋にしては少し狭い座席をわざと選んで、彼女は内緒話でもするように私の直ぐ隣に座る。

「ヤネオさん、何飲む?私、ビールにしとこう。」
「あ、同じので。」
「じゃ、生二つ。あと、これとこれと……あと、これも。」

今まで同じ年くらいの同僚と飲み歩くことは多かったが、彼女は私より10ほど年上で個人的な交流がなかった。彼女の少しとっつきにくい雰囲気というイメージもあって職場でもあまり話したこともない。それなのに、まるで親友のように隣に座り杯を酌み交わしている。
そうして、何故誘われたかわからず緊張する私をよそに彼女は訥々と自分の経験した過去の話を始めた。その中で彼女が、実は既に離婚経験者なのだと知った。

「好きで仕方ないと思って結婚したのよ?遠距離恋愛から、彼に嫁ぐために地方から仕事を辞めて、わざわざ関東まで来たの。」

その言葉に一瞬私の表情が曇るが、彼女は私ではなく弾けていく泡を見下ろしながら枝豆を摘まんでいた。

「浮気もされてね。それでも一生懸命尽くしたのよ。かなり金も貢いだしね。私だけで家計も支えて小遣いまであげてね。毎日家事もして仕事もして、全部彼のためにやってやってた。」

時折私に食べ物を促し、彼女は話す。私の食が進まないのを見ると何が好き?と柔らかい笑顔が私の顔を覗きこみ、酔いのせいか何か答えるまで絡まれる。しかし、それが私を気遣っての事だと分かってなんだか嬉しいと思った。

「私の旦那だった奴は酷い奴だった。最後には病的で全部支配しようとして、呑みに行けば誰といるか写メを送るのよ?逐一報告メールして、電話して。そんなことしてたら、私が駄目になったの。私が限界だったの。」

彼女は笑いながらそう言うと、私の瞳を覗き込むようにして見つめ微笑む。
何も話せとは言わず、ただそのときは一緒に呑んでウノさんの辛かった過去を聞きながら、私は自分自身を思っていた。他人の話であるのに、それは今まさに自分に当てはまり自分の姿があるような気がした。

「何でかな?看護師ってろくでもない男に尽くしちゃう人多いよね?奉仕ぐせでもあるのかね?この職業・あるあるよね?」

職場での颯爽とした物言いのまま彼女は微笑み、私の肩に腕を回し頭を撫でた。自分より10歳ほど年嵩の彼女が何かを感じて私を誘った理由が分かって、居酒屋の薄暗い明かりと彼女が自分の過去を話す為にかなり酔っていてくれたことに心から感謝した。涙ぐんでも酔いのせいにしてしまえる事がありがたかった。

「でも、今は自由にのんびり生活できてる。今は私らしくいられる。そこが大事なとこよね。自分らしくってとこよ!」

彼女が自分に過去の自分と同じ気配を感じてこうして誘ってくれた事が、私にはありがたかった。誰にも言えない事を私の中にみつけてくれていた人が、この先を考えてみてはどうかと心配してくれている。離婚してこうやって独りでも生活していけているのよと、そっと打ち明けてくれている。それがありがたかった。

結局その日は、私はそれでも自分の状況については口にしなかった。ウノさんはそれには何も言わず最後まで爽快に話しかけてくれ、楽しいままに時間を過ごす。
そしてそれはその後幾度となく回を重ねる事になる私の気の休まる時間になっていた。


※※※



そして、後者であるコバヤカワとコイズミはそれまでよりも気を使って、頻度をあげて自宅を訪れ彼に接してくれていた。さり気無く来訪時に飲み物や果物など本来は必要そうでない物を手土産と言い持参してくれたり、自宅に籠りがちの彼を外に連れ出してくれたりしてくれた。私の負担を見てとって、気を使ってくれているのがよく分かる。
それに彼の友人として、何気ない言葉で仕事をするよう促してくれもした。しかし、相変わらず彼は仕事をする気にはならないようだった。

「ヤネちゃん、仕事探さないの?プータローのままじゃ、遊びに誘いにくいんだけど。」
「はぁ?何で誘いにくいんだよ?」

そりゃ普通に考えれば、収入がないんだもの金銭面の心配があるから普通は遊びに誘いにくいのよ。遊ぶのに必要なモノを全部奢ってやるのも限度があるしね。と心の中で慣れ始めた悪態が呟く。
キッチンで夕食を作りながら背後の会話や物音に耳をすますのも最近の癖のようなものだった。背後のコバヤカワの声は、彼の様子に呆れたような気配をにじませる。

「そりゃ、誘いにくいよ。普通そうじゃん?」
「何で?別に金ならあるし、誘えば行くよ。変なやつ」

いや、変なのはあなただから。収入ない人毎日遊びに誘えるわけないでしょ?毎日万単位でするゲーム代金奢れるわけないし、実家でもなきゃ生活できないのよ、普通。

「いやいや、ヤネちゃん、収入ってさあ?」
「何?アキはちゃんと働いてるし、収入はあるわけじゃん?」
「いや、ねぇさんはおいといてさ。」

あぁ嬉しいけどコバヤカワ君、それ以上は言わないで。私、この後にお仕置きされたくないの、仕事に響くから出来たら寝たいのよ。正論言ってもこの人おかしいから通じないの。

「どういう意味?夫婦なんだからアキが働いてて収入はある。それで、何で俺が誘えないの?アキがいるせいで誘えないってこと?」
「そうじゃなくてさ、ヤネちゃん、普通さぁ?」

ガチャンと音をたてて何かが床に落ちる音がして、私は内心慌てながらも声に出さないように努める。聞いていたと声にでないよう努めて慎重に、普段の声音に聞こえるように声のトーンをあげて二人の話を中断するつもりで声を出す。

「ご飯できたよ、ゲーム中断してくれる?」
「あ、はーい、ヤネちゃん、ご飯だって。」

彼の返事はない。恐らくあの子供じみた不機嫌な不満顔になっているだろうことは分かる。友達が親身になって心配して忠告してくれているのに、そうと理解すら出来ないのだ。自分よりも五つも年下のコバヤカワの方がずっと社会人として普通の感性であることが、心底恨めしい。

「ねぇさん、これ運べばいい?」
「ありがとう、その前にテーブル拭きたいから。」
「テーブル拭きこれ?」

言わずとも手伝ってくれるコバヤカワに感謝したいが、あまりおおっぴらに感謝を示すことも出来ない。それを分かっている彼も特に私に何を言うでもない。やはり、以前痣は消えかけていたけど、彼らには痣があることがばれていたのではないかと思う。

「ヤネちゃん、ご飯食べたらちょっと出ない?」
「何だよ、俺は誘いにくいんだろ?」
「拗ねてないで、俺をたてると思ってさぁ。」

コバヤカワが明らかにあえて彼を誘い出そうとしてくれるのに、心の底で感謝する。せめて少しでも離れる時間が欲しいそう思っているのがバレたのか、私が同行しなければ行かないと彼がごねだした。これ以上怒らせたくない一心で、私は張り付けた笑顔で同行を承諾する。

「ねぇさん、ごめんね。」


アパートのドアを閉じる時に、彼に気づかれないよう申し訳なさそうにコバヤカワが囁く。それに笑顔だけで返事を返しながら、私は彼らの後に続く。
夫でなく彼に先に出会っていたら。そんなもしもを心の中でひっそり思う。もしそうだとしたら、後に訪れた結果は違ったものだったのかもしれない。

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